さてどこから回るか。やっぱ暑いな非常に暑いな。バスターミナルの前にある「萩・世界遺産ビジターセンター 学び舎」に入ってみたけどつまんなかったよ。これで金を取るのか。
チケットが博物館と共通だってゆうから、まあ許してやろう。というわけで博物館方面(城下町方面)に歩いて行った。それにしても暑いな。
来嶋又兵衛ってさ、いい歳したオッサンのクセに桂小五郎や久坂玄瑞が手を焼くような暴れん坊というか戦国の武将のようだったとか。禁門の変のとき西郷隆盛が川路利良に、馬上の来嶋を遠くから観察しながら、「来嶋どんか。あん人がいるから長州はなかなか負けんごたる」というので、川路が狙撃したとか。「龍馬がゆく」に出てきた話だけどw
ちなみに俺が好きな長州藩の幕末の志士は・・・二天一流の使い手にして幕末最強の刺客・天堂晋助だな。おっと、架空の人物だった(司馬遼太郎「十一番目の志士」)。ちなみに幕末の有名な人斬りと言えば土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛、中村半次郎(後の桐野利秋)、肥後の河上彦斎か。このうち「国学」を学んでいた河上彦斎だけは教養があり、自分の信念で刀を振るっていたんで一番危険だったとか。要するに命令されたり扇動されて殺るんじゃなくて自分で思いつめて殺っちゃうんだろ。たしかにヤバいよな。言うなれば、パヨクの連中(しばき隊のチンピラとか)はオルグ次第で右にも左にも行くだろうけど、自分の思想と信念でやってる奴はホントにヤバいってこと。パヨクにはいないタイプだな。関係ない話だけど。
(ちなみにパヨクとは、反原連・しばき隊・SEALDs関係者及びシンパのこと。運動の本来の目的そっちのけで運動自体を目的とし、セクト意識が強く、警察には従順というか利用したがり、自分らの縄張りを守るためなら卑怯な手段も躊躇わない連中。と理解しております。ぱよぱよちーんw)
そりゃそうと城下町らしい佇まい。のんびりとしたいい雰囲気だな
木戸孝允(桂小五郎)の生まれた家。桂小五郎と言えば「逃げの小五郎」だろ。剣の達人だったが一度も抜刀したことがないとか。禁門の変(蛤御門の変)のときも逃げまくって長州に帰ってきたとか。
一方、同じ長州の志士の広沢真臣はもっと肝が据わっていて、人足に紛れ込んで、しかも褌さえつけず、一物が時々勃起するんで関所の役人も閉口して通したとか。まあ司馬遼太郎の小説の話だけどね。
それにしてもの広沢真臣とか大村益次郎(村田蔵六)とか有能な人物が凶刃に斃れて、残った伊藤博文とか山縣有朋みたいなのが権勢を振るったのが明治日本の間違いの始まりというか・・・まあ歴史ってこういうもんだね。いや、「誰それが生きていたら・・・」ってゆう話は止めよう。生きてたら変節・転向しちゃったかもしれないし。ゲバラみたいな生涯に渡って革命を闘い続けたであろう人物なんて滅多にいないさ。
高杉晋作が生まれた家。この井戸の水で産湯に浸かったとか
高杉の辞世の句は
「おもしろき こともなき世を おもしろく
住みなすものは 心なりけり」
というが、下の句は尼さんが付け加えたんだっけ。「世に」だか「世を」だかはっきりしないとか。俺も「世に棲む日日」は読んだよ。高杉と愛人のエピソードが好きだな。高杉が初めて訪れた街で初対面の男たちに荷物を全て預けてしまったので、クスクス笑いながら「もしあの人たちが荷物を持って逃げてしまったら、旦那さんはどうします?」と訊ねると高杉が「そうなったら乞食をするまでだ」と言うから、可笑しくて腹を抱えて歩けなくなった、とか。
ちなみに「十一番目の志士」(フィクション)では、高杉が死んだあとこの愛人はただの芸者に戻り、どんちゃん騒ぎするどころか平気で客と寝ることもあったから、伊藤らが無理矢理出家させたとか。天堂晋助が一刀の下にこの愛人の黒髪を切り落し、みんなで寄ってたかって坊主頭にさせちゃったんだってね。ひでえな、まるで峯岸みなみさんが虎刈りにされちゃったみたいだw
