【追記のお知らせ 2017年4月9日】
 記事「【5月7日】雁屋哲さんの講演+井戸川克隆さんと対談」に、「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」から福島現地での鼻血の症状についての報告例を引用しました

2016年02月21日

【社会の中に病、障害、苦悩、死が存在することを受け入れる】

 前の記事の続き。ナチスドイツに於ける障害者虐殺の事実に迫った「ETV特集 それはホロコーストのリハーサルだった〜障害者虐殺70年目の真実」と、戦前の日本の障害者排除についての東京新聞の記事から引用、及び私見。
◇ それはホロコーストのリハーサルだった:T4作戦 障害者虐殺70年目の真実 - Dailymotion動画
 (まだ消されてないから速攻で見るべし!)

 ※ご注意 引き続きネタバレがあります。あと少しだけど。


 ヒトラーがT4作戦中止を命じたのは1941年8月24日だが、この年の6月にドイツはソ連に侵攻し戦局は激しさを増した。1942年には「ユダヤ人問題の最終的解決」が決定し、ユダヤ人強制収容所に障害者虐殺のノウハウを身に付けた医療スタッフの一部が送られた。
 ユダヤ人大虐殺において、T4作戦の意義は極めて大きいと言えます。1941年頃、ゲットーや東部の収容所は抑留したユダヤ人たちがあふれ、大変な事態になっていました。非常によく機能する殺害装置があったことが取り返しのつかない結果を招いたと、私は考えています(ハンス=ヴァルター・シュムール教授)

 しかも医療施設に於ける障害者虐殺も、政府にコントロールされない「野生化した殺害」となって続けられた。医師たちはT4作戦中止が不満だった。どうすれば人目に触れずに、「政治に振り回されずに」殺害できるか・・・その体制は既に出来上がっていたのだ。
 ハダマー精神科病院など各地の施設で、薬の過剰投与、計画的餓死によって患者が虐殺されていった。さらに戦場でトラウマを負った兵士、ユダヤ人との間に生まれた子どもへと、殺害の対象は障害者以外にも大きく広がっていった。最終的な犠牲者20万人以上という。
 叔母のヘルガを虐殺されたギーゼラ・プッシュマンさんは次のように語る。
 叔母が殺されたことは私にとってとても悲しいことです。でも、私が本当に悲しいのは叔母の死ではなく、家族がずっと沈黙を続けてきたことなんです。それが、今でも私は悲しくて仕方がないのです。ヘルガ叔母さんの尊厳を取り戻し人々の記憶に残していきたいのです


 この恐ろしい歴史事実に全く言葉もないが、ナチスドイツと変わらないような連中をどこかで見ていた(見ている)ような気がしないだろうか。藤井さんの言うように「T4作戦は遠い過去の遠い国の話とは思えない」
 景気回復を掲げ、ナショナリズムを煽り、一方で社会福祉を削減し、弱者を切り捨て、差別を野放しどころか助長している安倍政権・・・いや歴代の自民党政権は、かつてのナチスドイツに瓜二つではないだろうか。
 ナチスドイツや日本が掲げるナショナリズムは、(安倍が言うような)「美しい国」「強い国」を理想とする。この理想の国家は、世界で最も優秀な(と思い込もうとしている)自分たち民族だけで構成されなければならない。障害者、異民族・異教徒、貧者は存在してはならない。中曽根や石原ら保守系政治家の障害者への差別的言動を思い出せば、奴らの本質はナチスと同一であることが明白だろう。結局、ナショナリズムは必然的に差別主義を生み出すようだ。というか差別主義がナショナリズムを生むのだろうか。

 この理想の国では、国民は常に勤勉に働き、子を産み育て、我が身を犠牲にしても国家と資本に貢献しなければならない。国民はそのために存在するのだ。政治家の何某が宣言したようにな。
◇ 福山雅治氏の結婚で菅義偉官房長官「子供産んで、国家に貢献して」
 前掲のヒトラーの「国家は幾千年も先まで見据えた保護者としてふるまわなければならず、個人の願いや我欲などは、なんでもないものとしてあきらめるべきである」という発言など、日本の政治家や資本家が常々言っていることだ。「非生産的」な者など「非国民」であり、排除しなければならない。救済などもっての外だ。
 「国民」は奴隷のように働かされ、戦場に送られ、棄てられる。つまり国家というのは「国民」の生命財産を守る気などサラサラない。それはナチスドイツや戦前の日本のようにあからさまに死を強制した政権だけでなく、今の自民党政権も本質は同じだ。残念なことに古今東西の全ての政治権力はこの例外たり得ないだろう。
 奴らの唯一の目的は資本を肥え太らせて政権を維持することであり、そのために国民に死ぬまで働け、戦場で死ねと命じ、そのためにナショナリズム+差別感情を煽る。だからナショナリズムに染まることは奴らの都合のいいように操縦されているだけだと気付くべきで、こんな幻想など直ちに捨てなければならない。


