2011年3月11日、第二原発も津波によって1号機、2号機、4号機の電源が喪失し冷却が不可能になった。このときは外部電源が震災の影響によって4回線のうち3回線が停電していた。残った1回線の電源で、中央監視設備を含む全ての電源を賄っていた。
1号機、2号機、4号機の「海水熱交換器建屋」へ電源を供給し冷却を再開するため、この残った1回線を利用することになったが、この回線は第二原発敷地内の「廃棄物処理建屋」の受電設備に接続されている。増田尚宏所長(当時)は、各建屋の海水ポンプの(水没した)モーターの交換と共に、この「廃棄物処理建屋」からから電源ケーブルを人海戦術で敷設することを決断。ケーブル総延長は9kmに及び、通常なら工作機械を用いて1ヶ月かかる作業だ。
3月12日の早朝、自衛隊のヘリコプターによってケーブルが届けられた。最も危険度の高い2号機を優先し、200人の作業員たちが重いケーブルを担いで、一日で敷設完了させ受電を開始した。「ベントのタイムリミット」の2時間前だったという。
そして他の建屋にも敷設作業を進め、15日には全ての原子炉を冷温停止の状態に持ち込み、当面の危機は脱出した。第一原発だけでなく第二原発も綱渡り状態だったのだ。
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◇ 福島第一原子力発電所及び福島第二原子力発電所における被害状況と事故対処(事故調査・検証委員会)
なお、2011年3月11日が金曜日だったため構内に大勢の作業員がいたので、この人海戦術が可能だった。もし作業員の人数が少ない土日だったらオシマイだった・・・と、東京新聞が報じていたが残念ながら切り抜きを紛失。
■ ところで一つだけ生き残っていた外部電源の回線は、2015年1月7日・東京新聞の記事によると「富岡線」だという。上にリンクを貼った事故調査・検証委員会の資料によると「富岡1号線」と言うらしい(1号線と2号線があり2号線は停電していた)。
3月11日の午後6時過ぎ、恐らく第二原発の現場では富岡1号線の電源からケーブル敷設を行う準備に悩殺されていたと思うが、東電本店の送電網を管理する担当者から 「富岡線を切ってもいいですか?」という問い合わせが入った。増田所長は耳を疑った。
福島の原発だけでなく広野などの火力発電所までもが発電不可能になり、数日後から連日計画停電、という緊急事態だったわけだが、しかし第二原発の冷却は富岡線からの給電だけが頼りだ。
「第二原発では富岡線の電力を使って原子炉に水を入れたり、炉内水位計や圧力計を見たりすることができていた。富岡線を使えたことが結果的に、全ての外部電源を失った第一原発と明暗を分けたと言っても過言ではない。本店担当者はその命綱の富岡線を切っていいか、と言ったのだ」しかもこの電源を利用して海水による冷却を復活させようと努力している最中なのに。自社のプラントの状況を全く把握していなかったのだ。なんと愚かなことか!
増田尚宏所長はテレビ会議で「これがなかったら第二は終わっちゃうんですよ。1F(第一原発)と同じになっちゃうんですよ」と訴えた。
「首都圏からはるかかなたに一本ぶら下がってふらふらしている系統なんて切っちゃったほうが、首都圏の復旧が早くできると考えたんじゃないですかね。第二原発を何だと思ってるんだ、ふざけんじゃねえ、と思いました」(増田所長)
■ 東電本店のバカさ加減はこれに留まらない。3月13日には第二の原子炉注水の水を貯める「ろ過水タンク」が、津波で損傷した配管からの水漏れのため枯渇したため、増田所長が本店に4千トンの水を送るように求めた。しかし本店が手配したのは4千リットルの給水車だった( ゚Д゚)!
一千倍足りねえよ。つーか飲み水じゃねーし。
「われわれが欲しかったのは原子炉に入れられる『4千トン』だったんですけど、本店は飲料水を集めているつもりだったんでしょう。それで『4千リットル』になっちゃったんでしょうね」第一・第二原発とも現場で必死の対応が行われていたが、本店はこのように果てしなく愚かだった。現場の状況などまるで他人事だった。増田所長は「これほどまで感覚が違うのか」と愕然としたが「怒りはしなかった」。部下に「もう人を当てにしても仕方がない。自分たちでやろう」と告げたという。
このように現場担当者は愚かすぎる東電本店や経産省・政治家に振り回されていたが、彼らの必死の努力で当面の危機を脱した。しかし第一原発1〜3号機原子炉内で溶け落ちた核燃料や、プール内の核燃料取り出しは目処が立たず、冷却を続けるため汚染水は増え続けている。第二原発も、プール内の10940本の核燃料を冷却し続けなければならない。東電福島原発事故は終わっていない。いつ終わるともしれない闘いが続く。上に貼った動画の増田元所長の言葉が重い。
「(第二原発が)廃炉になろうが、この後どうなろうが、同じ状況を努力して続けていくことが大事です」