著者の三宅勝久さんは自衛隊の問題だけでなく多くの社会問題を追及しているジャーナリストである。なおこの「自衛隊という密室」は、暴力事件、佐藤正久や田母神俊雄についての疑念だけでなく、装備納入に関わる汚職事件などについての追及もあるので、読み通せば自衛隊という密室の深い闇の恐ろしさを知るだろう。
■ 2008年、北海道東部の過疎地に住む吉村広子(仮名)は、高校卒業後に「ほかに仕事がない」ため陸上自衛隊に入隊した。母親からは「自衛隊はきちんとしているし勉強もできるらしい」と勧められていた。体力に自信がなく気が進まなかったので「何年かしたらやめよう、それまで我慢しよう」というつもりだった。
ところが入隊直後から、あまりにも激しい訓練と営内の規律、そして上官からの叱責というか罵声に苦しめられた。些細なことを咎められて班全員が制裁を受けることもある。腕立て伏せ1セット(30回から40回)、脱落者が出れば最初からやり直し。旧日本軍そのものだな。
広子の属する女性新人部隊の班長はKという30歳の男だったが、この男が彼女たちを常に怒鳴りつけ、殴る。体調が悪くても厳しい訓練を休ませない。歩行訓練の最中に過呼吸で倒れても休養させない。しかも、(どういう経緯で見つかったのか不明だが)広子が先輩隊員との交換日記の中で先輩を「ちゃん」付けで呼んでいたことに腹を立て殴りつけるほどの陰湿さだった。
広子は隣班の女性班長にKの暴力を相談した。ところがこれがKの耳に入り、Kは広子を呼び出し「お前たちに裏切られた」などと言いながら殴りつけた。
こうした激しいパワハラと暴力によって広子は嘔吐を繰り返すなど体調不良に苦しんでいたが、そういう広子をKは(夜間の)「点呼に出ろ」と、ベッドから無理矢理引きずり出し、激しく殴りつけた。
耐えられなくなった広子は母親に自殺を示唆するような電話をした。母親は広子の「半狂乱」な様子に驚き自宅に引き取ったが、自殺未遂するなど広子の心の傷は深かった。医師は「心因反応」と診断し「原因は職場のパワハラだろう」と述べた。広子が落ち着きを取り戻し事情を語り始めるまで数ヶ月を要した。
しかし母親が自衛隊に暴力の事実を糾すも、全て否定する。しかも「寝てて給料もらったらだめだ」などと言って自主退職を促す。著者の三宅氏も直接この駐屯地に取材したが幹部は暴力を一切否定する。暴力は懲戒処分の対象であり、被害者からの聴取は欠かせないはずだが、しかし広子は事情聴取を受けたことは無いと言う。Kの話だけで暴力は無かったと断言するのだ。
広子の病気休暇が残り少なくなったころ、部隊の人事担当者から通告が届いた。免職になれば再就職に不利になるので自己都合で依願退職したほうがいい、というのだ。
さらに部隊から退職届が届いたが、あきれたことに本人記入欄に鉛筆で薄い下書きがしてあった。「団体生活に馴染めずストレスから体調不良で長期療養し訓練についていくことが不安なため退職を希望します」。同封の「退職者調査票」には、傷病の原因を示すため「公務」か「非公務」か選択する欄があったが、ここにも「非公務」に薄くマルがしてあった。
自衛隊の「忌まわしい記憶」を忘れたい広子はその通りに記入して返送し受理されたが、わだかまりが消えない。コピーを取っておいた退職者調査票に「上司からの暴言や暴力があり心身に変調をきたし任務継続が困難になった。しかも人事担当者から『このままでは免職になり再就職に不利』などと勧められたため従った」と記入し、傷病の原因については「公務」にマルをした。そして母親はKに対する懲戒処分の申し立ての手紙を添えて部隊に送った。(自衛隊法施行規則では、隊員に規律違反の疑いがあるときは「何人も」懲戒権者に申し立てができる、と定められている)
しかしKの処分は行われず、代わりに広子のいた部隊で若い男性隊員が宿舎から飛び降り自殺したという噂が流れてきたという・・。
この駐屯地の幹部は三宅さんに、
