inti-solさんの35710は非常に勉強になりました。日本の中国侵略についての記述も検定意見によって変更されたとはいえ、依然として侵略された側に非があるかの如き表現であるのを見落としていました。また、戦前に海軍が「太平洋戦争」という名称を主張していたことも全く知りませんでした。この件は検定の際に指摘されるべきであったと思います。
また、森永さんの35671ですが、
> > (P-114) 武士道と忠義の観念薩長が徳川家から政権を奪取した部分については斜め読みした程度で、私の勝手な想像になってしまいますが・・・この「教科書」は既存の政権を批判したり覆そうとする動きをほとんど無視し、あるいは罵倒しています。しかし幕末、支配者である徳川方から見れば薩長は、この「教科書」が忌み嫌う反逆者だったのですが、この矛盾を解決するために上記のコラムを挿入したのではないか、と思います。
> > ここでは赤穂浪士や「葉隠」(キタ━━(゚∀゚)━━!)を紹介し、「忠義とは主君のいいなりになることではなく、それを超えて藩や家を守る」ことであるとアジっています。この「忠義」が美徳だというのなら、小泉政権の「いいなり」にならずに「それを超えて」国を守ることが大切、ということになります(笑)
>
> 藩 to 国家 ga tailitu sulu toki wa do~silo to alimasu ka?
二度にわたる長州征伐の際に朝廷から「勅命」が出た(つまり長州藩は当時「朝敵」だった)ことについて、この「教科書」に記述があったかどうか確認しておりませんが、あまり書きたくはないことでしょう。しかしその2年後には今度は薩長方が「錦の御旗」を掲げて幕府方を賊軍扱いにしていますが、天皇家とか朝廷とかいうのは常に有力なパトロンを求め続けてきた存在だというのがよく分かります。たとえば何代目かの裕仁とかいう男は、数ヶ月前まで「鬼畜」と罵っていた敵軍の将にも媚態を見せるほどブライドがなかったのですから(笑)
> > (P-115) 「二宮尊徳」と勤勉の精神連中にとっては、搾取される側が反抗することは単なる犯罪であり、搾取し続ける側が安穏な生活を送ることは「勤勉」であり、「美徳」なのでしょう。国家公務員や社会保険庁の職員が都内の一等地の豪華な社宅に極めて低額な家賃で住んでいることも気にとめないのでしょう(笑)
> > 「江戸時代に勤勉が美徳とされて・・・」「江戸初期の国土の大開発は、こうした勤勉さによってなされた」
> > もしも今後の日本で「大開発」が計画されたときは、我々国民は早急に「勤勉さ」を捨てる必要があるでしょう(笑)
>
> 勤勉が美徳 nala, 寄生階級 de alu 武士 no 武士道 o naze homelu?
> > (P-215)読み物コラム 東京裁判について考えるこの件は岡崎久彦だけでなく全ての右派に問い質してみたいものですが、明確な回答など得られないでしょう。所詮連中は性教育を否定しジェンダーフリーを攻撃し「純潔教育」を提唱しながらも、国民の税金で買春ツアーに出かけるような矛盾の塊ですから(笑)
> > 「GHQは占領直後から新聞、雑誌、ラジオ、映画の全てにわたって言論に対する厳しい検閲を行った。
> > また、日本の戦争がいかに不当なものであったかを、マスメディアを通じて宣伝した。
> > こうした宣伝は、日本の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい、戦後の日本人の歴史に対する見方に影響を与えた」
> > この「教科書」の執筆陣の日頃の主張そのままです。「日本の戦争が不当であった」ことも認めず、「自国の戦争に対する罪悪感」もどこ吹く風の方々がこのように喚きたくなるのも無理はないでしょうが、彼らはこのようにアメリカの占領政策を批判しながらも、一方では安保体制を支持しイラク戦争を批判することはない“親米”なのですから呆れるばかりです。またGHQが行った“赤狩り”(日本共産党員の公職追放、赤旗発行禁止、労働組合への弾圧など)については全く記述されておりません。(ただしP-212には「またGHQは、戦時中に公的地位にあった者など、各界の指導者約20万人を公職追放した」と記されていますが)
>
> tokolode, 岡崎久彦は、 naze kono bubu遵j kala 「反米色を一掃」 sinai noka?
