やはり流石は扶桑社教科書、検定を通った内容といえども期待を裏切らないトンデモぶりでした(笑)現物からピックアップした部分と、先日の「民主教育を進める与野・市民会議」主催の学習会で配布された資料を合わせて、この印刷物が如何に教科書には相応しくないか考えてみます。
ちなみに、
★文部省のサイトにて各地の展示会場が紹介されています。
★同じく文部省のサイトにて、どのように検定が行われたか確認することができます。
★「教育と自治・埼玉ネットワーク」にて、元立教大学教授の藤田昌士さんが作成した、「『新しい歴史教科書をつくる会」教科書(扶桑社)の問題点」という資料が公開されていますのでご覧下さい。
★ちなみに[AML 2047] にて、「見本本」の実物が確認できますので早めにダウンロードしておくべきだと思います・・・。
(P-30)読み物コラム 神武天皇の東征伝承
(P-46〜47)読み物コラム 日本の神話
限られた枚数のうち3ページを割いて「神話」を記述すること自体、歴史教科書には相応しくないと言えるでしょう。P-30の「今日では、神武天皇の実在を疑う説もあり、この点についてはいまだ結論が出ていない」という記述は「神武天皇の存在が、おおよそ史実であると誤解するおそれのある表現である」というもっともな検定意見を受けて削除されましたが、P-47の「ニニギの命の曾孫が神武天皇」と記述している部分が、神武天皇とは架空の人物であることを認めていると言えます。
P-114〜115はカビの生えた精神論に費やされています。こういうことは仲間内の同人誌でやるべきでしょう(笑)。しかし各地の教育委員の中に「自虐教育はいかん!」と考えているお方がいたとしても、この両ページの馬鹿らしさを目にすれば扶桑社「教科書」を推すことは躊躇うでしょう。
(P-114) 武士道と忠義の観念
ここでは赤穂浪士や「葉隠」(キタ━━(゚∀゚)━━!)を紹介し、「忠義とは主君のいいなりになることではなく、それを超えて藩や家を守る」ことであるとアジっています。この「忠義」が美徳だというのなら、小泉政権の「いいなり」にならずに「それを超えて」国を守ることが大切、ということになります(笑)
(P-115) 「二宮尊徳」と勤勉の精神
「江戸時代に勤勉が美徳とされて・・・」「江戸初期の国土の大開発は、こうした勤勉さによってなされた」
もしも今後の日本で「大開発」が計画されたときは、我々国民は早急に「勤勉さ」を捨てる必要があるでしょう(笑)
(P-161)教育勅語
「これは父母への孝行や、学問の大切さ、そして非常時は国のためにつくす姿勢など、国民としての心得を説いた教えで、1945年の終戦にいたるまで各学校で用いられ、近代日本人の人格の背骨をなすものとなった」
「非常時は国のためにつくす姿勢」が「国民としての心得を説いた教え」であるとして「1945年の終戦にいたるまで各学校で用いられ」ていたことの批判は見受けられませんでした(笑)
そもそもこんなものが「近代日本人の人格の背骨をなすもの」になってしまったのならば実に忌々しきことです。
(P-162)人物コラム「伊藤博文の日の丸演説」
「『今まさに洋上に昇ろうとする太陽を象徴し、わが日本が欧米文明のただ中に向けて躍進するものであります』としめくくった。これが名高い日の丸演説で、万雷の拍手を浴びた」
伊藤博文について1ページを費やすこと自体はともかく、このような逸話をメインに据えることにこの「教科書」の政治的意図が窺われるものです。だいたい中学生用の教科書に「万雷」などというあまり使われない形容詞を用いることに違和感を感じないのでしょうか?
