2019年10月22日

上海珍道中(2) 南京日帰り旅行

 2019年9月3日、上海から高速鉄道で南京に向かった。お目当ては南京大虐殺紀念館。正確には「侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆」。南京に行くなら紀念館見学だけでは済まないはずだが(特に俺みたいな古くからのネトサヨなら)・・・何しろ日帰りだから妥協せざるを得ない。もっとも全然調べてなかったからフィールドワークとか無理だったけどさ。

※ ところでこのエントリーは本多勝一先生の著作にちなんで「南京への道」というタイトルにしようと思っていましたが、紀念館と観光地を訪れた程度のショボい内容なので自粛しました(笑)



 朝早く起きて上海地铁2号线の静安寺站から、終点の一つ前の「虹桥火车站」站に向かった。「火车」というのは汽車や列車のことを意味するようだ。ここから高速鉄道に乗って南京南站へ。上海火车站から南京站というルートもあるようだが、何がどう違うのか分からず・・。ちなみに地铁2号线の一つ手前の駅は虹桥2号航站楼站、俺たちが泊まったホテルからはこの空港のほうが近いな。
 だいたい中華人民共和国への旅行もこれで2回目だし、現地の高速鉄道に乗るのも初めてだし、こちらのサイトを参考にさせていただいた。
◇ 上海から南京まで新幹線で移動【切符の手配や、乗り方など】 みんなのそら

 虹桥火车站の窓口でパスポートを出して、「南京南」と書いたメモ帳を示した。係員が俺たちのパスポートを見ながら名前とパスポート番号を打ち込んでるよ。大変だねえ。
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 (名前とパスポート番号とバーコードの部分は塗りつぶし済)
 二等席だが頼んでもいないのに指定席(全て指定席みたい)。14Bとは何だろう?ホームの番号か!とてつもなく広い駅舎だ。まるで幕張メッセか東京ビッグサイト、いやもっと広いような気がする。ホームに降りるエスカレーターがずらりと並んでる。なぜかホームに入れるのは発車約15分前、5分前になると締め切るようだ。

 というわけで乗車できた。やっぱ速いな。300km/h近く出てたみたい。車窓の雄大な景色を堪能しつつ寝てようかなと思ったら・・・隣の席のお兄さんがスマホで大きな音で動画サイトだかテレビだか見てるし、それに飽きたら今度は大声で通話してるし。誰も注意しねえし。こういう習慣なんだろうね。9時過ぎに南京南站に到着。この駅もやたらとでかいな。
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 ちなみにホームの端に行き過ぎると警告アナウンスが流れるよ。恐らく中国にも鉄道マニアが多いんだろうね?


 さて南京地铁を乗り継いで2号线云锦路站(「云」は「雲」の簡体字)で降りればいい・・・はずだったが、間違って4号线の云南路站に向かってんじゃねえの、Uターンしなきゃ。一文字違い、紛らわしい(笑)
 そういうわけで30分くらいロスしたけど云锦路站に到着。紀念館は目の前、入口もすぐそばなのに・・・柵が立ってて、大規模イベントに入場するときのように迂回を強いられた。
 月曜定休、入場無料、入口で荷物検査あり。いくら何でもこの紀念館で良からぬこと企む奴はいねえだろ?不安なのか?ところが荷物検査が済んでも館内入口はまだ遠い。マジですっげえ歩いた。平日なのに人が多いな。

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 数々のオブジェ

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 犠牲者30万人、という数字には、あまり意味は無いと思えばよろしい。犠牲者数はともかく日本帝国主義が中国人民を虐殺したこと自体は事実だから

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 この塔の高さは12メートル13センチとのこと。(日本軍の南京占領は1937年12月13日)

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 やっと「南京大屠杀史実展」(南京大虐殺の史実展)に入館できた。それにしても平日なのにひどい混雑だな。聞いた話だが連日のように観光バスが押し寄せるほど、呼び込んでいるらしい。

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 事件の生存者のうち今でもご存命の方々。よく見たら夏淑琴さんじゃないですか!

