日本帝国主義がアジア太平洋戦争末期に植民地朝鮮にて志願兵制度を始めたところ統計上は大勢の志願者が集まったが・・・ざっくり言えば、本気で志願する者もいたようだが、各自治体が志願者数を競っていたので、強制的に集められた者も多かった。それに志願者やその家族への優遇措置もあったのでそれに惹かれて応募する者も多かった。だから志願者は当然ながらほとんど貧しい若者たちだった。日本軍はもっといろいろな階層からの志願を望んでいたのだが・・・ということ。
これらは現在にも通じる話だな。統計だけ示して「ほら、こんな好結果でしょ!」って言い張るけど内情はお寒い現実だったり、政府が地方自治体や末端の官吏に圧力をかけるというか忖度させたり・・・。それに好条件で釣って志願兵を募るのは、いわば「経済的徴兵制」だ。
誰も軍隊になんか行きたくないんだよ。国家というものはそれが分かってるから、甘い餌で釣ろうとするんだ。それで金持ちは散々煽ってるクセに自分たちはうまく逃げる。いつでも犠牲になるのは貧しい人民だ。
植民地朝鮮での志願兵制度
1.帝国議会での志願兵制度についての答弁
2.「特高月報」に見る志願兵制度の実情
3.志願者多数の内情は?
4.志願者の「八、九割が小作農」
5.日本政府の期待と現実
日本支配下の朝鮮にて1938年から始まった志願兵制度によって、下のような募集定員を遥かに超える数十万単位の応募があった、という記録が残っている。(*注1)
しかし「戦後補償の論理」(高木健一/著)によると、 「行政組織の末端である「面」では、学校卒業者を脅迫したり、父親を拘留して家族に圧力をかけたり、名前だけ貸せと騙して志願させるという方法が行なわれた」ということがあったため、大勢の志願者が集まったという。
1.帝国議会での志願兵制度についての答弁
1943年2月26日、「帝国議会貴族院委員会」にて次のような答弁が行なわれた。(*注2)
(水野錬太郎)・・・それから民心を把握することが必要であると云ふことの御話がありましたが、それは其の通りでありますが、時に依ると総督府の上の方の人はさう云ふ考へを持って居るかも知れぬが、地方等へ行って下級の人等が、動もすれば朝鮮の人に圧迫を加へると云ふことがあることもなきにしも非ずであります、殊に一昨年でしたか、あの姓氏令、即ち名前を変へると云ふことがありましたが、何でも非常に成績が好い、殆ど八割迄日本人の名になったと云ふことがありましたが、それが果して彼等の衷心から出たのならば宜いのでありますが、時に依ると警察の圧迫に依って斯う云ふ風にしたのである、或は学校の生徒等が動もすれば父兄がさう云ふ圧迫を受けるからさう云ふ風になったのであると云うやうな不平も聞くのでありますが、此の頃はどうですか、さう云ふ方面は余り無理にやって居らないのありますか、何でも前総督の時には大分さう云ふ方面に力を入れたと云ふことでありますが、今日はもう自然に任して居られるのでありますか、それは如何でありますか、其のことを承りたいのであります・・・つまり「創氏改名を強制しているのではないか?」という質問が行われたのだが、それに対して以下のように政府委員も、創氏改名と(聞かれていないのに)志願兵制度に強要の事実があることを渋々認めた。
(政府委員田中武雄)・・・それから次は創氏の問題、志願兵問題等に付きまして、官邊の強制と云ふやうなことに関してでございまするが、是は私共も仰せの如く同じやうなことを耳に致して居りましたので、諮らずも自分がさう云ったやうなことに対しまして責任の地位に立ちましたので、さう云ったことに対しまして間違って居ることがあるならば是正をして参りたいと考へまして、色々事実の真相を調べて見たのであります、必ずしも絶対にさう云ふことがなかったとは申し上げ兼ねまするのでありまして、一部遺憾な事例もあるやうであります、併し将来は左様なことのないやうに、適正に運営して参りたいと斯様に存じて居ります、特に志願兵制度等に付きましては、総督の言明でありまして、新聞に何十萬志願者があったと云ふやうなことを余りに書くことは、一面に於いて由なき宣伝のやうにも見えるし、又それが為に道の競争と云ふやうな心理を誘発する虞れもあるから、何倍にならうがそんなことは差し支えないから、一切新聞に書かすなと云ふことを厳命されまして、確か今年は何倍あったと云ふやうなことは新聞には一切書かさなかったと記憶を致して居ります。