しかしこの「教科書」には天皇制、日の丸、君が代を賛美する姿勢が非常に目立ちます。
(P-163)読み物コラム 朝鮮半島と日本
「東アジアの地図を見てみよう。日本はユーラシア大陸から少しはなれて、海にうかぶ島国である。この日本に向けて、大陸から一本の腕のように朝鮮半島が突き出ている。両国のこの地理的な関係は、長い歴史の上で重要な意味をもってきた。
古来、朝鮮半島は、中国の進んだ文明を日本に伝えた。しかし同時に、朝鮮半島に日本の安全を脅かす勢力がおよんだこともあった。日本は中国と朝鮮半島の動向に注意を払わなければならなかった。日本が古代律令国家を形成したのも、東アジアの中で自立することをめざしたものだった。
鎌倉時代に、元寇の拠点となったのも朝鮮だった。反対に、豊臣秀吉が、朝鮮半島に大軍を送ったこともあった。江戸時代には、対馬藩を通して、徳川幕府と朝鮮との良好な関係が続いた」
この部分も検定意見を受けて修正された内容ですが、恰も朝鮮半島が日本の独立を脅かす存在であったかのような表現は2001年度版の内容から変化していません。日本のアジア侵略を正当化しようとする意図がにじみ出ています。
(P-164) 日清戦争
「日本も清との申し合わせを口実に軍隊を派遣し・・・」
日本は1894年の「甲午農民戦争」という朝鮮内の農民の抵抗運動を口実に出兵し、そのまま駐留を続け日清戦争を起しました。
「清との申し合わせ」については「1885年の条約」との注釈がありますが、その「天津条約」とは、1884年の「甲申政変」という、日本が金玉均らを利用して朝鮮の政権転覆を狙った武力介入事件(見事に失敗)の収拾の為に、日本と清国が朝鮮での「変乱重大の事件」発生に伴い派兵する際には互いに事前通告し、また「其の事定まるに於ては仍即ち撤回し、再び留防せず」と定められたものです(この経緯は全く説明なし)。要するに朝鮮での「変乱重大の事件」が収まった際には直ちに撤兵しなければならないという条約だったのです。
清国は朝鮮政府の要請に応じて即時出兵し、日本も遅れをとるまいと自主的に出兵しました。しかし日本軍の派遣旅団が上陸しはじめたことには既に政府軍と農民軍の和解が成立していました。朝鮮政府やロシア・イギリスの公使は日清同時撤兵を要求し、清国はそれに応ずる意向を示しましたが日本は拒否し、朝鮮への影響力を強めたい為に朝鮮政府に「内政改革案」を提示しましたが、朝鮮政府は日本の撤退が「実施の前提」であると拒否しました。
この要求は拒否されることを予測していた日本軍はついに朝鮮の王宮を占領し国王を拉致し、蟄居中の大院君を担ぎ出して傀儡政権を樹立させようとしました。この暴挙によって日清戦争が勃発し、日本軍は朝鮮政府に対して全面的に日本に協力することを認めさせ、民衆から食糧、軍馬、労働力を好きなように「徴発」し、一時は沈静していた農民軍が国難の為に再び立ち上がると徹底的に掃討しました(以上は海野福寿/著「韓国併合」より引用)。またこの戦争では旅順虐殺事件を起こし海外から非難を浴びています。
以上のことを全て中学校の教科書に記述することはスペース的に不可能と思われますが、日清戦争とは近代の日本が最初に起した、謀略に満ちた侵略戦争であったことを簡潔な表現で記すべきではないでしょうか?もっとも「口実」という語句を挟んだところは2001年度版より軟化していると言えますが。(ところで日本書籍新社「わたしたちの中学社会 歴史分野」では、日本軍は朝鮮に居座り続けるための改革案を朝鮮政府に押し付け、その回答を不満として王宮を占領、そして清の海軍を攻撃・・・という日清戦争開戦の経緯を説明しています)
また日清戦争の勝因について、
「その背景には、日本人全体の意識が国民として一つにまとまっていたことがある」
という説明ですが、「国民として一つにまとまる」ことが、侵略戦争の果ての悲惨な敗戦を招いたことを指摘するべきではないでしょうか?
(P-168)日露戦争と独立への目ざめ(下段欄外)
「日本がロシアに勝った結果、アジア民族が独立に対する大いなる希望をいだくにいたったのです」(中国革命の父・孫文)
「もし日本が、もっとも強大なヨーロッパの一国に対してよく勝利を博したとするならば、どうしてそれをインドがなしえないといえるだろう?」(インドの独立運動家でのちの首相・ネルー)
という発言を紹介しておりますが、ついでに以下の使い古されたコピペも紹介して欲しいものです(笑)
ジャワハルラル・ネルー(独立インド初代首相)
「日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかということをわれわれは見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義グループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。そのにがい結果をまずさいしょになめたのは朝鮮であった。・・・日本はその帝国政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった、日本はヴェールでいつわる用意もせずに、大っぴらで漁りまわった。・・・日本人による朝鮮人の抑圧は、歴史の中でもまことにいたましい、暗黒な一章だ。・・・」 (出典・ジャワハルラル・ネルー『父が子に語る世界歴史・』(みすず書房 1959))
(P-169)歴史の名場面 日本海海戦
・・・というコラムに1ページを割り当てる必要があるでしょうか?記憶では私が授業を受けていた頃の教科書の日本海海戦の記述はほんの数行でした。
ちなみにこの教科書には、内村鑑三や孝徳秋水らの日露戦争反戦論に全く言及しておりません。驚くべきことに与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」が紹介されておりません。日露戦争に限らず侵略戦争に反対する国民の声があったことは覆い隠したいのでしょう。(ちなみに孝徳秋水についてはその名前すら一切登場せず、与謝野晶子についてはP-174の「明治時代の文学者」という表に登場するのみ)
(P-170)韓国併合
(欧米列強は自分たちの植民地を日本が認めることと引き換えに)「日本が韓国を影響下におさめることに異議を唱えなかった」
それがどうしたというのでしょうか?当時の列強から抗議されなかったから正しいことだった、とでも言いたいのでしょうか?