 もちろん戦前の日本政府は他民族や障害者の絶滅政策を計画したことはないが、ナチスドイツとの差異は質的なことではなく程度の問題であり、本質的には同一だ。実際に日本帝国主義は、植民地朝鮮の人民に対する差別政策を改めず、ハンセン病患者に対しては隔離・断種という恐るべき人権侵害を行い、現在でも障害者に対して極めて冷淡だ。再び2015年11月1日・東京新聞【こちら特報部 戦時下 障害者切り捨て】より引用。
 1919年東京都・大島に、篤志家の出資を基に知的障害者施設「藤倉学園」が設立された。「温暖な気候のもと、入所者はのびのび学び、自給自足で暮らしていた」が、44年日本軍は大島の要塞化を計画し校舎の明け渡しを命じた。関東各県の知事に受け入れを申し入れたが拒否され、園長の川田貞治郎が現在の価値で数千万円を捻出し、44年8月に山梨県清里高原のキリスト教団が建てた寮に入所者約30人と移り住んだ。海抜1000m以上の清里高原の冬は厳しく-25℃まで冷え込み、飢えと寒さで45年9月までに10人が衰弱死したという。
 藤倉学園の歴史を研究する聖徳大の高野聡子准教授(心身障害学)は「結果として、10人が亡くなってしまったけれど、川田氏らは厳しい暮らしの中でも、入所者たちが少しでも楽しめるように、出来る限り努力していた」と語る。

 国内で唯一の体が不自由な子どものための学校都立光明学校(世田谷区)の児童は学童疎開の対象とならず、子どもたちは校舎で寝泊まりした。空襲の激化によって当時の校長の松本保平が疎開先を訪ね歩き、45年5月に長野県の上山田ホテルが受け入れることとなった。その直後、校舎は空襲で焼失し、戦後も校舎の再建は後回しにされ、児童たちは49年春までホテルに留まった。
 戦後に光明学校の教員となった松本昌介さんは次のように語る。
 障害のある子どもたちは、戦力にもならず、何もしないで食べるだけの『ごくつぶし』と言われ、真っ先に見捨てられた。食事のたび、子どもたちは後ろめたい思いを強いられたようだ
 「ごくつぶし」だろうが非国民だろうが、我々人民には生きる権利がある。そして我々は弱者を受け入れる社会を創らなければならない。

 日本障害者協議会・代表の藤井克徳さんは、国連が以前「一部の構成員を締め出す社会は弱くもろい」と明示したことを指摘する。
 障害者を消せば、次に弱い立場の高齢者や病人、女性といった弱者探しの連鎖が始まる。際限なき弱者差別の入り口が障害者。人類の倫理を問う問題で、社会のあり方に直結する
 弱者を排除しなければ成り立たない社会は、いずれは「弱者探しの連鎖」によって崩壊・消滅するだろう。それこそ誰であろうと、事故や病気で障害者なることはあり得る。収入が途絶えて生活に苦しむこともあり得る。気が付けば排除する側から排除される側に回るだろう。
 だからこそ、「社会のあり方」などに無関心で、ナショナリズムを押し付けて自分たちだけの利益を守ろうとする国家と資本に対し、我々一人一人が意識を改め、声を上げ、闘わなくてはならない。前掲の、歴史家のハンス=ヴァルター・シュムール教授による「市民として勇気を出して公然と声を上げれば、政府の行動を阻止する余地」があるという指摘を噛みしめるべきだ。

 またハンス教授は次のように語る。
  私たちは人間を改良しようと考えるべきではありません。社会の中に病、障害、苦悩、死が存在することを受け入れる。こういった意見が少なすぎます
 全くその通りだ。「美しい国」などあり得ない、幻想だ。この世には、辛いこと、悲しいこと、目をそむけたくなるようなことが溢れている。これらを全て受け入れ、生きていくべきではないか。


 光明学校の児童として上山田ホテルに疎開した今西美奈子さんは次のように語る。
 疎開前は登下校時に石を投げられたり、汽車の中で『この非常時にそんな体でウロウロするな』と怒鳴られた。でも、ホテルでは私たちの松葉づえや義肢、義足で畳や壁が傷ついても怒られなかった。歩行訓練で千曲川まで行くと、村の人が食べられる野草を教えてくれた。冬は寒かったけど、春には桜やあんずが一斉に咲いた。疎開が長引いたとき、オーナーは『わしが生きているうちは子どもたちを守る』と言っていたと、大人になって知った。
 この村人たちやホテルのオーナーは、藤井さんやハンス教授の指摘と同じことを無意識に体現していたようだ。
posted by 鷹嘴 at 01:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あなたの言葉に大変共感しました。
実は俺もアスペルガーです。
僕は去年まで今話題の就労継続支援A型事業所
で働いていました。 しかし失業しました
理由はパワハラです。
そこの理事長は福祉の経験がなく
理念ばかりをあげた人物でした。
こんな感じです
(僕は障害者を弱者だと思ってません皆さん
にはすごいちからがある、僕は恩送り人が感謝しあえる社会を作っていきたいです。)
これが口癖でしたそこの理事長の
しかし実際には補助金を流用したり。
障害者に怒鳴り声や嫌みを毎日言う人でした
ちなみにそこの理事長は今度は
神奈川でフードバンクの仕事を障害者に
やらせて、寄付を集めようとしているようです
何に使われるかわかりませんが。
とんだ貧困ビジネスです。
あなたみたいな人がいるのが
せめてもの救いです。
Posted by 赤い青年 at 2016年02月23日 18:43
赤い青年様

コメントありがとうございました。
(諸事情でログインする時間がなく、コメント承認が遅くなって申し訳ありません)

私のユニオンにも障害者施設で働く仲間がおります。不当な扱いには断固抗議しているそうです。
共に闘いたいと思います。
Posted by 鷹嘴 at 2016年02月27日 16:39
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