2016年08月18日

2016年8月 初めて広島を訪れました

 2016年8月、初めて広島県を訪れ、【8・6ヒロシマ大行動】に参加した。
 8月5日に新幹線で広島に到着しビジネスホテルに泊まった。同志には広島で合流することを伝えてあったが、あくまで個人旅行(このあたりの事情は別記)。


 翌朝歩いて原爆ドームを目指した。朝食バイキングを食ってモタモタしてたから急がなきゃ。右も左も分からないからドコモショップで本体価格0円のタブレットで開くグーグルマップだけが頼りだ。平和大通りを公園に向かって進むだけだが。朝の集会もう始まってるぞ。路面電車に乗った方が早かったかな。ホテルから停留所まで遠かったけど。
 平和記念公園に近づくにつれて人通りが多くなってくる。というか皆さん公園を目指している。そうだよな式典があるんだよな。公園の手前の橋の上で既に行列が出来ている。こりゃただならぬ雰囲気だ。原爆ドームらしき建物がチラっと見えた。
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 俺は平和記念資料館の脇を抜け、様々な団体の皆さんの脇を抜け、原爆ドームにたどり着いた。うちのユニオンの旗も見えた。ところが機動隊がぐるっと取り囲んでいるので、大回りして合流した。ウヨクが妨害してるからさ。街宣系・ネトウヨ系など、大した人数じゃなかったが。
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 「黙祷の時間だから黙れ!」って怒鳴ってる奴(たぶんバカウヨ)もいたが、まだ2分前だぞw
 そして原爆投下の8時15分、1分間の黙祷を行い、デモコースへと移動した。どうやら安倍がスピーチしているようで(参考)、「安倍帰れ!」コールが自然発生した。

 ちなみに黙祷を待たずにデモ出発する党派もいるらしい。
 ってゆうかどっちがどっちだか分かんねえよw ってゆうか今どき内ゲバとかやめちくれよw

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 デモコースではウヨクの妨害はなかった

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 中国電力前までデモ貫徹。まだ9時すぎ。あとから別の団体の隊列もここでゴールしていた。上関原発建設阻止!

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◇ 原爆ドーム前集会 核武装狙う安倍弾劾 右翼・警察の妨害うち破り - blog News


 次は12時30分から広島県立総合体育館小アリーナで集会だ。ちょっと歩くか。


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 様々な碑が立っていた

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 ちょっと距離あるだろ。船酔いするぞw

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 お洒落なカフェ?
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 この日は顕正会も法輪功もかなりチラシを捌けたと思われ。いや俺は顕正会には関わりたくないけど、中国政府の法輪功弾圧も、チベット、ウイグル、人民全般への圧政、弾圧も絶対に許せない立場だよ。安倍自民党政権と一緒に中国共産党独裁政権もぶっ倒さなきゃ。「すべての」政治弾圧に反対しなきゃ。「ウヨクが利用してるからダメ」とか言ってるようじゃ、まるで・・・。



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 それにしても、いろいろな団体が情宣していて、こりゃカオスだな。ずっと歩き回っていても飽きない。ひところの大きな反原発集会/デモのような雰囲気というか。いままで広島に行かなかったのが悔やまれる。ところで原爆水爆反対運動は昔から分裂したままなんだってね。(※追記1)




 被曝して白血病で亡くなった佐々木禎子さんがモデルとなった「原爆の子の像」

 平和資料館も見学した。8月6日のせいか信じられないような混雑。外国人見学者も多かった。
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 改めて、広島と長崎に投下された原爆の恐ろしさを思い知らされた。原爆は熱線と爆風で多くの人々を虐殺しただけでなく、生き残った人々も長い年月に渡って苦しめた末に虐殺したのだ。今も苦しんでいる人々も多い。「すべての」核武装、「すべての」核の利用、「すべての」軍備に反対しよう。

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 オバマって・・・もしかして、広島を訪れた際も核のボタンを持っていて、「空から死が降ってきた」とか戯けたことを抜かしたあのオバマですか?

