◆久間防衛相が辞任 「しょうがない」発言で引責
◆後任防衛相は小池百合子氏 参院選前、首相に痛手
◆久間防衛相辞任「参院選への影響も懸念して決めた」
参院選が間近じゃなかったら留まったかもねw
◆久間防衛相が最後の訓示 失言に触れず、陳謝なく
◆参院選与党陣営に危機感 「辞任遅い」「けじめついた」
◆野党、首相批判に軸 任命責任など追及
(保存)
ところで、元長崎市長の本島等氏の見解をコメント欄で教わった。
久間防衛相:発言に被爆地から怒りの声 一方で複雑さも
原爆投下を「しょうがないなと思っている」と語った久間章生防衛相の発言に、長崎、広島の被爆地から30日、怒りの声が上がった。一方で、元長崎市長の本島等さん(85)は「日本の戦争責任をもう一度考えるきっかけを与えてくれた」と一定の理解を示し、原爆投下の総括ができていない被爆地の複雑さものぞかせた。
爆心地から1.4キロの地点で被爆した「長崎の証言の会」の内田伯代表委員(77)は「広島、長崎で高熱地獄の中で死んでいった25万人の死をやむを得なかったと言えるのか。人間の尊厳を真正面から壊すような発言だ」と反発。「被爆者や遺族は米国へのおん念
を持って生きてきた。その米国をなぜ擁護しなければいけないのか」と怒りをあらわにした。
被爆者の元長崎大学長、土山秀夫さん(82)は「まさか、長崎選出の国会議員の発言なのかと耳を疑った。2発目の原爆投下だった長崎は、さらに不必要な投下であったはず。歴史への勉強不足であり、無知そのもの」と憤り、「発言における責任を取るべきだ」と久間氏に辞任を求めた。
一方で、79〜95年に長崎市長を務めた本島さんは「今の時期になぜ、こういう発言をしたのか分からない」と疑問を呈したうえで、「被爆地では今も被害だけを強調する傾向がある。原因があるから結果がある。日本が戦争を始めなければ原爆投下はなかった」と話す。本島さんは日本の加害を問い続け、市長落選後は「原爆投下は仕方なかった」と繰り返してきた。
原爆投下を巡っては、昭和天皇が75年10月の記者会見で広島への投下について「遺憾に思っている。戦争中のことなので、広島市民には気の毒なことであるが、やむを得なかった」と発言。本島さんは「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」とも指摘した。【横田信行、柳瀬成一郎】
毎日新聞 2007年6月30日 23時17分(保存)
しかし、アジア各地や南方での日本軍の行為による死者も、広島・長崎への原爆や日本全土への空襲による日本人の死者も、同じ戦争被害者であることに変わりはない。
「侵略していたから原爆を落されたのは仕方がない」という認識(そんな単純なものではあるまいが・・・)には全く同意できない。
極端な話だが、
「北朝鮮は日本人を拉致した。仮にアメリカが平壌を攻撃して民間人に死者が出ても仕方ない」
というのと同じではないか?
「アメリカは世界中で民間人を殺してきたから、911テロは自業自得」
「イスラエルがテロに遭うのも自業自得」
というのと同じではないか?
侵略も悪いが、非戦闘員への殺戮も悪い。この二つを切り離してほしい。
政府が起こした戦争の報いを、なぜ国民が受けなくてはならないのだろうか。侵略を受けた国の国民も、侵略を始めた国の国民も、共に戦争被害者である(もちろん戦争遂行に協力したという責任はあるが)。「戦争の報いだから仕方ない」というような認識は結局支配者を利するのではないだろうか?