左様な状況でありまするので、将来とも一層留意を致したいと思ひます、次は一つ速記を止めて戴きたいこのように政府が、創氏改名と志願兵募集について「一部遺憾な事例」つまり強制もあったと公式に認めていたのだ。速記が止められていた間に何が語られていたか興味深いものである。
(主査:男爵山川建)速記を止めて
【この間、速記中止】
(主査:男爵山川建)速記を始めて
(水野健太郎)大変胸襟を開いての御話を色々と伺って能く分かりました・・
2.「特高月報」に見る志願兵制度の実情
当時の「特高月報」(*注3)より、志願兵制度の実態を示す部分を引用する。
特高月報 昭和十六年十二月 朝鮮人運動の状況
四、志願兵制度に対する朝鮮人の動向
陸軍に於いては昭和十三年四月三日神武天皇祭の佳節をトし、朝鮮人に対し志願兵制度を実施せる虞、朝鮮人は之を多大の好感を以て迎へ、応募者は逐年増加の傾向を辿り、兵役義務を通じ内鮮一体の実を挙げんとの熱情を披瀝し来れるが、偶、大東亜戦争勃発し、緒戦に於ける輝しき戦果は彼等をしてより一層皇軍の強力なるに驚喜せしめたると共に、皇国への信倚心を倍加し、今こそ一身を君国に捧げ以て皇恩報ひ奉らんとする皇国臣民の覚悟を堅持せしむる處ありたり。更に今年度より大阪府に志願兵採用銓衡(選考)場設置を見るに至りて本制度に対する内地在住朝鮮人の関心は一層昂揚せらるるに至れり。
然れども翻つて斯かる現象を裏面より洞察せば甚だ寒心に堪へざるものなり。即ち、
@ 応募者は真に志望するものにあらずして警察より半強制的に勧誘せらるる為止むなく応募するものなり
A 応募者は淳朴なる農村青年のみにして有識者は殆ど之に応ぜず、寧ろこれを忌避し居る現状なり
B 好条件に釣られ、功利的に走り、除隊後自己の立場を有利に導かんとする輩あり
等々の言辞を弄するもの幾多ある状況あり。
されば今後戦線の進展に伴ひ、本制度に対する関心一層深まるべきものありと雖も、斯かる現況よりして今後の視察内偵に当りては一段の留意を要するものありと認めらる。今参考迄に本制度施行に対する各方面の反響を摘記するに左の如し。
(一)内地に採用銓衡場設置方の運動
志願兵制度実施により彼等は極めて真摯に国防第一線参加を熱望し、応募者も逐年増加の傾向にあるも、内地在住朝鮮人は採用銓衡場朝鮮本土に限定せられ、内地よりの応募には費用其他の点に幾多不便ありたるを以て之が救済策として内地に採用銓衡場を設置せられ度と要望するもの多数あり。大阪市此花区四貫島宮居町四、(朝鮮人)西山恵三・外数名は、之が要望を満たすべく、朝鮮総督府、陸軍省、内務省を訪問、設置陳情せるに、関係応に於いても之を認め本年度より大阪府に採用銓衡場を設置することとなり、内地在住朝鮮人に多大の感銘を興へたり。
(二)血書志願
志願兵制度実施により採用せられて、既に第一線に活躍し、又は尽忠報国の誠を示し、護国の神となりたる先輩同胞の赫々たる武動に痛く刺激せられ、血書志願となすもの多数を見たり。
(三)志願兵忌避
前記の如き好影響を熟らせる反面一部反対分子にありては、朝鮮本土に於ける募集は殆ど半強制的に行はれつつありとなし、之が為め真に魂の御楯として起つの気迫極めて薄弱なるのみならず、応募者の大多数は淳朴なる農村青年にして、知識階級乃至有産階級の子弟は殆ど之に応ぜず、寧ろ之を忌避し居り、其の手段として敢えて其の子弟を上級学校に入学せしめんとするが如き傾向すら見受けられ、又半島より内地在住朝鮮人学生其他の通信文を裏面入手し、その内容を検討するに『中学校を卒業して小学校卒業者と同じ一等兵の待遇を受けるのであればとても志願する気持ちにはなれぬ云々』との内容のもの相当発見せらるる現状にして斯かる点より見ても彼等の志願兵制度に対する思慮の一端が窺知し得らるるなり