仮に・・・「世界中を侵略していた欧米列強が、日本が自分たちと同じことを始めても非難するわけがなかった」という表現ならば納得できますが。
(同ページ)
「日本の安全と満州の権益を防衛するために韓国の併合が必要であると考えた」
・・・という事情があろうとも、朝鮮人にとっては耐え難い屈辱と苦痛であったことに言及するべきではないでしょうか?
(P-182〜183)シベリア出兵
(シベリア出兵について)「やがてアメリカは撤兵したが、日本は1922年まで共産軍と戦い、兵を引かなかった」
何やら共産主義と戦うことが正義だったと言いたげな表現ですが・・・シベリア出兵とは単なる内政干渉、侵略戦争であることを明記するつもりはないようです。(ちなみに日本軍はこの侵略でソ連邦国民や朝鮮人を虐殺しています)
(P-192〜193)「共産主義とファシズムの台頭」
この章の欄外には以下のような注釈があります。
「日本でも、日本共産党がコミンテルン日本支部としてひそかに創立された。1925年、日本政府はソ連と国交を結んだが、それによって国内に破壊活動がおよぶことを警戒し、同年、私有財産制度の否認などの活動を取りしまる治安維持法を制定した」
あまりに酷すぎる内容に、もはや怒りを通り越して笑いがこみ上げます。
●なぜ日本共産党は「ひそかに創立」されなければならなかったのでしょうか?なぜ公然と活動が出来なかったのでしょうか?
●日本共産党は、「破壊活動」を行うための組織だったのでしょうか?
●「治安維持法」は「破壊活動」を取り締まるためのものだったのでしょうか?
●「治安維持法」によって「私有財産制度の否認などの活動」が取り締まりの対象になったのは、言論と思想の自由を奪い弾圧することではないでしょうか?この「教科書」の執筆陣が忌み嫌う「共産主義」や「ファシズム」の国家と全く等しい政策ではないでしょうか?
(P-203)迫害されたユダヤ人を助けた日本人
・・・というタイトルで、ハルビン特務機関長の樋口季一郎とリトアニア日本領事館の杉原千畝を紹介していますが、彼らの勇気ある行動は日本の基本的な政策とは関係ないものであったことを記述するべきだと思います。実際、杉原千畝が行ったユダヤ人へのビザ発給は外務省の指示に背くものであり、そのため彼は領事館から退去させられました。
秦郁彦・著「昭和史の謎を追う 上」P-188には、「ユダヤ人亡命者の国別受入数(1933〜1945)」という一覧表がありますので引用します。
ソ連 250,000人
アメリカ 199,000人
パレスチナ 120,000人
イギリス 65,000人
アルゼンチン 50,000人
中国 30,000人
ブラジル 25,000人
スイス 16,000人
ポルトガル 15,000人
チリ 14,000人
スペイン 12,000人
ボリビア 12,000人
スウェーデン 12,000人
豪州 9,000人
カナダ 8,000人
南アフリカ 8,000人
日本 2,000人
(出典は、Martin Gilbertという人の“Holocaust”という本だそうです)
このように当時の大国だったはずの日本は、中国の15分の1ほどしかユダヤ人を受け入れていなかったのです。秦郁彦氏は、「それにしても、ユダヤ人亡命者の国別受入数を示した表で見る限り、日本は『ユダヤ人を助けた』と胸を張れるような実績ではなかったことがわかるだろう」と述べていますが全く同感です。
ちなみに当時日本が占領していた上海ではユダヤ人を隔離するための「ゲットー」が設けられました。同著によると上海のゲットーではユダヤ人は出入りに「J」というスタンプがあるカードが必要で、ゲットーの外では「ダビデの星のマークをつけることが強制された」そうです。ナチスドイツによるユダヤ人迫害政策と基本的性格は等しいといえるでしょう。
ユダヤ人排撃を公言し実行したナチスドイツとは異なり、当時の日本の国是は「八紘一宇」でしたが、実際は日本もナチスドイツのように他民族を差別し圧迫する国だったのです。それは明治維新以降のアジア侵略・支配の有様を顧みれば論を待たないことでしょう。
(P-204)大東亜戦争(太平洋戦争)
「日本は米英に宣戦布告し、この戦争は『自存自衛』のための戦争であると宣言した」
以前も述べたことですが、『自存自衛』というのは自殺的な戦争に国民を巻き込むため表向きを取り繕った言葉であったことを説明しなければ、「大東亜戦争は日本が生きていくための戦争だったんだ」という恐るべき誤解が生じる恐れがあります。
(同ページ)
(「大東亜戦争」についての注釈)「戦後アメリカ側がこの名称を禁止したので太平洋戦争という用語が一般化した」
