滝野氏が元アメリカ陸軍中佐デーヴ・グロスマン氏の研究から引用するところによると、多くの兵士や警察官は銃撃戦に臨んだ際、聴覚や視覚の乱れ、言語障害、記憶の欠落、さらには失禁・脱糞を経験しているという。人間の精神は殺し合いに耐えられるように出来ていないのだろうか。グロスマン氏が言うには、「人は人を殺せない」というのだ!
まさかと思い、グロスマン氏の著書「戦争における人殺しの心理学」と「戦争の心理学 人間における戦闘のメカニズム」を図書館で借りてみると、衝撃的な記述があった。第二次世界大戦におけるアメリカ軍の兵士らは、
「敵との遭遇戦に際して、火線に並ぶ兵士100人のうち、平均してわずか15人から20人しか、『自分の武器を使っていなかった』」
つまり目の前に敵がいるのに、80%から85%の兵士は、引き金を引けなかったというのだ!
俺は、兵士という立場にされてしまった人々は一部の例外を除き、その立場上やむなく、あるいは恐怖心や憎しみから、必ず敵を殺そうとするものだと、思っていた。そして命令さえあれば、いや逆に厳しく戒められていても場合によっては捕虜や非戦闘員を躊躇なく殺害するものだと思っていた。それが古今東西変わらない兵士たちの姿だと思っていた。これは全くの幻想だったのか?
もっとも兵士がいざという時に発砲できない、新兵は大抵初陣で大小便を漏らす・・・という話は聞いたことがあるが、それにしても発砲率が15%から20%とは全く信じられない話だ・・・。
滝野氏によると、近年自衛隊はCQB(Close Quarters Battle -- 市街地における近接戦闘)に対応した訓練を行っているという。
「ドアを破って部屋に入り中の敵を制圧し、暗くて狭い廊下の向こう側と撃ち合う。創設以来培ってきた冷戦型の『着上陸進攻』に対処する戦闘に比して、はるかに精密なスキルが要求される。敵の息づかいさえ感じられる距離での戦いであり、それだけに心理的な負担が増えることも想像に難くない」滝野氏は、自衛隊がCQB訓練を導入し始めた当時に、知己を頼って九州の部隊の訓練を見学することが出来たという。その後、「彼らの戦闘能力の高さに瞠目して」、全国各地の部隊がこの訓練を取り入れるようになったというが・・・
「彼らがその生真面目さでスキルを磨き上げ、現在はかなりの任務がこなせるようになったとしても、実戦での経験は皆無、という冷徹な事実がある」2012年1月から南スーダンに自衛隊のPKO部隊が派遣されていた。「PKO五原則」を反故にして内戦が終息しない現地へ派遣したこと自体が許し難いが、さらに2016年11月からは「駆けつけ警護」の任務が与えられた。実際の戦闘に発展する危険性を覚悟して任務に当たれ、ということだ。
ここで滝野氏が危惧するのが、デーヴ・グロスマン氏が指摘する戦場の恐怖である。初めて銃火を交えることになるかもしれない自衛官らが、任務を遂行できるのだろうか。恐怖に耐えられるのか。退職した後もPTSDに苦しむのではないか・・・。幸いにも実際に戦闘に巻き込まれることは無かったが。そして滝野氏は「プラカードを掲げ平和を唱えるだけでなく」、このような任務を課せられた部隊の立場を理解し、「きちんと考えようではないか」と説いていく。
というわけで俺も「きちんと考え」ようと思い、グロスマン氏の著書を読んでみたので、近日中にこのブログで紹介
※ 参考:なおグロスマン氏によるアメリカ軍の第二次世界大戦における兵士の発砲率についてのデータは、アメリカ陸軍准将のS.L.A.マーシャルによる戦後の調査によるものだが、その調査方法などについて疑義があるらしい。以下のような記事もある。
◇ 『戦場の兵士の大部分は敵を射撃しない』という神話(dragoner) - 個人 - Yahoo!ニュース
