2021年01月28日

【2020年9月】山本宣治資料館に行ってみた

 ただでさえ更新が滞っていて世間から取り残されているブログなのに、恥ずかしながら去年の出来事を書いてみる。こういうブログですけどご容赦を!
 2020年9月、Go Toキャンペーンを利用して京都に観光旅行に出かけて、ちょっと宇治に足を伸ばして山本宣治の所縁の地を訪ねたので、遅ればせながら写真を載せておく。

 山本宣治とは生物学者であり、国会議員であり、以前このブログに書いたように労働者・農民と共に闘う不屈の活動家であった。1929年(昭和4年)の国会にて、治安維持法改悪の事後承諾案(この前年、同法の最高刑が死刑となることなどが「緊急勅令」によって決定していた)に反対する論陣を張ったが、右翼のテロによって虐殺されてしまった。
 恥ずかしながら俺が山本宣治の名を知ったのは、自民党が共謀罪成立(組織的犯罪処罰法の改悪)を目論み始めてからだった。この法改悪は戦前の治安維持法の復活に他ならない。命を賭けて治安維持法と闘った山本宣治の足跡をたどり、共謀罪を廃止に追い込むための、労働者人民が中心の社会を創るための闘いの決意を固めようと思ったわけだ。まあ観光旅行だけどね・・・

 資産家であった両親が病弱な息子を育てるため宇治川の畔に建てた別荘は後に「花やしき浮舟園」というホテルになり、山本宣治も父の後を継いで主人を務めた。このホテルの敷地のどこかに「山本宣治資料館」があると聞いて、行ってみたくなったわけさ。ただ見学するだけじゃ申し訳ないからこのホテルのレストランで食事でも、と思ったが、かなり高級なお店のため、同行者の許可が得られず断念。


 9月1日の朝、京都駅にほど近いビジホから出発、JR宇治駅へ。9月の前半だから当然だけど京都は凄まじく暑かった。ペットボトルの水がどんどんなくなる・・
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 まずは世界遺産の平等院に行ってみた

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 観光案内所にて。そういえば宇治には「京都アニメーション」があるんだったな。放火事件で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。ちなみに俺は京アニの作品と言えば、「ハルヒ」とか「けいおん」ぐらいしか観てないなあ

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 なんというか、別世界。映画のセットの世界に紛れ込んじゃったような。歩いているだけで楽しい

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 屋形船かな?

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 目的地が見えてきた

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 ここが「花やしき浮舟園」。宿泊する予定も食事するつもりも無いので心苦しかったが、ホテルの方にお願いし、資料館を見学させて頂いた。頭が下がります。

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 この写真の右手が「花やしき浮舟園」、左手が「ステーキ割烹 花やしき」、資料館はこの奥のこじんまりとした建物

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 山本宣治が長年に渡り京都の人々に尊敬され愛されていること、そして山本宣治の闘いの軌跡は今なお光り輝いていることを知った。我々も彼の遺志を継いで闘わなくてはならない。


 続いて山本宣治の墓を訪れ、合掌した。ちょっと細い道を登っていったが、グーグルマップで出てくるからすぐ見つかると思う。
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 墓石の裏側には、彼の演説の中で有名な「山宣独り孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持してゐるから」という言葉が刻んである。


 それから宇治川の畔でランチでも、と思ったが、またしても同行者と意見が合わず、結局は(観光客相手とは思えない)定食屋で食べた。美味かったぞ。京都アニメーションの作品のフィギュアなどがずらっと並んでいたな。

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 そしてまたJR宇治線に乗り、新田駅で降りて(汗だくになりながらかなり歩き)「ウトロ地区」をのぞいてみたが・・・既に再開発の工事がかなり進んでいて、話に聞いていたような街並みはほとんどなくなっていた。少しはあったが。ウトロの問題について以前はネットで見ていたのだが、そのうち忘れてしまった・・

◇ 京都・ウトロ地区に市営住宅整備/在日同胞ら入居開始 | 朝鮮新報
◇ 朝鮮人子孫ら暮らすウトロ地区、市営住宅を縮小 対象者減で2期棟は12戸に
◇ ウトロ地区の戦時労働の生き証人カン・ギョンナム氏 95歳で死去 l KBS WORLD Radio
◇ 現地の声に耳を傾ける ― ウトロ地区「再開発」 | 瓜生通信
◇ ウトロの歩み伝える「祈念館」建設へ 住民や支援者「相互理解深める場に」|社会|地域のニュース|京都新聞
◇ 京都・ウトロに記念館を 「差別から和合の象徴へ」=訪韓の住民 | 聯合ニュース

