・ 日本の鎌倉時代の頃の「いくさ」というのは、武将が「やあやあ!我こそは・・・」と、「名乗り」を上げるのが慣例だったらしいね。だけど元寇のとき、モンゴル軍にはそんなルール無いからやられちゃたとか。
◇ 「やあやあ我こそは!」戦における名乗りは戦国時代どう変化した? | 戦国ヒストリー
・ どこで読んだのか誰から聞いたのか憶えていないが(ガセネタかもしれませんがご容赦を!)、内容だけは強く印象に残っている話。あるジャーナリストが紛争地を取材した際、激しい戦闘が行われていて、あと少しで勝敗が決するはずなのに、日没になると途端に両軍とも戦闘を止めてしまうんだと。「戦争くらい真面目にやれ!」と思ったそうな。
・ かなり昔の「週刊朝日」に掲載されていたが(何年何月号だったか憶えていないが)、ソ連軍と闘うアフガニスタンの戦士を取材した日本人女性ジャーナリストの話。
彼女の感想だと、戦士たちの日常は実にのんびりしたものだったらしい。東洋の女性が珍しかったせいもあるだろうが人気者になり、現地語で「つぼみ」を意味するニックネーム(そういう年齢ではなかったのだが)をつけられたそうな。外国人ジャーナリストと遊んでる暇があったら、ソ連軍の拠点にロケット弾撃ち込むとか出来るんじゃないの?そういう緊迫感は無かったみたいね。
ところがある日、銃声が鳴り響いて、戦士たちが「ルーシー!ルーシー!」(ロシアだ!)と叫び、「ああ、ここじゃ戦争をやってるんだっけ」と思い出したという。取材の期間を終えて帰国したが、「またあそこに遊びに行きたいな」と語った、とのこと。
というわけで本題。この投稿でもデーヴ・グロスマン氏(Dave Grossman)の二つの著書から引用する。
・「戦争における『人殺し』の心理学」(デーヴ・グロスマン/著 安原和見/訳 ちくま学芸文庫 2004年5月10日第1刷発行 2019年12月5日 第21刷発行 樺}摩書房)(原題 On Killing: The Psychological Cost of Learning to Kill in War and Society)
・「『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズム」(デーヴ・グロスマン、ローレン・W・クリステンセン/著 安原和見/訳 二見書房 2008年3月25日 初版発行)(原題 On Combat: The Psychology and Physiology of Deadly Conflict in War and Peace)
なおこの投稿では、以下の書籍からも引用する。
・「『人殺し』の心理学」(デーヴ・グロスマン/著 安原和見/訳 原書房 1998年7月21日 第1刷)
要するに、「『人殺し』の心理学」というタイトルで出版された書籍が、文庫本サイズになったとき「戦争における『人殺し』の心理学」というタイトルに変更されただけ。軽く読んでみた感じだと、文章全く同じ(だと思う)。もちろんページは、ずれるが。この「戦争における『人殺し』の心理学」を図書館で借りようとしても予約待ちが長いからこういうことになってしまった。あしからず!
■ 1863年、南北戦争の最大の戦闘となったゲティスバーグの戦いは3日間続いたが、夜になると戦闘は中断された。「これは歴史を通じてずっとそうだった」。夜になると「兵士たちはたき火のまわりに集まってその日の戦闘の反省会をしていたのだ」(『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズムP-45)
しかし、現代の感覚からはノンビリしているというか――両軍のあいだに暗黙の了解があったようにも思えるが――このような戦場は、20世紀には少なくなっていたようだ。第一次世界大戦以降、連日連夜何週間も何ヶ月も同じ場所で戦闘が続くようになった。
「昼も夜も戦闘が続く状況が数ヶ月におよぶというのは、20世紀特有の現象である」(『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズムP-45)
これも現代の感覚では当たり前のことだが。プーチンは早くウクライナ東部に傀儡政権を作って勝利宣言して引き上げたいんだ。ゼレンスキーはそれを絶対に阻止したいんだ。だから両軍とも24時間戦闘することになるよね?世界中のウクライナ応援団(笑)も、夜になったら休憩とか許せないよな?
