それ以前の問題だが、17日午後4時の参議院特別委員会では「自衛隊法や武力攻撃事態法など10本の改正案をまとめた『平和安全法制整備法案』と、他国軍支援を随時可能とする新法『国際平和支援法案』の2本」(9月18日・東京新聞)が採決された・・・ということだが、騒然として何が行われているのか分からないまま終わってしまった。議事録にも記載されていない。法律を10本も改正するのなら、一つずつ採決するべきだ。とても採決が行われたとは言えまい。
◇ 昨日の特別委員会・議事録(未定稿)です 参議院議員 神本みえ子
これについても追及する必要があるだろう。下の賛同願いは俺も署名した(9月25日で締め切られた)
◇ 「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」への賛同のお願い(至急) 「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」への賛同のお願い
一方、安倍政権の暴走によって戦争の危機を感じ全国で決起した我々人民は、かつての日本の戦争について、戦後(アジア・太平洋戦争終結後)の日本の歩みについて振り返るべきだろう。
戦争法制によって自衛官が戦場に送られ、場合によっては戦死するかもしれない。戦闘の際に無関係な市民を巻き添えにするかもしれない。それも絶対に許されないことだが、そもそも戦後の日本は「平和国家」などと言えない。常にアメリカの侵略戦争に加担していたではないか。
憲法に反する日米安保条約も「自衛隊」も、全ては「日本の防衛」のためなどではなくアメリカの侵略戦争に加担することが目的である。こうして戦後日本はアメリカに軍事的・経済的に依存し、全世界で流される血と引き換えに「繁栄」を得たのだ。
仮に戦争法案を阻止できていたとしても、日本政府のアメリカ帝国主義への加担は止まらない。自衛隊が紛争地に派遣されなくとも、他国の軍隊が派遣され人民を虐殺するだろう。
同時に、明治維新以降の日本の戦争について振り返れば、軍隊とは決して「国民」を守るものではなく、侵略戦争によって敵国・自国の区別なく人民(自軍の兵士さえも)を虐殺するものであることが理解できる。我々はこれらの事実を踏まえ、新たな反戦闘争に決起しなければならない。
というわけで遅くなったが9・16国会正門前闘争について記しておく。
9月15日は夜勤、翌朝は真っ直ぐ帰宅。参院特別委員会での戦争法案の採決は夜になりそうだというので、小雨の中、午後6時頃現場に出向いたが、あまりの光景に唖然となった。「国会前交差点」⇔「国会正門前交差点」の大通りは歩道に鉄柵が設置されるだけでなく、両車線に警察車両がずらりと並んでいたのだ!


取りあえず憲政記念会館南庭側の歩道を進み(カクマルの皆さんも元気にコールしてたよ)、「国会正門前」交差点まで行ってみると、既にかなりの人民が結集していた。北庭側に渡ろうとしたが、突然国家権力がこの横断歩道を閉鎖した!人民が激しく抗議するも権力はこの封鎖を解こうとしない。
しばらく「通せ!」コールを続けたが、埒が明かないので「国会前交差点」まで後退し北庭側に渡り、かつて井伊掃部頭(井伊直弼か!)の屋敷があったという場所で休憩。対米屈服条約を締結し大弾圧を行った井伊直弼は屋敷を出てから桜田門の辺りで暗殺されたというが、21世紀の我々労働者人民は安倍自民党の暴挙を止められるだろうか?
眼下は首都高C1、左折すると4号線(新宿経由の中央道)、直進すると5号線(池袋線)か。俺も伊豆や箱根に行くときはC1から東名道に乗って、戻ってきたなあ。今はC2があるんでわざわざC1には乗らないけどね。こうしてデモを途中でサボりながら、首都高を走る車列を眺めていると、どうにも不思議な気分になるというか・・・いま仕事で首都高を走っている労働者は、俺たちのデモなんてただのお遊びに見えるんだろうか。そう見えるかもしんないけど、皆さんの生活と平和を守るためにこうして決起してんだから少しは関心持ってほしいな、せめて一般道を通って大渋滞を発生させて警察の不当な規制を阻止してほしい、とか愚にもつかないことを考えていた(笑)
■ 北庭側も警察車両(バスじゃなくて窓が全然無い装甲車!)がズラリと並んでいたが、外側2車線分だけ解放されていた。せめてもの権力の配慮だろうか。アホくさいことに解放された車線と歩道の間には例の鉄柵が並んでいるため、車道に入るには「国会前」交差点まで戻らなければならない。しかも鉄柵はご丁寧にロープで連結され、しかもそのロープがインシュロック(タイラップ、結束バンドとも言う)で結び付けられていた。
しかし!結集した人民がハサミなどでインシュロックを切断し、ロープを解き、あっという間に鉄柵を撤去した!別に組織された行動ではなく、その場に居合わせた人民の決起だ。素晴らしい早業、全く感動ものだよ。シールズは絶対にやらないことだよね。
民主主義ってなんだ!これだ!
そしてジリジリと前方に進んだが・・・後方からSEALDsの一団がやってくる!と思ったら若いのが参加者に「すいませんシールズが来るんで道を開けて下さい」と指示している。何様のつもりだよ。まあいいか道を開けてやろう。これから国会突入すんだろ?頼んだぜ!


