2015年07月28日

粟島の思い出

 唐突だが2014年8月に新潟県の粟島(粟島浦村)を訪れたことを書く。
 なぜ行ったかって?笹川流れをネットの地図で見ていて、粟島を知ったからさ。
 なんで1年前のことを今更書くって?そりゃあだからさ。夏と言えばに決まってんだろw


 2014年7月31日、笹川流れの海岸で泳いだあと、今川駅から村上駅に戻り、タクシーで岩船港に向かった。
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 今川駅は無人駅。これは逆方向に行く列車

 そして粟島汽船の高速船で粟島に向かった。
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 行きも帰りも高速船に乗った。高速船は終末は満員になることもあるようだ。到着後、港の観光案内所で宿を探した。係員は、こんな時間に宿を決めていない我々に面喰っていた様子だが、港から近い民宿に空室が見つかった。もう夕方だったので素泊まり、近くの居酒屋で夕食。魚料理が美味かったぞ。その居酒屋だって、民宿の女将に教えてもらったんよ。港の周辺(内浦地区)だけど飲食店も少ない。当然コンビニなんか無い。

 粟島は面積9.78u、(2011年6月1日現在で)人口357人!という小さな島。漁業と観光が主な産業だと思うが、大きなリゾート施設があるわけでもない。一昔前にタイムスリップしてしまったような素朴さを感じた。いわゆる「離島」だから昨今の商業主義の毒に染まっていないんだよな。こじんまりとした商店街を歩いてみると、なんとも言えないノスタルジックな気分というか・・・まあ訪れてみて下さいよ。


 そして翌日(8月1日)、レンタサイクルで釜谷地区方面に向かった。
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 雄大な海を眺めながらサイクリング。曇っていてポツポツ降ってきたけど

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 牧場?

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 ところが、途中から登り坂になってきやがんの。マジしんどい、自転車降りて押した。同行者は泣きそうな顔してる。登山のときはドンドン先に行っちまうのに、体力あるんだか無いんだか、わけが分かんないよ!

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 ここが峠だったと思う。「普通林道内浦釜谷線竣工記念碑」と彫ってある。隣の碑には「金色の 神住む浦か 夕映えの カムラに立って アイヌを想う」とある。要するにここは「カムラ」という(アイヌ語の?)地名だったらしい。ウィキペディアによると、昔は本土を追われたアイヌ民族が住んでいたが後に滅ぼされたとか。それにしても虻がうるさい。汗だくだから余計寄ってくるのかも?

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 やっと峠を越えた、と思ったら今度は急な下り坂。ママチャリのブレーキが俺の体重に耐えきれずに悲鳴をあげる!

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 釜谷港を過ぎたが泳げそうな場所を見つけられない。しばらく進むと小倉町(おなまち)キャンプ場というのがあった(遊泳可能)。

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 なにしろキャンプ場だから海の家も自販機も何も無いよ









 曇りがちの天気だったが、海水の透明度はかなりのものだった!また行きたい!

 帰りは急な上り坂を自転車を押して登ったが、すぐ先ほどの竣工碑のある峠を越え、なだらかな下り坂に入った。行きより楽だったな


 海抜80mも登ったわけか。電動アシスト無しのママチャリで。

 そんで「内海海水浴場」の海の家で昼飯。大将が「うちはカレーとラーメンだけだよ」と言うからそれらを注文、旨かった。生ビールも旨い!粟島最高!


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 そんでまた高速船で帰った。もう一泊したかったな

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 これは通常のフェリー

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 こちらが高速船



 また行きたいね粟島。ところで俺も同行者も、しばらく虻に刺されたところが非常に痒くて参ったな。虫よけ・かゆみ止めと、長袖長ズボンが必要だな。どうせ海に入るんだから最初からダイビングスーツみたいなの着といたほうがいいか(笑)。肌が露出している所だけ刺されたからな。


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posted by 鷹嘴 at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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