2016年03月14日

資本主義が作った「ナショナリズム」という幻想

 今年の元旦はたまたま休みだったので知人宅にお邪魔したが、その知人がアマゾンで注文した商品が届いたので驚いた。たしかに便利だけど労働者は大変だよな。そりゃ俺みたいなビル管労働者だって土日も盆暮れ正月も関係ないけど、そのぶん平日に休みがあるし、仕事が暇なときは居眠りしてるし(笑)、なにも元旦にパソコン関連の商品を配達しなくても、とか思ったりして。これも「グローバリズム」ってもんかな?

 古い新聞記事だが2014年9月13日・東京新聞に、経済学博士・福田邦夫氏の「グローバル経済が溶かすもの 上 世界商品の裏側 進む貧困、病む心身」というコラムが掲載された。
 ありがたいことにこの上・下を全文をアップされている方がいるが、ここで上のみを引用しつつ・・・私見を書き散らしてみる(笑)


 「グローバリズム」というのは・・・大資本による食品・工業製品の販売や各種のビジネスを、世界中の隅々まで行き渡らせることを目的とし、そのために生産拠点も労働力確保も国境を越えて展開し・・・これを容易にするために外交的・国内的な様々な障壁を取り除き、全世界共通の自由な環境を作ろう、みたいなことだろ?新自由主義とも言うよな?じゃなくて、グローバル経済を実現するために新自由主義が必須になる、とか?こういう理解だけど、大筋間違ってないだろ?消費者にとって便利と言えば便利だよな。どこに行っても同じ物が買えるし、お馴染みの店があるし、欲しい物はいつでも手に入るし。

 だけどさ、どこにいってもお馴染みのコンビニやファミレス、ファストフード店、大規模ショッピングセンターが同じ物を売っているのは便利だけどさ、味気ないだろ。その土地ならではの物を味わいたいだろ。いや別に郷土料理じゃなくてもいいんだよ、個人経営の店の手作り料理を食ってみてえだろ。俺もモスバーガーやCoCo壱番屋とかよく食うけど、毎度じゃ飽きるよ。環境破壊先進国である日本国でも特に首都圏のようなグローバリズムが席巻する地域(笑)じゃ、そのうち個人経営の商店・飲食店は絶滅するかもよ。これが「マクドナルド現象」だ。「世界で20億人以上の人々がマクドナルドを頬張りながら同じ時間にスマートフォンで同じゲームに興じている」ような時代になった。

 ついついデモの打ち上げのときなど、魚はダメとか焼き鳥は食いたいとかワガママ言う奴がいるからワタミのようなチェーン店に入っちゃうだろ、便利だから。革命を目指してるのに超ブラック企業で飲み会やるのもナンセンスだけど(笑)、あんな大資本に個人経営の店が勝てるわけねえんだよ。徹底してコスト削減してるんだろ。(外国人を含めた)現場の労働者は低賃金の長時間労働を強いられ、文句を言えば雇い止めだ。正社員だって厳しいノルマを課され、サービス残業を強制されてるだろ。職場を組織すればすぐ潰されるし。
 こういう経済システムが提供する食品・工業製品は、海の向こうの環境破壊後進国で労働者を搾取し生産された物だ。食材は安価な輸入品、遺伝子組み換え作物や成長ホルモンを投与された肉だ。生産者も競争のためにそういう技術に頼らざるを得ない。当然、関税など邪魔であり、いわゆる非関税障壁も解消されなくてはならない(だから日本政府はTPP加入を目指しているんだろ)。

