2024年12月20日

「ヨーロッパのツケはヨーロッパの外へ」 ーーイスラエルの「征服型植民主義」

 引き続き、「ユダヤ人とイギリス帝国」(度会好一/著 岩波書店 2007年11月27日 第1刷)からの引用、及び私見。一つにまとめるつもりが、長くなりすぎて3分割にしちゃったよ。

 時代を遡るが、19世紀のイギリスのユダヤ人の人口は約6万人程度であり、ロシアの51万人、ハンガリーの85万人、ルーマニアの26万人と比べれば極端に少なかった。しかも移民は少なく、多くがイギリス生まれのユダヤ人だった。
 ところが19世紀の後半になると東欧から渡ってくるユダヤ人が激増し、例えばロンドンでは5千人程度から7万人以上に膨れ上がった。しかもそのほとんどが「イースト・エンド」と呼ばれる下町に集中したという。
 イギリスの世論はユダヤ移民の激増を警戒した。ユダヤ人は「にしん一本、黒パン一切れで生きていける、そんな乞食みたいな連中と競争させられるのはたまらない」、と。
 しかしこれは偏見だった。ユダヤ人は牛肉より魚や鶏肉を好んだが、宗教的な義務から祝祭日は豪華な食卓を囲んだ。長時間労働を拒まなかったが、熟練の労働者は安い賃金では働かなかった。
 世界中によくある話だが、異なる言語・異なる文化の集団が増えてくることを嫌ったのだ。埼玉県南部に住むクルド人へのヘイトが激化しているのと同様だ。外国人が増えれば雇用が脅かされる、治安が悪くなるというのは差別感情を正当化しているだけだ。
 「ユダヤ人はどんなに安い賃金でも働くので、イギリス人の労働者は長時間労働を余儀なくされる」などと主張する論客もいた。「ユダヤ人は有象無象、カス」などと国会で述べる国会議員もいた。


 しかしシオニストたちはこういうヘイターを嫌っていたわけではないようだ。連中が、「イギリスからユダヤ人は追い出せ」、「アルメニアに移住させろ」、「イギリス帝国のどこでもいいからユダヤ人入植に賛成。ロンドンのユダヤ人街が、東欧のユダヤ人街の支部になってはならない」などと主張するのは、つまりイスラエル国家建設に賛成しているようなものだから、だろう。イスラエルの初代大統領となったハイム・ヴァイツマンは、「カス発言」の国会議員についても、反ユダヤではないと評したという。
 「シオニスト的思考は意識的、無意識的に親シオニストの反ユダヤ主義に目をつぶるのだ」
・・・歴代の自民党議員が、自分たちの基準で言えば「反日」の極みであるはずの統一教会と結託しているようなものかなあ。まあ双子みたいなもんだと思うな。反ユダヤ主義者は「ユダヤ人は出ていけ」と言う。シオニストは「はいはい分かりました、じゃあパレスチナをいただきます、アラブ人は出ていけ!」と言う。追い出そうとする対象が違うだけで、発想がまるで同じじゃねえか。

 なおバルフォア宣言を発したアーサー・バルフォアさえも、「有能なユダヤ人は南北アメリカに移住するが、そうではない者は我が国に残る」「いくらユダヤ人が勤勉で有能であっても、彼らは自己の集団の中でしか結婚しないような孤立した集団である。我が国の利益にはならない」などと答弁していた。
 植民地大臣ジョゼフ・チェンバレンは、ヘルツルの訪問を受けた際に「ユダヤ人の血が自分の体に一滴でも入っていたら誇りに思うだろう」などと言いのけたそうな。社交辞令にもほどがある。
 彼の本音は全く違う。別のユダヤ人(イタリアの外相)に対しては、「アングロサクソン民族が最も優秀だ。別の民族を軽蔑しているわけではないが、ユダヤ人だけは軽蔑している。彼らは生まれついての腰抜けだ」と、「まくし立てた」ことがあるという。
 このような反ユダヤ主義者だが、「根の深いユダヤ人問題を解決するにはユダヤ人をヨーロッパの外へ追い出す以外にない、つまりシオニズムしかない」「と考えると同時に、シオニズムをイギリス帝国の利益拡大のための道具として利用しようとした抜け目のない政治家だった」。


