2016年01月22日

ジェノサイドの政治

 かつてこのブログで引用したこともある「証言 水俣病」(栗原彬/編 岩波新書)を改めて読み返してみて、水俣病患者に対する行政の冷淡さと市民の差別感情に愕然とした。そして、患者を巡るこのような構造は、チッソの廃液が水俣病の原因であることを認めようとせず、当時の国策であったオクタノール増産のために廃液垂れ流しを黙認し、現在でも未認定患者の救済を拒み続ける日本政府にとって好都合なことであろう。
 編者の栗原彰氏は「序章 死者と未生の者のほとりから」にて、水俣病患者を見殺しにする国家と資本の構造を突いている。


 ヴィクター・コッシュマンという日本思想史研究家は、「水俣病患者」という日本語を“Minamata disease sufferer”と英訳したという。
 “patient”なら「患者」だが、”sufferer”なら「受難者」「受苦者」「殉教者」などの意味となる。”sufferer”と訳すことによって、単に医学的な「患者」ではなく、「広く社会総体の加害に対する受苦者」を意味する。
 かつて水俣湾は魚介類が豊富な海だった。漁民たちは主食のように魚介類を食べていた。水俣病訴訟の弁護人を務めた後藤孝典氏は「あの水俣湾は、いわば漁民の米櫃だったんじゃないか、そこに密かに毒が流されていたとたとえたら分かりやすい」と語ったという。貧しくとも魚介類を獲れば飢えることはなかったのだ。
 しかしチッソが1932年(昭和7年)から有機水銀を垂れ流し始めると、海は濁り漁獲量は減っていった。そして戦後、まず猫の異常行動が発生し、続いて漁民たちに謎の症状が現れた。水俣病の「公式発見」は1956年(昭和31年)だが、それ以前から水俣病が拡大していたのだ。

 この水銀中毒症状は恐ろしい不治の病苦だ。しかし被害者の受難は病苦だけではなかった。被害者と家族は病状と介護のため働けなくなる上に医療費がかさみ、貧窮と地域社会からの孤立に苦しめられた。
 当初は伝染病が疑われたため、被害者の一家が買い物をするとき手で金銭を受け取ってくれない、隣家が垣根を作る、被害者の家の前では鼻をつまんで通る、子どもの通院のときバスに乗れずに背負って連れて行く・・・などの差別を受けた。ある家庭の子どもが病院で亡くなったとき、父親が遺体を背負って自宅まで歩いたという。
 隣の娘さんが水俣病で亡くなったときも、バスにも乗れずに、解剖して中身のないのをおじさんが背負って線路を歩いて帰って来らして、うちの横を通るのが窓越しに見えたんですけど、もう怖くて怖くて、足をぶらぶらさせていたのが今でも目にすがっています
 しかし原因が判明してからも差別と排除は終わらなかった。入院していた高齢の女性が「孫を見たい」ため久しぶりに家に戻ったとき、知り合いの男に崖から突き落とされたことがあった。「わっどま(お前たち)歩ぶな。部落の道ば歩べば困っどが」と叫ぶその男は、かつてこの女性に仲人を務めてもらったことがあったという。

 熊本県水俣市はチッソの言わば城下町だった。「チッソあってこその水俣」だった(たとえば国鉄水俣駅は、わざわざチッソ水俣工場の前に設けられたという)。水俣病であること自体が地域社会からの差別・排除の対象となった。
 市長や商工会議所・農協やチッソ労組・地区労など地元諸団体の代表は、チッソの排水即時全面停止は「市民全体の死活問題」であるとして、県知事に陳情を行った。「水俣病」という名称すら問題視され、厚生大臣や県知事に病名の変更を願う陳情が繰り返された。
 受難者らは認定申請しようとするだけで共同体から排除された。議員や町村長・漁協幹部、各大字・小字の地域リーダーが結託して受難者の口封じを狙っていた。
 チッソという一企業の利益が水俣市の経済を支えている。被害者が救済を求めても黙殺・排除は当然だった。