しかしこういう状況が兵士たちの精神状態に何をもたらすのか。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦の際には、「後方という物が存在しなかったため」(要するに交代要員がいなかったんだな)、兵士らは2ヶ月間戦闘を続けることになった。こうした状況では98%の兵士が「精神的戦闘犠牲者」になる(『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズムP-45)。
リチャード・ゲイブリエルの「もう英雄はいらない」によれば、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争などでは、戦闘で亡くなった兵士より、精神的外傷のために前線を脱落した兵士の方が多かった。別の論文ではアメリカ軍は第二次世界大戦の際、精神的衰弱によって50万4千人の兵を失ったという(『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズムP-44)。
1973年の第四次中東戦争では、イスラエルの戦闘犠牲者のほぼ3分の1は精神的な理由によるものだった。1982年のレバノン侵攻の際には、イスラエル軍の精神的戦闘犠牲者は死者の2倍に達するという(戦争における『人殺し』の心理学P-101)。
そして、このような戦場で受けた心の傷が、その後の人生にも悪影響を及ぼすのではないか?1942年6月から翌年まで続いたスターリングラードの戦いに動員されたソ連軍兵士の多くは40才前後で死亡している。一般的なロシア人の寿命は60〜70才なのだが(『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズムP-46)
■ 話が前後するが、兵士たちは敵兵を殺すことを本能的に避けようとする。しかし反射的に敵を撃つような訓練を受け、戦場に送り込まれて訓練通りに敵を仕留めたあと、激しい罪悪感に苦しめられるようだ。
イラク侵略戦争に従軍した兵士は、イラクの準軍人二人を射殺した直後は快哉を叫んだが・・・すぐにその高揚感は罪悪感に転じた。射殺直後は自分が喜んでいたことが「罪の意識を深めたようだ」。
「あっと言うまに(敵兵の)命が抜けちまった」「まるでゼリーのようにふにゃふにゃ倒れたんだ」(『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズムP-286)
「私はバカみたいに『ごめんな』とつぶやいて、それから反吐を吐いた・・・全身が自分の反吐にまみれた。それは、自分が子供のころから言い聞かせられてきたことへの裏切りだった」(ウィリアム・マンチェスターという作家が第二次世界大戦に従軍し日本兵を殺害した経験)
「私はぎょっとして凍りついた。相手はほんの子供だったんだ。たぶん12から14ってとこだろう。ふり向いて私に気付くと、だしぬけに全身を反転させてオートマチック銃を向けてきた。私は引き金を引いた。20発全部たたき込んだ。子どもはそのまま倒れ、私は銃を取り落とし声をあげて泣いた」(ベトナムに従軍したアメリカ特殊部隊将校)
「もういちど引金を引くと、たまたま相手の頭に命中した。ものすごい血が噴き出して・・・仲間が集まってきたとき、私は反吐をはいていた」(第三次中東戦争のイスラエル兵)
「だから今度は、その近づいてきたプジョーにみんなで銃をぶっ放した。乗っていたのは家族づれだったよ。子供が3人。おれは泣いたよ。けどどうしようもなかったんだ。・・・子供に親父におふくろ。家族全員皆殺しさ、だけど、ほかにどうしようもなかったんだ」(レバノン侵攻の際のイスラエル兵)(戦争における『人殺し』の心理学P-164〜166)