*そもそも久間は本島氏とは異なり、「ソ連の本土侵攻を避けることが出来たから、原爆投下はしょうがない」という認識なのである。裕仁の腹の内も同じだったと思うぜ。
「原爆は悲惨であるが、アメリカが加害者で日本が被害者であるという訳ではない」
「そもそも日本が先に侵略戦争仕掛けた加害者であり、連合国と特にアジアの人々が被害者である」
「日本が、自らの加害の事実を直視せず、被害者ヅラして原爆の悲惨さを訴えるだけでは、世界に対して何ら説得力を持たない」
「世界から見れば、侵略戦争を始めた日本が原爆を落とされても、それは当然の報いである」
「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ、原爆の悲惨さを繰り返すまいというメッセージを世界に共有してもらうためには、日本が自らの加害の事実を直視し謝罪をし贖罪をしなければならない。」
ところが久間のオッサンの認識は違う。オッサンの主張は要するに
「日本が自らの加害の事実を直視し謝罪をし贖罪をする必要など、ない」
「日本の行為は聖戦であり、ゆえにしょうがない」
「原爆の悲惨さを繰り返すまいというメッセージを世界に共有してもらう必要など、ない」
「原爆は、日本の侵略に対する報いではなく、ソ連に日本を占領させないために必要だった」
「原爆のおかげで千島を占領されるだけで済んだ、ゆえに原爆もしょうがない」、
ということである。
昭和天皇や米内光政の認識も然り。
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキの願いに対して、誠実に応えようとしている者と、タテマエを取り繕いながらホンネでは無視しようとしている者の、違いは明らかである。
まあ、とはいえ、今の本島氏は昭和天皇や久間のオッサンに対していささか遠慮しているというか変に庇っているようにも見受けられるけど・・・(連中のホンネは事実原爆肯定、容認であるし)。
>なくてはならないのだろうか。
>侵略を始めた国の国民も、共に戦争被害者である
>(もちろん戦争遂行に協力したという責任はあるが)
侵略を始めた国の国民も加害者であると思います。
国民が選挙でナチスを勝たせた挙句にヒトラーに権力を与えたドイツと、
国民の選挙とは全然関係なしに昭和天皇や近衛文麿や東條英機が権力を握っていた日本では、
国民の責任の重さは違いますが、それでも、
日本の国民(一般大衆)の被害はやはり因果応報というか自業自得である、と思います。
指導層の責任が最も重大であるけれど、一般大衆にも責任はある。
一般大衆が戦争に協力したのなら、一般大衆にも責任はある。
戦争の惨禍は、いわばその報いである。
指導層の理不尽に迎合して「愛国戦士」とやらになるか、
指導層の理不尽を拒絶して「非国民」とやらになるか、
一般大衆は一応選択できたはずです。
後者を選ぶには本当の知恵と勇気が必要ですが、そういう知恵と勇気を持って戦争反対を貫くことができた人だけが広い意味でも「罪の無い者」なのだと思います。
おかげで、ソ連の本土侵攻を防ぐことができた」などと言いたい
わけですね。
といいますか、自国の意志でサッサと敗北を認めていれば、原爆も
東京大空襲も沖縄戦もなかったと思うのですが。。。
最近の慰安婦決議もそうですが、自国の意志ではハラキリも自決も
できず、外圧によってしか物事を決められない国なんですね。
ついでに。
「ナナナナナント!久間防衛相の後任に小池百合子が就任」
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-527.html
現在latter_autumnを名乗るパラノイアが私のブログで面白いことになりかけております。興味のある方はどうかいらっしゃって下さい。たかし
http://takashichan.seesaa.net/article/139143645.html#comment
とは、具体的に何をどうすることなんでしょう?
1:核保有国に対して、世界中のどこに対しても、核爆弾を投下させないようにすることなのでしょうか?
2:「日本に対して攻撃することは金輪際やめていただきたい」という主張なのか?
いづれでしょうか?
または、その両方?
1なら、世界各国から核兵器を廃絶するよう誘導することでしょう。
そのためには、日本が世界に対して最もイニシアティブを持てる「経済力」をフルに用いて
核兵器を所持しているすべての国々に対し、経済援助や貿易停止、ないしは金融制裁等をちらつかせて核放棄を要求すればよろしい。
2なら、国際政治の原則(バランスオブパワー)に従って、日本も核保有国となるべき。
で、現在の日本はどちらの道にも進んでいないように見えるのだが…他にも別の名案があって、それが密やかに進んでるんですかねぇ?