帰国後の残留孤児やその家族にとっての第一の障害は言葉の問題であった。幼い時に親族と離別した残留孤児が日本語を全く話せないのは当然のことである。
政府は「定着促進センター」(一次センター)で4ヶ月、各地の定着地での「自立研修センター」(二次センター)で8ヶ月、合計1年間日本語教育など日本に定着するための指導を行ってきた(言い換えれば国が孤児の面倒を見るのはわずか1年間だけなのである)。しかし高齢となった孤児にとって1年間の日本語教育は全く不十分なものだった。大抵の日本人は義務教育で3年間、高等学校で3年間の合計6年間の英語教育を受けているが、かといってその大部分は初歩的な英会話すらおぼつかないことを考えると当然のことだろう。
「一次センター」では日本語教育と日本での生活に必要な基本的な事柄を教え、それを踏まえて「二次センター」では「定着地での生活に即した研修を中心に」行うことになっていたが、実際には後から呼び寄せられた孤児の二世、三世が次々と入国し「二次センター」に入所したため、「二次センター」が「一次センター」の役割を課されることになり、年齢や識字率も様々なのに「一律に同じ対応」しか出来なかったのである(「中国残留孤児の今を考える」P-74〜75)。
このように日本語の習得すらおぼつかない高齢の孤児にとって、就職が困難なことは当然であった。タクシーの運転手だったある孤児は国際免許も習得して帰国したが、日本語が話せず地理も分からないのでこの資格を生かせなかった。重慶の病院で20年間勤めていたベテラン医師も、日本では中国の資格は使えないので経理事務の勉強を始めた。小中学校の教師だった孤児も同様である。
1986年、所沢市の「一次センター」に入所し職を探した70人の孤児のうち、就職できたのは1名だけだった。孤児が中国での様々な技術・技能を生かした職種を希望しても、求人の多くは工場の単純作業などで、収入も10万円から15万円前後だったという(「中国残留孤児問題 その問いかけるもの」P-116〜117)。実際に多くの孤児は生活保護に頼っているのである。
厚生労働省の資料「中国帰国者支援に関する検討会報告書 平成12年12月4日」によると、
「帰国者本人の就労状況(60歳未満の者)」は29.2%、
生活保護受給率は65.5%。
(ちなみに「日本語の習得状況(日常生活を営める程度の会話ができるようになるまでの期間)」は、未習得が32.7%)
しかし生活保護を受給していると、中国に残した養父母に会いに行くことや墓参りに行くことが「実際には不可能」となる。ある孤児は帰国した長男や四女が病気なので時々看病に出かけるが、市役所から「家を一週間あけた」と呼び出され、「中国に帰っていたのか」と問い詰められることがある。「犯罪者のように扱われている」と感じているという(「冷たい祖国」P-188)。生活保護受給者が海外旅行に出かけると、その期間の保護費は返還しなければならないのである(参考)。
国内旅行に関する制約は存在しないのに海外旅行だけ制約を設けるとは不可解な話である。中国を訪れた孤児を「資力がある」とみなし保護を打ち切ろうとする福祉事務所もあるという(岩波ブックレット666「国に棄てられるということ」P-41)。
そもそも、残留孤児は国の「棄民政策」によって中国での生活を強いられてきた人々である。育った地を訪れる期間の保護費についても特例が認められるべきではないか?
また、1996年からの特例措置によって国民年金の基礎部分の3分の1が国庫負担され、国民年金の払い込みをしてこなかった(中国に住んでいたのに払えるわけがない)孤児にも年金が支給されることになったが、それでも月額2万2千円である。総額の6万6千円を受け取るには、1961年4月の国民年金制度発足から帰国までの「保険料免除期間」の追納金月額6千円が必要となる。年利5.5%の計算によってこのような金額になるという。1981年に帰国した孤児なら20年間=240ヶ月の144万円の追納が必要となる。(注:これには新たな救済策も検討されている)
帰国した残留孤児にはこのような扱いをする一方、どうしても腑に落ちないのが「軍人恩給」である。12年以上軍隊経験のある元軍人(約160万人)は、
年額で下士官180万円、
尉官級200〜300万円、
左官級400〜500万円、
将官級500〜830万円
を受給し続け、1970年代には予算年額が1兆数千億円を超えたことがあるという(「冷たい祖国」P-61〜62)。
日本の侵略戦争を実行し、残留孤児が発生する原因を作った側の立場である人々がこのような金額を生涯受給し続けるのである。この中には「満州」で民間人を放置して自分たちだけ逃げ去った軍人も含まれているだろう。
また、北朝鮮による拉致被害者への厚遇にも違和感を覚える。たとえば帰国後の地村保志さんは福井県小浜市の職員となった。あの年齢に加え長期間海外で過ごしていたのに市職員に採用されるのは極めて異例のことだろう。
また拉致被害者にも国民年金が支給されることになったが、保険料の未払い期間(拉致されていた間)の分は国が肩代わりするという(参考)。残留孤児の未払い保険料に対する国の負担額は3分の1なのだが。
さらには、「拉致被害者等給付金」が5年間にわたり毎月、
