(1)の続き。
というわけで、「戦争における『人殺し』の心理学」(デーヴ・グロスマン/著 安原和見/訳 ちくま学芸文庫 2004年5月10日第1刷発行 2019年12月5日 第21刷発行 樺}摩書房)からの引用を始める。
ところでこの著書は欧米の多くの元軍人や研究者らの談話や研究が引用されているが、それらの人々をカタカナでググってみても何も出てこないからどんな経歴の人だか全く分からない。まあ日本語でググっても分かるわけがないよな。申し訳ないが分からないまま引用することにする。
なおグロスマン氏の著作(の邦訳)には「ベトコン」などという侮蔑的な言葉も見受けられるが、これもそのまま引用する。
■ 繰り返すがアメリカ軍准将S.L.A.マーシャルの調査によると、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の兵士らは、
「敵との遭遇戦に際して、火線に並ぶ兵士100人のうち、平均してわずか15人から20人しか、『自分の武器を使っていなかった』」
つまり目の前に敵がいるのに、80%から85%の兵士は、引き金を引けなかったのだ。
マーシャルは米軍所属の歴史学者であり、彼のチームが第二次世界大戦においてドイツ軍や日本軍と交戦した400個以上の歩兵中隊を対象に、兵士への個別および集団の面接調査を行ったところ、こういう結果が得られた。(P-43)
彼はこの調査結果を踏まえて、「戦闘の精神的・肉体的ストレスに耐え」られる兵士でも、「普段は気付かない」が「内面にはやはり抵抗感を抱えて」おり、敵兵殺害を避けようとする。「いざという瞬間に、良心的兵役拒否者となるのである」と語る。(P-40)
■ 兵士たちのこういう実情を把握していたのはマーシャルだけではない。第二次世界大戦で歩兵中隊の指揮官だったミルトン・メーター大佐は、第一次世界大戦の経験がある「おじ」から、「発砲しようとしない徴集兵」がいたことを聞かされた。彼らは「こっちがドイツ人に発砲しなかったら、ドイツ人もこっちに発砲しないだろうと思ってたんだ」。
彼は同様の話を複数の先輩からも聞かされた。「戦闘の時に発砲しない兵士が大勢いるから気を付けろ」と注意しろというのだ。軍の講師は、第一次世界大戦のときに「発砲しようとしない兵士は将来の戦争でも問題になると思う」と述べていた。「敵の射撃運動連撃の標的にされないためには発砲しなきゃならんのに、どうしてもそれがわからない兵士がいるというんだよね。そんな兵士に銃を撃たせるのがどれだけ難しいか、ことばを尽くして力説していたよ」(P-80〜81)
■ もちろんアメリカ軍だけに見られた状況ではない。アルダン・デュピクが1860年代にフランス軍将校を対象に調査したところ、次のような回答を得た。「かなり多くの兵士たちが、まだ敵から遠く離れているうちに空に向かって発砲していた」。「危険にわれを忘れて狙いもつけずに空に向かって発砲するも者もいた」(P-53)
■ パディ・グリフィスの推計によると、ナポレオン戦争や南北戦争のころの一連隊(200人から1000人程度)は、平均30ヤード(1ヤードは90cmちょっと?)の射程距離から掩蔽のない敵の連隊を攻撃しても、平均して1分に1人か2人しか殺せなかったという!数百人の兵士らが30m弱の距離から敵を狙撃しているのに、こんな命中率なのだ!(P-53〜54)
当時用いられていたのは「マスケット銃」という、先込め式の銃だった。火縄銃に毛が生えたようなものか?雷管がある分、まだ使い勝手がいいか?ちなみに火縄銃もマスケット銃の範疇に入るらしいね。そりゃともかく、いくら旧式の銃でもこんなに殺傷力が低いわけがないはずだ。
■ ジョン・キーガン、リチャード・ホームによる「兵士たち」によると、1700年代後半のプロシアで行われた実験だが、敵の部隊を示す高さ6フィート(1フィートは30cmくらい?)、長さ100フィートの標的に対して、225ヤードでは命中率25%、75ヤードで60%だった。
高さ180cm、幅30mの壁に対し、70m弱の距離から撃ってやっと60%命中というのはあまり優秀とは言えない気がするが、これが戦場になるともっとひどかった。1717年のベオグラードの戦いでは、「二個大隊がトルコ軍に銃火を浴びせたが、敵が30歩まで近づいてきても32名のトルコ兵しか倒せず、たちまち圧倒されてしまった」(P-54)
■ ベンジャミン・マッキンタイヤによると、南北戦争における1863年のヴィクスバークでの夜間の銃撃戦では、一個中隊の兵士が同数程度の敵に対して「15歩と離れていないところからなんども一斉射撃をくり返した」が、両軍とも無傷だった!(P-54)
■ リチャード・ホームズの「戦争という行為」によると、1897年にロークス・ドリフト(南アフリカ)でイギリス軍の部隊がズールー族に包囲され、イギリス軍は「直射距離」から一斉射撃したが、統計によると一人倒すのに13発の弾丸を要した。(P-55〜56)
■ 1870年のヴィッセンブルクの戦い(普仏戦争?)ではフランス軍は4万8千発を放ったがドイツ側の死者は404人だった。
1876年、ローズバッド・クリーク(アメリカのモンタナ州?)で、アメリカ軍は2万5千発の銃弾を放ったがインディアン側の死傷者は99人だった。(P-56)
■ 第一次世界大戦ではイギリス軍の将校が、兵士が空に向かって発砲させるのをやめさせるために、銃剣を抜いて塹壕を見回り、「しりを蹴飛ばして、もっと低く撃てと命令」するしかなかった。
ベトナム戦争でも、「敵味方の銃弾をかいくぐって」任務に当たった衛生兵が、「銃撃戦のさなか、だれにも当たらない無駄弾丸があんなに多いとは驚いた」と語った。(P-56)
ちなみにグロスマン氏は軍の射撃場を20年体験してきたというが、射撃手が標的をわざと外して発砲しているのかどうかは、傍から見ていてわかるものではない、と言う(P-59)。そりゃそうだろうな。1cmずれてても弾は関係ないところに飛んでいくよな?