 チッソ水俣工場がオクタノールを製造していた当時から、日本の重化学工業は石炭から石油への転換時期にあった。チッソも千葉県に石油化学工場建設計画を進めるが、その資金のためにも水俣工場でのオクタノール増産が必要であり、通産省からの後押しもあった。当時はアセトアルデヒドからのオクタノール製造はチッソがほとんど独占していたのだ。そのため水俣病の原因はチッソが垂れ流すメチル水銀だと明らかになった後も操業が続いた。この製造方式が不要になった1968年まで、チッソは廃液垂れ流しを続けていたのだ。
 水俣病という人災は、チッソが垂れ流した有機水銀による中毒症状と言うに留まらず、水俣市・熊本県・日本政府・大資本が結託して作り出し拡大した国家的犯罪である。編者の栗原彬氏は、【生産力ナショナリズムの政治】と題し、この構造を解き明かす。
 水俣病は社会病であると同時に、政治病でもある。日本ばかりか世界的な広がりをもつ近代化を推進する政治の圏内で、政治システムは、水俣病を生み出す政治、水俣病を拡大・深化する政治、そして「人を人とも思わない」ジェノサイド(絶滅、皆殺し)の政治を展開した。
 ちなみにチッソの創業者の野口遵は「人を牛馬の如く扱え」と語ったとされる。まさにこの犯罪企業の創業者らしい姿勢ではないか。
 生産力ナショナリズムとは、国家や会社などのシステム全体の生産力を増産すれば、人は豊かになり、幸福になるというイデオロギーであり、政策でもある。明治期の「富国強兵」から戦中期の「生産増強」を経て、高度経済成長時代の「所得倍増論」へと、生産力ナショナリズムは、一貫して近代日本の国是であった。

 経済発展によって「国民」も豊かになる・・・という理想が、全くの「まやかし」であるのは言うまでもない。いわゆる「高度成長期」の幻想に過ぎない。支配者・資本家の言う「幸福」とは、自分たちの利益だけを指すのだ。
 当たり前の話だが、コスト削減のため非正規化・外注化を進めている企業が、業績を上げたとしても労働者を正社員として雇用するわけがない。さらに多くの非正規雇用労働者を呼び込んで事業を拡大し、利益が出なければ容赦なく切り捨てるだけだ。
 戦後の日本人は企業の増収が従業員の給与に反映すると信じて働いてきたが、そもそも戦後の日本経済が拡大した理由は、賃金コストで欧米企業より有利だったからではないか。これが通用しなくなった現在、非正規化・外注化に頼らざるを得ないのだ。
 それこそ、経済が常に右肩上がりで成長を続けるなら、この「生産力ナショナリズム」も幻想ではないだろう。しかし地球環境も市場も有限だ。搾取する対象を失えば自滅だ。大量生産・大量消費によって富を求め続ける愚かさに気付かない日本国の破滅は目前だ。

 もちろん戦後の経済拡大によって人々に家電製品や自動車が行き渡ったことも事実だが、同時に水俣病のような公害病と環境破壊がもたらされた。しかしこの幻想にすがりつく国家と資本は犠牲者を黙殺・排除・見殺しにする。栗原氏はこれを【ジェノサイドの政治】と指摘する。
 アウシュビッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。ジェノサイドを導いたのは、20世紀初期からどの先進国でも行われた、断種や移民制限や強制排除を含む遺伝子浄化政策である。
 この政策が、優生思想と差別意識の産物であることは言うまでもない。同時にそれは、「戦争(国家)と生産(産業)に役立たない者」をどう処遇するか、その社会的コストをどうするかという「社会問題」への一つの解でもあった。すなわちジェノサイドの本質は、国家と産業の発展を優先させ、生命の尊重や人間の尊厳を二の次とする倒錯した政治にほかならない。

 ジェノサイドの政治は、近代の例外や逸脱ではなくて、「最大多数の最大幸福」とエコノミーの原則という近代の中心から出てきた正統な嫡子である。私たちは今日「豊かな社会」のただなかからダイオキシンなどの環境ホルモンを生み出すことによって、緩慢な「沈黙の春」の季節を迎えつつある。環境ホルモン問題から遡行すれば、水俣病は、化学物質による日常的なジェノサイドの起点と言える。