グロスマン氏は「戦争における人殺しの心理学」の発表後にこの点について批判されたのかもしれない。続編である「戦争の心理学 人間における戦闘のメカニズム」にて、S.L.A.マーシャルの調査は信頼できるものであると、さらに他の研究でも同様な報告がされていると訴えている。そもそも「戦争における人殺しの心理学」でグロスマン氏がたっぷり説明していることだが、最前線の兵士が発砲を躊躇うというのはS.L.A.マーシャルの調査だけではない。だから第二次世界大戦以前の兵士にそのような傾向があったことは認めなくてはならない。
しかし・・・これから自分が書こうといていることをネタバレするようなものだが・・・その後、アメリカ軍の訓練によって戦場での発砲率は劇的に上昇した。軍がそのように兵士を育て上げたのである。もちろん同様の訓練を行っているのはアメリカ軍だけではないだろう。だから『戦場の兵士の大部分は敵を射撃しない』というのは現代では『神話』になっていると見ていいだろう。
※ 参考:ところで滝野氏もデーヴ・グロスマン氏も、その経歴からも想像できるが反戦の立場ではない。グロスマン氏は単なる退役軍人ではなく、心理学・軍事学の教授であり、その著書では、兵士が銃を撃てないのは図書館の司書が字を読めないようなものだ、だからどのようにすれば人を殺せるようになれるか・・・と説明している。アメリカ軍にとっては彼のようなOBの存在はありがたいことだろう。
滝野氏は
「『戦争はイヤだから派遣反対』『撤収を』と訴える人たちは、もし本当にそう信じているならば、国連前でも同じように訴えるべきだ。国連のやり方は間違っていると。私はそうではないと考える」と主張する。
・・・正直、「平和を維持するための軍事力すら否定するのか!」と言われれば今の俺では言い返せないが(笑)・・・もし親族や知り合いに職業軍人がいたとして、PKOで派遣されそうになれば、「そんな任務は拒否しろ!そもそもそんな仕事は早く辞めちまえ!生活がかかってるって?死んだら元も子もないだろ!」と言うだろう。それしか言えない。
ちなみに南スーダンの内戦は石油の利権が対立を激化させているそうだが、貪欲に石油を買い漁るのは欧米や日本のような環境破壊先進国である。レアメタルの利権を巡るコンゴの内戦についても同じことが言えるだろう。
※ 参考:グロスマン氏によると銃撃戦の前後に精神的に激しく動揺するのは兵士だけでなく、「法執行官」つまり警察官も同様だという。
悲しい事だがアメリカだろうが日本だろうがどこの国でも同じだと思うが、警察という組織の実態は、政治弾圧のための道具であり、かつ市民生活を脅かす最大最悪の暴力組織だ。組織のメンツを守るためなら虚偽の自白を強いるのも不祥事を隠蔽するのも恥じない。
しかし社会には犯罪の抑制と捜査のための機構が絶対に必要だと思うよ。どんな社会でも犯罪は無くならないと思う。知り合いの自宅にオレオレ詐欺の電話がかかってきて、騙されたフリをして通報し、待ち伏せしていた私服警官が「受け子」を捕まえた・・・という珍事があったが、こういう話を聞くとやっぱり捜査機関って必要なんだと思うよ。そういう計画的な犯罪じゃなくても、誰しも「魔が差す」ってことはあるだろ。
だから!政権の意向に左右されず、誠実に公正に任務に当たる組織が必要なのだが・・・それはともかく警察官は、武装した者による殺人を防ぐため、自分自身の命を守るため、最低限の武装が必要だろう。場合によっては銃を手にせざるを得ないだろう。最大限の配慮が欲しいが。言うまでもなく現在のアメリカの警察など論外だが。
グロスマン氏は軍人に対してだけではなく「法執行官」に対しても、そういう職業を選択したのだから確実に標的を撃たなければならないと説き(無理なら車のセールスマンでもやれってさ)、また事後の心のケアについても解説している。
それはともかく、だいたいアメリカで「法執行官」が銃を構えなければならないような犯罪が減らないわけがない。早急に厳しい銃規制が必要だろう。