ちなみに「世に倦む日日」も読んでるよ。「SEALDSの真実」も買ったよ。いろんな方面に取材すればもっと面白くなったと思うけど。俺とかw
腹減ってきたが、小奇麗なカフェとか多いけど、ちゃんと食事する店が見当たらないな。やっと一軒見つけた。「庭園カフェ 畔亭」ってゆう店。ちょっとしたお屋敷みたいな、お洒落な店内。美味しかったよ。庭園もキレイだったよ。
■ ところでさ、同行者が白状しやがったけど、原爆ドームも厳島神社も萩も、修学旅行のとき行ったことがあるんだってさ。定番のコースなんだろうね。それにしてもさ、原爆ドーム見たあと萩に行くって変じゃね?むしろ萩を見せたあと原爆ドームを見せたほうがいいかも。あんな連中が天皇なんか担ぎ出して政権を取ったから、こんなことになっちまった、って教育出来るじゃん。だいたい長州の志士の先駆者?の吉田松陰なんて元祖ネトウヨみたいなもんだろ。
ツイッターに書いたことの焼き直しだけど・・・「日本の歴史」(井上清/著 岩波新書D81)に、面白いことが書いてあった。明治政府の基本方針は、欧米には従属する一方で朝鮮・中国への侵略を進めるものだったが、これは吉田松陰が説いていたことと同じだった。1855年に吉田松陰が獄中で記した「獄是帳」は外交戦略の方針を次のように述べている。
魯墨講和一定、我より是を破り信を夷狄に失うべからず。ただ章程を厳にし信義を厚うし、其間を以て国力を養い、取り易き朝鮮満州支那を切り随え、交易にて魯墨に失う所は、また土地にて朝満に償うべし魯墨とはロシアとアメリカのこと。要するに「列強には逆らえないから朝鮮と中国を侵略するべし、列強との貿易で損をした分は朝鮮・中国を植民地取り返すべし」ということ。
「日本の歴史」著者の井上清氏は「木戸らは先師の教えに何と忠実であったことだろう」と評す。たしかにそうだな。こいつらが薩摩と一緒になって天皇ってゆう苔の生えた権威を持ち出し、侵略戦争を開始してアジア人民を虐殺したんだ。沖縄の地上戦も空襲も原爆投下も、米軍基地が居座ることもなったのも、元を辿ればこいつらのせいだ。・・・まあ天皇ってゆうイデオロギーが使えなければ別の口実を持ち出しただろうね。天皇も何も所詮は全て、統治のための、資本家の利益のための道具だもんな。それにしても「明治日本の産業革命遺産」って反吐が出そうだぜ。
■ そりゃそうと博物館はちょっと面白かったな。長州藩の歴史が少しは分かった。岩国とか徳山とか分家だったのか。元々毛利家は広島の大名だったのに関ヶ原の戦いで西軍についたばっかりに長州に国替えになっちゃって、当然徳川幕府に恨みがあって、それが倒幕のパワーになったんだよね。
毎年の元旦の明け方、城内の大広間で藩主と家老が二人っきりで会談するのが恒例だったそうな。家老が藩主に「徳川氏討伐の手筈が整いました」と告げるも藩主が「まだその時期ではない」と返すのが恒例になっていたとか。これも司馬遼太郎の小説で読んだ話だけどw
それと特別展示の「ビッグアニマル大接近」は面白かったよ。地球最大の生物は、ゾウさんでもブロントサウルスでもシロナガスクジラでもないんだよ(ググれば出てくるけどw)。9月25日まで、近県の人は行ってみて損は無いよ。
それから萩城跡(指月公園)に行ってみた。有料だよ。石垣と神社があったな。入場券がセットになっている「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」も行った。たしかに長屋だな。それだけ。力が入っていない感が微笑ましいw
川かと思ったら運河だった
それから、もう夕方だったけど近くの菊ヶ浜海水浴場でちょっと泳いだ。海パンとゴーグル持ってきてたからな。割と透明度高かったな。近くの水路は川かと思ったが運河なのか。そして萩ユースホステルに泊まった。一泊二食付きで一人4千円ちょっと、安いだろ。多くを望んじゃだめだよ。松下村塾や萩反射炉は遠いから行かなかった。城下町のほうに来ちゃったからね。
というわけで司馬小説の聖地巡礼・萩の巻を終えた。高知も行ったことあるから次は鹿児島だな。さて明日はどうするかなあ。もう帰るか?
(つづく)