 極端なことを言わせてもらうが、政治家や資本家は自分たちの富さえ守られるなら、それこそ戦争や公害病で「国民」が何百万人、何千万人死んでも構わないだろう。死んでもまた産ませて生産力・軍事力増強に投入すればいい。「産めよ増やせよ」と「お国のために死んでこい」は一体の物だ。
 国家と資本は、自分たちにとって役に立つ者、命じられるままに死んでいく者だけに価値を認める。無価値な者は排除する。水俣病被害者だけでなく、子宮頸がんワクチン(過去ログ参考)などの薬害被害者、被曝した原発労働者、被曝を強制される福島の子どもたち・・・挙げればキリがないが、国家的犯罪の被害者を全て排除しようとする。国家と資本にコントロールされている「国民」が、被害者を差別・排除するのは当然だ。
 ナチスドイツによる障害者虐殺とホロコースト、旧日本軍による三光作戦、アメリカによる広島・長崎への原爆投下やベトナム戦争の枯葉剤作戦、イスラエルによるパレスチナ人民への迫害と虐殺。これら侵略者による民族浄化作戦と、公害病・薬害や原発事故など国家犯罪の被害者への差別と排除は、国家と資本にとって「役立たない者」の生存は許さないという点で共通している。企業が労働者を易々と解雇するように、人民の生命を捨てる。それが国家というものだ。



 話は変わるが、1月17日に日比谷コンベンションホールで行われた「A2-B-C」の自主上映会に行ってきた。

 福島のある小学校は、強風の日は(被曝を避けるために)子どもを校庭に出さない約束のはずだが、イアン・トーマス・アッシュ監督が取材に訪れた際、多くの子どもたちが校庭に出ていた。しかし教師はイアン監督に対し「許可の無い取材は受けない。これが大事だ」の一点張り。何が大事なのか分かっていないようだ。
 被曝の専門家(?)が高校生に「チェルノブイリより避難基準が全然緩いのは何故か」と問われたが「議論を呼ぶ質問には答えられない」と誤魔化したままだった。
 このように社会全体で被曝の問題を忘れさせようとさせ、原発事故の被害が拡大する。事故を起こしたのは東電だが、この人災は社会全体の仕業だ。水俣病も同様に原発事故もまた「社会病」であり「政治病」だ。2011年3月11日の事故、その後の東電・福島県・日本政府の不誠実な対応、御用学者による被害の矮小化、世間の無関心、これら全てをまとめて「東電福島原発事故」と呼ぶべきだ。
 それにしても水俣病が「発見」されたとき、政府も御用学者も原因はチッソの廃液ではないと言い張り、漁民が腐った魚を食べたせいではないかという珍説がまかり通り、被害者はバッシングされた。今の日本で起きている現象も全く同じではないか。被曝の問題を否定し原発再稼働を主張する連中も、(最初は水俣病被害者を中傷していたのに自身も発症した漁民たちのように)自分の身に降りかかってきたとき、やっと目が覚めるのだろうか。

 なお上映後、「ふくしま共同診療所」運営委員の椎名千恵子さんと、医師の杉井吉彦さんの講演が行われた。杉井さんは「山下俊一は日本のヨーゼフ・メンゲレと呼ばれている。医者が最も言われたくないことだ」と冗談を交えつつ、海外難民キャンプでの診察の経験、甲状腺異常多発の事実を黙殺する日本の医学界、津田敏秀教授による甲状腺ガン発症率についての指摘、震災関連死などについて語り、福島の子どもたちの将来を気遣った。
 この映画の撮影・取材に協力した椎名千恵子さんによると、イアン監督はこの映画が上映出来なくなったとき、「大事なカメラを電車の網棚に忘れてしまったのに一週間くらい気付かなかった」ほど悩んでいたという。椎名さんや「ふくしま共同診療所」が革共同と繋がりがある、という理由で配給が止まった(イアン監督のブログ記事参照)・・・というのだ。全く愚かしいことだが、そもそも被曝の問題を言うだけで過激派呼ばわりされるではないか。イアン監督には知らされていない別の圧力があったかもしれない。
 椎名さんはイアン監督に「だったら私や診療所のシーンをカットすれば?」と言ったが、イアン監督はそれは絶対に出来ない、と断言したという。今後も各地で自主上映会が行われるらしいから観るべき!

 この記事は見逃していた。健康を脅かされつつある人々にとって、「党」や「派」がどうのこうのは関係ない。そんなことを言っている場合ではない。
◇ 福島に暮らす人々描いた映画、打ち切りから再上映へ:朝日新聞デジタル (魚拓)
  中核派の関係者が出ていたことをめぐって配給会社と監督が折り合わず、映画はいったん打ち切られた。映画に出た福島の母親に「該当部分をカットしてでも上映を続けて欲しかったとは思わなかったか?」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
 「事故当時、党も派も関係なく、不安で一つに集まった。それこそが、福島で起こったことだった。でも、こうして福島は忘れられていくんですね」
posted by 鷹嘴 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 公害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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