■ デーヴ・グロスマン氏が、海外戦争復員兵協会の支部長に戦争の体験について取材したことがある。グロスマン氏が彼自身の第二次世界大戦における殺人体験について質問すると彼は、戦場では誰が殺したのかはっきりわかるものではないと言いつつも彼の目に涙が浮かんできて、長い沈黙のあと「でも、一度だけ・・・」と言い、声を詰まらせた。「こんなに年月が経ったのに」、まだ彼は苦しんでいるのだ。
翌日彼はグロスマン氏に「中佐、あなたの質問のことですけどね、ああいう質問で人を傷つけないようによほど慎重にしなくちゃ。私はいいんですよ、だけど、若い者にはいまでもすごく苦しんでいるのがいるから・・・」と忠告した。こうしてグロスマン氏は「殺人に伴うトラウマがいかに大きいか思い知った」(戦争における『人殺し』の心理学P-166)。そのはずなのだが・・・。
繰り返すが第二次世界大戦におけるライフルを手にした兵士の75%から80%は、敵に銃を向けようとしなかったが、ベトナム戦争では5%近くまで下がっている。
「これほど強い心理的な安全装置が無効にされた場合、重度のトラウマを負う可能性はほとんど必然性に近づく。先の戦争で大多数の兵士は殺人行為に手を染めるのを嫌う、あるいは手を染めることができないのが明らかになっていたのに、その兵士たち全員に心理的な条件づけが行われたのだ。こんな兵士たちは殺人体験を内に抱え込み、すでに心底震えあがっていた。そこへ、帰国してみたら同胞から非難され攻撃されたのだから、さらにトラウマを負い、長期的な精神障害をこうむったとしても不思議はない」(戦争における『人殺し』の心理学P-388〜389)つまり第二次世界大戦までの大半の兵士は、敵に発砲することをためらっていたのだが、その後の各国の特殊な訓練によって反射的に敵に発砲するようになった。だから兵士はそのあと、自分が人を殺したという事実に直面しなければならないのだ。
ベトナム戦争の経験がある元米兵が語るところによると、敵を殺すことを「頭にたたき込まれて」、「だんだん簡単になってくみたいな気はする」が、「でもほんとは簡単になんかなりゃしなのさ。やっぱりどっかで気にしてるんだ。つまり、実際にひとり殺すたびに、ああまたやったなってわかってるわけだから」(戦争における『人殺し』の心理学P-391)
東南アジアで従軍したアメリカ兵は約280万人、復員軍人庁によればベトナム帰還兵のPTSD発病率は15%、「この控え目な数字を信じるとしても」40万人超のPTSD患者がいる。別の説では150万人とも。離婚率や別居率が高く、ホームレスの中での大きな割合を占め、自殺率も高まる傾向がある。(戦争における『人殺し』の心理学P-447)
■ 著者は、除隊後も苦しみ続けるようなトラウマを避けるために、「合理化と受容」が必要だと説く。(※余談)
戦場に立たされた以上、敵兵殺害は避けられない。引金を引かなければ自分が敵に殺される。上官や戦友が殺される。だから自分がこれから行おうとする行為の合理性を疑うな・・・ということだろうか。
「殺人者は自責と罪悪感を完全に捨て去ることはできない。とはいえ、自分のしたことは必要な正しいことだったと受容するところまではゆけるのはふつうである」(戦争における『人殺し』の心理学P-374)
・ ベトナム戦争に従軍したある兵士は手記で次のように綴る。「弾倉が空になるまで」銃撃して殺した敵兵の顔を除いこんでみると、片目や鼻や顎の一部が欠損し、唇がめくれて歯が見えた。罪悪感を覚えたとき、その「ベトコン野郎」が撃っていたのはアメリカ政府支給のM1カービン銃だったことに気付いた。腕時計はタイメックス(アメリカ製の腕時計らしい)、靴は真新しいアメリカ製のテニスシューズ。「なには申し訳ないもんか」(戦争における『人殺し』の心理学P-374〜375)
銃は盗んだか、捕虜にするか殺害した米兵から奪ったものだろう。腕時計やシューズは買ったのか盗んだのか知らんが、アメリカ製品を身に着けて我々を殺そうとする共産主義者め!と、この兵士は感じたのだろうか。自分の罪悪感を薄められたのだろうか。
