2007年05月25日

防空壕という穴ボコの本質

2007年3月19日朝日新聞投書欄「声 語りつぐ戦争」より、防空壕についての2件の投書を引用。

≪子供も入れぬ 非情な軍の壕≫

実家は相模湾に面した神奈川県葉山町の寺で、三浦半島をまたいで背後には横須賀軍港があった。
45年になると、近くの御用邸の警護目的もあったのか、海軍の通信兵6人が寺に常駐した。そして、裏の岩山に横穴の防空壕を掘り、通信機などを置いていた。
軍から資材を潤沢に運び込んで、頑丈な丸太ん棒でしっかり支え、足元には滲み出る水を防ぐ板を張った。広さも6人の兵隊が入って事務を執れる立派な壕だった。
父はその壕の近くに、家族7人のために横穴を掘り始めた。一日中つるはしを振るっても一人での作業は遅々たるものだった。僅か50〜60センチの窪みができたとき、敵機が来襲した。
兵隊は壕に入って、入り口を心張り棒で塞いだ。そして、我々子供でさえ入れてくれなかった。同じ屋根の下で寝起きし親しくなっていたのに、「意地悪な人たち」と子供心に感じた。
戦後も、その不快な思いのこもる壕を再び覗く気にはなれなかった、寺を継いだ兄が今年になって、壕のある裏山の一部が崩れ始めたと言っていた。
日本軍にとって防空壕とは作戦拠点かつ兵員の避難所であり、決して住民を保護するためのものではない。住民など邪魔者なのである。もしも「本土決戦」が行われていれば、避難している住民を日本軍が追い出したり場合によっては虐殺するなど、沖縄戦のような地獄絵図が出現したことだろう。
≪防空壕に異論 体罰で父病死≫

神戸市には、44年の夏ごろから偵察のための敵機が飛来した。あちこちで防空壕が掘られ始めたが、道路の脇にただ露天掘りする簡素なものだった。
私たちの所でも隣組の人たちが集まって掘り始めた。深さ4尺(約1.2メートル)ぐらいの壕が出来上がったところで、試しに入った子供たちに、父が上から声をかけた。
「君たち、飛行機は上を飛んでいるだろう。そこにいても丸見えだよ。どうする?」
大人たちは一瞬しーんとなり、そそくさとその場を去っていった。しばらくして、父は毎日警察に呼び出され夜遅く帰ってきた。後で思えば、国の方針に異を唱えたとして密告されたらしい。
12月に入ると、父は毎早朝シャツ一枚で青年団の先頭に立たされ駆け足をさせられた。周囲の人たちの話では体罰だったようだ。
同じ年の20日、風邪をこじらせて肺炎となり、あっという間に死んでしまった。57歳だった。
その後、露天掘りの防空壕は半年くらいでなくなり、天井のある穴蔵式に替わっていた。
北朝鮮の強制収容所を連想させるようなリンチだな。
どうやら防空壕を掘らせるという作業は、爆撃の避難所を設けるために必要だったわけではなく、防空壕を掘らせること自体に意味があったのだろう。こういう「仮構性」を指摘する者は抹殺しなければならなかったのである。そもそもの中国・アジア各地への侵略戦争や対米戦争こそ無意味の極みであり、同じ事が言えるだろう。
posted by 鷹嘴 at 14:04 | TrackBack(2) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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