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 いわゆる「幕府山」の虐殺事件についてだな。1万人以上の捕虜を機関銃で取り囲んで虐殺したんだよ。戦闘中じゃないよ。投降した捕虜を、だよ!日本軍の残虐さがよく分かるだろ。

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 つまり日本軍は安全区の避難民の中に敗残兵が紛れ込んでいると疑ったわけだよ。敗残兵ならゲリラ戦を行うだろう、とね。避難民の中から敗残兵らしき男性を連行して虐殺したわけだ。
 本当に敗残兵がいたとしても、いわゆる陸戦条約の定義に当てはまらない戦闘員(便衣兵。つまり私服のゲリラ)かどうかなんて分からないだろ。問答無用に殺すなんて単なる虐殺だろ。
 それにさ本当に敗残兵かどうかなんて、厳密に調べ上げなきゃ分からないことだろ。些細な身体的特徴から判断するなんて言語道断だ。だけど「便衣兵だったかもしれないから」などと正当化するネトウヨってヤバいよ。自分が冤罪で逮捕されて監獄送りになってもいいのかね?

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 展示内容は、戦時中の日中両国の報道資料、戦後の研究による資料・証言、南京国際安全区を設置した外国人の紹介、被害者の遺骨など様々。百人斬りの将校の刀も展示されていた!と思ったら残念ながら復元品とのこと。

 南京大虐殺とは、1937年12月に当時中華民国の首都だった南京を占領した日本軍が多くの捕虜や市民を虐殺し、また軍規を無視した兵士や将校が市民への略奪・虐殺・強姦を行った事件。
 日本軍は「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶やトンボも鳥のうち」という皮肉が示すとおり、兵站(軍軍需物資の輸送など後方からの支援)がお粗末だった。上海陥落後に現地部隊が独断で南京への侵攻を始め、それを軍中央が追認し(これも日本軍の悪しき伝統)、そのためただでさえ兵站を軽視している日本軍が兵士に食糧を補給できるわけがなく、現地での「徴発」に頼ることになった。現実は住民からの食糧強奪だ。その過程で捕虜や住民への虐殺・強姦などが頻発した。
 こういう状態で南京になだれ込んだ日本軍は、近代の軍隊としての常識などとっくに忘れ去っていただろう。大勢の捕虜を虐殺し、避難民の中に軍服を脱いだ敗残兵が紛れ込んでいると邪推して虐殺し、また兵士や将校による住民への略奪・虐殺・強姦も多発した。これが南京大虐殺事件だ。俺は10年以上前からネットに書き散らしてきたが。俺より大先輩がたくさんいるけど。

 ところで右左問わず多くの人々が、「南京事件はナチスのホロコーストのような性質の事件ではない」と言ってるよな。議論に乗っかったことはないけど。それはともかく南京虐殺を通じて、戦争とは軍隊とは国家とは何なのかが見えてくると思うんだ。
 ナチスが行ったホロコーストは「ジェノサイド」の一例とされている。「ジェノサイド条約」に於ける「ジェノサイド」の定義(参考:集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約)は「国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもって」行われる殺害などの行為を指す。たしかに南京虐殺はそのような意図をもって行われたわけではない。
 ところが上海陥落後に南京へ進撃している過程の日本兵の陣中日記には、よほどゲリラ戦術が恐ろしかったのだろうか、敵兵どころか女性や子どもさえも手あたり次第虐殺した、そのような命令もあったという記述がある(過去ログ参照)。そして日本軍は南京占領後も、安全区の中に敗残兵が紛れていると疑い、ゲリラ兵と化すことを恐れて場当たり的な虐殺を行ったのだ。
 日本帝国主義が中国人民の闘いに恐れおののいたのは南京虐殺よりも後のことだろう。八路軍のゲリラ戦術に手を焼いた日本軍は集落ごと焼き払い虐殺する「三光作戦」を展開した。三光作戦については言うまでもなく無差別虐殺であるから「ジェノサイド」の定義に当てはまるであろう。
 つまりだ、まず侵略軍が正規軍を倒し傀儡政権を立てるまでに捕虜虐殺など数々の残虐行為があり、正規軍を倒した後も軍事力による支配は住民全体を敵に回すことになり、皆殺し作戦=ジェノサイドに手を染めることになる。南京虐殺だけを見れば計画的な住民虐殺は無かったように見えるが、それは電柱を遠くから見て「長方形だ」と言っているようなもので(笑)、日本帝国主義の侵略戦争の全体像を捉えればジェノサイドの一環だ。
 朝日文庫「天皇の軍隊」(本多勝一・長沼節夫/著)より、元陸軍中将(第五九師団長)、中国帰還者連絡会会長の藤田茂氏のコメントを抜粋する。
 「考えちがいをしてはいかんよ。この(三光作戦などの)残虐行為というやつは、侵略軍というものの当然のなりゆきとして出てくるんであって、『作戦』や『戦術』として本質とは別個に現れる問題ではないんだ。だから『三光作戦』と『南京虐殺』とは、決して本質的性格の異なるものではない。一連の、関連したものなんだ。底に流れているひとつの流れが、別の形でああいうふうに出てくるだけのことだよ」
 ところで「ジェノサイド」とは、侵略軍による行為だけを示す言葉ではない。南京大虐殺や天安門事件のような「集団虐殺」だけを示す言葉ではない。条約の定義を読んでみると、5項目のaからeのうち、日本のこれまでの行為・現在進行中の行為の中にはa以外にも当てはまるのがいくつかあるなあ。例えばハンセン病患者への強制避妊手術、水俣病が発生してからもチッソ廃液垂れ流しを止めなかったことなど公害・環境汚染の放置、食品や医薬品の安全性の軽視、放射能汚染地帯への帰還を促すような圧力、原発再稼働推進・・・など挙げればキリがない。言うまでもなくこれは決して日本という国だけのことではない。
 所詮は国家とは資本主義がでっち上げた物、一部の特権階級の利益のためにある機構だから、労働者は使い捨て、貧しい民は見殺しにして当然なのだ。他国の人民であろうと自国の住民であろうと躊躇なく虐殺する。見殺しにする。生存が困難な状況に追い込む。これが国家というものだ。だからこのまやかしを捨て去り、労働者人民のための社会を創るしかない。
 