(四)特異なる言動
● 賛意を表するもの
「私が内地に来ると間もなく支那事変が起こり主人の家の女の人たちが私に『お前は兵隊に行かなくてもよいし戦争があつても生命が危ないと云ふ事はないのだから』等とよく云はれて腹の中で差別待遇を受けて居る様な気持ちがして居た。私も半島人であるが日本人である。立派に軍人になつて日本人の為に働けると思つてゐる。私は志願兵制度が布かれると直ぐ軍人になる希望を持つて居たが今度の大東亜戦争が始まつてからは愈々その気持ちを押へる事が出来なくなつて来た。私は軍人になつて出世すると云ふよりも内地の兵隊さんと同じ様に生命を賭して戦ひたいと思ふのである」 宮崎県 李相殷
「半島人は内地人の如く徴兵検査では兵隊に行く事が出来ぬので志願した處幸いに合格して訓練を受けたが、訓練中寄生虫がある事になつて帰へされたが壮健になつたら再度志願して見度と思つて居る。
私の志願した處では志願者四萬五千余人に対して採用者は僅かに三千人であるが落第したものの中には内地軍人以上の立派な体格をして居るものが沢山居た。軍隊員の増強を叫ばれて居る今日斯様な点も少しは考へて吾々希望を満たして貰ひたい。早く健康を快復して軍人となり得る様神に御祈りして居る」 大分県 山本達雄
● 入隊者の批難言動
「自分は昭和十四年六月訓練所に入所、十六年八月満期除隊となり其後面の依頼で訓練所入所者の募集に当つて居たが朝鮮青年には未だ確固たる国家観念なく且将来に対しても確固たる希望もなく唯社会に引摺られて其の日其の日を送つて居るに過ぎない状況で志願適齢期になつても希望せず勧誘するも言を左右にして逃げる者が多く、志願兵と雖も満期後就職を有利に斡旋され或いは社会的地位を得る等の野心を以て志願するので、真に愛国心に燃えて居るものではない、殊に有産階級に有る者の子弟には未だ自分等の地方では一人も志願者を見ない状況で真に遺憾である」 第一期訓練生某
「訓練所は生徒一千名でその人達は各道から選抜されたものであるから本当に優秀なる半島人なるべきに拘わらず生徒教官の隙を見ては飲酒はする、買食はする、煙草を吸うと云ふ風で昭和十三、十四年度に比較して実に素質が悪い。又大分の生徒が常に不都合な言辞を弄して居る、例へば
○真面目に働いて居る者に対しては制裁を加へるとか。
○朝鮮語の使用を禁じられて居るに拘わらず敢えて朝鮮語を使用するとか。
○教官に対し故意に欠礼するとか。
○現役二年在営を嫌い短期を希望するとか。
誠に面白からざるものがあつた。之が原因は一躍一千名以上の多人数を収容したのに対し教官が不足せることと各道より半強制的に募集した結果であつて、将来訓練上相当考研する必要があると思ふ」 第二期訓練生某
● 志願兵制度反対言動
「我々は志願兵制度に応募する気持にはなれない。何となれば現在の各層を見るに悉く内鮮人間に差別待遇があり、甚しきは内地婦女子迄が鮮人を軽蔑して居る現状である。これではとても軍人となり国家の為に生命を賭すると云ふ気持には到底なり得ない。最近志願兵募集に当り各地共青年に対し半強制的に応募を從慂して居るが、之が皆逆効果を来たして居る様だ。
応募者の地方頒布状況を見ても都会地の青年よりも田舎の淳朴な青年が多く又中等学校卒業者が少ないのを見ても知識階級は之を喜ばない傾向にあることが窺はれる」 金融組合書記某
「私が帰鮮中、村でも三十人余りの志願兵応募者の割当を受けて居るが、それ丈の人数が如何にしても出来ないしそれでは村の名誉にも拘はるから、お前は三十五歳以上で不合格になることは判つて居るが名前だけ是非貸して呉れと頼まれたので貸したが其の後街頭へ出て見ると成程募集に苦心して居る様な宣伝ビラが沢山貼られて居るのを見受けた。斯様な事は独り私だけでなく他にも幾多あつた様に聞いて居る。未だ半島人は心から応募しやうとするものは少ない様だ」 滋賀県 雇人 林秀雄