たしかにそれも事実ではありますが・・・4年ほど前に2chに書き込んだことですが、姜尚中氏が「朝まで生テレビ」で扶桑社教科書について「この教科書は受験には使えない」と述べておりましたが全く同感です。この「教科書」で授業を受けた生徒には思わぬ悲喜劇が待ち受けているかもしれません。いや、人生を左右しかねないことですので笑い事では済みません。
しかし受験以前の問題として、「大東亜戦争」という、アメリカがイラク戦争を“Operation Iraqi Freedom”と称すが如き、侵略戦争を正当化・美化するための字句を恥ずかしげも無く用いている限り、義務教育の場での教材として扱われるべきではないでしょう。
続いて・・・P-206〜207はまともに読み気も起こりません。
「アジアに広がる独立への希望」と題して、「日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドに独立への夢と勇気を育んだ」「東南アジアのおける日本の破竹の進撃は現地の人々の協力があってこそ可能だった」などと侵略戦争を賛美する言葉が並び、
「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」と題してマレーシアの元上院議員のラジャー・ダト・ノンチックの「私たちはマレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげた」というセリフを紹介し、またインドの「チャンドラ・ボース」という道化師の写真を掲載しています。
また、「日本を解放軍として迎えたインドネシアの人々」と題して、インドネシア占領統治が善行であったかのように述べていますが、
「しかし、戦争末期になると、食糧は欠乏し、過酷な労働に動員され、憲兵が横暴なふるまいにおよぶなどの状況が生まれた」という部分もあります。これに併せてインドネシア各地で日本軍が行った虐殺事件にも言及するべきでしょう。
及び、「インドネシア語になった日本語の中に、『セイシン』などの単語だけでなく『ロウムシャ』『ケンペイ』などがあることにも、複雑な事情が反映されている」
という記述もありますが、執筆陣は「セイシン」も現地語になってしまったことも、勘違いも甚だしい日本の支配に対する痛烈な皮肉であることを理解できないようです。(インドネシア語になった単語にはその他にも「バゲロー」(馬鹿野郎?)「キヲツケ」(気をつけ?)などがあります)
(P-211)欄外「聖断の後の昭和天皇の発言」
昭和天皇は「聖断」の後に、
「・・・一人でも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来再び立ち上がってもらう以外に、この日本に子孫を伝える方法はないと思う。みなの者は、この場合、私のことを心配してくれると思うが、私はどうなっても構わない」と述べたと書かれています。
しかし、1945年2月に重臣ら7名が天皇に戦局の見通しを述べた時、その中の一人の近衛文麿が、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存じ候」と述べ戦争終結を提言したところ、天皇は「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」と反対したそうです。その後3月に東京大空襲、4月からに凄惨な沖縄戦、8月には広島・長崎への原爆投下、ソ連の参戦・・・と、多くの国民が犠牲になったことは言わずもがなです。
そもそも当時の天皇が懸念していたことは「国体護持」(天皇制の存続)と自分の地位だったようです。1945年7月31日、昭和天皇は木戸幸一に次のように語っています。
「先日、内大臣の話した伊勢神宮のことは誠に重大なことと思ひ、種々考へて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思ふ。而しこれを何時御移しするかは人心に与ふる影響をも考へ、余程慎重を要すると思ふ。自分の考へでは度々御移しするのも如何かと思ふ故、信州の方へ御移することの心組で考へてはどうかと思ふ。此辺、宮内大臣と篤と相談し、政府とも交渉して決定して貰ひたい。万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」(「木戸幸一日記」より)
天皇にとっては国民の生命よりも三種の神器の方が余程愛しかったことでしょう。
(P-214)読み物コラム 20世紀の戦争と全体主義の犠牲者
・・・と題してナチスドイツとソ連邦の体制を批判していますが、何故「全体主義」と銘打ったコラムなのに戦前の日本を取り上げないのでしょうか?
ソ連邦の「満州」侵攻とシベリア抑留を紹介しながら、何故日本のシベリア侵略を取り上げないのでしょうか?
ナチスドイツが身体障害者を薬殺したことを紹介しながら、何故日本が行った人体実験を取り上げないのでしょうか?
