星野さんは1971年の渋谷闘争にて一名の警察官が死亡した事件の実行者だとして無期懲役刑で服役中だったが、これは全くの冤罪であり、このブログでも何度も指摘している。詳しくは星野文昭さんを取り戻そう全国再審連絡会議を参照願う。
昨日の21:44に星野文昭同志が逝去されました。星野同志は沖縄闘争に連帯して渋谷暴動闘争に参加し、そこで機動隊員が1人死亡したことの「実行犯」として冤罪を被り、デタラメな「証言」や「証拠」を元に無期懲役となり、獄中に44年いたことになります。まずは哀悼の意を表したいと思います。
— 青羽玲音 (@aoba_lain) 2019年5月30日
星野さんの判決が確定し徳島刑務所に収監されたのは1987年。無期懲役刑受刑者の仮釈放審理は刑務所長の申し出が必要だが、それがなくとも刑の開始から30年を経過すれば義務的に仮釈放の審理を開始する、という法務省通達がある。
昨年四国地方更生保護委員会にて審理が開始されたが、許し難いことに今年3月25日に不許可が決定し4月1日獄中の星野さんへ口頭で伝えられた。妻の暁子さんがこれを知ったのは翌日の面会の際だった。(次の義務的審理は刑の開始から40年後)
ところが星野さんは昨年から体調不良を訴えていた。8月には激しい腹痛で倒れ、それ以降は倦怠感と食欲不振が続き、今年3月には以前より6キロも体重が減っていた。しかし徳島刑務所はまともな診察も医療も受けさせなかった。3月4日にエコー検査が行われた後も星野さんには検査結果が通知されなかった。
◇ 星野文昭さんの命を救え 刑務所が癌の事実を隠す - 『前進』
しかし4月18日に突然、東京都昭島市の「東日本成人矯正医療センター」に移監された。朝に徳島刑務所を護送車で出発し到着は夕方になった。
2019年4月28日「としま産業振興プラザ」にて「星野文昭さん解放討論集会」が行われたが、星野さんと獄中結婚した暁子さんによると、星野さんは手錠を付けられたままだったが護送車の窓から眺める30年ぶりの刑務所の外の景色を楽しんだという。
センターではCTとMRIの検査を受け、ステージ2から3の肝細胞ガンと診断された。14×11cmという大きなガンだった。部屋は六畳ほどの個室で、空調もあり、食事も悪くはなく、麦飯だが徳島刑務所の麦飯より噛みやすく、おかずはトンカツ・唐揚げ・ブリなどが出たという。
なお星野さんは昨年、受刑者の優遇区分を第2類から第3類に降格された。祝日用のお菓子を夕食時間の後に食べた、という下らない理由だ(これによって面会許可が月5回から3回に減らされた)。仮釈放許可は受刑者が2類であることが前提とされる。
「星野文昭さん解放討論集会」にて弁護団の藤田城治弁護士が推測するところによると・・・この降格処分は仮釈放を不許可にするための妨害ではないか?仮釈放の審理が終わっても未だに2類に戻さないのは、すぐに復帰させればあまりにも露骨に見えるからではないか?・・・という。
そして5月28日、5時間の手術が行われ病巣が全て摘出された。成功と思われたが、29日の朝8時に暁子さんへ「周術期出血に伴う急性肝不全で重症」という連絡が入った。このとき星野文昭さんと暁子さんは初めてアクリル板越しではない面会を実現した。暁子さんが手を握ると強い力で握り返した。しかし処置の甲斐なく30日21時44分、星野さんは帰らぬ人となった。
それにしてもガンが14×11cmという大きさになるまで放置されていたとは言葉を失う(死亡診断書には「巨大なガン」と記されたという)。それほど重症になる前に検査で発見されるではないか?健康診断で何らかの異常が発見されるではないか?通常なら。一般的に受刑者への医療は疎かにされていると聞くが・・・それにしても、保釈は認めないのにまともな医療を受けさせない。これではまるで星野さんの死を待っていたようなものではないか?
ガンを知りながら仮釈放を不許可にしただけでなく、本人や支援者・弁護団に隠していたのだ。こういう医療ネグレクトは星野同志に限ったことでなく一般的な問題。今までどれだけの「受刑者」が医療を受けられずに死んでいったのか。
— 青羽玲音 (@aoba_lain) 2019年5月30日
■ 以前に行われた星野さんを支援する集会での弁護団の説明によると、保釈には「改悛の情」や「社会的な評価」が考慮されるという。(不思議なことに「社会的な評価」は、検察官が意見を述べるという。果たして星野さんにあらぬ罪を着せた組織の人間が、保釈に前向きな発言をするだろうか?)
