それにしてもこの冤罪事件、富山県警の捜査が余りにもずさんというか・・・これを「捜査」と言っていいのだろうか?まるでヤクザのこじ付けのような・・・。東京新聞2015年3月9日夕刊、3月12日【こちら特報部】より引用。
2002年1月から3月にかけて、富山県氷見市で強姦や強姦未遂事件が発生。4月、富山県警氷見署はタクシー運転手の柳原浩さんを強姦未遂容疑で逮捕。5月に強姦容疑で再逮捕し、富山地検高岡支部が起訴した。しかしこれらの容疑は全くの冤罪だった。11月に富山地裁高岡支部が懲役3年の実刑判決を出し、柳原さんは05年1月の仮出所まで服役した。その後柳原さんは心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されている。全くの冤罪で逮捕され、自白を強要され、獄中生活を強いられた柳原さんの苦悩は計り知れない。
ところが06年11月、鳥取県警が強制わいせつ容疑で逮捕した男性が氷見市の事件を自供した。この男性が自供しなければ柳原さんの冤罪は永遠に晴れなかったのだろうか。07年1月に富山県警が柳原さん逮捕は誤認だったことを発表。10月に柳原さんは富山地裁高岡支部で再審無罪を勝ち取った。そして09年5月、柳原さんは国家賠償を求め提訴。27回の口頭弁論を経て、9日の判決となった。
他の冤罪事件と同様に、富山県警は容疑者に虚偽の自白を強いたわけだが・・・柳原さんには決定的なアリバイがあり、また事件現場の状況も柳原さんは事件とは無関係であることを示していた。しかし富山県警はこれらを一切無視していた。
〇 柳原さんは事件発生当時自宅にいて、実兄宅に電話をしていた(固定電話)。これは通話記録にも残っていたので、これだけで容疑は完全に晴れるはずだ。しかし警察は通話明細を入手しながらも「見落とし」たという。見落としというか黙殺したんじゃねえか?法廷で当時の富山県警捜査一課長は見落としを認めるも、アリバイと認めなかったことについて「柳原さんも当日の行動についてはっきり説明できなかったから」、と言い逃れした。数ヶ月前の何月何日に何していた、と言われてちゃんと説明できるわけねえだろ。電話したことだけは憶えていたのは幸運だけど、この確固たるアリバイも否定するんだから大したもんだよ警察は。
〇 被害者女性の証言による凶器や拘束具は、柳原さんの供述と「ことごとく食い違っていた」。そりゃそうだな警察が強制した供述だから。これについても県警は「被害者の気が動転していた」で済ましていたという。そりゃ被害者が動転するのは当然じゃねえか?
〇 被害者女性の下着に付着した体液の血液型はA型かO型だったが、柳原さんの血液型はAB型だった。しかし県警側は「微量だったので、不明とした」と言い訳した。これ、どんな証拠が見つかってもシカトして、容疑者を起訴し有罪にするってことですかね?
〇 事件現場に残っていた足跡のサイズは28cmほどだったが、柳原さんの足のサイズは24cmだった!一目で別人だと分かるはずだが、警察には世間の常識は通用しないようだね。(氷見冤罪事件「言葉の暴力つらい」精神的不安定続く - 毎日新聞より)
〇 現場検証のため県警が柳原さんに被害者宅を案内させた際、柳原さんはすぐに被害者宅にたどり着けなかったという。そりゃそうだよ全くの冤罪だかんな。警察に自白を強要されているだけだもんな。しかも捜査報告書にはその様子が記録されていた!これだけでも真犯人は別人だと断じるべきだよな。(同上)
〇 上述のように柳原さんが逮捕されたあとも、他県で氷見の事件と類似した手口の事件が相次いでいた。国賠訴訟では当時の捜査員らが「(手口などが)似ていると思った」「関連があると思った」などと証言。そう思った時点で氷見の事件の捜査をやり直すべきじゃねえか?(同上)
■ 全く呆れて物も言えない。警察というのは事件解明を急ぐあまり、つい雑な捜査となり、物証の取り扱いが雑になりアリバイも見逃し、容疑者を真犯人だと思い込んで自白を急かせ、冤罪を生んでしまうものだ・・・と世間では思われているようだがそんな甘いもんじゃねえな。容疑者を真犯人だと決め込んだら最後、どんな決定的なアリバイが出てきても黙殺し、自分らで物語を作って容疑者の自白に仕立て上げるんだな。まるで人様の弱みにつけ込む暴力団だ。「お前犯人だ」詐欺だよ。刑事事件を利用して更なる被害者を生む便乗犯罪だな(ちょっと大袈裟ですか?)。