「朝鮮では男兄弟二、三人あれば必ず一人は兵隊を志願しなければ非国民のように云はれるので、止むなく三十歳前の人は志願せねばならないと云ふ事である。先日も父から手紙が来て『お前は帰国すると兵隊を志願しなければならないから帰つて来ないように』と云ふ意味の事を言つて来たので自分も暫く帰らない考へだ」 岩手県 古物商 李四用
● 現役軍人其他の言動
「私は志願兵採用制度に大きな矛盾があるので常に反対の意見を持て居る。現在応募の動機は殆ど警察の強制的募集に依るもので、在営中内地の見学旅行、除隊後半島に於ける革新的中堅幹部として青年の指導者たる地位を選られる等の好条件に釣られ功利的に応募した様な実情で志願兵としての真の精神に反するもの許りである。又総督府は必要数丈は容易に得られるのであるが各道に責任数を割当て居り後に之を講評するので警察は勢ひ強制的に募集する様になり茲に無理が生じ入隊しても挨拶も出来ない様なものが入り、内地人軍人から馬鹿にされ延ては帝国軍人の内容と素質を低下させる様なことにもなる。又一面知識階級者は志願を忌避すると云ふ傾向に流れて居り少し金持の所では無理しても子供に上級学校に入学させると云ふ傾向があり思想的に面白くないのである、そこで私は彼等を真に皇民化するには義務教育の徹底と徴兵令の施行を要望するのである」 朝鮮人将校某
「志願兵制度が実施されてから毎年三千名宛募集して居るが其の結果は余り良好とは申されない。その原因は志願する者が余りに好条件を予想して入って来るからだと思ふ」 内地人将校某
「新聞等では志願兵が殺到して居る様に書いて居るが実際は警察や其他で強制的に応募して居る実情で内地人が見て居る程に信頼することは出来ない。彼等は機会あらば独立運動をしやうとする不逞者が居ると思はねばならない」 内地人国民学校教員某
3.志願者多数の内情は?
・・・・以上の「帝国議会貴族院委員会」の答弁と「特高月報」に見る実情から、(少なくとも数字の上では)20万だの30万だのといった驚異的な志願者が集まった原因として、
● 朝鮮人志願兵制度開始を歓迎する声も多かった。熱意を持って志願する者も多かった。しかし、
● 朝鮮総督府が煽り立てるので、「道」が応募者数の競争を始めてしまった。だから強制的な手段が行われた
● 数十万という数字には、名前だけ借りただけの水増しもあった
● 「好条件」に釣られて応募する者も多かった。こうして集められた訓練生が真面目なわけがなかった
これらの原因が考えられるので、「水増し」と「好条件」について考えてみる。
◆ 志願者数の水増し
各地の「道」、「面」、「邑」に於ける、実体の伴わない水増し的な志願者数の累計があったようだ。
朝鮮人志願者を正式な軍人として採用する前に教育を行なう「朝鮮総督府陸軍志願者訓練所」の「志願兵ノ資格」によると、資格年齢は満17歳以上で特に上限は示されていないが、1938年後期の実際の入所者の平均年齢は20.69歳で、最年長は27歳でわずか一名、19歳が最も多く55名(*注4)。当然ながら二十歳前後の若者が望ましかったのだろう。
上に示したように「面」などの各地方自治体が、かなり高年齢な者まで志願者数の水増しの為にだけ名前だけ利用したことが多かったのかもしれない。このように各地方自治体がメンツに拘り名前だけ利用しての志願者数の水増しを行なったことが、20万だの30万だのといった数字が現れた原因だと言える。
◆ 「好条件に釣られて」志願する者
朝鮮総督府は志願者とその家族に対して積極的な優遇策を取った。「全鮮各道に支援者後援会が組織せられて、志願者は勿論のことその家族まで援助の手」(*注5)が差し伸べられた。「後援会」は、
「入所生徒の旅費、餞別などの支給、それから生徒は毎月三円以下の小遣ひとしてゐますが、この三円を送金して来る後援会もありますし、更に後援会では生徒を激励するは勿論将来の生活とか、家庭の面倒を見るとか兎に角さういう風にして入所生徒に後顧の憂ひなく一意専心勉強できるやうな活動を行った」(*注6)という。
