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◇ 逆・転・人・生「えん罪・奇跡の逆転無罪判決」20180526 - 動画 Dailymotion
ところで以下は全て番組のネタバレなのでご注意のほどを。
2012年6月16日深夜2時31分、大阪府泉大津市のファミリーマートで強盗事件が発生。フードを被りマスクをしていた男が店員と争いながらレジから現金を奪い取り逃走した。監視カメラの映像では人相は特定できないが、同年8月7日に市内に住む土井祐輔さん(当時21歳)が容疑者として逮捕された。
監視カメラで録画された事件の映像によると犯人はコンビニの自動ドアをこじ開けるようにして逃走したが、そのとき残った指紋が土井さんの指紋と一致していたという。この番組ではその映像が放映された(かなり鮮明に映っているな)。
土井さんは「高校卒業後に一時期目標を見失っていたころ、一度だけ警察の世話になった」ことがあり、指紋を取られていた。それだけが警察側の根拠だった。しかし当日土井さんは自宅で友人と過ごしていたのだ。
そして土井さんは、この全く身に覚えの無い容疑で連日厳しい取調べを受けた。担当の平山正和弁護士に黙秘を勧められたとき「黙秘ってなんですか?」と問い返したという(黙秘は常識のはずだが、残念ながら一般社会に浸透していないようだ)。平山弁護士から「尋問に一切答えないように!」と説明されても悩んだ。連行された際、姉から「ちゃんと話したらすぐ帰って来れるから」と告げられていたのだ。しかし素直に取調べに応じていた末に、事実ではないことを「自白」させられてしまうのは数々の冤罪事件が示す通りだ。
「密室で警察から厳しい取調べをされると、事実でないことを喋らされたり・・・」成蹊大学教授の指宿信氏は、「弁護人不在では(法律家の助言がないと)自己に不利益な供述をしてしまう場合も」と指摘。日本の取り調べは「弁護人不在」だ。密室で取調官に取り囲まれ、事実と異なる供述をすることを強要されることもある。
「黙秘というのは警察や検察に対抗する最大の武器だ」(平山正和弁護士)
しかしアメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、韓国、モンゴルなどで取調べの際の弁護人立会いが認められている。「日本は中世だ」と批判されるほど、刑事司法が遅れているのだ。
■ 黙秘を決意した土井さんに手を焼いた取調官は土井さんに罵倒と人格攻撃の嵐を浴びせた。
「罵声を一週間も浴びせられると、人間っておかしくなってくる。『もしかして俺、あの日の記憶が無くなっているんじゃないか』という気がしてくる。
それを刑事が「あ、こいつ狂いだしたな」と察知して、『こんなん認めればちゃっちゃと出れるやないか』と揺さぶりをかける。じゃあ、疲れてるし認めちゃってもいいかもな、という気分になってくる」(土井さん)
「警察は『自白が証拠の王』だと思っている。『何のために逮捕したのか。自白させるためじゃないか。一週間も経ってるのに何やってるんだ!』という、取調官への上からのプレッシャーも強い」(元警視長・原田宏二氏)事件の夜、土井さんは自宅に友人を招き、サッカーのヨーロッパ選手権の生中継を観ていた。日本時間の午前0時30分から午前3時48分まで行われた試合を最後まで観ていた。午前1時37分には当時付き合っていた女性に電話をしていた通話記録が残っていた。しかも友人が土井さんの姿を携帯で撮影した画像が残っていた。撮影時間は深夜2時14分、コンビニ強盗事件の15分前だ。
土井さんと弁護士はこれで無罪が証明できると意気込んだが、公判で検察は信じられないような反論をした。「自宅からコンビニまで徒歩3分、充分間に合う」「写真撮影時間の偽装も考えられる」。
たしかに物理的には可能だが、状況からしてありえねえだろ。友達と自宅でサッカー中継を観ていて、おどけて写メを撮られて、その15分後にコンビニ強盗するか?それに時間の偽装ってどうゆう根拠で言ってるんだ?
検察側にとって唯一の根拠はコンビニの自動ドアに残された指紋だった。それが土井さんの左手の指紋と一致したという。
たしかに監視カメラの映像では、犯人が逃走する際に自動ドアに触っているように見える。右手で。この決定的な指摘についても検察は「左手で触った可能性もゼロではない」と下らない反論を行った。必死に逃げてるときにそんな器用なことが出来るか?組織の面子のためならどんな屁理屈でも吐けるんだな。まるでどこぞの政治家や役人のような・・
■ 当時の土井さんはダンスボーカルユニットのリーダーでデビューを控えていたが、逮捕によってデビューは取り消し、ユニットは解散に追い込まれた。警察の杜撰な捜査が若者たちの夢を奪い、人生を狂わせてしまった。
土井さんは拘置所の独居房に勾留されていた。何度保釈請求をしても却下され、家族や友人との面会は一切認められなかった。
「3ヶ月くらい経ったころ、目覚めて天井を見ると、『うわ、まだ拘置所におるわ』という、忘れ物に気付いたような感覚があった。『死ぬのを忘れてた』みたいな。室内の便器に思いっきり頭をぶつけたら死ねるんちゃうか・・」(土井さん)否認する容疑者を長期間勾留して心身を弱らせ、自白に追い込むのは権力の常套手段。いわゆる「人質司法」だ。まさに容疑者の人生を「人質」にして自白を得ようとする、汚い手段だ。
土井さんの家族も辛い日々に耐えていた。
「こんな理不尽なことがあるんだなって。日本の国ってこんなんだったんだ。幸せな国だって思っていたのは、浅はかだった」(母の万里子さん)実際に我々はこんな国に住んでいるのである。
■ ところで土井さんには一つ腑に落ちないことがあった。検察官が「6月10日から6月16日までの間にあのコンビニの自動ドアに素手で触ったことがあるか?」と尋ねてきたのである。土井さんが「分かりません」と言っても繰り返し尋ねてきたという。事件は6月16日だ。もしかして自分は、事件の何日か前にあのコンビニを訪れたことがあるのか?そのとき自動ドアを触ったかも?ならばコンビニの監視カメラ映像に左手で自動ドアを触る瞬間が映っているかも?