(P-215)読み物コラム 東京裁判について考える
「GHQは占領直後から新聞、雑誌、ラジオ、映画の全てにわたって言論に対する厳しい検閲を行った。
また、日本の戦争がいかに不当なものであったかを、マスメディアを通じて宣伝した。
こうした宣伝は、日本の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい、戦後の日本人の歴史に対する見方に影響を与えた」
この「教科書」の執筆陣の日頃の主張そのままです。「日本の戦争が不当であった」ことも認めず、「自国の戦争に対する罪悪感」もどこ吹く風の方々がこのように喚きたくなるのも無理はないでしょうが、彼らはこのようにアメリカの占領政策を批判しながらも、一方では安保体制を支持しイラク戦争を批判することはない“親米”なのですから呆れるばかりです。またGHQが行った“赤狩り”(日本共産党員の公職追放、赤旗発行禁止、労働組合への弾圧など)については全く記述されておりません。(ただしP-212には「またGHQは、戦時中に公的地位にあった者など、各界の指導者約20万人を公職追放した」と記されていますが)
(P-219)経済復興と日米安保条約改定
(岸信介は)「日米安保条約の改定をめざし、1960年1月、新条約を調印した、これにより日米両国はより対等な関係に近づいた」
「ところが、これに対して安保条約の改定に反対する運動が起こった。1960年5月、自民党が新安保条約の国家承認を強行採決すると、国会周辺をデモ隊が連日のように取り囲む大きな騒乱となった(安保闘争)」「岸のあと首相となった池田勇人は、安保をめぐっての大衆騒動の再現をさけるため、自民党が結党のときにかかげた自主憲法制定や防衛力強化という課題には手をつけず、10年間で所得を倍増にするという所得倍増政策をかかげた」
・・・この年の安保条約改定によって、日本国内の内乱にアメリカ軍が介入できる規定が削除され、アメリカ軍が日本を防衛することが明記され(同時に自衛隊も在日アメリカ軍が攻撃を受けた際には共同して防衛する)、また在日アメリカ軍の配置・装備について事前協議することが定められましたが、そもそも他国の軍隊の為に広大な土地を提供し好き放題の演習を許し、米兵の犯罪者の拘束さえままならず、市街地に軍用機が墜落しても日本の警察が捜査することが許されず、民間旅客機は大きく迂回せざるを得ない状況を作り出しているこの条約が「対等」なものであると言えるでしょうか?
聞くところによると執筆者の一人である岡崎久彦氏は、「今回の歴史教科書からは反米色を一掃した」と述べていたそうです。骨の髄までアメリカの奴隷である彼ら執筆陣にとっては、安保反対運動など「大衆騒動」に過ぎず、樺美智子さんが警官に撲殺された事件も記述に値しないのでしょう。
また次ページの欄外には、
「【考えてみよう】日米安保条約の改定は日米両国がより対等になることだったのに、なぜ反対運動が起こったのだろう」
という提起がありますが、もし私がこの教科書で授業を受ける中学生ならば「安保条約の存続は日本をアメリカに隷属させ、自主独立を阻害するものだった。反対運動に参加した国民は、日本が真の独立国になることを欲していたから」と解答してみたいものです。
(P-221)外交関係の進展
日韓基本条約について「有償2億ドル、無償3億ドルの経済協力を約束した」とありますが、「有償2億ドル」とは韓国への低金利での融資であり、「無償3億ドル」の方も現金を渡したわけではなく、工業製品の提供や重工業プラントの建設など(要するにひも付き援助)であったことをはっきり記すべきでしょう。
他にも日本が行った国家間の戦後賠償について記述している部分がありますが、それによって全てが決着したわけではないことは理解できないのでしょう。
(P-223)冷戦の進行
「1965年、アメリカはインドシナの共産主義化を警戒し、南ベトナムを支えるため、直接軍隊を派遣し、中国やソ連が支援する北ベトナム軍や南ベトナム軍の反政府勢力と戦った(ベトナム戦争)。しかし、勝利を収めることはできす、1973年、アメリカ軍はベトナムから撤退した。2年後には、北ベトナムが南ベトナムを軍事力で併合し、ベトナム社会主義共和国が成立した」
このように、アメリカのベトナム侵略に対する批判は全く見受けられません。ベトナム戦争が終結したことを「北ベトナムが南ベトナムを軍事力で併合」したという表現がありますが、そもそも南ベトナムは植民地支配をしていたフランスとアメリカの横槍によって作られた傀儡政権であることを知らないのでしょうか?
また、別の部分では(ソ連による)「1979年のアフガニスタン侵攻」というもっともな表現がありますが、何故ベトナム戦争については「侵攻」、あるいは「介入」という表現を避けるのでしょうか?