「読むほうから見れば、こんな合理化や正当化はまったく不要に見える。だが書き手にとっては、自分が人を殺したことを合理化し正当化することは、心理的・精神的健康のために絶対に必要なことなのだ。この手記には、その経過が無意識に現れている」(戦争における『人殺し』の心理学P-375)
・ ある偵察ヘリのパイロットは、ベトナム戦争の体験を雑誌に投稿した。彼に対する命令は、北ベトナム兵を発見したら尋問のため連行せよ、という形式だったが、実際に北ベトナム兵を発見して本部に連絡し、降伏しそうもないことも伝えると、「殺せそうなら殺せ」と指示される。「人員を送り込んで捕虜にするわけにはいきませんか?」と問い返すも、「そのへんには人手がないんだ。撃て!」と命令される。
「上官が正しいのは頭でわかってる。3人か4人の武装集団をつかまえるのに小隊を派遣するなんてバカげている。それでも、自分のしていることを受容するには、ありったけの合理化技術が必要だった」
「・・・いやな話だが、いま考えてみると、あれしか有効な方法はなかったとわかる。北ベトナム軍は、有効な追跡をはばむために軍を少人数に分散するという戦術をとっていたのだから」
ところがこのパイロットは、別のケースでは二人乗りの小型ヘリの副操縦士の膝の上に北ベトナム兵を座らせて捕虜収容所に連行したこともあった、と語るのである(戦争における『人殺し』の心理学P-375〜377)。飛行中に捕虜が暴れ出したら墜落の危険もあっただろう。つまり任務だから敵を殺さなくてはならない場面もあったが、殺さず捕虜にしたこともあった。ということを雑誌の読者と自分に言い聞かせたかったのだ。これがこのパイロットやグロスマン氏が示す「合理化と受容」だろうか。
・ 1989年アメリカのパナマ侵攻の際にパナマ兵を殺害したアメリカ兵は、悪夢にうなされることになった。そのパナマ兵がたびたび夢の中に現れて、「なんでおれを殺したんだ?」と責めるのだ。しかし彼は夢の中でそのパナマ兵におまえだって、おれの立場だったらおんなじことをしただろう!」と言い返す。そのうちこの悪夢を見ることはなくなった。夢の中で「合理化のプロセスを終えた」のである。
■ 著者が「戦争における『人殺し』の心理学」を出版し、多くの元兵士から様々な反応があり、敵兵を殺害したあと吐き気を催し罪悪感を覚えたという元兵士も多いが、何も感じなかったという元兵士も多かったといいう。彼らについて彼は次のように述べる。
「こう言ってよければ、戦士としてすでに成熟していたからだと思う。実際に人の息の根を止めるより先に、前もって合理化と受容の段階を終えていたのだ、基本的に、かれらは自分にこう言い聞かせている。そして、「合理化と受容の段階を終えていた」と思われる兵士の体験談が引用されている。
『人を殺す破目になりたいわけではないが、私の銃の前にだれかが現れて、私やほかの人間を殺そうとしたら、社会がそのために私を雇い、装備と権利と能力を与え、そうせよと命じたことを私は遂行するだろう』」(戦争における『人殺し』の心理学P-284〜285)
・ イラク侵略戦争の際にあるアメリカ兵は、自分の銃撃を受けて倒れたイラク兵が武器に手を伸ばすのを見て、更に銃撃を加えた。更に「眼球叩き」をして死んでいるかどうか確かめた。ライフルの銃口で目を突いてみて、何も反応が無ければ死んでいると確認できるわけだ。
彼は「なんだかこわくなった」「聖書でキリストがするなと言っていることをしたみたいな」。しかし「でもなにもまちがったことはしていない。あいつらが降伏しようとしなかったから倒したんだ」(戦争における『人殺し』の心理学P-286)
・ 2003年のイラク侵略戦争に参戦したある少尉は、「海兵隊の集中的な将校選抜訓練プログラムのおかげで、他の仲間たちよりずっと肝が据わっていたのかもしれない」。そして彼は「前もって合理化の段階も終えていた」。