ちなみに、1960年に改定された日米安保条約は「日米両国がより対等になることだった」と主張しているこの「教科書」は、日本を属国扱いしている日米地位協定については全く触れていません。アメリカの軍用機が街に墜落すると日本の警察が現場に入ることも出来ないことや、アメリカ兵の犯罪者が基地に逃げ込んでしまうことを、矛盾の塊である彼らは主権の侵害とは思わないようです(笑)
それと、幸徳秋水を間違って「孝徳」と書いてしまいました。ご指摘ありがとうございます。
それでは・・・前回の続きというか補足ですが、教科書展示会に於いて各社の中学校歴史教科書の中で、東京書籍「新編 新しい社会 歴史」と、日本書籍新社「わたしたちの中学社会 歴史分野」にも目を通しました。これらと扶桑社「教科書」の記述の中で、人名や事項がどのように取り上げられているかなどを少々比較してみたいと思います。
閔妃暗殺については、扶桑社・東京書籍は記述なし、
日本書籍新社のみ記述されています。
安重根については、扶桑社・東京書籍には登場せず、
日本書籍新社のみ、彼の切手(韓国製)を掲載しています。
幸徳秋水については、扶桑社・東京書籍には登場せず、
日本書籍新社のみ登場します。
また大逆事件については、扶桑社には記述なし、東京書籍、日本書籍新社には記述されています。
「現在では(弾圧された)多くの人は無罪だったとされています」(東京書籍P-178)
「今日では、多くの人々の研究が幸徳秋水は無罪だとしている」(日本書籍P-167欄外)
治安維持法についての扶桑社教科書の記述は前回示した通り呆れたものですが、
東京書籍、日本書籍では次のように記述されています。
(この法によって)「共産主義に対する取りしまりが強められました」(東京書籍P-177)
「政府はこの年(1928年)共産主義運動を弾圧するとともに、治安維持法のもっとも重い刑を死刑とするように改めた」(日本書籍新社P-189)
天皇の人間宣言については、
扶桑社教科書ではP-213の(戦後の)「政治改革」の表に字句のみ存在しますが、
東京書籍、日本書籍では次のように説明されています。
「・・・また、天皇が神の子孫であることを否定する宣言をしました」(東京書籍P-204)
「天皇自身も1946年に『人間宣言』を発表し、天皇が神であるという考え方を否定した」(日本書籍新社P-220)
日本軍がシンガポールで行った大虐殺を記憶に留めるための「血償の塔」については、
扶桑社教科書は紹介せず、東京書籍はP-193の欄外で紹介し、
日本書籍ではP-202の「まぼろしの大東亜共栄圏」というコラムの中で大きな写真で紹介しています。またここでは「バターン死の行進」も取り上げています。
ちなみに同教科書のP-231の「日本の戦後処理」というコラムでは、日本の加害責任を認めた細川・村山両元首相の談話を紹介し、さらに「しかし、日本の国内では、過去の戦争を侵略戦争とは考えない人々も存在しています」と、歴史歪曲主義が蠢いていることにも触れています。
時代が前後してしまいますが、
関東大震災の混乱を利用して行われた虐殺事件については、扶桑社教科書では
「この混乱の中で、朝鮮人や社会主義者のあいだに不穏なくわだてがあるとのうわさが広まり、住民の自警団などが朝鮮人・中国人や社会主義者を殺害するという事件がおきた。」 (P-189)
という、甘粕事件や亀戸事件を起したのは何者であったのか分かりにくい表現ですが、これは東京書籍も同様です。
「混乱の中で、朝鮮人や社会主義者が暴動を起すという流言が広がり、多くの朝鮮人、中国人や社会主義者などが殺されました」 (P-181)
この大虐殺については日本書籍新社の次の記述が正確に事実を説明しています。
「大震災の混乱の中、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』などの噂が広められた。そのため、数千の朝鮮人や数百の中国人が、軍隊・警察や、住民が作った自警団によって虐殺された。
また、社会主義者や労働組合の指導者の中には、軍隊や警察によって殺されたものがいた」
(欄外)「この事件は、人々が日ごろ朝鮮人や中国人を差別していたため《→P163》その仕返しを恐れる心から、流言を事実と思い込んで起こしたものといえる」(P-187)
その163ページでは、日本の朝鮮支配の実態と、日本人が朝鮮人を蔑んでいった過程が説明されています。
「日本は韓国を併合したのち、朝鮮総督府を置いた。天皇に直属する総督には日本の軍人が任命され、朝鮮の各地に軍隊を置いて支配した。
総督府は土地の所有者の調査を進めたが、その結果、土地は進出した日本人や朝鮮人の有力者のもとに集められていった。
そのため多くの農民が土地を失い、生活に困った人々は、日本や満州などに移住するようになった。日本国内では、賃金や社会生活の上で朝鮮人に対する差別が生まれ、朝鮮人を軽蔑する意識も強くなった。一方、併合に反対する朝鮮人の抵抗は、その後も根強く続けられた」(P-163)
この部分から、日本人が朝鮮人を蔑視するようになったのは、朝鮮人を支配していたから、朝鮮人は日本人より貧しかったから・・・という分析を読み取ることが出来るでしょう。(同様に白人が非白人を蔑視しているのは、非白人を支配している(支配的な立場にある)からなのでしょう)