 なお、この資料館では被曝が人体に与える影響について、
 「放射線による影響については今でもまだ十分解明されておらず、今後も研究を続けていく必要があります」
 などという当り障りのない表現だった。科学的に解明されなくても被曝が影響だと思われる症状があるなら全て救済すべきではないのか。今でも医療の補償を受けられずに苦しんでいる人々が多いのだ。


 原爆死没者慰霊碑。この碑に刻まれた、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という文言については昔から論争があったんだったね。ウヨクが碑を削った事件もあったね。(参考)。根本的に何も分かっていない奴が多すぎるんだよ。
 昼飯は当然お好み焼き食ったけど、モタモタしてらんねえぞ。


 そして午後12時30分から広島県立総合体育館(グリーンアリーナ)の小アリーナにて【8・6ヒロシマ大行動集会】が行われた。大アリーナの方では別の団体がイベントやっていたようだ。原水「協」のほうか。「禁」だか「協」だか区別すんの大変だ。新左翼の党派の正式名称する憶えられない俺にとっちゃ間違い探しのようだw
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◇ 8.6ヒロシマ大行動
◇ 8・6広島 朝鮮戦争阻止・安倍内閣倒せ ヒロシマ大行動 大集会・デモに950人 日韓労働者が熱い連帯 - blog News
 ヒロシマ大行動行動共同代表の吉原美玲子さん、NAZENナガサキの城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(2014年8月9日の平和祈念式典にて安倍自民党が画策する集団的自衛権行使容認を厳しく批判した)、ふくしま共同診療所院長の布施幸彦さん、佐藤幸子さん、韓国の労働者、全国各地の労組、闘う学生らが発言。

 集会後、デモ出発。
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 と思ったら早速足止め。自然と「警察帰れ!」コールが起こった

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 機動隊めっちゃ多い

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 アーケードを進むとは珍しい

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 もうすぐゴール


 平和資料館までデモ貫徹!


 全学連斎藤委員長のまとめ発言

 そして同志の皆さんは帰ったが、俺は広島にもう一泊(この辺の事情は別記)。


 夜、再び原爆ドーム前を訪れた。川面を流れる灯篭が何とも言えず儚く切ないというか・・・




※追記1 以下は次の記事から引用。
◇ 原水爆禁止日本協議会 - Wikipedia
◇ 検証 ヒロシマ 1945〜95 <19> 原水禁運動の分裂@|検証ヒロシマ|ヒロシマ平和メディアセンター
 1955年、原水爆禁止日本協議会(原水協)が結成された。当時、1954年アメリカのビキニ環礁水爆実験が第五福竜丸など多くの日本の漁船を被曝させたことによって、核兵器への危機感が高まり、原水は党派を超えた「国民的な」運動となった。
 しかし後に運動方針の相違から自民党系や民主党系の勢力が離脱。さらに、ソ連邦が1949年から続けていた核実験に対する立場の相違が決定的な分裂を招いた。
 社会党・総評系は「いかなる国の核実験にも反対」することを主張したが、日本共産党は社会主義国であるソ連の核武装について、アメリカ帝国主義による核実験とは性質が違う、という立場だった。資本主義陣営の侵略を防ぐために必要だというのだ。全く馬鹿げた話だ。これでどの面下げて広島・長崎で核の廃絶を言えるのか。(もっともこういうナンセンスな線引きは世間に溢れているが)。
 この対立は1963年8月5日、平和記念公園で行われた第9回原水爆禁止世界大会で修復不能となった。当時の広島県原水協の森滝市郎代表理事長(倫理学者、当時62歳)は心労に耐えつつ、基調報告で「いかなる国の核実験にも反対」する人民の想いを述べた(参考)。しかし聴衆の反応は鈍く、ヤジまで飛んだという。社会党・総評系は直前に不参加を決めていたのだ。
 そして社会党・総評系は原水から離脱し、1965年に原水爆禁止日本国民会議(原水)を結成。こうして反核運動は分裂した。