サダム・フセイン政権崩壊によって牢獄から脱出し、家族を探すためバクダッドに戻ってきた男性の両足には、酸や電気ショックによる負傷の跡が残っていた。拷問の跡だったのだろう。この少尉は部下に、いま我々海兵隊員が殺しているのは受刑者にそういうことをする連中なのだ、「そんなやつらを殺すのに悩む必要はない」と言って励ました。「おまえたちがなにを信じているのか知らないが、死んだあとに天国の門とかそういうのの前にたどり着いたとき、ここでやったことのせいでおかしな目で見られたりはしないんだ」。
この少尉は、建物の上から数人のイラク兵を発見するや機関銃で撃ち、まだ動いていた兵士らを至近距離で頭を撃ち抜いて始末した。彼は部下に語った。「胸くそ悪いだろ。だが、ここが肝心なところだ」「例の吐き気ってやつだが、おれは全然感じないんだ」(戦争における『人殺し』の心理学P-287〜288)
■ 続いて著者は次のように述べる。戦闘で人を殺して罪悪感や吐き気を感じた戦士も正常である。しかし人を殺す覚悟が出来ていて、罪悪感を感じなかった戦士も、正常であると。(P-288)
たしかに俺もそう思うな。徴兵あるいは何らかの特典に惹かれて入隊し、戦場に送り込まれる破目になり、仕方なく任務を遂行した。敵兵やゲリラを何人か殺した。たしかにこれは本人にとっては避けられないことだ。そしてこの体験が心の傷になる者もいれば、そうならない者もいる。全く自然なことだ。もっとも自分が戦争に加担したという事実は忘れないでほしいが。
それに、これは著者に言いたいが、彼が言うように事前の覚悟が出来ていれば戦争体験が心の傷にならない、というのが正しいとしても、戦争自体の是非は全く別の話だからな。
それにこの「戦争における『人殺し』の心理学」のこの部分を読んでみて、戦場で心に傷を負った多くの兵士の体験に言及しているのに、あまりにも楽天的というか軽く捉えているなあ、と感じる。
著者が望むのは、「合理化と受容」の段階を終え、敵兵を発見すれば躊躇なく発砲し、除隊後も自分の戦場体験を悔やむことなく通常の社会生活を営む兵士たちだ。それこそ発砲率が100%になれば自軍の損害がも少なくなるだろうし、早期終結に結びつくだろう。除隊した兵士がPTSDに苦しむことがなければ、メディアや市民からの批判も少なくなるだろう。これが達成できれば「のちの世代は、現代のことをルネサンスと言うだろうと私は信じている」(『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズムP-355)。たしかに戦争遂行にとって非常に重大な負担が解消されれば「ルネサンス」と呼ばれることになるかもしれない。ゾッとする話だが。(※余談)
■ 著者にとって、除隊後の兵士たちを取り巻く環境がアメリカ史上最悪だったのはベトナム戦争からの撤退後だ。もちろん上官や同僚らは励まし合い、慰め合ったと思うが。彼は、帰還兵の「殺人体験の合理化と受容をうながす」ために「伝統的に用いられてきたプロセス」が必要だと説く。つまり、
・ 上官や先輩が兵士を「正しいことをしたのだ」と称賛する。
・ 戦地からの帰還は航空機ではなく船舶を利用する。(短時間で直接母国に帰還し世間の荒波に曝されるより、部隊の仲間たちと長い時間を過ごし語り合ったほうが、戦場の体験が癒される・・・らしい)
・ 親しくなった戦友とは除隊後も交流する。戦争体験を共有する。
・ 兵士らの友人、家族、そして社会自体が兵士らを「無条件に温かく歓迎・称賛」する。戦闘中の行為についても「必要で適切で正しい大義のためだったとたえず兵士に請け負ってやる」、
・ 勲章を授与する。兵士はその勲章を自慢する。
・ 凱旋パレードを実施する。記念建造物を建てる。
(『人殺し』の心理学P-331〜332)
こうした「プロセス」が、兵士の「合理化と受容」に役立つ・・・つまり除隊後に戦場での殺人行為について悩み続けることはないだろう・・・とグロスマン氏は言いたいようだ。俺はそうは思わないねえ。根本的に別の話なんじゃないの。いくら「正しい戦争」だったと信じて疑わなくても、自分がライフルやマシンガンで殺した敵兵の姿が脳裏に浮かんでくるかもよ。勲章とかパレードとか陳腐すぎるんじゃない?