それに「改悛」もなにも星野さんは全くの冤罪であるのに何をどう「改悛」しろというのか。(もっとも過去には再審請求をしていても保釈の妨げになるわけではない、という国会答弁があったとのこと)
星野さんのいとこの星野誉夫さんは、星野さんを支援する大きな集会では必ず発言するが、以前から、星野さん救援活動以外には参加しない・・・という意味のことを述べている方である。もちろんその立場は尊重するが。
誉夫さんは以前から、再審請求だけでなく「保釈を求めよう」と訴えていた。「星野文昭さん解放討論集会」での誉夫さんの発言だが、誉夫さんは文昭さんに(文昭さんが機動隊襲撃に関与していない事実を踏まえた上で)「デモの指揮者としての責任を受け止め、謝罪を表明するべきだ」と提案したことがあるという(これには大きな事実誤認がある。星野さんは、渋谷闘争に結集した大勢の学生・労働者のうち、ごく一部の学生のリーダーだったに過ぎない。中村巡査襲撃の実行者は誰だったのかどんな集団だったのか全く不明である)。もっとも文昭さんは「11.14渋谷闘争は正しかった!」という立場を決して崩さなかった。
なお7月26日の星野さん追悼集会での誉夫さんの発言によると、誉夫さんが文昭さんに同様のことを求め続けた結果、今年3月には文昭さんは「(警察官を)武装解除したら攻撃するなと指示しておくべきだった」という見解を示したという。
さらに同集会で誉夫さんは「デモ隊の誰かが警察官を殺したのは事実。文昭と思想が違う人にも共感を得なければ(保釈)は難しかった」と述べた。
・・・星野さんがそのような態度を示すのも、保釈へ一歩でも近づける手段だったかもしれない。法の手続きに基づいて星野さんを取り戻すのだから、殺人という罪が行われた事実を真摯に受け止め、それなりの態度を示すべきだったのだろうか??
また布川事件の冤罪被害者の一人であり、星野さん解放を訴える新聞広告にも名を連ねた桜井昌司さんが、星野さん死去の翌日、ご自身のブログに次のような記事を載せている。
◇ 酷い国家だ - 桜井昌司『獄外記』
勝手に要約させていただくが・・・自分は星野さんの思想には共鳴していない。人の命は全て等しく尊い。「国家は、誰の命であろうとも大切にすべき」。星野さん獄死に怒りを感じないというのは、渋谷闘争の際の警察官殺害を黙認するのと同じだ・・・ということだ。
■ もちろん俺も、一人の機動隊を死に至らしめるほどの執拗な攻撃には共感しない。この渋谷闘争ではデモ隊の火炎瓶と機動隊のガス銃の応酬になっていて、事件現場でも機動隊がガス銃をデモ隊に向かって発射していたという(デモ参加者が頭部にガス弾の直撃を受けて死亡したこともがある。参考)。 殺害された中村恒雄巡査もガス銃を撃っていた一人だが、どんな使い方をしていたのか知りたいところだ。それはともかくとどめを差す必要はないだろ?ガス銃を取り上げたら放り出すべきではなかったか。
以下のような言い方は叱られるだろうが、機動隊を殲滅するのがデモの目的ではないだろ?機動隊一人だけを相手にする労力は省くべきだろ?それにこの事件によって多くの労働者や学生が逮捕され厳しい取調べを受け、星野さんや大坂正明さんら無実の学生が指名手配されたではないか(国家権力が最初に疑ったのは労働者部隊だった。しかし逮捕された労働者らが完黙を貫いたため一切の手がかりを得られず、学生をターゲットにして虚偽の供述を強制したのである)。
中村巡査はガス銃を打ち続けるように命令されていたのか、それとも自らの使命感によるものか分からないが、多勢に無勢であるから一目散に逃げるべきではなかったか。デモ隊も逃げる敵まで追わないだろう。言わば彼自身も日帝による哀れな犠牲者だ。しかし、実際に中村巡査を殲滅したデモ参加者は自首するべきだった・・・とは全然思わない。それは個人の判断だ。我々星野さん支援者は中村巡査へ謝罪だの哀悼だのしなければならない義理も義務もない。
事件と無関係な星野さんと大坂正明さんを今すぐ解放せよ!国家権力は法に基づいて(悪用だが)二人を獄に押し込めたのだから、我々も法に基づいて二人を取り返す。言うのはそれだけだ。
・・・と、今まで言いたくて我慢していたことを書いてみた。こうはっきり言ってしまえば、星野誉夫さんが言うように「思想の違う人」の共感を得るのは簡単ではないだろう。桜井さんのような多くの刑事事件の冤罪被害者とその支援者に連帯を求めるのも難しいだろうが、躊躇してはならない。