一 同一の世帯に属する帰国被害者等が一人の場合においては、十七万円このような金額で支給されるという(参考)。
二 同一の世帯に属する帰国被害者等が二人の場合においては、二十四万円
三 同一の世帯に属する帰国被害者等が二人を超える場合にあっては、その超える数が一人を増すごとに三万円を前号に規定する額に加算した額
帰国した残留孤児には1994年制定の法律によって「中国残留邦人等及びその親族等一人につき十五万九千四百円」の「自立支度金」が支給されるが、これは「一時金」である。つまり一度限りのことである。
このように旧軍人や拉致被害者と、残留孤児の扱いは大きく異なる。だいたい日本政府というものは国民から税金などを徴収するときは「天網恢恢疎にして漏らさず」を連想させるような厳しさで臨み、それを国民に還元するときは途端に出し惜しみするものであるが・・・これらについては日本政府の政治的な事情が大きく影響していると思われる。
軍人恩給については、基本的に戦後の日本政府は戦前の政府を引き継いでいるものであるから、侵略戦争の実行者に褒賞を与え続けなければならないのである。
拉致問題は、煽動されやすい国民を手なずけるために政治利用できる。世論を納得させるために被害者を厚遇してみせることが必要なのだろう。
一方、残留孤児の問題は日本政府にとって大きな汚点である。彼らが中国での生活を強いられたことはかつての政府の責任であり、この点が日本政府には責任のない拉致事件とは全く異なる。侵略戦争の被害者である彼等の生活もたち被害者と同様に手厚く保護しなくてはならないはずだが、それは政府がかつての不当な行為を認め謝罪することにもなる。つまり自殺的な侵略戦争を行って国民を敵国に置き去りにして書類上は死んだことにしていたことを、謝罪し補償することになる。これは全ての戦争責任を認めようとしない日本政府にとって避けたいことなのではないかと、思う。一部のネット右翼が残留孤児をバッシングするのも同じ理由だろう(「拉致家族」がバッシングを受けないのは、拉致事件に日本の責任はないだけでなく、彼らが北朝鮮や在日社会に対するバッシングの先頭に立っているからだろう。しかし彼らも迂闊な発言をすればバッシングの対象になることを悟っているようだ)。
そもそも大陸に残された日本人は死んだはずだ「ということにして」戸籍の抹消を行ったのであるから、死んだはずの人間に今更出てきてもらっては困るのである。
・・・このように責任を取ろうとはしない日本政府に対し残留孤児たちは、以下の各県で国家賠償を求める訴訟を起こしている。
●札幌
●仙台(原告団サイト)
●山形
●東京(地裁判決のコピペ)
●長野
●名古屋(地裁判決のコピペ)
●京都(原告団サイト)
●大阪(原告団サイト)
●神戸(地裁判決のコピペ)
●岡山(原告団サイト)
●広島(地裁判決のコピペ)
●徳島(地裁判決のコピペ)
●高知
●福岡(原告団サイト)
●鹿児島(原告団サイト)
全国の訴訟の状況は、中国残留孤児訴訟in岡山の「全国の状況」で確認できる。
また、「残留婦人」訴訟は昨年2月、東京地裁で敗訴した。控訴審は今年1月25日に結審し、判決は夏以降とのこと。(中国帰国者の会を参照)
上記の各県での訴訟のうち、現在のところ神戸の訴訟だけが原告が勝訴した(国は控訴)。ちなみにこの判決では残留孤児と拉致被害者への待遇の違いに言及している。
(コピペ)また、大阪、東京(一次訴訟)、徳島、名古屋、広島の地裁では原告が敗訴し、それぞれ控訴している。
さらに、北朝鮮による拉致被害者に対する自立支援策と比較。「拉致被害者が永住帰国後、5年を限度として生活保護より高水準の給付金や、きめ細やかな就労支援を受けているのに、残留孤児への支援策は生活保護の受給を永住帰国後1年をめどとするなど極めて貧弱だ」と述べ、国の政策の誤りを指摘した。
大阪地裁の判決では原告の要求を退けた理由として、以下のように述べている。(2005年7月6日朝日新聞より判決要旨を引用)
戦中及び戦後において国民のすべては多かれ少なかれその生命、身体、財産上の犠牲を耐え忍ぶことを余儀なくされていたのであるから、戦争被害は国民のひとしく受忍しなければならないものであり、このことは被害の発生した場所が国内または国外のいずれであっても異なるものではないというべきである。しかし、残留孤児の受けている被害は「戦争被害」だけではない。幼い頃中国に置き去りにされた彼らは、中国で日本人ということで差別されるなど辛い生活を過ごし、帰国にも苦労し、そして帰国後も差別されながら貧しい生活を送っているのである。戦後も継続して被害を受け続けているのである。これは他の戦争被害者とは全く異なる点である。
日本政府は残留孤児を苦しめ続けていることを受け止め、補償を行わなくてはならない。
全く同感であります。政府は残留孤児たちに謝罪するべきです。孤児たちのお父さんたちは日本のため戦争で死んで本来はこの人たちは遺族であり、日本政府60年間この人たちのお世話しないといけないはずです。政府の棄民政策残留孤児の人生メチャクチャにした。1億の賠賞金あげでも多くない。この人たち異国での精神できの苦痛と帰国以後に重ねた苦難は到底想像し難い悲惨なものだったでしょう。もし政府がまた孤児たちを見捨てるような結果を出したのならば、千古罪人になります。