「人を大切にしようという意識が薄い。自殺者が出てからメンタルヘルスだと騒ぐ。そんなことばかり繰り返している。人事担当者も、わかっていても上にお伺いをたてないと何もできない。官僚も幹部も現場を見ろといいたい」と嘆いたそうだが、幹部ならば嘆く前に少しでも事態を改善するために動いてほしいと思うが。
■ 2007年、静岡県の駐屯地の戦車部隊中隊の田中次郎二等陸士(仮名)と北見伸一郎二士(仮名)はある晩、宿舎の自室にて突然やってきた先輩のE士長とJ一士から理由も告げられぬまま、殴る蹴るの激しい暴行を受け、田中は奥歯を2本折られてしまった。
田中と北見にとって思い当たることは、この夜は中隊長室の掃除当番になっているので忙しく、部隊の中の付き合い(ジャンケンに負けたらジュースを奢る)に参加しなかったことだけだ。班長である三等陸曹には掃除に行くことを告げたが、E士長とJ一士にとっては田中や北見のすぐ上の階級である自分たちを飛び越えて三等陸曹に伝えたことが気に喰わなかったようだ。
翌朝、班長が田中の異変に気付き、事情を訊ねた。10日後に警務隊による捜査が始まった。
ところがおかしなことが起こった。警務隊員の一人が田中にEとJの刑事処分猶予を求める嘆願書を見せたが、そこには田中の三文判が押してあった。なぜ被害者である田中がそんなものに判子を押すのか?
さらに中隊長は「加害者と一緒に親御さんに謝りたい」などと、暗に示談を持ちかけてくる。田中は「事件が解決するまでは・・」と断ったが、次第に先輩らの態度が冷淡になり、精神的に追いつけられていった。結局は被害届を取り下げて示談に応じた。和解金は歯の治療費で無くなる程度だった。EとJの処分は停職7日間という軽いものだった。地元記者クラブへの発表文では、EとJが後輩2名に「平素の服務態度・清掃要領などについて指導していたところ、些細なことから激高し・・・」となっていた。田中の記憶とは違うな。
示談成立後、自衛隊に居づらくなった田中は除隊した。
田中は再就職に苦労している。自衛隊からの「就職援護」は無く、それどころか試験を受けた先で「自衛隊で何かあったでしょう」と言われて落された。ところで田中は自衛隊のいじめ自殺を追ったテレビの報道番組を観て、示談せずに起訴してもらうべきだったと後悔した。
「あの夜を境に、自衛隊に対して抱いていたあこがれは不信に変わった。臭いものにフタをしようとする組織の姿を目の当たりにして嫌気がさしてきた」
「殴られたまま泣き寝入りしていればこんな辛い目に遭うこともなかったのかもしれません。でも後悔はしていない。ドイツには『軍事オンブズマン制度』というものがあるそうですが、自衛隊にもこういう制度が必要です。暴力を働く自衛官の給料を払っているんですから、そのくらいのことはできるはずですよ」※ ドイツの「軍事オンブズマン制度」とは、ドイツ連邦議会の補助機関であり、議員が選出する「連邦防衛受託官」や「防衛観察委員」が、「部隊監察権」や「文書閲覧要求権」などの強い権限によって連邦軍を観察する。軍の人権侵害についても、兵士や家族の訴えによって調査し議会に報告する。年間5千件から6千件の訴えががあるという。「自衛隊という密室」P-64より
■ 2007年8月、石川県の航空自衛隊小松基地にて、基地を一般に開放する「納涼の夕べ」というイベントが行われていた。隊士らも体育館内での飲酒が許可されていた。この日の夜、消防小隊に所属する空士長の小川巌(仮名)は、泥酔した3等空曹のNから理由もなく殴る蹴るの激しい暴力を受けた。左目に飛んできたパンチがもろにヒットし、「目の奥でパキッと音」がした。失神した小川になおもNが馬乗りになり殴り続けているのを数人の隊員が発見し引き離したという。「あのまま続いていたら死んでいたかもしれません」
数時間後、小川は小松市内の病院のベッドの上で目を覚ました。救出から搬送まで2時間以上経っていた。当直医の診断は「左眼眼窩底」、手術をしなければ後遺症が残るというが専門医がいないため一晩で基地に戻ることになった。