まあ役所ってのは一度決めたことは絶対に曲げないと言われているし・・・民間企業と違ってどんなにヘマをしても当事者が解雇されたり組織が揺らいだりすることは無いから厄介だ。この国賠訴訟でも警察官や検察官個人への請求は退けられたそうだし。反省する気も無いだろうな。
しかしいくら警察が不当な捜査をしても起訴するのは検察の仕事だ。有罪か無罪か判断するのは裁判所の仕事だ。両者が少しでもまともなら、これは冤罪だと簡単に見抜けたはずだ。上述の足のサイズの相違について担当検事は「厚手の靴下で靴を履けば、あり得ると考え、追及しなかった」と証言したという。(足のサイズが4cmも大きくなる「厚手の靴下」ってどんな靴下だ?アリバイを精査しないまま起訴したことは認めたという)
■ 国賠訴訟の判決について柳原さんは「評価できる部分とできない部分がある」と、弁護団は「裁判所の警察、検察に対する姿勢が甘すぎる。まだまだ不十分だ」と述べた。
この裁判を傍聴したこともある北海道警元幹部・原田宏二氏は、
「一番の問題は警察のずさんな捜査だが、それをチェックすべき検察と裁判所が機能していなかったから、冤罪判決となった。国獏訴訟の判決で警察捜査の違法性を認めながら、検察の責任を問わないのはどういうことなのか」
「検察は公訴権(刑事事件で裁判所に審判を申し立てる権利)を唯一持っている。それだけに公判維持の観点からも、警察捜査をうのみにせず、『証拠は大丈夫か』『自白の内容に問題はないか』と慎重にチェックすることは当然。それを怠っても責任がないというのなら、検察の存在意義があるのだろうか」と厳しく批判する。警察の不当な捜査が是正されず、検察も警察に追従し、裁判でも素通りする現状では、このような冤罪は何度でも起こされるだろう。
加えて原田氏は、
「これは『真犯人が別にいた』という典型的な冤罪事件。勝訴は当然と言えるが、国賠訴訟は原告は個人で被告は公の組織。最初から力関係が違う。今回のような明らかな事案でも、一審判決が出るまで6年弱。原告の負担は大きい」と指摘。冤罪被害者の失ったものは取り返せない。
それに、足利事件や東電OL殺人事件などは真犯人は不明のままだがDNA鑑定によって再審無罪となったが、冤罪被害者の無罪の決定的な証拠が出てこない大崎事件(過去ログ参照)などは再審請求が棄却されている。そもそも物証もないのに強要された自白だけで有罪判決が出たのが狂ってるんだが。これを覆すなら確実な証拠を示さなければならない、という倒錯した現状を打破しなくてはならない。
■ ところで15年3月13日に安倍内閣は、刑事司法制度改悪(過去ログ参照)を閣議決定した。全起訴事件のわずか2〜3%を取調べ可視化とする一方で、冤罪発生の恐れがある司法取引を導入し(実質的には多くの冤罪事件で権力が被疑者や参考人に対し不当な働きかけを行っていた)、通信事業者の施設ではなく捜査機関の施設で通信傍受が出来るようになる、という恐ろしい法改悪だ。国会審議は4月から行われるという。絶対に阻止しなくてはならない。
しかも昨今は、まだ捜査段階でも真犯人と噂される人物の名前や顔がネット上に流出したり、それが全くの別人であったり、しかもヘイト週刊誌は実名報道するなど、ますます冤罪が発生しやすい社会情勢になりつつあるのではないだろうか。「犯罪者は市民ではない」「社会の異物、異質なもの」という感情に流される連中も少なくないようだ。それが「ペナル・ポピュリズム」を育てるのだろう(過去ログ参照)。
仮想敵をこしらえて「国民」の不平不満をそちらに向けようとする安倍ら自民党の連中にとっては好都合な情勢だろう。中国・韓国への敵対心を煽ると共に、「社会の異物、異質なもの」という虚構を作り上げ、我々人民を分断し、支配しようとするのだ。
しかし何度も言うが、我々はいつなんどき刑事事件の(冤罪を含めた)容疑者・被告となるか分かったものではない。決して他人事だと思ってはならない。全ての容疑者・被告・受刑者の運命は将来の自分の運命だと肝に銘じ、彼らの人権が守らなければ自分の人権も守られないであろうことを覚悟すべきだ。「アイアム少年A」だよ。