「軍事扶助法」「入営者職業保障法」などによって、志願者の家族が自営業者の場合には資金や労力の援助すること、志願者が出陣し傷痍軍人となった場合、及びその家族にはタバコや切手の売買などに優先的な営業許可を与えることなどが定められた(*注7)。
このようにして少なくとも統計上は驚異的な志願者が集まったが、これは軍として表向きはともかく、実際は喜ぶべき事態ではなかったようだ。大勢の志願者の中から初年兵となるに適さない年齢の者をふるいにかけること、そして志願者の中の「主義者」「不逞分子」を発見・排除することに忙殺されたと思われる。
「志願兵ノ資格」(*注8−a)によると、選抜の条件として「三、思想堅固ニシテ体躯強健、精神に異常ナキ者」という項目がある。「思想堅固」とは即ち、「アカ」でもなく、朝鮮の独立を企むような「不逞鮮人」でもない!ということだろう。
また1937年11月付けの総督府秘密文書「朝鮮人志願兵制度実施要項」(*注8−b)によると、「前科者殊に民族主義者、共産主義運動等に関係せし者は之を採用」しないだけでなく、「家族にして主義運動等に関与しある家庭の者は之を採用せず」となっている。
つまり共産主義者・民族意識の強かった者などが紛れ込むことを警戒していたようだ。反乱を警戒したのだろうか。
実際に、「朝鮮独立の為奮つて陸軍特別志願兵となり、武力を体得して将来の革命蜂起の際に献身すべきなり」(*注9)という動機で志願する者がいた。また在日朝鮮人の中には、
「朝鮮人を志願兵にする事は非常に良いことだ。即ち我々は将来志願兵を逆用すれば良い。志願兵を逆用すれば良い。志願兵は内地人より優秀と聞く。之の優秀なる部隊に呼掛くれば彼等は必ず祖国の為に銃を執つであらう。此の意味に於いて志願兵は忌避すべきではない」(*注10)と放言する者もいた。
実際に朝鮮人部隊の反乱も発生していた。「満州国」では「五族協和の精神の元」に、朝鮮人を主力として構成されている部隊もあったが、1936年、「東寧県」の一個中隊は、日本人部隊長の朝鮮人に対する処遇に不満を抱き、反乱を起こしてソ連領内に逃亡した。その後「間島省」では朝鮮人の募集は中止されたという(*注11)。
それに・・・・当時の日本の官憲が朝鮮人一般を疑心暗鬼の目で見ていたことは在日朝鮮人が肌で感じていた。
「日米国交緊迫し東京地方の警備は実に物々しいが、今尚朝鮮人学生を白眼視するのは遺憾である(早大文 豊川相翼 二十六歳)」
「東京に於けるスパイの活動は厳重だが、朝鮮人も外国人同様白眼視するのは不可解だ(明大法 秋元範乗 二十七歳)」(*注12)
「それから警察官に一言云つて置き度いと思ふ、今少し寛大にして貰ひ度い、朝鮮人と見たら泥棒と思う事は如何かと思ふ(日大専門部清原某)」(*注13)このように朝鮮人一般に警戒感を抱きつつも、朝鮮人を「日本国民」として動員したことが、様々な矛盾に直面することになる。
4.志願者の「八、九割が小作農」
朝鮮総督府陸軍兵志願者訓練所教授・海田要は、朝鮮人陸軍志願者で訓練所に入所した者の経歴について、大いに不満を持っていたようだ。
「・・尚入所者を職業別に見るとき中には教員や会社銀行の行員社員等も少々はあるのであるが、その数は極く少く大部分は農業者にして残余が官庁の給仕小使其他雇人によつて占められ、将来半島の青年層に働きかけ得る実力を有する地位の者が未だ少いのである。この状況は入営の学歴にも現れて、中学校卒業者等は其の数極く僅少にて、いまだ半島が真に兵役の崇高なる所以を理解するの域に達せず虚栄と知識偏重の観念から開放されざる一面を物語るものではなからうかと考へさせられるのである。故に入所者の家庭の状況から見ても、比較的良好なものも未だ少く、又近親に有力なる知識階級や資本家を有するものも少ないのである。将来は是非ともあらゆる階層殊に上層部からどしどし進んで入所する様にあり度いものと念願して居る・・・」(*注14)このように農民など貧しい階層からの志願者を喜ばず、もっと経済的に豊かな層からの志願を望んでいた。つまりは社会的地位の高い者が入所してくれた方が世間に強くアピールできるから・・ということのようだが、軍が広範な層からの、とりわけ富裕層からの志願を望んでいたのはそれだけが理由でないようだ。