朝になって小川の顔はますます腫れてくる。前歯も欠けている。上司は「お前、ほかの人に見られたくないだろう。部屋の外に出たくないだろう」と言い、消防小隊の仮眠室で二週間も「軟禁生活」を送ることになった。小川の腫れあがった顔を見れば暴力事件があったことが明らかになる。事件を隠蔽するために小川は隔離されてしまったのだ。許し難いことに小松基地は小川の両親に「酒の上での喧嘩だ」などと虚偽の説明をしていたという。
小川は二週間後、金沢市内の大学病院で手術を受けたが、左目は失明してしまった。医師は「原因は分からない、診断では分からないような強いダメージを視神経に受けていたのかも・・・」と告げた。
手術の後、やっと警務隊の捜査が始まった。Nは暴行致傷で書類送検、起訴され罰金50万円の略式刑、行政処分は停職15日間。何という軽い刑罰と処分だろうか。
翌年小川は、国家賠償請求訴訟を起こした。しかし国側は、Nの行為は私的な行為であり、「事業の執行について」行われたわけではない・・・つまり個人的な暴力だったから自衛隊には責任は無いと突っぱねるのだ。ありがちな言い逃れだな。この裁判がどういう結果になったのかは残念ながら不明。
自衛隊を辞めざるを得なくなった小川は鍼灸師の勉強を始めた。東洋医学で視力が回復するかもしれないという望みと、病気や怪我で苦しんでいる人々に役立ちたいとの思いもある。
「わたしがもし死んでいたら何を言われているかわからないと思います。死人に口なしです。自衛隊にはちゃんと誠実に謝ってほしい。願うのはそれだけです」
■ 以上は自衛隊に於ける恐ろしい暴力についてだが、暴力を伴わない「いじめ」というか悪質なパワハラも行われているようだ。
元3等空曹の今村京太(仮名)は、20歳のとき専門学校を卒業して曹候補士として航空自衛隊に入隊し戦闘機の整備をしていた。彼の出身地は日本海側の某県で就職口が少なく、自衛隊に合格したときは同級生に羨ましがられたという。
入隊して10年ほど経ったころ、突然上司が「自費で運転免許をとってこい」と告げた。しかし彼の仕事とは関係なく、子どもが小さいため家計に余裕がなかったため自費では無理だと断ったが、上司は納得しなかった。そのころから「職場の人間関係がおかしくなり」、ストレスから精神的ダメージを受け、整備の担当を外されて「データ入力業務」を命じられた。
これが、一人っきりの部屋で市販の英文教科書の文章をパソコンに打ち込むという、無意味極まりない業務だった。いわゆる「追い出し部屋」だな。上司が5分から10分おきに監視に来る。朝礼も終礼も参加できない。
しかもときどき複数の上官が背中越しに「裏切り者」「悪いやつ」「退職なんて簡単に言い渡せる」「俺なら絶対やめる」「バカ」「かならずやめてもらう」「死にたいやつは死ねばいい」・・・などと罵倒する。連日これが続くので「死にたいなあ」という気分になったが、妻子がいるので踏みとどまったという。
自衛隊には「服務指導には垣根はない」という言葉があるという。「服務指導」の名目があれば何をしてもいい、というのだ。退職の強要もありなのか!別の隊員は胸倉をつかまれて「やめろ」と怒鳴られていたという。その隊員も小さい子どもがいるのに退職に追い込まれた。
こうして陰湿ないじめを受けていた今村は退職を決意し、退職願いに「再三の上司による嫌がらせに耐えきれず、退職を希望する」と記して提出しようとすると、「こんなのは受け取れない。できるわけない」と拒否されたという!結局提出したが。退職後、今村はセールスマンとなった。楽な仕事ではないが「いまとなっては辞めて正解でした」。
こんな組織に自殺者が多いのは当然であろうが、今村が三宅さんに語るところによると、自衛隊は自殺の原因について「調査中」「不詳」としか言及しない。いじめが原因の自殺は「ない。ないことになっている」。「自分たちが(いじめを)『ない、ない』と言うのは当たり前だから」。自衛隊内部の病院の精神科に相談すると「内容が全て上司に筒抜けになる」。