ところがベトナム戦争ではそのような「合理化のプロセス」が一部を除き存在しなかった。兵士らは航空機でアメリカ本土に帰還し、途端に市民から、嬰児殺し、人殺しと罵られ(戦争における『人殺し』の心理学P-430)、恋人や妻からも見捨てられ(P-428)、勲章に唾を吐きかけられた(P-429)。「(右腕を)どこでなくした?ベトナムかい?」と声をかけられ、そうだと答えると、「そうか、いい気味だ」と言われた(P-426)。いうまでもなくメディアはソンミ村虐殺事件などアメリカ軍の残虐行為を激しく非難している。反戦団体はこのベトナム侵略戦争自体を非難しただろう。勲章つけて表を歩けるわけがない。パレードなんて出来るわけがない。
ベトナムに従軍した280万人の兵士のうち50万人、別の説では150万人がPTSDに苦しんでいるというが(P-435)、こういう社会の風潮も要因の一つになったのでは・・・というのが著者の主張だ。
俺はこういう市民の反応を批判できるような資格はねえけど、実に悲しいことだな。アンタたち最初からベトナム戦争に反対してたの?トンキン湾事件のとき反戦デモやったの?北爆を批判したの?言うまでもなく民間人虐殺は戦争犯罪だけど、アンタたちだって戦場に連れていかれたら同じことやったと思うよ。たしかに兵士個人も加害者だが、彼らもまた被害者だ。五体満足で帰ってきた兵士らもPTSDに苦しんでるんだよ。そもそもアンタたち自身が、アメリカ帝国主義を支えてたんじゃないの。などと批判するような資格は俺にはないけど。
アメリカ政府がこういう風潮を止めるためには、ベトナム帰還兵の心の傷を癒すためなら(そういうつもりがあったかどうか知らんが)、当時の大統領(ニクソンだっけ?)が、ベトナム戦争は間違っていた、兵士の皆さんを無駄な戦争に動員して申し訳ない、今後の生活は合衆国が責任を持って保障します・・・とか宣言するべきだったね。
■ しかし著者は驚いたことに、ベトナム戦争は正しかった、と強く主張するんだよ。たしかにベトナム戦争には負けたが、共産圏は崩壊した。冷戦は終わった。だから結果として正しかった、と。
「最後に彼らの名誉は挽回された。かれらがその道具となって戦った封じ込め政策は成功し、いまではロシアがみずから共産主義の悪を進んで認めている。何十万というボートピープルの存在が、北ベトナム政権の悲惨な実態を物語っている。冷戦は勝利に終わった。見方によっては、フィリピンやバルジ戦と同じく、アメリカはベトナムでも負けたわけではない。戦闘には破れても戦争には勝ったのだ。ベトナムは戦う価値のある戦争だったのだ」(戦争における『人殺し』の心理学P-423)
・・・なんだかすごいこと言ってるな。ベトナム戦争のおかげで冷戦が終わったわけじゃねえだろ。むしろアメリカ帝国主義と資本主義の悪逆非道ぶりを世界に見せつけてくれたおかげで共産圏が長持ちする方向に作用したと思うよ。ベトナム戦争がなかったら当時の世界中の学生運動はあんなに盛り上がらなかったかもよ。
ソ連は(ああいうのを共産主義国、とは言いたくないけど)勝手に崩壊したじゃんか。だから(アメリカ帝国主義の立場から言っても)ベトナム戦争は全く無駄だったんだよ。
これだけ戦争の悲惨な実態を記しながらもなおもベトナム戦争は正しかったと説くグロスマン氏がどっちを向いているのか分からなくなったが、「『人殺し』の心理学」の巻末に訳者のあとがきがある。
「戦後に生まれ、戦後の教育を受けてきた者には、太平洋戦争は侵略戦争ではなかったと主張し、靖国神社を崇める人々の心情はどうしても理解しがたい。しかし、本書を読めば少なくともあるていどは理解できるものではないかと思う」(P-415)
これを読んで俺もあるていどは理解できた気がする(笑)。つまり、いろんな人たちが言ってることの受け売りだけどさ、靖国神社という宗教施設は、戦死者を弔うという名目もあるようだが、本質的には次の戦争のための、次の戦争で犠牲になるべき兵士を送り出すことが目的だ。人々に、国家のために犠牲になれと説く施設だ。お国のために死んだ彼らに続けと。もっとも日帝の本音をこの宗教施設が代弁していると言うべきか。
◇ [pick up]靖国神社はいつから「国威発揚のための軍事施設」になったのか?|靖国神社|島田裕巳 - 幻冬舎plus
◇ 100の論点:72. 靖国神社とは何でしょうか。 - 日本平和学会ホームページ
