今年3月14日に常磐線が全面開通したので、4月になってからだが、ちょっくら乗ってみた。俺もいちおう「乗り鉄」の端くれだもんな。(以下のサイトを参考にした)
◇ 震災9年で全線再開したJR常磐線“復活3駅”には何がある? 夜ノ森駅、大野駅、双葉駅に行ってみた 文春オンライン
4月16日、南浦和駅から始発に乗り、日暮里から常磐線へ、土浦といわきで乗り換え。仙台行きは意外と混んでいたが、広野駅で高校生が降りてガラガラになった(ちなみに往きは全て在来線で行ったよ)。
10時過ぎに予定通り大野駅に到着
散り際の桜がキレイだな。それにしても、これ結婚式場か何かかな。営業してるのかな?
大野駅構内の線量計
同じく大野駅構内にて
駅舎の窓より
東口。かなり立派な駅舎。それにしても、誰もいないな。ときどき車が通るくらい。だけど時刻表見るとけっこう本数あるよ。無駄なんじゃない?
◇ 住民の帰還進まぬ「常磐線」利用するのは誰か ローカル線・公共交通 東洋経済オンライン 経済ニュースの新基準
駅前ロータリーは広いが車は1台も停まっていない
道路は閉鎖
「帰宅困難区域につき通行止め」
駅前の公園も閉鎖
歩行者も自転車もバイクも通行止め。じゃあ車だけ許可か。
それにしても、歩きも自転車もバイクもダメな地域なのに、なんで国道6号線、常磐道、そして常磐線を開通させちゃったのかな。放射性物質が車体のボディに付着して日本中にバラまいちゃうよ。
いわき方面も通行止め
続いて大野駅西口
こっち側も立派だな
この会館、やっぱ閉鎖中か
大通り?に出てみるか
右を見ても
左を見ても閉鎖中
広い通りに出てみると
左折すると検問中
というわけで、俺たち首都圏に住む人間が使う電気のために造られた原発が、どれほど地元の人々を苦しめているのかほんの少しだけ垣間見た気がするので、いまさら何をしても罪滅ぼしにはならないが、せめて世界中全ての原発を廃止させるために闘いたい。
東電福島原発事故が「収束」するとしたら何万年も未来の話だ。コロナウイルスと共存したくはないが、俺たちはこれからもずっと、ぶっ壊れた原発や廃炉になった原発の面倒を見なきゃなんないんだ。否が応でも放射能と付き合っていかなきゃなんないんだ。終わりの見えない闘いだ。
また常磐線下りに乗った。これ特急ですか?
双葉駅到着。一駅だから車掌さん来なかった
双葉駅東口。非常に立派な駅舎。周囲に立入禁止のゲートなどは見当たらなかった。それにしても、誰もいないな
非常に立派なハコモノ。おまーりさんがなにかやってた。結局、おまーりさんと、このハコモノのスタッフと人たちと、撮り鉄(らしき人)以外は誰も見かけなかった
この青いのオブジェ?と思ったら、消防用水のタンクだった
お店は閉まってた
古びた自転車が並んでいた。入口が閉鎖されていたので震災以降このままかも
西口は工事中、公営住宅が立つとか?
さて、いわきまで戻るか
余談だが今度こそ特急料金を請求された
そしていわき駅で降りてちょっくら近くの神社を参拝、昼飯。山盛りパスタ美味かったぞ。そしてまた常磐線で湯本駅へ。
時間があるから駅の真正面の小高い丘に登ってみた。御幸山(みゆきやま)公園って言うらしい。かなり遠回りになってしまった。
チェックインしたが温泉に入る前にちょっと散歩。金刀比羅(ことひら)神社に行ってみた(写真は無し、悪しからず!)