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 ジョン・ラーベの像

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 ミニー・ヴォートリンの像

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 アメリカ・ミシガン州にあるヴォートリンの墓

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 当時の日本の新聞に掲載された写真。日本兵が南京の子どもと遊んでいるそうだが、日本軍は南京の市民に歓迎されているという姑息な演出だ。このように南京大虐殺の事実は日本国内では隠蔽されたが、その片棒を担いだメディアの責任も忘れられないね。

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 夏淑琴さん名誉毀損訴訟の入廷前行進。ちなみに俺は一審・二審とも全て駆け付けた(傍聴券は何度か外れたが)。もちろん中央の小柄な女性が夏淑琴さんだが、弁護団やジャーナリストならまだしも市民運動家の顔まで写っているのでトリミングした。まさかここであの人たちのお顔を拝見するとは思わなかったな。この裁判支援の市民団体の人たちとは今では全く交流がない。いろいろなことがあったからね。過去ログ読まないでね(笑)
 ところでこの市民団体とは別の知り合いが、南京大虐殺関連のイベントを計画しているそうで、具体的な話になったら告知するつもり。

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 習近平国家主席の写真と談話。政治利用するなと言える立場ではないが・・・。ちなみに上海でも南京でもあちこちでこのオッサンの写真を目にしたよ。「愛国」とかのスローガンと一緒にね。

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 こちらは企画展。何だろこのリーゼントの兄さんは?ロックンローラー?と思ったら、デンマーク人のベルンハルト・アルプ・シンドバーグという人で、南京で多くの避難民を保護したという。
◇ 南京大虐殺で、多くの中国人救ったデンマーク人 没後36年目の顕彰 - BBCニュース


 というわけで館外に出ちゃったよ。お土産コーナーもレストランもなかった。残念だなあ。腹減ってきた。

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 シリーズ彫刻「古城の災難」

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 「ザ・レイプ・オブ・南京」の著者であるアイリス・チャンの像

 続いて「万人坑遗址」に入った。1万人以上の犠牲者の集団墓地とのこと。多くの遺骨が展示されていた。(撮影禁止)

 それにしても敷地が果てしなく広いなあ。どこをどう歩いているのかさっぱり分からん。
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 ところで近くに「抗战胜利纪念馆」があるらしいが見つからねえ。それにしてもこの野球場のような空間はなんだろう?敷地の外に出たあと、学生さんたちが大勢出てきたが、やはりこの辺りにあったのかなあ?