だから彼が言う、兵士に勲章を与えよ、兵士はそれを人に褒めてもらえ、市民は兵士を称賛せよ、パレードを実施せよ、それが帰還兵のPTSDを防ぐ手段の一つだ、などと言うのは・・・この戦争で何万人もの兵士が亡くなった、自由と民主主義を、我が国を守るために戦ったのだ、だから若者たちは戦場に赴け、国のために死ね、市民も協力しろ・・・という、アメリカ帝国主義の本音を漏らしてしまっただけではないか。そういう愛国精神?に背かなければPTSDに悩むことはないってか?兵士のPTSDを防ぎたいなら、戦争しなけりゃいいだろ。まあ元軍人の著者はそんなこと絶対に言えない、言うわけがない立場なんだろうね。
■ というわけで「(戦争における『人殺し』の心理学」と「戦争における『人殺し』の心理学」を読んでみて、俺も著者の主張というか本音をなんとなく理解できた。
・人は人を滅多に殺せない。兵士は敵を撃てない。歴史的にそうだった
・しかし状況によっては簡単に人を殺す。人は人を殺せないわけじゃない
・上官や仲間が積極的に撃っていれば自分も撃つ
・しかしこれじゃ軍隊として不便だ
・だから兵士に、反射的に撃つような訓練をしなければならない。おかげでベトナム戦争のときは劇的に改善した
・ただしあとからPTSDで苦しむ兵士も多い
・それを防ぐために兵士は、自分の行動は正しかったと信じて疑わないことだ。社会は兵士らを称賛しろ
・そうしないと困るだろ。サヨクがピーピー騒ぐせいで若者が軍隊に志願しなくなったらどうすんだ
というわけで、貴重な事例を数多く示しながらも、著者にとって最も重要なのは今後もアメリカが戦争を続ける方法の模索だった。この元軍人に余計なことを期待していた俺が愚かだが、この二冊のおかげで、やっぱり戦争は絶対にやっちゃいけない、世界中から全ての軍隊が無くなるべきだ、という決意をさらに固くしたね。
資本主義というか、もっと大雑把に言えば経済界というものは戦争を欲する。軍需産業が儲けるだけじゃないだろ。だから政治家を操る。同時に世論も操るために、宗教色の強いプロパガンダも必要だ。だいたい日本帝国主義ってカルトだろ。そこらのカルト教団だって教祖様のために死ねとか言わねえだろ。そうやって経済界は潤うが、犠牲になるのは貧しい庶民や前線に立たされた兵士だ。
あと蛇足だが、この一連の投稿のタイトルは「人は人を殺せないのか?」だが、実際のところ前回の投稿で示した通り、人は状況次第では簡単に人を殺す。歴史上繰り返されてきた戦争犯罪、凶悪犯罪、ヘイトクライムなど、言うまでもないことだ。人は人を殺せるんだ。状況によっては。それも人間という動物の習性だ。だから・・・凶悪犯罪の根絶は無理かもしれないが、まずは軍隊という有害なものを否定しよう。国家という「まやかし」を捨てよう。そうやってより良い社会を創るため努力するべきだ。と思うよ。
■ ところで、戦地から無事帰還し普通に社会生活を送っている元兵士も、人によっては戦場での殺人を忘れられないかもしれない。家族や友人に打ち明けられず、ずっと苦しみ続けるのではないか。そういう事例を引用する。
ワシントンのベトナム戦没者記念碑の傍に、ベトナム人の親子が写っている古くてボロボロになった写真と紙が供えてあった。手紙の主はベトナム帰還兵で、殺害したベトナム兵の持ち物からその写真を見つけたという。「『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズ」の序文より。(P-12〜13)
「22年間、私はこの写真を財布に入れて持ち歩いてきた。ベトナムのチュライのあの道であなたに出会ったとき、私はまだ18才だった。なぜあなたが私の命を奪わなかったのか、それが分かる日は来ないだろう。あなたは長い事私をじっと見つめていた。AK47でこちらに狙いをつけていながら、ついに発砲しなかった。そんなあなたの命を奪った私を赦してほしい。ベトコンを殺せと訓練されてきて、その訓練のとおりに身体が動いてしまったのだ・・・この年月、私は何度この写真を取り出したか知れない。あなたとあなたのお嬢さんの顔を見るたびに、苦しみと罪悪感で胸もはらわたも焼かれるようだった。いまは私にも娘がふたりいる・・・あなたは祖国を守ろうと戦う勇敢な兵士だったのだと、いまなら私にもわかる。だがなによりも、あなたが奪うことをためらった生命の貴さを、いまの私は尊重できるようになった。たぶんだからこそ、今日ここに来ることができたのだろう。目を前に向け、苦しみと罪悪感を解き放つべき時が来たのだ。どうか私を赦してください」
