2019年3月11日、「3・11福島行動」に参加した。2014年以降、皆勤賞だな。
2012年の3月11日は開成山公園野球場で集会が行われ、党派を問わず約1万6000人が結集した。あの時の発言者の「『頑張ろう日本』ではなく、『変えよう日本!』」という言葉が今でも心に響いている。
2013年は大きな現地行動はなかったようだ。2014年から「反原発福島行動」が始まり、以来毎年参加している。
2014年のときは3月9日に日比谷公園の「Peace on Earth」を観て、モッシュピットで膝を変なひねり方をして痛めたな。あれ、膝をひねったのはBRAHMANのときだったっけ?忘れちゃった。
翌日は外科に行き、「今夜はシャワーはいいけど風呂は入るな」って言われたのに磐梯熱海温泉に一泊、風呂に入っちゃったよ。そういえば痛めたのは右膝か左膝か憶えてないなあ。
そりゃそうと大震災から8年、未だに膝は痛いし(笑)、原発は止められないし、日本は変わっていない。変わっていないどころか、八ッ場ダム建設、東京オリンピック強行、築地市場の豊洲移転、改元バカ騒ぎ、どんなに不祥事が明らかになっても恥じない極右極悪政権、蔓延るヘイトクライム・・・と、どんどん悪い方向に向かっている。まるで国ごと自殺するような勢いではないか?
ところで2012年のときから感じていることだが、他県から集合しておいて、もしたまたま地震が起きて交通網が麻痺して帰れなくなったら泣くに泣けないよな。それはともかく3月11日に被災地に集まってデモを行うのはどうかなと。そもそもさ反原発デモは都内の東電本店前や霞ヶ関や国会前や官邸前でやるもんじゃないかと思って。だって東京の人間が福島など地方に原発を押し付けたんじゃねえか。それこそお台場あたりに原発造りゃ、送電ロスが小さくて好都合だろ。だけど原発を企んだ奴らは原発の恐ろしさを知ってるんだ。だから地方を金で釣って犠牲にしたんだ。帝国主義っていうもんだろ。
だから日本帝国主義の中枢部に突き刺さるような労働者人民の決起こそ歴史を変えるものではないかと思うのだが・・・まあ今年も郡山を訪れたので写真など載せておく。
■ 今年も当日は夜勤明け、すんなり帰れず、大宮まで京浜東北線で行くつもりだったが仕方なく上野から新幹線に乗った。(ちなみに約1名付き合わせる予定だったが「集会は屋外だからすっげえ寒い、デモのときウヨの嫌がらせハンパない」と警告したらビビって来なかった。デモ終了後に集合することになった)郡山駅を降り、立ち食いソバで腹ごしらえ。そしてバスに乗ったが(経路の一覧表が難しいが市役所方面に乗ればいい)、おやおやもうウヨがスタンバイしてるよ。13時の集会開始時刻には間に合わなかった。
今回は野外ステージ。以前は椅子に座るのも辛いほど寒かった記憶がある。デモのとき白い物が舞い始めることもあったが・・・この日は小雨だったが大して寒くはない。拍子抜けするほど寒くない。いよいよヤバいぞ地球。マジで。
「希望の牧場」代表の吉沢正巳さん!このあと福島県庁に向かったという。ところで会場の外の駐車場で吉沢さんの車が警察に取り囲まれているように見えたが・・・あとで知ったが右翼と警察に取り囲まれて身動きが取れなかったらしい。しばらくして出発できたようだが。
右翼と警察に囲まれて動けない、、(>_<) pic.twitter.com/c4Q79mROmO
— 希望の牧場・ふくしま (@kibounobokujyou) 2019年3月11日
福島県庁前にカウゴジラ登場❗
— 山本宗補 (@asama888) 2019年3月11日
吉沢正巳さんの外宣、雨のなか始まりました。 pic.twitter.com/l9PSTK4S8Z
15時過ぎにデモ出発。今回も元気に反原発を訴えたぞ。・・・ところが一部のコールの内容に疑問が残った。「こんな所に住みたくないぞ!」とは、避難指示区域が徐々に縮小され、自主避難者への支援が打ち切られ、公務員宿舎から退去を求められ・・・すなわち帰還せよという圧力が高まっていることを弾劾するもの、だということは分かる。沿道の郡山市民の皆さんも先刻ご承知だろう。しかしこのコールは福島県民にとっては感情を害するものではないだろうか。郡山市も未だに空間線量が高い。福島県民が主体のデモならともかく。
コールの間のスピーチの中で「私たちは東京から来ました〜」と宣言していたが、これもやめて欲しかったな。そりゃ首都圏を中心に集まってきたデモ隊であることは一目瞭然だが。
東京の人間が原発を造り、そして東京の人間がデモにやってくるというのは笑えない図だ。福島県民は、デモなんかいいから東京の人間が原発と放射能汚染を引き取ってくれ・・・と思うだろう。だから今後の福島県での反原発行動は福島県民が主体となり、福島県民の視点に基づいたものでなければならないと思う。
それはそうと今回の郡山デモはやたら権力が多かった。デモの隊列の脇を固める奴らが「もうすぐ圧縮!」などと伝言ゲームをしている。
郡山駅に近づくと、毎度のことだが今回も片側2車線のなぜか左側車線が閉鎖され、右側車線を通ることになったが。権力が「もうじき抗議ブース!」とか叫んでいるが??