しかし・・当時の朝鮮人の人口比率から見て農民がもっとも多く、しかもそのほとんどは日本による統治以来増加していた貧しい小作農だ。しかも当時は就学率も低く、軍が望むような志願者が比率の上で少なくなるのは当然だ。
朝鮮総督府も海田訓練所教授同様、志願して合格した者について、「職業的にみるとその八、九割が小作農であり、その他は若干の事務員、官公吏を除いては、給仕、小使い、雇人等」(*注15)という観察をしている。
上述の志願兵への優遇措置が、朝鮮の人口比率の大半を占める貧しい小作農を強く惹きつけたであろうことは当然だ。多くの農民は貧しい生活を強いられていた。さらに日中戦争に伴う経済の混乱によって朝鮮の農村は大きな打撃を受け、朝鮮軍(朝鮮半島の日本軍)すら、「事変に伴ふ諸物価の騰貴は農民の大部分を占むる小作人の経済的苦境を倍加し、当局の適切なる指導並びに救済も其の甲斐なく」と指摘していた(*注16)。また1939年に朝鮮中南部は数十年来という大旱魃に襲われた為(*注17)、総督府は各地の地主に「小作料の軽減免除を行はしむる」要請を出し、飢餓線上を彷徨う農民には「罹災民は徒に動揺離村放浪するが如きことなく其の筋の指図に従う」ことを指示したという(*注18)。
このような「離村」「放浪」も避けられないような厳しい状況下で、志願兵の「好条件」は農家の次男坊、三男坊にとっては大きな魅力だったであろう。
朝鮮での貧しい生活を嫌い「内地」に新天地を求めて密航したり、「自由募集」「官斡旋」に飛びついたり、または娘を悪質な人身売買業者に売り渡した事と同様、志願兵制度に応募する事は貧しい生活を逃れる為の一つの手段だったであろう。
軍が当初期待していた(1937年11月付けの総督府秘密文書「朝鮮人志願兵制度実施要項」)、「普通以上の生計を営み且素性可良なる家庭」に育ち「初等学校以上の学校を卒業」した者(*注19)など、「微々寥々なる実情」(*注20)だった。
ところで日本軍は、志願兵制度開始によって日本の朝鮮支配の実情に唖然とすることになる。朝鮮人の志願兵に対して健康診断を行ったところ、「半島青年の体質は表面上健康に見え良好なるが如きも、実質に於いては真の健康と謂い得ない」(*注21−a)という結果が出た。寄生虫の保有率が1938年度前期訓練生では89.6%、後期訓練生では91.6%であり、結核性疾患の者も少なくなく、また入所後に発病する者も多く、「マラリア、胃痛、脚気、花柳等であつて、特にマラリア帯患者の多いのに驚かされる程」(*注21−b)だった。軍は、「訓練生にして既に斯くの如く、一般大衆は更に多きを加へたるを思ふとき暗然たらざるを得ない」(*注21−c)として、朝鮮総督府に対して「国民体力向上の為朝鮮に於ける保護衛生施設改善意見」を(*注21−d)具申した。
5.日本政府の期待と現実
以上のように、軍は志願兵募集に於いて、裕福な層からの志願も期待していた。しかし実際は貧しい者からの志願が多かった。人口比率から考えて当然の事である。しかも「好条件」を提示しているので貧しい者が集まるのは当然の事だった。
さらに、何故日本軍が貧しい層よりも寧ろ裕福な層から志願を望んだかと言えば、訓練所海田教授が言うような、今後志願兵制度の理解を深めていく為に「将来半島の青年層に働きかけ得る実力を有する地位の者」を望んだだけでなく、現在恵まれた生活状態にある家庭の子息ならば、世間に対する不満も少ないであろうと、つまりは、朝鮮半島が日本の植民地になっている現状への反感も少ないであろうかと、だから、民族運動や独立運動にかぶれていたり、反乱を企てるような危険な者は少ないであろうかと、考えたのではないだろうか?