 もっとも、分裂すること自体をいいとも悪いとも言いたくないな。筋を通すのなら分裂を避けられない場合もあるだろう。社会党・総評系が、異論を封じるために手段を選ばない日共が牛耳る原水から去ったのは当然の判断だろう。若き日のノーベル賞作家も日共の醜さに言葉を失ったようだ。以下は「ヒロシマ・ノート」(大江健三郎/著 岩波新書)P-36〜40より引用。
 1963年8月5日、平和記念公園での大会の直前、約60人の全学連が原爆慰霊碑前を占拠し、「第九回原水禁大会へ参加されたすべての労働者、学生、市民の皆さんへのアピール」を読み上げた。
 わたくしたち全世界の人々の反戦、平和の強い要求にも関わらず、第九回原水禁世界や異界は土壇場までもめつづけ、ついに広島原水協に白紙委任することに多数決で決定されました。だが一体何が決まったというのですか。さしせまった反戦、平和の闘いについての方向性が少しでも明らかにされたというのですか・・・
 この大会に出席している「代表」たちは「平和!平和!」と声を上げ、学生のアジテーションをかき消そうとする。恐らく日共系だろう。まもなく数百人の警官隊が学生たちに襲いかかった。「代表」たちは拍手を始めた。「僕は違和感の棘のはえた衝撃をうける」。
 「代表」たちは聴衆に紛れて逃げ出そうとする学生を、「もぐりこませるな!」と叫んで警官隊の方に押し返す。駆け出した学生が急に転倒し、警官隊に確保される。「代表たちの誰かが足ばらいをかけたのではないか、という疑いが僕を苦しめる」。
 こうして学生が全て排除され、再び拍手が起こった。「僕は再びもっと暗く大きい衝撃を受ける。この代表たちの、学生たちにたいする敵意の激しさはどうだ、それはなぜなのか?」
 聴衆に紛れ込んで逃げおおせた学生の一人が捨て台詞のように「共産党、ポリに守られて大会をやれ!」と叫んだという。警察の介入を要請したのが共産党の国会議員だという噂は「すでに誰もがささやいているのである」。
 こうして大会は始まり、森滝代表理事は「最後の力をふりしぼ」って、時折ヤジや「反撥のざわめき」を受けながら基調報告を行った。このとき森滝氏は社会党・総評系の代表がボイコットしたことを知らなかった。
なお後に大滝氏の夫人は大江氏に次のように語った。
 森滝のところに警察の人がたずねてきて、いま署長に、共産党の国会議員たちが、平和公園にいる代表バッジなしの連中をひっぱりだしてくれるように要請している、とつたえました。すべて統一を達成するための努力なのかもしれませんが、警察がきた、といって道をあけ拍手する代表たちを見て市民はぞっとしたんです。学生たちのやり方には、のみこめぬところもあるけれども、おたがいにそれほど憎しみを感じるということがやりきれない気がします。森滝は疲れきって帰ってくると、僕と伊藤さん(広島大学教授、原水協事務局長)は、もう出ないよといって黙って寝ました。脈をとってみると結滞していました。あの人は策謀的な人間でもなく営利的な人間でもないが、ずっと被団協や原水協の仕事にうちこんできました。自分は哲学者だし、これが現代の倫理だ、と考えているからです。疲労が心労といっしょに蓄積しているんですが、健康を取り戻したら、新しい平和運動の組織をつくる、という考えだと思います。核戦争をふせぐことより、核兵器をもつこと自体をみんなが許すことは相ならんことです。核競争そのものが、不安をあたえているのだから、その突破口は、すべての核兵器に反対だということじゃありませんか?

 全く同感、「すべての核兵器に反対」する運動こそが唯一の道だ。日共はこれを否定し、国家権力を利用して抗議する学生たちを排除させたのだ。
 それにしても・・・まるで昨年9月の国会前闘争で、警察の庇護の元に全学連と労組を襲撃した「しばき隊」(つまりSEALDS、反原連系など日共と関係の深い連中)のようではないか。いや日共は同じことを常に繰り返しているのだ。我々はいい加減目を覚ますべきだ。「野党共闘」のようなタチの悪い冗談は止めよう。奴らは昔から権力の走狗であり、市民運動の破壊者であり、人民の敵なのだ。
 もっともSEALDS系の組織がどの程度日共の支配下にあるのか分からない。「しばき隊」「男組」などと虚勢を張るチンピラどもの中にも熱心な日共シンパがいるかもしれないが、ごく少数だろう。組織の維持だけを目的とし異論を排除する性質は、決して日共だけのものではない。市民運動、労働運動の世界で度々見られることだ。
 大切なものは組織の維持やメンツなのだろうか。それとも運動の元々の目的なのだろうか。これに明確に答えられるなら、惑うことはないだろう。
posted by 鷹嘴 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会、デモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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