こちらは金刀比羅神社境内の長松(ちょうしょう)神社。
もちろん俺は鈴木吉之丞という人について全然知らないけど、獄中闘争を貫いたのは尊敬するな。一般論だが、職務に忠実な人ほど干されちゃうのは、時代を問わないね。
◇ 鈴木吉之丞に関するメモ ◎草楽房
そんでゆっくり温泉に浸かった。食事も美味かったけど、この夜の客は俺たちを含めてたった二組、翌週から営業休止だって。もったないなあ。悲しいなあ。そういえばいわきって何度も訪れてるなあ。車だったり、鉄道だったり・・・
そして翌日、行ったことないからスパリゾートハワイアンズに行こうかなと思ったけどコロナのせいで休業!それじゃあ、行ったことあるけどアクアマリンふくしまに行こうかな?車が無いから行き方分かんない。
じゃあ、やっぱ行ったことあるけどいわき市石炭・化石館に行ってみるか。歩いて行ける距離だから。
(なお2020年5月11日現在、上記の施設は全て休業中。いわき ら・ら・ミュウも4月15日から休業中)
まず化石展示室へ。ピンボケしちゃって残念。これは実物の化石。
昔の坑道入口。この手前にはヒロヒトが来たときの記念碑があった
まるで坑道の中のような真っ暗なエレベーター(そういう演出)を下ると模擬坑道。熱水が湧きだしていて暑いからこういう姿で作業せざるを得なかったという(以前にもこのブログにアップしたような気もするが)
石炭を燃やした蒸気でタービンを回すだけじゃなく、石炭の炎でガスタービンも回して発電するのか。たしかにエネルギーの有効活用だな。でも天然ガスでやったほうが環境にいいんじゃないの?
◇ <5>いまさら石炭、ありえない3つの理由 Don’t go back to the 石炭〜石炭火力発電に反対 石炭発電石炭火力発電反原発
◇ 世界中で失敗が続く IGCC (石炭ガス化複合発電)
それにしてもなぜこの施設が石炭発電の宣伝やってるんだろうか。いわき市が外部に委託してるみたいだけど、炭鉱はとっくに閉山してるんだけど、いわき市としては大人の事情があるのかも。勿来発電所ってのがあるし。
続いて「生活館」へ。常磐炭鉱では明治30年代から飯場制度が始まり、4坪程度の部屋に数人で生活していた。「毎日の過酷な搾取と労働の強制に耐えかねて」、「ケツワレ」(逃亡)すると「ひどい私刑がくわえられ」たという。しかし炭鉱会社は「大正3年頃より直轄制度への切り替えを少しづつ」行っていったという(展示より)。まるで奴隷制度だ。昔はこうだったんだね。
労働者の闘いの軌跡!
それにしても常磐炭鉱では強制連行された朝鮮人を使うことは無かったのか。ググったらすぐ出てきた。
◇ 常磐炭鉱への朝鮮人連行について
◇ 〈遺骨は叫ぶ-34-〉 福島・常磐炭鉱
この施設では全く言及が無かった。まあ観光施設なんてこんなもんだけど、歴史の美化に一枚かんでいると言えなくもないな。
湯本温泉は1000年以上の歴史がある温泉とのこと。いわき周辺には火山は無いが、地中深く染み込んだ雨水が地熱で熱せられ、地表に噴き出してたんだって(元々は)。そういえば大震災の直後、いわき市のあちこちから温泉が勝手に噴き出したというニュースを憶えている。
ところが、明治になって炭鉱が作られて、石炭を掘るのに湧いてくるお湯は邪魔だからどんどん捨てていた。そうなると温泉の水位が下がり、温泉産業は苦境に立たされた。
というわけで大正時代からボーリングしてお湯を汲み上げていたが、水位低下は止まらず、温泉旅館は減っていき、石炭でお湯を沸かしたり炭鉱からお湯を引いたりしていたが、
昭和51年(1976年)に常磐炭鉱は完全に閉山となり、常磐湯本温泉株式会社が設立され、温泉旅館や常磐ハワイアンセンターへの配湯が始まった。そういえばこの施設の隣に工場みたいなのがあってかすかに温泉の臭いがしてたな。
それにしてもなあ、元々は地面から勝手にお湯が沸いてたのに、炭鉱のせいで出なくなり、その炭鉱が斜陽になったので工場の誘致や観光産業を推進していたが、大震災と原発事故が襲い、やっと復興したと思ったら今度はコロナ禍(全世界的だけど)。資本主義に翻弄されたというか、首都圏の人間に食い物にされたというか。それにしてもお役所や財界がまだ石炭への未練を捨てきれてないのか悲劇を通り越して・・・
デゴイチかっこいい!
そして駅の近くの小さな居酒屋兼定食屋で昼飯、美味かったぜ。そしてこのまままた在来線に乗って帰った。次は自家用車で今回のルートを訪れてみたいものだ。
2020年05月11日
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