しかしその期待に反して貧しい階層からの志願が多かったことで、より一層「不逞分子」が紛れ込むことに神経をとがらせらなければならなくなったかもしれない。
そして、現状の生活に満足している者なら、朝鮮が植民地支配されていることに異議を唱えないものならば、日本軍に志願することに抵抗がないだろう!という甘い考えは浅はかなものだった。
海田教授自身、
「制度公布を双手を挙げて歓迎した知識階級乃至は指導階級の人々が、いざ志願となると先づ他をすすめて自己の子弟を之に応じさせ様としない矛盾を敢へてしてゐるのではあるまいか?」(*注22)と指摘している。
要するに・・・(以下は「朝鮮における志願兵制度の展開とその意義」からの受け売り)、日本の朝鮮半島支配に迎合し、豊かに暮らしている朝鮮人といえども、日本による支配を心から受け入れているわけでは、無い。
日本の朝鮮半島支配に異を唱えないのは、日本に支配され続けていくことに賛成しているから!心の底から日本人と同化しようとしているから・・・などではない!単に、自分の経済的、社会的立場を守りたいだけだ!
ということを海田教授は悟ったのではないだろうか?
※注釈一覧:
【A】については、龍渓書舎「朝鮮歴史論集」収録、宮田節子「朝鮮における志願兵制度の展開とその意義」で引用された資料より孫引き。
(*注1)【A】「太平洋戦下の朝鮮及び台湾」近藤釼一:編、朝鮮史料研究会近藤研究室
(*注2)東京大学出版会「帝国議会貴族院委員会速記録 昭和篇 複製版104巻 81回議会,昭和17年」
(*注3)文生書院「内務省警保局保安課 特高月報」複製版 昭和16年2月分-17年1月分
(注4〜5)龍渓書舎「日本植民地教育政策史料集成(朝鮮篇)第32巻 第5集 朝鮮教育関係」収録、朝鮮総督府陸軍兵志願者訓練所教授・海田要「志願兵制度の現状と将来への展望」
(*注6)【A】 『朝鮮』1939年1月号、倉元弘「羨望の的訓練生の一日」
(*注7)【A】 1938年9月「朝鮮総督府時局対策調査会報告事項」
(*注8−a)【A】 龍渓書舎「朝鮮歴史論集」収録、宮田節子「朝鮮における志願兵制度の展開とその意義」(P-418)
(*注8−b)【A】 1937年11月24日朝鮮軍参謀長加納誠一「朝鮮人志願兵問題ニ関スル回答」
(*注9)【A】 1938年11月、内務省警保局保安課「特高月報」
(*注10)文生書院「内務省警保局保安課 特高月報」複製版 昭和十六年九月 朝鮮人運動の状況 五、内地在住朝鮮人学生の帰鮮中に於る特異言動」
(*注11)【A】 「満州ニ於ケル朝鮮人軍隊ノ概況」
(*注12〜13)文生書院「内務省警保局保安課 特高月報」複製版 昭和十六年十月 朝鮮人運動の状況 五、在京朝鮮人学生の懇談会に於る特異言辞」
(*注14)注4〜5と同じ
(*注15)【A】 「志願兵を訓へて」『朝鮮』昭和十五年四月号
(*注16)【A】 「昭和十三年後半期朝鮮思想運動概観」
(*注17)1938年の朝鮮の米生産高は2413万石、1940年は2152万石だが、1939年は1435万石だった。「朝鮮経済年報」・・・・朴慶植「日本帝国主義の朝鮮支配」より