 ヘルツルも、これらの反ユダヤ主義者に利用価値があると考えていたようだ。「反ユダヤ主義者が親シオニストになりうる心理的メカニズムを熟知していた」。
 「反ユダヤ主義はわれわれの最も信頼できる友人であり、反ユダヤ主義国家はわれわれの同盟国である」
 「移民の流れを刺激するのに大した努力はいらない。反ユダヤ主義者がすでに面倒を見てくれている」

 たしかにヘルツルの思うように事が進んだようだ。たとえばナチスドイツは国内のユダヤ人を追い払うために「シリア計画」「エクアドル計画」「マダガスカル計画」などの移住計画を策定し、ユダヤ人の移住を奨励していた。また1933年から1938年まで、ナチスはシオニストと協力して14万9千人のユダヤ人をパレスチナへ不法に入国させていたのは「周知の事実に属する」。知らなかったお恥ずかしい。ヘルツルが生きていればナチスを「最も信頼できる友人」と評したかもな。
 つまり、アハド・ハアムが批判したように、「ヘルツルのシオニズムは、反ユダヤ主義の産物であり、反ユダヤ主義に依存して生きている」のだ。これは敵と味方の区別がつかない危険な状況ではないだろうか

 アハド・ハアムとは、ヘルツルの「政治的シオニズム」に対し「精神的シオニズム」を説いた、ウクライナ生まれのユダヤ人学者。ヘルツルやヴァイツマンらに敵と味方の区別をつけるほどの節度があれば、そもそも「政治的」なシオニストにならなかっただろうな。


 「私(著者の度会氏)と同世代」の、エジプトの英文学者エルメシリという人は、シオニズムについて次のように語る。
 ユダヤ人問題を解決するというシオニストの提案は、十九世紀ヨーロッパの植民主義とぴたりと符号していた。その定式が言外に意味しているのは、ヨーロッパの進歩と繁栄のツケはヨーロッパ以外の者が払うべし、ということだった。
 たしかにヨーロッパの帝国主義国は世界中の植民地から資源を収奪し、現地の生活基盤を破壊して大規模なプランテーションを設け、人々を奴隷化し、さらに自国の「余剰生産品」を売りさばいた。しかし現地の「手織りの製品」などは「輸入禁止と言っていいような、法外な関税をかけてきた」。これが植民主義だ。
 しかし著者の度会氏は、シオニストがパレスチナで行ったことは、かつてヨーロッパ人が「新大陸」やオーストラリアで行ったように、現地の人々を皆殺しにして自分たちの国を作ったような、「征服型植民主義」だと指摘する。
 たしかに有史以前から、強い民族が弱い民族を追放し、根絶やしにしてきた。それが人類の歴史だ。この列島でも、大和民族がアイヌ民族を虐殺し国家を作ったではないか。しかしイスラエル国はこの21世紀に、太古から行われてきた残虐行為と同じことを行っているのだ。その究極の目標は全てのパレスチナ人の排除だ。
 欧米人は、ナチスのホロコーストを決して繰り返してはならない、人権を尊重しなければならないと説く一方で、イスラエルの残虐行為に言及すれば途端に「反ユダヤ」のレッテルを貼る。こうしてパレスチナの人々は今でも、「ヨーロッパのツケ」を払わされている。

・・・以上のように、シオニストはイギリスの帝国主義も、反ユダヤ主義さえも利用した。反ユダヤ主義と同様にシオニズムはレイシズムだ。「パレスチナはユダヤ人のもの」と言うのは、ユダヤ人ではない者はパレスチナには住めない、ということではないか。人種差別そのものであり、民族浄化の扇動だ。
 であるから、我々全世界の人民は、シオニズム国家の存在を決して許してはならない。

◇ なぜイスラエルは苛烈な暴力をいとわない国家になったのか? 長く迫害されたユダヤ人の矛盾、イスラエル人歴史家に聞いた(47NEWS) - Yahoo!ニュース
posted by 鷹嘴 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | パレスチナ情勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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