と思ったら、しばらくしたらシールズの隊列、Uターンして帰っていった。何しに来たんだよ。
さらに前方に進むと、法大文化連盟や全学連の旗が見える。警察車両の上に登ったポリが「下がってください!」「そこの青いシャツを着た人・・・」「そこの〇〇大学の幟を持った人・・・」などと叫んでいる。


こうして最前線(国会正門前交差点の北庭側の角)にたどり着いたのは21時半くらいだったが、歩道と車道の間の鉄柵は既に人民によって実力で撤去され、解放区と化していた!
(国会前交差点から国会正門前交差点に至る大通りは警察の配慮?で2車線分が解放されていたが、この交差点付近の車道は通常のように鉄柵で封鎖されていた模様。しかも警察車両がこの交差点角をグルリと取り囲むように列をなしていた)
■ とても国会の門までたどり着けるような状況ではないが、それでも我々人民は少しでも国会に近づくため闘った。鉄柵の残骸も権力に撤去させた。警察車両の上のポリは「下がれ!」「そこの男、煽るな!」などと叫んでいる。「煽る」だけでも犯罪なのかよ。
そんな脅しにも屈せず、あえて権力の集団に背中を向け腰を落としてスクラムを組み、「ワッショイ!ワッショイ」の掛け声のもと、封鎖を突破せんとして闘った。

— 広河隆一 (@RyuichiHirokawa) 2015, 9月 16
これ、広河隆一さんご自身の撮影???