ところが著者はこの心を引き裂かれるような告白を紹介しておいて、直後に次のようなことを言ってるんだよね。同上P-13。
「本書をささやかな記念碑として、この数世紀に命を落としたすべての若い戦士に捧げたい、みずから進んで戦闘という闇の奥へ、毒と腐敗と破壊の領域へ身を投じた、無数の名の知らぬ若い男女。そんな男女、そしていま現在かれらと同じことをしている男女、きたる年月に同じことをするであろうすべての男女への、これは私からの記念碑だ。戦闘とはなんなのか、私たちはかれらになにをしてくれと頼んでいるのか。それを正しく理解することは、私たちが果たすべき最低限の義務である」「きたる年月に同じことをするであろう」とは、このように殺した側も長く苦しみ続けるような事例も再び起こるだろうが、それを恐れてはならない、と言いたいのかな。これはもう怒りを通り越して笑いたくなるな。
「私たちはかれらになにをしてくれと頼んでいるのか」というのは、躊躇なく敵兵を殺せ、俺が言うとおりにすればPTSDなんかならない。お国のために死ね。ということだよな。
あとは参考リンクと余談。
※ 参考
◇ 帰国の米兵「戦争は、ほとんどの人にとって良いことなど何もない」 戦死より多い帰国後の自殺 <米国の20年戦争C>:東京新聞 TOKYO Web
◇ この現実を見よ! 戦争から戻っても自殺が絶えない米復員軍人:日経ビジネス電子版
◇ 戦後70年以上PTSDで入院してきた日本兵たちを知っていますか 彼らが見た悲惨な戦場
◇ 戦場では「笑っていた」兵士が、帰還後に自ら命を絶つ...戦争が残す深い「傷」|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
※余談 グロスマン氏は、銃を手にする兵士や法執行官にとって事前の「合理化と受容」が大切であり、警察官が任務のため銃を手にした容疑者を射殺したあとは、上司による励ましが必要だという。彼が多くの警察官から聞いたところによると・・・やむなく銃を使用した警察官に、巡査部長や警部、あるいは署長が、彼の肩に手を置いて、「大丈夫か」と尋ねる。さらに「銃を没収されたか?じゃあ私のを貸そう」と語りかけるというのだ。これは「信じられないほどの励ましになる。図太い戦士たちが、この話をするときは少し声を詰まらせるほどである」(『戦争の心理学』 人間における戦闘のメカニズムP-290)
たしかにいい話だが、これは戦場の兵士ではなくて警察官の話だ。繰り返すが俺は警察官が銃器を携行し場合によっては使用することを否定しない。
たとえば俺が、選挙演説に大物政治家が応援演説に訪れるため警護を任された警察官だったとしたら・・・もし何者かが大物政治家に向けて発砲すれば、当然自分もその人物に向かって拳銃を構え、場合によっては発砲するだろう。警護の対象が悪徳政治家であり、極右であり、統一教会の広告塔であったとしても、それは関係ない。任務だからな。
もちろんアメリカの警察官の行状については抜本的な改革が必要であり、同時に厳しい銃規制を行うべきだが。
問題なのは、徴兵あるいは何らかの特典に惹かれて入隊し、戦場に送り込まれて、憎くもない国の憎くもない敵兵を殺さざるを得なかった兵士たちの心理だ。警察官の話と混ぜないでほしい。それとも意図してやってんのかな?
※余談 もっとも「ルネサンス」は別の形で到来するかもしれない。
◇ 無人攻撃の脅威 問われるAI兵器の規制 NHK解説委員室
◇ 殺傷能力のある「自律型兵器」の普及は止まらない? 加速する技術の進化と、合意できなかった規制 | WIRED.jp
AI兵器が発達すれば、前線で兵士が戦うことはない。AI同士が勝手に戦闘をしてくれる。民間人の服装をしていても怪しい人物はAIが始末してくれる。AIに武装勢力か一般人か区別がつくわけがないから実際は無差別殺人だな。もっとも人間にも無理なようだが。
兵士の役目は、前線から遠く離れた基地でAIの起動操作を行いデータを取集するだけだ。自分で敵兵を殺す必要はないから罪悪感に囚われることもない。エアコンの効いた部屋で、暇なときはスマホをいじりながら、AIの活躍を見守っていればいい。
と油断していたら敵軍のAI兵器の自爆攻撃によって基地ごと吹っ飛ばされるかも。あるいはAIがハッキングされて自軍を襲うかも。際限ない軍拡競争が始まるな。どんなに科学技術が発達しても、犠牲になるのは貧しい庶民と末端の兵士だ。