それに全世界で展開していたベトナム反戦運動についても全く記述がありません。
(P-223)
昭和天皇の死去に伴う弔問客が集合している写真をわざわざ掲載していますが、ついでにあのときの「自粛」騒ぎの異様さについても言及していただきたいものです(笑)
(P-225)人物コラム 昭和天皇
1945年9月27日、天皇がマッカーサーとの会見に於いて「私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした」と語り、マッカーサーが「私は大きい感動にゆすぶられた」という伝聞を取り上げていますが、
●そのネタである「マッカーサー回想記」には、架空の日露戦争観戦記があり(マッカーサーは当時療養中)、また昭和天皇が連合軍の戦犯リストに挙げられていた、という虚偽もあります。よって「マッカーサー回想記」には信憑性が乏しいと言えます。
●会談の翌々日天皇は木戸幸一に対し、これから予想されるアメリカからの追及に対し「頬被り」を通すか、またはマスコミを使って情報操作すべきかマッカーサーに直接弁明するべきか相談したそうです。木戸は弁明などヤブ蛇であると忠告し、天皇は軍部が悪かった、政治体制が悪かったなどと愚痴をこぼしたそうです。
●また、第一回会見(昭和天皇が「自分が責任をとる」と発言した、とされる)の通訳を努めた奥村勝蔵氏の記録には、その発言は存在しません。
●1945年10月27日、マッカーサーは天皇との会見についてGHQ政治顧問ジョージ・アチソンに語りましたが、その際例の発言について全く触れられていません。
●1946年春、天皇は自分の心境や戦争との関わりを口述し、寺崎英成はそれを「昭和天皇独白録」としてまとめました。病臥中にも拘らず数日間のうちに、自分には戦争責任は無いことを滔々と語っていることから、これは「極東国際軍事裁判」の対策だったのではないかと言われています。
以上の点から、天皇が「私はどうなってもいい」という趣旨の発言をしたとは考えにくいと見られています。
・・・以上、ざっと書きなぐってみましたが、まだまだ指摘すべき部分が多数あると思われます。私の断片的な引用では甚だ不充分ですので、是非各地で開催されている教科書展示会で現物を確認し、他社の教科書と比較していただきたいと思います。
また、近所の会場ではアンケート用紙が配布されていましたので、扶桑社の「歴史教科書」の問題点を遠慮なく書かせていただきました。「教育と自治・埼玉ネットワーク」によると、「4.28付け県教育長通知には、採択協議会あるいは市教委が配慮すべき事柄の一つとして「より広い視野からの意見を反映させるために、保護者等の意見を聞く場を設ける措置を講ずること」とあり、その方法として展示会でのアンケートが考えられているとのことです。」ということです。他会場でもアンケートが行われているのなら、採択に一石を投じることになるかもしれませんので厳しい意見を残しておくべきだと思います。
ところで私は先日「民主教育を進める与野・市民会議」主催の学習会に出席し、藤田昌士さんや中学校で教鞭をとる方や元教師の方々のお話を聞かせて頂き、埼玉県教育委員の高橋史朗氏の罷免要求に署名しました。
この署名用紙は教育と自治・埼玉ネットワークで入手可能です。
上田県知事宛
埼玉県教育委員会宛
ネット署名は終了ということなので、高橋史朗氏の存在に危惧を抱く方は是非、ダウンロードして印刷して署名していただきたいと願います。
またこの学習会では、さいたま市教育委員会への要請はがきを送る呼びかけがありましたので引用します。
宛先:さいたま市浦和区常盤6−4−4 さいたま市役所内 さいたま市教育委員会 様
臼杵信裕教育長様
緒方恭子教育委員長様
2006年度中学校教科書採択にあたって以下のことを要請します。
1.公正で民主的な採択を行ってください。
2.現場の先生方の意見を十分に尊重した採択を行ってください。
3.現場の先生方が充分に教科書の調査研究を行える条件整備を行ってください。
4.父母・市民の意見も尊重されるよう配慮してください。
5.教科書は、憲法・教育基本法の理念に則り、国際理解・国際協調にも配慮して作られるべきものと考えます。今回検定に合格した扶桑社の中学校歴史・公民教科書は、アジア太平洋戦争をアジア解放のための戦争と偽っています。また、戦争に命を捧げる国民を賛美し、日本の加害の事実を否定しています。えさらに、個人の人権よりも国家が大事、基本的人権と両性の平等を軽視、明治憲法を賛美し日本国憲法を否定する立場をとっています。
このような教科書で子供たちを学ばせることを認めることは出来ません。この教科書をさいたま市の公立中学校用教科書として採択しないことを要請いたします。
さいたま市にお住まいの方でも、他の市町村・他県の方でも、扶桑社の「教科書」が教育の場に相応しくないとお考えの方は、以上の文例を参考にして要請はがきの送付をお願いいたしますm( __ __ )m
★ちなみに、埼玉県の各市町村の教育委員の名簿はこちらで公開されています。
どうしても、という方は掲示板へGO!
http://6911.teacup.com/keijiban/bbs
http://blog.livedoor.jp/yinlingofjoytoy/
(メールで教えていただいた方、ありがとうございました!)