 もう昼過ぎ、駅に戻る途中に「南京云锦博物馆」に通りがかり、無料なので入場した。南京雲錦は世界的に有名な伝統の絹織物らしい。
 どうも食い物屋が見当たらないんで、取りあえずガイドブックで見つけた鸡鳴寺に行ってみることにした。玄武湖と南京城墙(南京城壁)を眺めながらランチもいいよね。まあどこでもいいけど。と思って南京地铁4号线鸡鸣寺站を降りた。目の前が広い公園だ。特にレストランなど見当たらず。
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 鶏鳴寺の前も南京城壁の前も、せいぜいスイーツの店だけ。ということはこの城壁を超えて玄武湖の湖畔に出れば何かあるだろうと思い、入場料を払って城壁の階段を登ったが・・・玄武湖の湖畔に出るにはただトンネルをくぐるだけ、入場料は城壁を登るための料金だった。ちなみにお土産屋はあったが食べ物屋は無し。

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 眺めは良かったよ。こんな天気だったが

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 いろいろな時代の大砲

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 階段を降りて城壁をくぐったら屋台を見つけたので適当に買った。衣で包まれている太い物、中身は特大フランクフルトかと思いきやトウモロコシだった。細かいのが串刺しになっているのは、何かスナックのようなものを揚げてあるだけ、正直うまくなかった。それから湖畔にも屋台があったので、タコウインナーが串刺しになっているのを食べた。ビールはどこにも売ってなかった。雨が強くなってきたなあ。

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 そして鸡鸣寺を参拝。境内にお食事処があったじゃねえか!眺めはいいぞ。こんな天気だが。早まったな。残念ながら酒は無し、麺類を食った。

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 この塔は立ち入り禁止


 さてどうするかな、もう夕方だ。上海へ帰る高速鉄道は遅い時間まであるようだが、観光スポットに行っても営業終了時間なら意味無いな。とりあえず中华门に行くことにした。
 南京地铁1号线を中华门站の北口(?)で降りて幹線道路沿いを中華門の方角に歩き始めた。車は多いが、学校があるくらいの観光地でも何でもない寂しい道。普通の観光客はまず通らないルートだろうね(笑)

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 しばらく歩くと橋の向こうに城壁が見えてきた。同行者は既にゲンナリしてる。やっと俺の旅行らしくなってきたな(笑) ここを右に行けば中華門だぞ!城壁沿いの淋しい道だったが時代を感じさせる街並みだった。

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 中華西門

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 そして中華門に到着。入場料50元はちょっと高い気がしたが

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 屋形船かな?

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 明の時代に建設されたそうな

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 この巨大なクレーンで何をしているんだろう?

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 続いてガイドブックの地図とにらめっこしながら夫子庙(夫子廟)を訪れた。賑やかな観光地だな。
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 夜になったら遊覧船に乗って一杯やるのも楽しいだろうね

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 夫子庙大成殿(有料)。中央に立つのは孔子さま

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 そして南京地铁1号线三山街站に戻る途中で夕食。缶ビールもあったし、かなり腹いっぱいになっちゃった

 帰りは南京站から高速鉄道に乗って上海火车站に行くつもりだったが・・・駅員が筆談で教えてくれたがなんと次の列車は22時過ぎ、到着は明け方3時頃!仕方なくまた地铁に乗り、行きと同じ南京南站から虹桥火车站で帰ることにした。余談だがこの地铁の中では無料Wi-Fiが接続できた。
 虹桥火车站には23時前に到着したが、駅の構内が非常に広くて迷ってしまい、上海地铁2号线から虹桥火车站站から乗るはずが虹桥2号航站楼站まで来てしまったぞ。一駅分近くなったな(笑) ところが静安寺站方面は終電が終わってた。切符買ってから気付いた。仕方なく駅を出てタクシーで帰ることにした。すごい行列だな。そりゃそうだな国際空港だもんな。ところが意外と行列がスムースに流れて乗車出来た。かなりの距離だから覚悟してたが静安寺までたったの74元、1元=17円で計算しても1200円ちょっと。
 というわけで南京観光は中途半端だったから、また次の機会に訪れたいと思う。フィールドワークしなきゃね。


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posted by 鷹嘴 at 00:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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