 それにしてもさ、支配者と資本主義が、労働者人民に対してその地に移住せざるを得ない状況を作り出しておいて、用済みになれば法的手段を用いて追い出すというのは、ウトロ地区の問題に限らないことではないか、と思う。

 ところで今回の京都旅行は、比叡山延暦寺、宇治、鞍馬、嵐山からトロッコ電車など遠出の連続だった。せっかく京都駅の近くに泊まったんだからもっと近場の名所旧跡を歩きたかったな。いちおう産寧坂とか先斗町も歩いたけどさ、もっとゆっくり楽しみたかったな。
 もちろん幕末ファン?の俺は「天誅」があった場所とか池田屋の跡地とか訪れたけどさ、だけど勤王の志士も新撰組もさ、いわゆる「白色テロ」であり、山本宣治暗殺など戦前戦後を通じてたびたび殺人事件を起こしている右翼と同質だ、同一だ。と、認識しなければならないと自分を説教している(笑)
 そりゃそうと同居人は11月にまた京都に行ったよ一人で。当然Go Toキャンペーンを利用して。9月の旅行のときはそれほど混んでいなかったが、嵐山の渡月橋も有名な神社仏閣も大混雑だったってね。いまはどうかな。緊急事態宣言出ちゃってるからね。そもそも京都の冬は厳しいだろうし。
◇ 緊急事態宣言下の京都・嵐山付近、観光客の姿ほとんど見えず | 京都新聞
 寂しいねえ。俺も寂しいよ。職場や自宅の近くの店が潰れちゃってるし。ノットフェスもANGEL WITCH来日公演も中止になっちゃったし。
 それはともかく、また機会があったら京都に行ってみたいね。だいたい海外旅行なんか、あきらめたほうがいいかもな俺が生きてるあいだは。京都という選択肢の存在感が大きくなるな(笑)

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 ところで・・・山本宣治という偉大な革命家の思想性にほんの少しでも触れてみたいと思い・・・図書館に行ってコピーしてきたので抜粋して紹介。「山本宣治全集第五巻 汐文社 1979年6月25日第1版第1刷」より。
「サルは三尺しかとばなかつた」 東京市会議員候補「中村高一」応援演説

 私は今夜は一つ面白い話をいたしませう。ある所に子猿が一匹飼はれてをりました。この猿は三尺の鎖につながれてをりましたが、いつも三尺の円形をゑがいてとびまはり、三尺の円内で遊んでをりました。飼い主が不びんにおもつて、ある日三尺の鎖をもう三尺のばして六尺の鎖にしてつないでやりました。ところが猿は一体どうした事でせう、一間の円形をゑがいて、その中でとびはねると思いきや、この猿は三尺の円形をゑがいてとびはねることしか致しませんでした。飼い主はこんなのならもつと早くのばしてやるのだつたと後悔しました。
 そこで我々の運動も・・・(弁士中止)」(P-560)

 この演説は、1929年3月5日衆議院で治安維持法改悪緊急勅令事後承諾案が可決した夜、東京の西神田小学校で行われた。(「弁士中止」というのは官憲によって演説を中止させられたことだと思う)そして神保町の光栄館という旅館に宿泊したが、そこで突然訪れてきた右翼によって虐殺された。
 それにしても、選挙制度があるので政治を変えられるはずだが、我々有権者は相変わらず、三尺の鎖につながれていた猿の如く、変革を求めようとしない。ということを山本は訴えたかったようだ。現代にも通じる話だな。


 続いて、「治安維持法改悪緊急勅令事後承諾案反対の草稿 治安維持法にたいする二つの態度 昭和4年(1929年)3月5日『暗殺の日』に議会で発言すべく用意した手稿」(P-564〜577)。長文なのでほんの一部を抜粋・要約して紹介する。
 解説によると、山本は同じ党の議員に反対されたため治安維持法改悪緊急勅令事後承諾案の特別委員会には入れなかった。そのため山本は本議会にて反対意見を述べるようとして草稿を準備したが、議員団は累が我が身に及ぶと恐れて阻止した。(そもそも「政友会」から討議打切りの動議が出て発言の機会は奪われたが)
 彼が虐殺された後、洋服のポケットからこの草稿と要点を鉛筆で記した名刺が発見されたという。
 
