2018年09月22日

三里塚フィールドワーク(2018年6月)

 今年6月のことだが有志の皆さんが開催した三里塚フィールドワークに参加し、市東孝雄さんの農地など各所を見学した。遅くなったが写真を貼っておく。このグーグルマップに刺したピンの場所を見学した。(ただし、成田空港 空と大地の歴史館 だけは訪れていない。そのうちヒヤカシで行ってみようかな。行ってもしょうがないかな)


・・・成田市天神峰で農業を営む市東孝雄さんは、成田国際空港株式会社(NAA)から農地明け渡しを要求されている。市東さんが祖父の代から耕してきた農地は、父の東市さんの復員が遅れたため農地解放の手続きが行えず、借地のままだった。
 1988年にNAA(当時は空港公団)が、不当にも市東さんに知らせずにこの農地を地主から買収していた(当時の空港公団の本社は都内だったため、農地法が禁じる「不在地主」に当たる)。市東さんに知らされたのは2003年。それまで市東さんは元の地主に地代を支払っていた。そして2006年には千葉県が、NAAからの賃借農地解約申請を許可した。いわば地上げの公認だな。農地法を曲解した不当な判断だ。
 NAAが市東さんの農地を奪わんとする「農地法裁判」は、千葉地裁での一審、東京高裁での控訴審とも許しがたいことにNAAが勝訴。2016年10月には最高裁が市東さんの上告を棄却した。
 しかし2017年2月市東さん弁護団は、市東さんの農地への強制執行を停止させた。請求異議審の第一審終局まで有効だという。というわけで市東さんの農地はひとまず守られている・・・。


 フィールドワークの当日、レンタカー数台に分乗して出発。俺は後部座席。まずは現地で長らく闘ってきた畜産農家を訪問。
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 さっそくジェット機がやかましい

 続いて市東さん宅へ。「離れ」にお邪魔させていただいて、各自が自己紹介。
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 この通り、団結街道は閉鎖されている。この先に現地闘争本部があったのだが

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 もちろんヤグラは健在

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 空港反対のパネルも健在。ジェット機の中からでも見えるから、もし成田を利用せざるを得ない場合があれば注目!

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 ヤグラを登ると眺めがいい

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 市東さんの自宅の隣の農地(天神峰農地)

 続いて南台農地へ。団結街道が閉鎖されたため、かなりの迂回を強いられる。NAAはこれらの市東さんの農地のうち7割以上を奪おうとしている。天神峰農地には作業場・倉庫・貯蔵庫もあり、これらを失えば耕作の手段を失う。

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 ちょうどニンジンの収穫。俺も一本やらせてもらったけど引っ張るだけできれいに抜けるんだな

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 しかもお土産をいただいてしまった。ありがとうございます!


 続いて三里塚物産を訪問。代表の平野靖識さんに三里塚闘争の歴史についてお話ししていただいた。
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 ここでもラッキョウやシソジュースをいただいてしまった。ありがとうございます!

・・・そして、車を停めたまま牧草地を歩いて行く。

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 せいぜい数百メートルかな、小泉よねさんや萩原進さんら闘いの中で斃れた方々の共同墓地を訪れ、手を合わせた。
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 続いて東峰神社を訪れた。何度も三里塚デモに参加しているが、東峰神社にお参りするのは初めてだ。必ず職質を受けるというウワサだったがこの日は全行程、職質も検問も全く受けなかった。(遠巻きに監視されているような気配はあったが)
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 この神社の「ご神木」の高さが、第2滑走路の運用に支障があり、2001年にはこの神社の土地を買収していた空港公団が勝手に伐採する、という事件があったらしい。
※ 参考:週刊『三里塚』 第 586号
 この暴挙に対し東峰部落住民全戸が空港公団を提訴したが、2003年に和解が成立。神社がこの部落の「総有」であったことを空港公団が認め、登記簿を部落の名簿にすることを受け入れた。(伐採前日に登記簿を公団名義に書き換えていたという)

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 フェンスの穴から向こうの空港敷地を見ると、地面の高さが神社側より高い(鉄壁の上に草が見えるだろ)。「ご神木」は伐採したが、それでも(鳥居や神社の建物が?)法的に定められた飛行機の離着陸に関する地上障害物の問題をクリアしないので、盛り土されたらしい。



 続いて反対同盟の萩原富夫さんの農地を見学。さらに横堀大鉄塔を訪れた。空港敷地のど真ん中にあるため、かなり長い地下道を通った。あんな凄いの造るの相当な費用だっただろうよ。

 どなただが存じませんがこれ撮影した人えらい!

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 ちなみにこの写真を撮った辺りに車を停めたんだが、フェンスの向こう(空港の敷地)でこちらのナンバー(?)をメモしている奴がいた。権力かと思ったらガードマンだったよ。

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 こちらは「案山子亭」というらしい。横堀団結小屋が撤去された後、この「案山子亭」を拠点として長年闘っている方は不在でした。

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 闘う農民像

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 1978年の管制塔占拠闘争のメンバーだった原勲さんの慰霊碑




 さて鉄塔に登るぞ!
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 ここまだ頂上じゃないよ

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 何しろ古いからあちこち錆びてて、ちょっとミシミシ鳴って怖かったけど頂上に到着。たしかにこりゃ空港のど真ん中だな。成田空港の中心で成田廃港を叫ぶ!

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 このネットはなんだろう?

※ 参考:
◇ 横堀 関実・三里塚
◇ 三里塚に眠る原勲さんの墓参り - 風そよぐ部屋
◇ 三里塚現地調査ツアー(2018年)、原勲さん墓参り - 風そよぐ部屋
◇ 11.28横堀団結小屋破壊を糾弾する! 緊急行動報告 三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(2)


・・・続いて春日神社と石井式濾水機の実験跡地を訪れた。戦時中、残虐非道な人体実験を行った旧日本軍七三一部隊を率いた石井四郎は、千葉県芝山町の出身だった。石井家は地元の有力な資産家であり、村人は石井を「石井閣下」と呼んでいた。こういう地域の事情から戦時中は七三一部隊に加わった人々も多かった。意外なことだが戦後の三里塚闘争に、そのような過去のある人々も参加していたという。
 あるとき石井が自分の業績を誇示するため近くの小川で多くの村人を集めて濾水機の実験を行った。また春日神社にある「忠魂碑」には石井四郎の名と共に多くの人々の名前が彫られている。この人々と三里塚闘争の関りについては現在も調査中だという。
 この件については、また後日投稿する予定。


 最後に木の根ペンションを訪れた。

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 残念ながらご不在でした

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 プールもあるぞ?

※ 参考:木の根プール開き - 風そよぐ部屋

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 空港のど真ん中だよ。あれはプロペラ機?

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 金網の向こうに横堀大鉄塔が見える



・・・というわけで、有意義なフィールドワークだった。話に聞くだけだった場所を初めて訪れることが出来て非常に感謝している。そのうち自分で運転してこの日のコースを廻ってみたいねえ。ちなみにこの日の戦利品(笑)は数日後に胃袋に納めましたよ。



 ところで、市東さんの農地強奪にストップをかけている請求異議審の最終弁論が、9月27日に千葉地裁で行われる。俺は残念ながら仕事のため傍聴に行けないが。
posted by 鷹嘴 at 23:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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