差し当たっては星野さん第三次再審請求、星野さん獄死の国賠訴訟、大坂さん裁判が迫っている。長く厳しい闘いだ。なにしろ第二次再審請求で最高裁は、星野さんが着ていた服の色が学生からの供述調書とは違っていたことは認めたものの、却下したからな(過去ログ参照)。
そもそも検察が拷問的な取り調べで虚偽の供述を強制しなければ、裁判所がこのような供述を証拠として採用しなければ、星野さんが有罪になるわけがなかった。
こういう警察・検察・裁判所の体質は今も全く変わっていない。メディアで警察による不当な捜査や冤罪逮捕が報じられても、同様の事件は後を絶たない。それに大崎事件の再審開始決定の取り消しは全く信じられない。
法廷で闘い続けるのはもちろんのことだが、このような捜査機関とそれに追従する裁判所の体質を放っておけない。次に犠牲になるのは我々自身かもしれないからな。
■ かつて日本帝国主義はアジア諸国を侵略し無数の人民を虐殺し、戦後はアメリカ帝国主義の傀儡となっている。渋谷闘争を弾圧した機動隊はこれら帝国主義の憎むべき末端の暴力組織だ。
渋谷闘争は返還後の沖縄への米軍基地駐留に反対する闘いだった。日本国内の米軍基地は朝鮮戦争やベトナム戦争など多くのアメリカの侵略戦争の拠点となり、世界中の無数の人民が虐殺されている。米軍基地が1日でも1秒でも存続する限り、また世界のどこかで血が流される。基地が存在する限り反基地運動を終わらせてはならない。
それに我々が闘っているのは基地問題だけではない。我々を搾取し戦争に動員し命を奪おうとする、世界中の支配機構を打倒するための闘いだ。我々は戦争や原発事故や公害でいつ命を奪われるか分からない。搾取され続けた末に棄てられるかもしれない。戦前の治安維持法の犠牲となった多くの活動家や文化人のように権力に虐殺されるかもしれない。星野さんのように医療ネグレクトの末に獄死するかもしれない。黙っていても奴らは我々を殺しにくる。待ったなしの闘いだ。
統治機構や資本家にとっては、少しでも不服従の立場を示す者は充分に犯罪者だ。テロリストだ。香港のデモへの弾圧や関西生コン支部への弾圧を見れば分かるだろう。白い物でも国家権力が黒と言えば黒だ。極め付きは共謀罪、話し合って下見すればアウトだ。我々はいつでもどこでも監獄送りになる危険がある。
星野さんも大坂正明さんも冤罪被害者であるとともに政治犯だ。二人が機動隊殺害に無関係なことは権力側のほうがよく知っているだろう。いわば生贄だ。日帝にとって渋谷闘争に決起したこと自体が罪なのである。
以前ある知り合い(星野さん救援活動にも理解を示していたが)が「星野さん保釈はまずあり得ないだろう。奴らのメンツにかかわるから」と漏らしていたが、今となってはこの言葉が重い。その不当な支配を正当化し続けるために過ちを決して認めないのだ。こうして日帝は(いや世界中の統治機構は)あらゆる手を尽くして政治犯を弾圧する。
だからこんな狂ったことがまかり通るこの社会全てを根底から覆し、我々が主役となる社会を創るため、新しい秩序を創るため闘わなくてはならない。革命とも言うかな。何度も言うが労働者人民が総決起すればこんな社会はたちまち覆せる。
星野さんは獄中闘争を貫いた。次いで大坂正明さんが獄中で闘っている。「獄外」の我々も団結して闘わなくてはならない。獄の内側と外側で革命の狼煙を上げよう。星野さんの遺志を継いで闘おう。星野さんは常に我々と共にある。
なお「思想が違うので共感できない」などと連帯を拒否される場合もあるだろうが・・・労働者人民が中心の社会を創るというのは「思想」ではないだろ。人類が望む当然の社会だろ。「国家」という観念に縛られているほうがよっぽど思想的、いわばカルトだ。
「思想」として見られている場合は、自分の説得力が足りないのか、党派的なしがらみが嫌われているのか考え抜き、決して簡単なことではないが理解を求めるため努力するべきだ。
「文昭は私の心の中、皆さんの中にも生き続けます。人間解放と星野闘争は私が継承します。私たちには星野文昭がついています。頑張りましょう」
(2019年7月26日「星野文昭さん追悼 獄死・国家犯罪を許すな 7.26全国集会」での星野暁子さんの発言。「星野新聞」82号より抜粋)