何のことかと思ったら例年のように歩道でウヨが大音響で騒ぐ地帯だった。もちろん歩道で意味不明な奇声を発するのは自由だけどよ、なにが「抗議ブース」だよ。ただの嫌がらせだろ。
ともあれ無事デモ貫徹、郡山駅が迫ってくると高揚感があるなあ。
今回のまとめ集会は短かったな。さて俺は磐越西線に乗らなきゃ。トイレに行ったり挨拶してるうちに一本逃しちゃった。まあ次のに乗れば余裕だけど。と思ったら強風のためダイヤが乱れて30分くらい待たされた。
というわけで予定よりかなり遅れて磐梯熱海温泉のホテルに到着。先行者はとっくに風呂入ってビュッフェレストランで飲んでる。ちなみに近くの席の皆さんのポーチには小さい「反原発」のカード(?)が。大きなデモのときなど配布される例のやつだ。この日の参加者かも。まとめ集会が終わったらさっさと磐越西線に乗ったんだろうね。
それにしてもでけえホテルだし、月曜なのにそこそこ混んでるな。この日に首都圏から来る人間もただ騒いで帰るだけじゃてお金を落していくことを示したくてね。泊まって応援!もとい、応援じゃなくて連帯!
■ さて翌日、どこに行くか全然考えていない。同行者と協議した末、喜多方に行ってみることにした。そういえば20年くらい前に行ったことがあるな。車1台に男4人、喜多方ラーメンを一人3杯くらい食ったな。若かったね。今だったらラーメン食えば胃がもたれてダメージ引きずるけど。運転手が造り酒屋で試飲始めて止まらないし。大らかな時代だったねw
さて今回は鉄道の旅だから堂々と造り酒屋で地酒を試飲したよ。もちろん買ったよ。
昼飯は、同行者は喜多方ラーメン、俺は天ざるそばと味噌田楽、それとビールと地酒!美味かったぜ。
■ さて喜多方からどっちに行こうかな。思い付きで磐越西線を新潟方面に行ってみることにした。全く未知の領域だ。電車じゃなくてディーゼルだよ。
山の中を走っていく。こんな鉄路もあるんだな。雪解け水のせいか増水してるな?なんか只見線を思い出した。これは俺にとって貴重な体験だった。
津川駅のオコジロウ氏。もうここは新潟県
新津駅で信越本線に乗り換えたが、なんと、115系新潟色だった!以前は上越線の水上から先はこれだったのに、新しいのに変えやがって悲しかったが、再会できるとは夢にも思わなかった!乗ってるだけで楽しい!
「二次新潟色」と言うらしい
長岡で新幹線に乗り換え。残念ながら時間的に在来線だと埼玉まで帰れないからね。そういえば新潟県は柏崎刈羽原発があるよな。知事がコロコロ変わって不安だけど、全国の市民の連帯で廃炉に追い込みたいものだ。泊まって食べて飲んで連帯!乗って撮って連帯!