 括弧「」の中は原文通り(仮名遣いのみ変更)、括弧「」の外は俺の勝手な要約。
「治安維持法にたいする二つの態度」

 「治安維持法にたいする第一の態度は、これに賛成な方向を辿るもの」であって、それは「治安維持法及びその極刑化」によって「自らの地位を安固に」出来ると考えている者の態度であり、「支配階級的態度と名づけられる」
 「第二の態度は、治安維持法にあくまで反対を唱えるところの、戦闘的――革命的な態度」である。これは、治安維持法を支配階級の兇暴なる武器と認識し、その階級的憎悪に燃えているもののとる態度である」
 「資本家・地主の独裁を擁護する立場」の者は、「労働者・農民の前衛」に向かって、「悪逆不逞の徒」「国体を侵す乱臣賊子」などと「罵詈讒謗」を行う。支配階級のイデオロギーでは「これ以上悪いものがない」。
 しかし資本階級の財産は「悉く、無産階級の余剰価値を収奪し、それを集積したもの」であり、「資本家は労働者の余剰価値を収奪し、地主は小作人の労働を収奪する」。だから「不逞の徒」や「賊子」とは誰のことなのか「ハッキリすると思ふ」。
・・・しかも「戦争の危機があれば」、「一切のストライキを屠り、小作争議を蹴散らし、前衛を虐待」することは「田中反動内閣」によって「極度に発揮」されている。これは「既成政党――支配階級の政治勢力を代表する者」全てが「意欲」しているものだ。そして彼らは「国体の護持」と唱えて「支配階級擁護の方便とする」。これが「ブルジョア・地主支配形態の重要なる一武器」となっている。
・・・「御用学者」は、「天皇と政治とは同一なものではない」とする「国体政体区別論」を唱えている。(天皇主権という学説のことだと思われる)。一方では国体と政体は同一なものだという議論もある(天皇機関説)。
 「何でもかんでも国体を神秘化しようとする」議論と違って、天皇機関説には進歩があるが、「同一陣営内」のものであり、「ブルジョア法律学の限度のもの」であり、「たどり着く先は共に国体の絶対的擁護」だ。
 そしてこれらの学説が「現代のブルジョア教化の中枢」となり、「資本主義精神を叩き込むために」行われている。「その教化に基づいて、この国体をかつぎ上げ、プロレタリアートの階級的解放運動にたいする、飽くなき逆宣伝と煽動とを飛ばしている。これは、無産階級の弾圧にたいする合理化のために好都合なことである」
・・・いまや警察は「階級闘争弾圧のための武器」と化し、「暗黒・恐怖政治」を「実現」している。その「鬼畜にひとしい弾圧」を、(山本宣治ら一部の議員が)「極めて一部分に過ぎない」にせよ国会で明らかにしたが、政府側は一切否定する。
 「資本家地主の政権を集中しているところの政府」が、(捜査機関による)「苛酷暴戻なる発動」を「あくまで好意を持ち放置するという事実」は、「単に直接的なストライキの蹂躙と小作争議の暴圧とによるばかりではなく」、「無意味な国体擁護の中心スローガンに結びつけられるところの資本家・地主擁護、換言すれば、労働者・農民の利益を盗奪する者の利益を擁護すること以外の何物でもない」
・・・「決死的に闘争を押しすすめていく」「無産階級の戦闘的分子」を恐れ、「ブルジョア的独裁政治遂行の目的のために計画されたものが、悪法治安維持法」である。
 さらにこの悪法を「緊急勅令」によって改悪したことは、「資本家・地主の独裁政権のための政策の必然的表現である」
 その資本家や地主から「悪魔的誹謗の的になっている日本共産党」は、日本無産階級がもつ唯一の政党である。労働者階級の革命的な前衛党である。それは、あらゆる機会において、労働者の本質的な利益を戦いとり、労働者を暴戻なる資本家政府の攻勢から救済するための政党である」「スローガンをあげれば次の如しである。

一、 帝国主義戦争反対
一、対支非干渉
一、ソビエト同盟を守れ
一、植民地の絶対的解放
一、議会の解散
一、天皇制の廃止
一、十八歳以上の男女に普通選挙を与へよ
一、言論・出版・集会・結社の自由
一、七時間労働制
一、失業保険
一、労働者抑圧法の廃止
一、皇室、社寺、地主の土地没収
一、高率累進所得税
 労働者農民の政府を作れ
 プロレタリアート革命万歳