 地域産業はグローバル企業に圧迫され消滅し、奴らが押し付ける生産方式に従わされる。南米の貧しい農村にモンサントの除草剤が散布され遺伝子組み換え作物が栽培されているようにな。さらに奴らは人件費削減のため生産の拠点を海外に移動する。労働者が争議しても国家権力と資本家が雇ったヤクザとに潰される。あるいは外国人労働者を移入し奴隷のように扱う。地球規模の搾取システムだ。
 昨年4月(注:2013年の事故だと思われる)、朽ちた8階建ての縫製工場に詰めこまれ、働いていたバングラデシュの女性ら千百余人が死の直前に上げた悲痛な叫び声が、日本人には聞こえただろうか。彼女たちは、時給30〜50円で、日本人向けの安価でしゃれたTシャツやセーターを裁縫していた。一見「豊かな社会」の裏側では、恐るべき貧困が日々積み上げられてゆく。
 グローバリゼーションとは、商品として貨幣で地球上を覆いつくし、人びとの心と体を蝕む、心の病を蔓延させる現象なのだろう。

 究極的には全人類に、大資本が押し付ける方式で生産・労働させ、大資本の望むままに消費させることだろう。何もかもが奴らに独占されるのだ。どんなに物価を釣り上げられても、危険な物を食べさせられても、環境破壊や無駄なインフラ事業が行われていても、不当労働行為が行われても、追及することもできない。下手に騒げば大資本に訴えられるか弾圧だ。いわゆる「知的財産」は独占され、勝手な基準で侵害されたと判断されれば訴えられる。
 医療費はアメリカ並みに高騰するだろう(いや医療費だけじゃないかもな)。非正規化・外注化がさらに進み、労働者は果てしなく搾取される。うかうか子育ても出来ない。失業すれば即ホームレスだ。人民の困窮は国家と資本にとっても望ましくないはずだが、全てを滅ぼして自分自身も滅びるまで止まらないのかもね?地球上に発生した癌細胞のようなものかな。


 そもそもヨーロッパの列強は、大航海時代からこういうことをやっていたではないか。植民地支配して天然資源を奪い、人民を奴隷化して生産した物を売りつけ、土地の産業・文化を破壊することを。アメリカも、遅れて参入した日本国も同じだ。この植民地主義を批判すれば「非国民」「アカ」として弾圧されたが、資本の膨張を支えるために「ナショナリズム」という小道具が使われたようなものではないか?このコラムの前段の指摘(グローバリズムとナショナリズムの関わり)に注目したい。
 コロンブスが1492年、『新大陸』を発見した時代、ほとんどの人は農村で生活を営んでおり、当時の人が生涯で最も遠くへ移動した距離は平均24キロくらいだったといわれている。

 たしかに中世以前の人々は(遊牧民族や狩猟民族は別として)自分の村落の周囲程度しか出歩くことはなかっただろうな。だから「国家」なんて観念は持たなかっただろう。
 たとえば日本でも、江戸時代の武士だって「国」と言えば自分の藩のことだろ。今でも「国」という言葉に自分の出身県を指す意味が残っているだろ。ただ自分の殿様がいて、江戸には公方さまがいる。天下といえば日本列島のことであり、「唐・天竺」なんてそれこそ火星くらいの距離感だっただろう(笑)
 そりゃ武士や知識階級は、徳川幕府が形式的には朝廷から政権運営を任されていることは知っていただろう。しかし庶民は天皇なんて存在を知らなかった(だから徳川を倒した薩長が、自分たちの政権の権威を示すために、人民に天皇ってゆう飾り物をありがたい物のように教え込んだんだよ)。「日本国」なんて観念は無かった。

 しかしその後ヨーロッパの列強が世界中を侵略・植民地支配し産業革命を迎えると共に、交通機関の発達によって人々の移動距離は飛躍的に伸び、そして資本家による果てしない搾取を可能とするために、「ナショナリズム」が捏造された、という。
 富(貨幣)の獲得に生命を懸ける商人階級は、強い国家を必要とした。それは他国からの商品や資本の侵入を防ぎ、海外に進出して原料と市場(植民地)を獲得するためである。そのためにナショナリズムという想像の共同体意識が捏造され強い軍隊が作られ、国家・国民意識が注入された。