(*注18)【A】 農林局「旱地の小作料減免」「連盟の旱害対策」国民精神総動員朝鮮連盟発行『総動員』昭和十四年九月号
(*注19)【A】 1937年11月24日朝鮮軍参謀長加納誠一「朝鮮人志願兵問題ニ関スル回答」
(*注20)15に同じ
(*注21−a,b,c)【A】 「志願兵訓練所より見たる半島青年の体力」『朝鮮』昭和十四年八月号
(*注21−d)【A】 「㊙国民体力向上ノ為朝鮮ニ於ケル保健衛生施設改善意見」昭和十四年三月朝鮮軍司令部
(*注22)注4〜5と同じ
※追記: 「特高月報」より少々追加する
内務省警保局保安課「特高月報」(昭和十五年二月〜十六年1月分複製版、文生書院)・・・このように朝鮮民族を「世界の最悪劣等」と見ていたほど差別意識の強かった、つまり朝鮮民族に対する蔑視を隠しきれなかった「有力者」すら、「志願兵制度にしても自発的志願者は少く、殆ど官吏が自己の成績を挙げる為、強制的に徴用するような状況」を認識していたということだ。
特高月報 昭和十五年八月 朝鮮人運動の状況
五、朝鮮人の思想動向其他に対する特異言動
時局下朝鮮人は内鮮一体の施政に順応し、その思想動向は著しく好転せりと認められつつあるのに対し、最近朝鮮より内地に帰省せる有力者某は朝鮮人の思想動向其他に関し左記の如き特異言動を為したり。
「朝鮮は表面非常に穏やかな様に見受けらるるが、裏面は革命の一歩手前の様な状況ではないかとさへ私には思われる。最近朝鮮民族は良くなった等と云はれておる居るが、夫れは官吏が自己の成績を挙げる為、部民の悪い事を隠蔽し、良い所のみを報告する結果に外ならず、志願兵制度にしても自発的志願者は少く、殆ど官吏が自己の成績を挙げる為、強制的に徴用するような状況で寒心に堪えない。
故に表面上の報告のみを信じて、最高行政をやつて行けば飛んでもないことになりはしないかと私は憂へて居る。大体総督府の行政は余りに迎合的である。朝鮮民族は世界の最悪劣等国民である様に思ふ。特性も品性もある民族ではない。彼等に如何に恩恵を施すも、夫れを喜んだり満足する民族ではない。南総督は、将来対ソ戦に備へるべく、早く朝鮮人を真の日本人にすると急いで氏制度の創設等色々の方途を講じて居られるが、良く行けば誠に結構だが悪く行けば、朝鮮統治は将来の一大癌となるのではないかと識者の間に言はれて居る。私は彼等の性向に照し内鮮一体は中々六ヶ敷い(難しい?)と思ふ。特に思想犯者は強烈なる民族意識を持つて居り、転向を誓はせんとしても『我等は何処を中心に転向するや』と言つてゐるやうだ。内地人なら天皇に帰一すると言ふ精神も湧いて来るであらうが、朝鮮人にはそんな観念になれないのが本当だらう。最近皇国臣民の誓詞等を言せて居るが、之を構へても内地人と異なり、或何者かの感じを持つて言つて居ることであらう。
現在の朝鮮統治は司法と、警察の長官及総督府首脳部を除く外の行政長官には朝鮮人が沢山居り、此の点行政が六ヶ敷いと思ふ、こんな植民地は世界に例がなく、反独立国家の様である。私は朝鮮で頼むべきものは軍隊と警察以外に無いと思ふ。どうも同化が六ヶ敷いと思ふ。
之等の点に付ては老練な政治家に依つて相当考へられて居る事とは思ふが、現在の朝鮮の行政を見ては将来の事を憂へさるを得ない」