■ こうした状況は古今東西を問わず見られたようだ。
リチャード・ゲイブリエルによれば、「ニューギニアの未開部族」は、狩猟に使っている弓矢を部族間の戦いに用いる際には、矢尻の羽根を抜いてしまう。おそらく正確に飛ぶことはないだろう。
アメリカ・インディアンは「見なし攻撃」、すなわち敵にただ触るだけの行為を、「実際に殺すことよりはるかに重視していた」(P-56〜57)
■ ハーバード(大学?)のアーサー・ノック教授がサム・キーンという学者から聞いたところによると、ギリシャの都市国家間の戦争は「アメリカン・フットボールの試合より大して危険でなかった」。ということは、おそらくモッシュピットより安全なんだろうな?
アルダン・デュピクによると、アレクサンダー大王の32年間の生涯において、彼が率いた軍隊の中で戦死した兵士はわずか700人だった。もちろん敵兵の犠牲ははるかに多いが、その大半は敗走中に追撃された際の戦死者で、「戦闘自体はほとんど無血の押し合いだったようだ」。(P-58〜59)
■ 「南北戦争コレクター事典」の著者のF.A.ロードによると、ゲディスバーグの戦い(1863年)のあと、
2万7575挺のマスケット銃が戦場から回収されたが、使用されずに放置された銃がほとんどだった。
2万4000挺は、弾丸が装填されたままであり(つまり発射されずに捨てられた!)、
1万2000挺には複数の弾丸が装填されており、
6000挺には3発から10発もの弾丸が込められていた。
なかには23発も込められていた銃もあったという。(P-71)
マスケット銃とは先込め銃であり、銃口から火薬を流し込んで弾を入れて押し込む(この時代のマスケット銃は雷管で点火する分、火縄銃よりは実用的だったようだ)。だから発射した銃に再び装填するための手間がかかった。
だから射撃の役割から逃れたい兵士にとって、この時代の銃の構造は好都合だったかもしれない。銃に弾を込める作業に没頭していればいいのだ。既に弾が込められている銃でも、勘違いしているフリをして新たな弾を込めればいい。その役割も人員過剰(笑)なら、銃を手渡したり、負傷者を手当したり、伝令を務めたり、目標を観測すればいい。逃げ出したり物陰に潜めばいい。死んだふりでもいい(笑)
こうして少数の兵士だけが銃撃を受け持ち、他の兵士らはひたすら時間を稼いでいた。だから一つの銃に何発もの弾が込められたまま捨てられていたのだ。
ちなみに複数の弾が込められたマスケット銃は・・・たとえ銃身の先端まで弾が込められていても、発砲すると銃身が破壊するような事故は起きなかった。一番奥の火薬が点火して全ての弾が押し出されるだけだった。(P-67)
■ このように兵士たちが発砲しなかったりわざと的を外して撃っていた理由は、「いざという瞬間に」殺人行為を恐れたのだろうと思うが・・・意図的に殺害を拒否していたと思われる事例もあるようだ。
グロスマン氏の祖父は第一次世界大戦のとき銃殺執行部隊の一員だったという。銃殺とは複数の隊員によって執行されるが、祖父は毎回わずかに的を外して引き金を引いていたので、一度も命中させたことは無かったと「死ぬまで自慢していた」。
あるアメリカ人の傭兵ジャーナリストの記録(ドクター・ジョン「民主革命同盟のアメリカ人」)だが、ニカラグアにて、「サンディニスタ民族解放戦線」に敵対する「コントラ」(アメリカから資金提供を受けた民兵組織)に参加したとき、その部隊の隊長は「子どもも女もサンディニスタだから殺しちまえ」という意味のことをまくし立て、民族解放戦線でも何でもない全くの民間人が乗っている旅客船への総攻撃を命じた。兵士たちもこの傭兵も無言のまま配置についた。
部隊は川岸のジャングルに潜んで旅客船を待ち受けた。そして攻撃命令と共に機関銃と自動小銃が火を噴き、RPG-7(ロケット弾)が弧を描いた。しかし全て船を飛び越えて対岸のジャングルに着弾するだけだった。つまり民兵たちは民間人殺害を回避したのだ。これに気付いた隊長が「スペイン語で口汚く罵りながら」船の去った方向へライフルを連射したが、もう届かない。「ニカラグアの農民は屈強の戦士で、臆病者ではない。だが人殺しではなかった」。このアメリカ人傭兵は誇らしさと安堵感で笑いながら立ち去ったという。・・・(P-59〜60)
申し合わせたような行動だが、彼ら民兵は事前に話し合って決めていたのだろうか。それとも咄嗟の判断だろうか。それは分からないが、古来から大多数の兵士たちが戦場で敵兵を殺害することを逃れようとしていたのは事実だ。「人は人を殺せない」のだ。「いざという瞬間になると、だれもが胸の奥で良心的兵役拒否者になり、目の前に立っている人間を殺す気になれなかったのである」(P-79)
もっとも軍にとっては悩ましい事態であるから、近代になると兵士たちが必ず標的に発砲するように様々な訓練が行われているようだ。
(続く)
2021年06月20日
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