・・・とはいってもBlogにコメントが殺到していたりとかそんなんではありません。左巻きお花畑ご本人たちが炎上中なのです。涙目で自分達のBlogにエントリー追加しまくっているんだろうなあ。
もちろん事の発端は昨日の杉並区による「つくる会教科書」採択。
『杉並の教育を考える中核派シンパの会』では次のようなコメントが(一部抜粋)
昨夜から300名の「つくる会」が泊りがけ。
傍聴者は9時半の傍聴抽選対象者934人
その後に来た人を入れれば1000人を超えたのではないでしょうか。
傍聴席には藤岡信勝がじきじきに乗り込んできました。
子どもの未来を、政治の権力抗争、金づるにしているとしか思えません。
引用ここまで。
>子どもの未来を、政治の権力抗争、金づるにしているとしか思えません。
お前らが言うなや(笑
まったく・・・。
[子供の未来を金づるにしてはいけません]とは言いながら。
杉並の教育を考えるみんなの会HP左下
杉並の教育を考えるみんなの会
郵便振替口座:00150−9−13879
杉並親の会HPから「杉並親の会とは」のページ下部
郵便振替口座 00130-5-31998
「つくる会」の教科書採択に反対する杉並親の会
自分達では「金をくれ」、と言っておきながら相手に対して「子供を金づるにしている」と、よくもまあいけしゃあしゃあと批判ができるものです。もちろん活動には何事も金がかかります。その点は理解できるからカンパを求めるな、なんて言わない。でも相手の金儲けは汚い金儲け、自分たちの金儲けは綺麗な金儲け、ていうダブルスタンダードはやめないかね。
あと区民の声だとか言いながら韓国の右翼団体まで呼び込んで活動していたのはどこの誰だコラ。それとも何か、あの韓国の右翼団体は杉並区民かコラ。
中華狗派とそのシンパ、もぅ必死だな。ていうか支離滅裂。
http://spaces.msn.com/members/neohosyu/Blog/cns!1pNSnoV8plZpeYF8UD6-43Hw!646.entry
(↑サーチして見つけました)
> 自分達では「金をくれ」、と言っておきながら相手に対して「子供を金づるにしている」と、よくもまあいけしゃあしゃあと批判ができるものです。
> もちろん活動には何事も金がかかります。その点は理解できるからカンパを求めるな、なんて言わない。> でも相手の金儲けは汚い金儲け、自分たちの金儲けは綺麗な金儲け、ていうダブルスタンダードはやめないかね。
市民運動と教科書出版事業を比較することは出来ませんねえ。
何故なら、市民運動は如何なる商業的利益を生み出すものではないのです。金銭的には損をするだけでしょう(無駄な公共事業に対する反対運動など、住民の直接の利害に関わる問題は別として)。
チラシだって何万枚も配っていると思います。私の家には8/12の傍聴を呼びかける葉書が来ました(署名を郵送したので住所録に加えてくれたようです。感謝!)。プラカードもノボリも横断幕も、タダで作れるわけではないでしょう。それこそカンパという収入源が無ければ全て自腹で行わなくてはならないことです。それに正業やバイトを休んで参加している人もいることでしょう。多少カンパが集まったとしても、「金儲け」には遠く及びません。
実際、どの程度集まるのでしょうか?たとえばこれだけ騒いでいる私も今のところカンパは行っておりません。(カンパする気がないわけではなく、現在我が家の家計が非常に苦しい為です。念のため)
もっとも、カンパの依頼についてはそのブログでも、
「もちろん活動には何事も金がかかります。その点は理解できるからカンパを求めるな、なんて言わない。」
と、一応理解は示しているようですね。
しかし、『杉並の教育を考える中核派シンパの会』(何だそりゃ???)の、
「子どもの未来を、政治の権力抗争、金づるにしているとしか思えません。」
という発言はいただけませんねえ。
扶桑社「教科書」を販売することが「金づる」ならば、
他社の教科書を販売することも、扶桑社の教科書を批判する本を販売することも、「金づる」だと言うことが出来てしまいます。こういう揚げ足を取られかねない発言は謹んでいただくように願いたいものです。
実際、「つくる会」にとっても「扶桑社」にとっても、教科書出版事業は「金づる」には程遠い現状です。
前回も今回も市販本が多少は売れたようですが、それでもあの採択率では扶桑社の赤字は免れないでしょう。