だから「それなりに権限」が強く、(隊員による相談が可能な)「専門の第三者機関」を「外部につくるしかない」。「そうしないと自殺はこれからもっと増えるんじゃないでしょうか」。
今村が言うには、
「自衛隊で生き残れる人間は二種類しかいない。
すごく悪くてずる賢い人か、
ものすごく真面目な人。
中途半端は弾かれます」。
真面目というのは、
「ロボットです。言われたことを『はい』とやる」。
俺みたいな、ずる賢さも真面目さも「中途半端」な人間には全く向かない世界だな。
「『人事は“ひとごと”書いて人事だからな』と先輩から聞いたことがある。気に入らない部下がいると、そのとおりに人事評価を書く」
自衛隊の体質改善には「外部の監視機関をしっかり設けるしかない」。あるとき女子トイレに男が潜んでいたのを女性幹部が目撃し、警務隊が指紋を取った。しかし警務隊は犯人を捕まえられない。「そういう話はいっぱいあります」。
ある高級幹部付き(秘書)の女性はひどいセクハラを受けて辞めた。「『幹部付きは顔で選ぶ』と聞いたこともある」。
そしてキャリア幹部は退職後は生命保険会社や損保に再就職できるが、ノンキャリアはパチンコ店や警備会社、高速道路の料金所くらい。「私は今の仕事を自分で探しました」。
しかしそういったセクハラも、幹部がらみだから事件には「なりません。そんなの事件にしたら大騒ぎになりますよ(笑)」
・・・自衛隊という組織の本質がよく分かった。隊員がどんな激しいパワハラ、暴力を受けていても、「ロボット」は、上司が命じるまま、何もなかったように処理するだろう。「ひとごと」と書いて「人事」だからな。
こういう「ロボット」は、どんな問題や不祥事が発生していても、事を荒立てたくない組織の体質に合わせて穏便に処理、つまり隠蔽するだろう。そして有能な人間は弾かれ、上司の顔色を窺うことだけが得意な人間が残り昇進する。こんな組織から人権侵害が無くなるわけがない。
それにしても、こんな組織にまともな任務がこなせるわけがないと思うが・・・そもそも自衛隊という組織の表向きの目的は「国防」だが、(自衛隊に限らずどこの軍隊も同じだと思うが)本当の目的は国家予算を浪費することではないか?
差し迫った危機がなくても激しい訓練は欠かせない。燃料も弾薬もどんどん使う。メンテに金をかかる。そうすれば軍需産業が潤う。経済界が潤う。
だからどんな無駄な無意味な装備でも政府が命じるままに導入する。どれだけ税金が無駄になっても知らん顔。装備の欠陥など都合の悪いことは隠蔽する。こういうことは自衛隊には得意だろう。日本政府にとっても、自衛隊のこういう体質は実に好都合だろう。
黙っていれば日米の軍需産業を潤すだけ。我々の税金が際限なく浪費され、頭上を危険な軍用機が飛び回る。そして自衛官が人権侵害を訴えても無視され隠蔽される。被害者の方々が訴えるように「外部」の監視機構が今すぐ必要であろう。
ところで、こうした自衛隊の体質、つまりずるい人間やイエスマンだけが出世し、迂闊に意見すれば冷遇され、パワハラは無かったことにされ、不祥事はとことん隠蔽される・・・という体質は、我々が働いている職場にも多かれ少なかれ共通しているだろう。それに職場での暴力についても(自衛隊ほどひどい例は少ないかもしれないが)今でも横行しているようだ。自衛隊で起きていることは「ひとごと」ではない。自衛隊に勤務している人々も労働者であり、労働者としての当然の権利が保障されなければならない。
こういう組織の構造を当然のように受け入れてきた(むしろ加担してきた)態度を捨て、あらゆる働く現場でパワハラや不当労働行為を根絶させるために、働く仲間と団結して闘わなくてはならない。会社、雇用条件、国籍が違っても、職場の同僚は全て仲間であり、職場で起きていることは「ひとごと」ではない。