 たしかにそうだろうな。侵略戦争と植民地支配のためには強力な軍隊が必要であり、軍事力増強のための資金調達と兵員の動員には、その口実となるものを必要とする。それがナショナリズムだ。「お国のために」という「共同体意識」を捏造することによって、これが可能となるのだ。つまり、ナショナリズムは資本主義が作り出したんだ!でっち上げたんだ!
 明治維新の「富国強兵」というスローガンは、「富国」のために「強兵」しなければならない、ということではないか。そもそも他国(というか、自国の支配が及んでいない地域)を侵略する目的は、植民地支配して資源を奪い人民を搾取し自国の産業を儲けさせるためではないか。富を奪うためではないか。支配階級と資本家の利益のためではないか。このためにナショナリズムという幻想が作られ、愛国心という錯覚が植えつけられ、侵略戦争のための納税、徴兵などの人民の動員が可能となったのではないか。
 つまり我々人民は、資本を肥えさせるためにナショナリズムという幻想を植え付けられ、搾取されているのだ。国家と資本は一体の物なのだ。愛国心を唱えることは資本家の利益を守れと唱えるに等しい。こうして奴らは果てしない搾取と、戦争と、環境破壊を続けるのだ。


 ナショナリズムは必ず差別主義を生み、移民・異教徒・社会的弱者への差別と排除になって現れる(それが国家と資本には望ましい状態だろう)。こんな妄想は今すぐ捨てなければならない。「国」という枠組みに捉われた思考を一切捨てなければならない。「国」という虚構を一切否定しなければならない(左派気取りの連中もよく聞いとけよ!)。
 そもそも国を愛せとか、国益を守れとか、国際スポーツを応援しろ協力しろとか、ヨボヨボの爺さんやまだオムツも取れないような餓鬼を敬えとか、強制されたくねえな。その国に生まれたくて生まれたわけじゃないのに(笑)
 それにさ「国民」呼ばわりしてほしくないんだけど。「国」の「民」じゃねえよ。どこで生まれようと人民は人民だ。「国」が違うだけで、なんで争わなきゃなんねえんだ。奴らにとって人民を分断したほうがやりやすいんだろ。全ては資本家の利益のためだ。もうこの妄想の正体が分かったんだから話は簡単だろ。

 というわけで、闘いの方向性(?)がはっきりしたな。戦争への道を止めるために資本を打倒し、資本による搾取と環境破壊を止めるために国家を打倒しなければならない。当然、ますます労働者の闘いが重要な意味を持つだろう。戦争へと進む政治家を操っているのが資本だが、労働運動にはこれを倒す力がある。資本と直接闘っているのは労働者だからな。戦争を始めるのも、原発を動かすのも、労働者がいなければ不可能だ。だから労働者が拒否すれば全てを止められる。
 もちろん、個々の人民の決起も重要だ。昨年国会前に総決起した人民は安倍政権をあと一歩まで追い詰めたではないか。労働者の闘い、人民の闘いが社会を変えることができる。いや我々こそ社会の主役であることを自覚し、資本家とそれに操られる政治家を一掃し、我々が中心の社会を創ろう。

posted by 鷹嘴 at 13:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
我々が中心の世界とはどのような世界なの?

資本家の頭が変わるだけなの?
生活はそのままなの?

何がどうかわるの?
Posted by まとめちゃん at 2016年03月14日 16:55
第一に、政治や行政が大企業の顔色をうかがっている構造を倒さなければならないでしょう。

政治家は選挙で選ばれているのですから人民の代表のはずです。
労働者・人民を守るため、大企業に対しては毅然とした態度で臨まなければならないはずです。

Posted by 鷹嘴 at 2016年03月21日 00:04
派遣労働や偽装請負など絶対に認めてはなりません。コスト優先の安全性軽視など絶対に許してはなりません。

そうすると、今の経済力は維持できないでしょう。元々が空中楼閣だったんですよ。

Posted by 鷹嘴 at 2016年03月21日 00:15
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