ご注意!この記事の後半にネタバレあります!
この日はたまたま休みだった。3月後半から仕事が殺人的シフトになるので、早めに観ておこうと思ってね。夜勤ならまだしも休みの日に渋谷に出るのは気が重いな。若者の街だし。派手なファッションの若者たちの群れが、俺みたいなだっさいおっさんが来るべき場所じゃなかったな、ってゆう気分にさせてくれる。それに外国人観光客が多いしその半数はシオニストかも(まさかw)。俺のバックパックの脇につけたFree Gaza缶バッチにでっかい外人がいちゃもんつけてきたらどうしよう?
そういえばユーロスペースって去年も行ったな。「ゲバルトの杜」観たんだ!あれはすごい映画だった。
渋谷にはアップリンクってゆう小さい映画館あったな。何度か行ったよ。マイナーな映画を上映してくれてありがたかったな。ユーロスペースは小さいけどちゃんとした?シアターだ。関係ないけどこのあたりライブハウスもあるな。アーチエネミーなど観に行ったな。また行きたい。
関係ないけどこの前、日比谷の映画館で「ノー・アザー・ランド」を観た。映画なのに場面によっては画質が荒かったり、地面しか映ってなくて怒鳴り声だけ聞こえたり。そりゃそうだ、演技じゃないもん実際に入植者やイスラエル国防軍が暴れてる光景だもん。家族が殺されたり自分の家や学校がブルドーザーに潰されたらどんな気がするか、シオニストどもに問い詰めてやりたいよ。というかさっさとパレスチナから出ていけ!
■ 東アジア反日武装戦線の主要なメンバーのうち、存命中で日本在住、それに刑務所や拘置所に収監されていない方は宇賀神寿一さんと浴田由紀子さんであり、浴田さんは「大地の牙」だったため、桐島さんとは面識が無かった。だから「さそり」の同志だったが宇賀神さんの回想が、桐島さんを知る上で非常に重要ではないか?
2025年2月1日に日本キリスト教会館で桐島さんの追悼集会があり、俺は仕事の関係で大遅刻、開始時間から1時間を過ぎてしまった。会場は超満員、遅刻した俺は立ちっぱなし。
「桐島聡さんをしのぶ会」盛況でした。
— ちくわ🍉 (@akame712) February 1, 2025
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 pic.twitter.com/O5rKUyE8G3
宇賀神さんの発言と、配布資料(「救援」24年3月)から引用する。ツイッターに書いた内容の焼き直し。
宇賀神さんと桐島さんが二人でいると、公安らしき者から付きまとわれることもあり、1975年5月の一斉逮捕の後は、二人で話し合い、別行動することにした。そして9月に待ち合わせする約束をしたが、時間になっても桐島さんは現れなかった。
その待ち合わせ場所は鎌倉の銭洗弁財天で、宇賀神さんは現場に行くまで知らなかったが、「宇賀福神社」とも言う。「宇賀神が宇賀神社で捕まったらシャレにならない」。しかもその5日前には、中核派による「横須賀緑荘誤爆事件」が起きていた。横須賀から鎌倉まで近くはないが電車で一本だ。まだ警察官の姿が目に付くので早々に立ち去ることにした。
宇賀神さんはそれ以降も逮捕されるまで、毎年9月の約束の日に銭洗弁財天に通っていたが再開を果たせなかった。その後の桐島さんは偽名で藤沢市内で働き、末期がんで入院したのは鎌倉の病院だった。亡くなった桐島さんはすぐ火葬されてしまい、宇賀神さんが桐島さんと対面することは出来なかった。
報道から察するに、桐島はあるがままの我を楽しんでいたのではないか。
誰にも嫌われることもなく、困っている人がいたら道路の補修もした。夜には『イェーッ』と声を上げて踊っていた。多くの人に親しまれた桐島がいた。
桐島のやさしさが多くの人に親しまれていたのだろう。あるがままに生きた桐島に公安警察は負けたのだ、ということを多くの人が知ってしまった。警察は地団駄を踏んでいるのが見えてきた。桐島は警察に勝ったのだ。そんな桐島に会って話をしたかった。やさしさを組織せよ!
なお浴田さんと足立正生監督も発言した。足立監督は1974年に日本赤軍に合流、1997年にレバノンで逮捕され2000年に日本に強制送還された。当然ながら桐島さんと面識はない。
お二人の発言をごちゃ混ぜにしてしまって申し訳ないが・・・浴田さんは超法規的措置で出国し、多くの人々から協力を得たが、桐島さんは誰にも頼れず、一人で生きてきた。一般の学生は、学生運動をしていても就職すれば活動から離れてしまうが、桐島さんはずっと一人で闘ってきたのだ。逃げることが闘いだ!・・・という趣旨の発言が行われた。
■ (というわけで、やっとこの映画のことを書くよ。以降ネタバレあり!)
桐島さんの足跡は、指名手配されて「内田洋」という偽名で生活を始めてから、最期が迫って本名を名乗るまで、当然ながら全く不明だった。仲間からは「うーやん」と親しまれ、居酒屋で楽しく飲んでいた、部屋で音楽をかけていたらうるさいというクレームを受けた、などの断片的な逸話が残るのみ。活動家仲間とは全く接触していないだろう。偶然BUNDの人と出会った、というのもこの映画の創作だろう。
国家権力から逃れていた桐島聡さんが何に苦しみ、何を感じていたのか、監督・脚本の足立正生さんが出した一つの答え・・・という感じかな。高齢になった桐島さんの元に、桐島さんと同じ「さそり」部隊だった宇賀神寿一さんが訪れたり、口から血を流した斎藤和さんが訪れたり、ドッペルゲンガーに説法されたり、三菱重工爆破事件の犠牲者に責められて「俺の部隊がやったんじゃない、だけど申し訳なかった、許してほしい!」と叫んだり・・・などと、悩み苦しむこともあったかもしれない。老いた桐島さんを演じた古舘寛治さんは・・・映画も演劇も全く知らないクセにこんなこと言うのは恥ずかしいが、表現力が素晴らしいね。だんだん桐島さん本人に見えてきた。
というわけで、いろいろなことを考えさせてくれる興味深い映画だった。桐島さんは亡くなったが、黒川さんと益永さんはいまも獄中で闘っている。出国したメンバーもそれぞれの地で闘っているだろう。宇賀神さんは救援連絡センターで国家権力と闘っている。俺たちもそれぞれの課題を闘わなくてはね。
ところで「桐島です」も楽しみだな。