土井さんの訴えに応じた弁護士が何度も証拠開示請求を行った末に映像のコピーが開示された。母親が何日もかけて映像を解析し、ついに土井さんの姿を発見した。
6月11日午前3時37分、土井さんがこのコンビニに来店する際に左手で観音開きの自動ドア(建物の外側)を触っていたのである。深夜まで仲間と練習をしていて「気分が高揚していて」触る必要のない自動ドアを触っていたのだ。これが決定的な証拠になった。
なお検察側の、「左手で自動ドアに触れていた可能性もある」という反論も覆された。映像を注意深く見れば、犯人は左手で1万円札を握ったまま逃走していることが確認できる。指紋をつけられるわけがない。
※この監視カメラの映像だと土井さんはたしかに入店する際に左手で自動ドアの(店舗外側の)ガラス面に触っている。店内から見て観音開きの自動ドアの右側だ。一方犯人は逃走する際に指紋をつけたというが、常識で考えれば左手で触るのは左側のドアだろ?土井さんの指紋が付いていた位置、それが右手か左手か、その手の向きなど確認すれば、そもそも土井さんが逮捕されるわけがない・・・はずだが、検察は上記のように「左手で触った可能性もある」などとふざけた反論をしている。常識が通用しない連中なんだよ。
※それにしても検察はなぜ、「6月10日から6月16日までの間にあのコンビニの自動ドアに素手で触ったことがあるか?」などという不可解な質問を繰り返したのか。もしかしたら6月11日に土井さんが自動ドアに触れているのを映像で確認していたが、土井さん自身にも記憶が無いことを確認したのか?言質を取ろうとしたのか?このように妙な質問や同意を求めてくるケースもあるようなので要注意だ。
※ともかく弁護士が証拠開示請求を行わなければこの決定的な事実は埋もれたままだった。権力側は不利な証拠は決して出そうとしないのだ。あらゆる事件で全ての証拠を開示させることが絶対に必要だ。
こうして2014年7月、大阪地裁岸和田地裁は無罪判決を出し、そのまま判決確定。検察側の主張は全て不自然だとして退けられた。当然のことだな。土井さんは国と大阪府を相手取り国家賠償請求を提訴したが一審二審で敗訴し上告している。ちなみに警察を相手取った国賠は9割以上敗訴するという。
土井さんは事件の後、高校時代の同級生と結婚し一児に恵まれた。介護施設で働く傍ら、 SUN-DYU として、「社会派音楽グループMIC SUN LIFE」の一員として音楽活動を続け、冤罪という国家犯罪を糾弾している。今後の活躍に期待しています!
■ それにしてもこの事件は多くの教訓を残したと言える。まずは、何度も何度も思い知らされていることだが警察や検察の本質が露わになった。捜査は杜撰で、物証を恣意的に解釈し、あるいは物証が無くても自白を強要し(甚だしきは捜査当局に都合のいいストーリーを押し付けて)真犯人に仕立て上げようとする。都合の悪い証拠の開示は渋る。事件の真相を追うわけでも、真犯人を捜しあてるわけでもなく、取りあえず身柄を確保した者を起訴に持ち込むことが目的のようだな。奴らも勤め人だから実績を上げなければならないのだろうが、冤罪というのは犯罪だ。これでは単なる犯罪組織だ。だからなんかズレてるんだよ。警察や検察の仕事は、容疑者を自白させて起訴することか?違うだろ。事件を捜査するのが仕事だろ。犯人を特定できなくても、起訴できなくても、それはそれでしょうがねえよ。そりゃ叩かれるだろうが、人間は神様じゃねえから分からないことは分からないんだよ。(仕事の成果が厳しく課されるのは、警察や検察に限ったことではないこの社会の病理だな)
我々がこの国家による暴力と闘うには、相応の覚悟と基本的な法知識が必要だ。捜査官の揺さぶりに動じてはならない。黙秘は当然の権利だ。弁護人との信頼関係も重要だ。
それに警察発表や扇情的な報道によって事件の容疑者を真犯人だと信じ込んで白眼視する我々の意識も問題だ(こういう社会が冤罪を生むんだろう)。言うまでもなく冤罪被害者は直ちに救済されなければならないが、たとえ疑う余地のない物証がある事件であろうと、容疑者の人権は守られなければならない。他人事ではない(たとえば車を運転する人間ならばいつでも加害者となり得るだろ!)。この番組でも再現されたが、居室の中に便器があるような環境に容疑者を勾留し続けることも許してはならない。
我々はいつでも国家権力の標的となり得ることを自覚し、冤罪被害者と共に、取調室に連れ込まれ法廷に立たされる全ての人々と共に闘わなくてはならない。いつでも自分自身がその立場になり得るからな。
・・・もっとも、現在の日本政府とこの社会構造では、冤罪事件や不当な捜査は何度でも繰り返されるだろう。まず我々が意識を変え、今の政治と社会を根底から覆し、新しい秩序を創りださなければならない。何しろ我々の人権や生活など顧みないからな、国家と資本家は。