大多数は組織とは関係のない市民のようだが、革労協の活動家もいる。三里塚や辺野古現地で闘う知り合いの活動家もいる。全学連の皆さんもいる。著名な活動家が総結集した感じだな。ジャーナリストだか野次馬だか知らんが欧米系の外国人が、両手を上げて鼓舞し(権力はこの人に警告してたのかも)、躊躇している参加者を抱きかかえてこの肉弾戦に引きずり込んでいた。かっこいいな、まるでロックフェスのモッシュピットでサークルやウォール・オブ・デスを仕切る外人さんみたいだw
ところが・・・俺もスクラムを組んで背中から権力に対峙していたが、権力が俺の背中をグリグリしやがる(笑)たぶん肘を押し付けてたんだろう、マジで痛えぞ。同様な攻撃を受けていた学生が厳しく抗議すると、「公妨だ!」などと言いがかりをつけられ、周囲が奪還を試みたがたちまち連行されてしまった!これが22時過ぎだったと思う。この夜だけで13人の学生・労働者人民が弾圧された。
こうして多くの仲間が弾圧され、正門に突進することも出来なかったが、この9.16国会正門前闘争は、集団的自衛権阻止運動を象徴する闘いであり、近年では特筆すべき人民の決起だった、と言わせてもらおう。
■ ところが!23時ちょっと前だったかな、我々が「仲間を返せ!警察帰れ!弾圧やめろ!」をコールしていた時・・・SEALDs系の集団(TOKYO DEMOCRACYか?しばき隊かな?)がこの解放区に入ってきて、太鼓をドンドン叩きながら大音響のトラメガでコールを始めた。
ちょっと待てよお前ら何しに来たの。警察に従わなきゃいけないんだろ。鉄柵を倒しちゃいけないんだろ。いつも言ってることと矛盾してんじゃん。
それにこの場所(車道)は、我々人民が実力で日帝から奪還した場所だぞ。そのときお前らいなかったじゃん。何で後から入ってくんの。ただ便乗したいだけかよ。
それだけならまだ許せるが、我々の弾圧に抗議するコールに「安倍は辞めろ!」のコールを被せてくる。我々にハンドマイクを向けて。なんと幼稚な嫌がらせだろうか。恐らく「極左が暴れて逮捕されて、しかも警察に文句を言っている」ことを止めさせよう、としたのだろう。話し合いを求める全学連の学生につかみかかってくる奴もいるし。
SEALDsだの反原連だの「しばき隊」だのといろんな名義で活動しているこいつらには日共シンパも混じっているし、まあ日共とどの程度の関係なのか知らんが習性は同じだな。つまり、反対運動に関わっておきながら、非和解に闘っている者を裏切り、権力に売り渡し、その末に政府の横暴を追認してしまう。安保だろうが公共事業だろうが悪法だろうが成立しちまえばもう反対しない。今度は反対する者を抑圧する側に回るんだ。まあ権力の手先だと思ったほうがいいな。
気が付けば青ヘル部隊も三里塚で闘う活動家の姿も見えない(というか、この夜に革労協の活動家も3人弾圧された)。奴らの大音響のコールはまだ止まないが、全学連坂野書記長の司会でミニ集会がスタート。斎藤委員長や学生の発言に続き、希望者が自由に発言した。創価学会の信者だという女性は(公明党を支持していたことで)「皆さんにお詫びしたい」と語っていた。有意義な集会だったぞ。シールズはいつもの場所(歩道)でガチャガチャ始めてる。さっきこの解放区に入り込んだシールズ系の集団は消えていた。後から入ってきて途中で放棄か。何しに来たんだよ! 後から入ってきたのなら(それだけでもムカつくが)この解放区を守り通せよ最後まで!嫌がらせに飽きたから撤収したのか!
せっかく闘志に満ちていたのに、頭から冷や水を浴びせられて一瞬にして冷めきったような、シールズによる嫌がらせ&妨害行為でしたよ。自分で恥ずかしくならないかね。
■ その後、第2プライベート休憩所(笑)で一休み(憲政記念会館の裏手、内堀通り沿い。ちょっとした藪になっている)。ここも眼下に首都高が見えるなあ。仕事やプライベートなど様々な理由で深夜に首都高を走る車列を眺めながらデモを抜け出したネトサヨが一人佇むのも不思議な構図だな、なんちゃって。
そして戻ってみると解放区は再び権力によって封鎖され、ミニ集会は歩道に押し出されてしまった!雨は次第に強くなる。参院委員会がいつ再開されるのか分からんから、取りあえず帰るか?と思ったら午前0時15分から委員会再開の予定だっていうから、終電あきらめるか?
結局委員会は再開されず、終電の時間も過ぎ、雨は次第に強くなり、疲労と空腹と寒さに耐えられなくなり1時半ごろ離脱。有楽町の居酒屋でガラケーいじりながら状況を追った。結局、17日の9時頃に理事会とやらを開く予定、となった。
もうガラケーは電池切れ寸前、朝までネットカフェで過ごすかなと思ったが・・・しまった、身分証明書の類は全て自宅に置いてきちゃった(笑) 万が一弾圧されたとき余計な物持ってないほうがいいと思って(どうせガラケーから身元が割れるだろうけど)。ネットカフェって身分証明書が無いと会員証作れないじゃん。個室でビデオ鑑賞が唯一の選択肢だった。(せめてガラケーの充電器持ってくりゃ、ツイッターとか接続出来たのに)
6月に花岡行った時も前夜は秋田市のネカフェで過ごしたが、ここも狭いな。まあ寝るには充分だ。早速テレビつけて16日の模様を見た。解放区の様子も映ってたな。「暴れた過激派を逮捕した」みたいなしょうもない報道だったけど。そんで仕方ないからビデオ観たよ(笑) そのうちウトウトしてきた。
そんで朝8時過ぎに出発し国会前に戻った。雨は前夜より強くなっている。
お馴染みのデコトラ
装甲車は減ったが鉄柵が再びセットされていた
こんな天気なのにもう大勢の人々が集まっている。正門前で総がかり行動の人?が「理事会を委員会室で開くという暴挙を野党議員が激しく抗議しています」とかなんとか。当分委員会は再開されないようなので、国会の廻りを一回りして、議員会館前の青ヘルの人たちと一緒に「戦争法案粉砕!安倍打倒!安保解体!」とコールしてから帰った。夕方にまた行こうかなと思ったけど疲れて寝ちゃった。
ところで俺は、野党が全員牛歩戦術やれば散会になるとか、与党議員が少しは造反するんじゃねえかとか、最終的には参加者全員で国会突入するっきゃないとか思ってたけど、今考えれば甘すぎたね、牛歩しても制限時間があるし、自民党議員が造反するわきゃねえし(総裁選に誰も立候補しなかったくらいなのに)、あんなに警備が厳重だから10倍くらい集まんなきゃ突入なんか無理だし。だけど9.16国会正門前闘争に参加できたことは誇りに思う。
(続く)
ところで青ヘルの人は、ヘルメットを被っていたのでしょうか?
ヘルメットかゼッケンか忘れましたが、どちらかを付けていたはずです。(だから青ヘルの皆さんだと認識できました)