 このようなスローガンこそは、労働者・農民の解放――その幸福の招来のために、まことに切実なものである。このスローガンの実際化によって、労働者・農民が新しい活動の天地を持つことが出来るのである」
・・・(資本家階級は)「労働者が路頭に迷うことを」気にしない。「自分の懐具合さえよくなれば」かまわない。「現に、田中反動内閣の政策が、十七億の巨大なる戦争準備予算のうちに、僅か二百万円の社会政策費を見積もっているに過ぎず、労働者・農民の窮乏に対しては、何等問題にしないということを、即ち、それは、単に、労働者・農民の血税でもって、資本家・地主の擁護をなすところの政府だということをハッキリと証明したものである」
・・・「議会政治」とは、「人民の代表によって」、「人民の意志」が反映され、政治が決定する「民主主義的な存在」だという「幻想」がある。しかし「いまや、議会政治は、見事なる資本家階級の政治機関として、その本質を露呈」している。
突然の「緊急勅令」発布によって、議会政治というものが、どんなにもなるという事が証明される」。「資本家階級の必要に応じていつでも緊急勅令というものが濫発される」であろう。
「即ち、いうところの議会政治は、完全に破壊されて、一般大衆の目を欺くための擬装としてのみ価値と意義とをもったものだと断言出来るのである。されば、わたくしは、この確信のもとに、この帝国議会に臨んでいる次第である」
・・・「当局は、議会で説明した点や司法省や内務省で発しておいたことを何の造作もなく覆して出鱈目に解釈・適用し去っている」
 「たとえば、運動の外廓にあるものは、処罰しないと云っておきながら、依然として、これを処罰していることや、何等治安維持法の範囲内へ入らないところの京大学生事件などというものをデッチ上げて、残酷な処罰をしたことや、何等犯罪にあたらないところの外廓を、今猶鉄窓の裡につないでいるが如きは、明らかな事実である。
 しかるに、いまここに、改悪案を掲げて、極刑に問おうとするものは、従来、嘘と不法とで固めた方法に慊らざる(あきたらざる)して、今後ますます凶暴なる弾圧に曝そうといふ意図に過ぎない。
 わたくしは、労働者・農民の代表者として帝国議会に臨んでいるものとして、かかる悪法・悪緊急勅令を永久化することには、徹底的に反対なものである。悪法・悪勅令の撤廃をこそ、あくまでも高唱してやまないものである」

 本当にこの草稿を国会で読み上げる覚悟があったのかと思うが・・・政権と資本の関係、つまり「国家」だの「天皇制」などというものは資本家階級の利益を維持するための小道具に過ぎない、治安維持法とその更なる改悪も、資本家の立場を強化するための手段だ。・・・と見事に看破している。このように山本宣治は単なる左派系議員などではなく、確固たる信念を持った革命家だった。(ついでに言えば、当時は非合法だった日本共産党は、戦後のああいう体たらくでは無かったのだろう) あるいは、もしこの草稿のまま国会で発言する機会が得られたらそのまま監獄送りか凶刃に斃れても運命だと覚悟していたのかも。

 なお、山本の国会発言が叶わなかった1929年3月5日の夜、右翼団体「七生議団」の黒田保久二という男が、芝浦の労働者だと偽って、無理に面会を求めてきた。そして黒田は山本に「自決勧告書」を突きつけ、それを山本が受け取って机に置いた瞬間、黒田は短刀で山本の首筋を斬りつけた。しかし山本は逃げようとする黒田に組み付き、さらに短刀で胸を突かれながらも二人で階段を転げ落ちたところで力尽きたという。(P-610〜P-617 「山本宣治君暗殺真相記 江口渙」より)
 「『七生議団』は緊急勅令の出された直後、『われ等は国家社会の秩序破壊者に対し挑戦す」という目的で結成された団体であり、その組織は内務省特高課や警視庁特捜課と密接な関係を有している。有松特捜課長は山宣の死体の解剖が行われる前に、犯人の正当防衛論を肯定する発表をした。
 山宣の口を永久に封じようとした者たちがだれであるかは、くどくどと説明するまでもなかろう」(P-560〜561の解説より)
 たしかにそう思うが、問題は、組織的な計画ではなくてもこういうテロは起こり得るということだ。そこらのネトウヨやレイシストが突然凶行に及ぶこともあり得る。奴らはそういうテロが容認されるような空気を作り出す。そして支配者と資本家はテロを歓迎し、捜査当局も手心を加える。国家+資本主義と卑劣な暴力は一体の物だ。日本帝国主義や資本主義は差別や暴力が無ければ維持できないのだ。いや日本帝国主義=天皇制なんぞ、「国家」なんぞ暴力そのものであり、資本主義を維持するための道具に過ぎない。だからこそ我々労働者人民は堅く団結し、全てを覆して新しい社会を創るため闘わなくてはならない。
posted by 鷹嘴 at 22:55| Comment(0) | 共謀罪は廃止だ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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