私は教科書展示会に於いてわずか三種類(もっとも扶桑社は論外ですが)の歴史教科書を覗いたに過ぎませんが、その中で日本書籍新社の教科書が最も歴史と社会を深く掘り下げていると感じました。
最後に・・・扶桑社の「歴史教科書」は「日本人の勤勉さ」を強調する部分が目立ちます。前回引用したように「二宮尊徳と勤勉の精神」というコラム(P-115)があり、P-209には、
「物的にもあらゆるものが不足し、寺の鐘など、金属という金属は戦争のため供出され、生活物資は窮乏を極めた。しかし、このような困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった」という部分があります。(これについてはinti-solさんが35710で幻想であることを指摘しています)
対して日本書籍新社の「さらに深める学習 日本人の勤勉さ」というコラム(P-230)では、外国人が感じた日本人の姿を紹介しています。
「明治時代に日本を訪れた外国人の記録を見てみると、日本人は長い労働を好まない『休み好き』の国民として描かれています」また、駐日イギリス外交官の妻として戦前の東京に暮らしていた「キャサリン=サンソム」の「東京に暮らす」という著書から引用しています。
「働く必要がないと、日本人は何もしないでのんびりしています。通りに面した小さな店の中で店員が新聞を広げてこっくりしていたり、仲間といつ終わるともしれないおしゃべりに夢中になっている姿をよく目にします」
たしかに我々日本人には、周囲が忙しく働いているとそれにつられてあたふた動きだすものの、一方周りがのんびりしていると、自分も「何もしないでのんびりしている」性質があることを否めないでしょう。本多勝一氏もこの日本人の行動原理を「メダカ社会」と評しています。
――それにしても、あれだけの被害をもたらした戦争を起こしたことになにも責任もたらずに、しかし扶桑社「教科書」の執筆陣は、日本人のこのような『みんなが動くように動く』性質を「勤勉」だと賞賛しています。明治以降の侵略戦争の果ての無残な敗戦を招き、また戦後は国土の破壊と経済の破綻をもたらし、腐敗した政治を変えることのできないこの性質を好ましいと感じているようです。また、政権にとっては国民がこの性質を持っていることは実に都合がいいことでしょう。
40年もたってしまいましたが?
「責任をとらないのは天皇だけじゃなくて、ほとんどみんなでしょう。敗戦直後のマッカーサーの占領の時代、あの時は占領軍が最高権力ですね。もしあの時に、マッカーサーが天皇を死刑にしても、おそらく日本人はあまり騒がなかったのではないのでしょうか。もしあの時に、マッカーサーが天皇を死刑にしても、おそらく日本人はあまり騒がなかったのではないでしょうか。もし天皇を中心とした構造が確立していたのだったら、彼が死刑になることで右からの大革命が起こったはずですが、そのようなことにはならなかったのではなかろうか」
「日本人の行動原理というのは『「みんなが動くように動く』というメダカ社会なんですよ。かつて私は田んぼの中に何千匹の大群で群れているメダカをよく見たものですが、かれらは全く単なる何らかのきっかけで全体が方向を変える。リーダーがいるわけでない。だれかが横向くと全体がつられて横向く。群れ全体が一匹の魚のようになっている。群れの中に行動原理があるわけでなく、群れ全体が一人になっている。一人であるからには右手が動けばすべてそれに合わせられる。左手が「俺がいやだ」では動けない。これが日本人の行動原理ですね」
「村八分やいじめの問題ともからみますが、人と違ったことをしない。みんなと同じことをするのが行動原理で、天皇問題もその一つにすぎない。」
「あの時代、みんながマッカーサーになびいているわけだが、天皇が死刑にされてもほとんどは『けしからん』とは言わなかったと思うのです。しかしアメリカは天皇がいた方が治めやすいから利用し、彼は生き残った。それで『何となく』生き残ってしまい、現在に至っている。そこには論理も倫理も何もいっさいないわけです。その゛何となく゛の結果が現在の在位60年だと思います。」(『機関紙と宣伝』1986年4月号のインタビュー・・・「本多勝一著作集」より引用)
この「教科書」は全般に渡って民衆の動きを軽視しあるいは侮蔑しています。たとえば幕末の「世直し一揆」や、明治時代の「秩父事件」などを取り上げていません。この国の民衆は常に政権に対して従順であったと印象付けたいのでしょう。また次世代の国民も従順であって欲しいと願っていることでしょう。
扶桑社「教科書」を推している勢力の一人である、「教育課程審議会」前会長の三浦朱門という作家は、「できん者はできんままで結構」「できる者を限りなく伸ばす」という発言の中でも特に、国民一般には「せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい」という部分を強調したかったのではないかと思います。日本人全体をより一層「田んぼの中に何千匹の大群で群れているメダカ」にすることが彼らにとっての理想のようです。