「つくる会」は他教科にも進出すると息巻いておりましたが、本当にそんなことを始めればさらに傷を深くすることでしょう。(もっとも、扱ってくれる出版社は無いかもしれませんが)
もっとも、少なくとも「つくる会」連中にとってはそんなことは覚悟の上、自分らのやっていることは「正義」だと信じてドンキホーテの如きチャレンジを続けるつもりでしょう。徒労に終わるでしょうがね(笑)
ま、『市販本』を一般人に売るための宣伝やろうね、アレは。
年配の人なんかは、本屋で興味を持って立ち読みしてる人がけっこう居る。
君ら、同じ場所使いすぎww
ばれてないと思っているんだろう?w
googleが正直に教えてくれるぞww
"Their purpose,therefore,in going to war was largery dictated by security"
渡辺昇一先生は「敵の大将であるマッカーサー元帥が日本の戦争は自衛のためであったといっているのですから、左翼どもはこの文章をみるとなにも言えなくなるのです。この文をいつもポケットに入れておきましょう」といっています。
あ、それウヨの大嘘ですから(笑)マッカーサーが日本の戦争は防衛戦争だったと議会で証言……疑いもなくこれは、ウヨがいいふらす嘘の中でもっとも愚劣なものでしょう。
あの長大な議会演説の中で、「日本の戦争に侵略の意図はなく、自存自衛が目的だった」と明言した箇所がなどどこにもありません。残念でしたw
バカウヨが「まさに、そういう意味だ」と引用してくる例の発言部分だけど、これは要するに、共産中国への対応策を議会で説明するとき、かつての対日戦略を例に引いたもの。
「安全上の必要に迫られた戦争(in going to war was largely dictated by security.)」とは、「日本の侵略意図を否定したんじゃなく、かつて禁輸など日本を孤立させるやり方で威嚇し、皇軍を太平洋におびき出して撃破した例をあげ、彼の構想する対中戦略を議会で納得してもらうためなんですよw
つまり、「中国を包囲網で締め上げれば、経済的に息詰まって、政権が倒れるか、昔の日本のように自滅的な外征に出てくる」と言おうとしたわけ。
でも、そんな例えを悪意のこもった口調でいうわけにいかない。大戦中は「ジャップ」でも、この頃の日本はすでに敵国どころか、アジアでの反共闘争の前進基地として協調すべき相手。だから「日本の労働力は、数も質も、どこよりも優秀」とか、友邦としてとても神経つかった言い方されてるけど、軍国日本の侵略を弁護する意図からでは断じてない。
マッカーサーは顕示欲が強く、大統領選への立候補さえ狙った男。それが議会演説で、多数の米兵の命を代償に打ち負かしたファシズム国家が「自存自衛の必要」からアメリカと戦ったなんて、世論を憤激させる事いうはずない。普通に考えれば、わかる。でもウヨには全くわかりませんwなぜなら本物のバカだからw
マッカーサー発言での「安全上の必要(largely dictated by security)」というのは、そうした、日本をことさら敵対的な言葉で傷つけないよう配慮する云い方だったのに、「場の雰囲気が読めない」ウヨ厨どもがその部分だけ引用しまくり、都合のよい解釈でぬか悦びしてるわけ。
繰り返すけど、このときの日本は、連合軍から徹底的に叩きのめされたうえ、東京裁判で洗礼も授かり、アメリカのいうことをきく従順な国になってた。マッカーサー自身が統治政策で日本をそのように改造したんだからねw
結局、あの部分の真意は、「手を焼かせる野良犬がいただろ? 根はいい奴だし、盗むのも餓死しないためだろうが、野放しにしておけないので食い物が手に入らないようにしたら、我慢できなくなって、叩かれるために出てきた」というのとおなじ。今度は、中国という野良犬を同じやり方でやっつけ、アメリカの飼い犬にしようという含みだったわけだ。
「マッカーサーが日本の正しさを認めた」なんて、おめでたい言い草があてはまる状況とぜんぜん違うんだよw
ウヨって正真正銘のアホだから、マッカーサーが米軍統治下にある日本に遠慮した云い方だって、わからないんだよねw
> Posted by 普通の日本人
このバカがいい例ですなwww
が、あなたの感情が先走っていると思わせる文書では、まったく説得力がないですね。
批判も書き方次第、自分のカタルシスの為に書いたとしか思えない。