2025年10月20日

2025年 花岡現地闘争A 6月30日慰霊式と講演会(noteより転載)

 非常に遅くなったが花岡を訪れた話の続き。noteより転載。ちょっといろんな用事(旅行とか、山奥のとある一軒家で草刈りとか。ブログに書くのめんどくさい)のせいで疲れちゃって、noteもブログも更新できなかった。暑すぎるからバイクはあんまり乗らなかった。房総半島の南端を一回りしたのが唯一のツーリングかな。
 6月29日はビジホにチェックインしてから一同集合(もちろん花岡和解に批判的な皆さんだけ)、居酒屋で打ち上げ。一人ずつ自己紹介、東アジア反日武装戦線の支援連の人たちの集会にたまに行きますって言ったら、初めてお会いした方に共通の知り合いがいることが判明。世間は狭いね?
 中核派の人たちとの付き合いが一番多いことは言わなかった。引かれるから。サヨクの世界じゃ中核派はエンガチョだからな。それにしても中核派はどうなっちゃっうんだろうね?旅行中にツイッター見てたら、何だかわけわかんない話とわけわかんない憶測ばかりで、わけがわかんないよ!

 2025年6月30日午前10時30分から大館市十瀬野公園墓地にて、花岡事件の犠牲者を弔う「令和七年度 中国人殉難者慰霊式」が行われた。毎年大館市の主催で行われている。
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 まず石田健佑大館市長にて殉難者名簿の奉納、黙祷、大館市長より式辞。続いて秋田県知事代理、中国大使館、中国紅十字会、殉難者ご遺族より慰霊の言葉。献水、そして献花。まず大館市長と関係者から、続いて一般参列者。

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 中国では故人を弔う際に紙幣を燃やす習慣があったそうだが、現在では紙幣の代わりに燃やすための紙があるようだ。

 続いて「花岡平和記念館」に行ってみた。
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 ちなみに開館当時、中国人が収容されていた中山寮に似ている。なんであんな形にしたんだ!・・という批判もあったらしい。

 NPO法人・花岡平和記念会が2010年4月に開館。花岡損害賠償請求の和解決着を称賛する展示で統一され、耿諄さんら原告がこの和解に激怒し拒否していることは全く触れていない。
 2000年11月の和解条項は、(鹿島建設が謝罪を表明した)1990年の「共同発表を再確認する」としながらも、「ただし鹿島は、『共同発表』は鹿島の法的責任を認めるものではないと主張し、原告もこれを了解した」という但し書きがある。
 これでは原告も鹿島に法的責任が無いことを認めた、としか読めない。当然、原告団長の耿諄さんは激怒。いつ、耿諄さんが、鹿島に法的責任が無いことを認めたのか。鹿島の謝罪も見当たらない。

 10年ぶりに訪れて呆れたが、「花岡和解の内容」というパネルでは、和解条項の第一項については以下の短い記述のみ。
 「1990年7月5日の「共同発表」を裁判所で再確認する」
 この後に続く、「ただし被控訴人(鹿島)は共同発表は被控訴人の法的責任を認める趣旨ではないと主張し、控訴人ら(原告)はこれを了解した」の部分が省かれているのだ。
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 赤い枠はもちろん、私が自分で撮った写真に描きましたよ!

 花岡和解の実態を来館者に知らせたくないんだろうな。何度来てもこんな調子だったような気がする。展示がリニューアルされたようだが、内容は変わらない。
 それにしても、和解を称賛する勢力は、ずっとこういう姑息なことを続けている。このパネルの後半に、和解についての裁判長の「所感」のうち、和解に意義があるように語る部分だけピックアップしているが、「所感」には「花岡出張所の中国人の生活は戦争中の経済的状況のせいで、当社は食糧など最大限配慮していた・・・というのが鹿島の主張」という部分もある。和解成立直後の報告集会では、その部分は白く消されていたらしいね。
 なお、耿諄さんに関する展示も、新美隆弁護士に関する展示も少なくなった。原告団長の耿諄さん自身が和解を拒否したまま亡くなったことはあまり知られたくないだろうし、そういう和解に導いた新実弁護士についても、この件だけで語られるのは悪いと思ったのかな。

 午後は信正寺にて慰霊祭、そして「花岡の地・日中不再戦友好碑を守る会」に案内していただいて、近くの七ツ館弔魂碑、中国人殉難者供養塔に花を手向けた。

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 供養塔への、登山道のような細い道は普段は草ボウボウだが、毎年の6.30の前に鹿島建設が草刈りを手配しているらしい。


 さらに車に分乗して「日中不再戦友好碑」を訪れた。鉱滓ダムである滝ノ沢第二ダム(堆積場)の堤防を通ることになるが、エコシステム花岡(DOWAホールディングスの関連企業)の管理地なので、毎年の花岡慰霊式の前後のみ通行が許可される。DOWAホールディングスとはかつて花岡鉱山を経営していた藤田組→同和鉱業のこと。堤防から見ればほぼ満杯、野原のようにしか見えない。
 ところで以前訪れた際にはこのような看板が立っていた。
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 カドミウム、六価クロム、シアン、セレン、水銀、鉛などの化合物混じりの土砂を、どの程度、浄化できたんだろうか。素人考えだが、地震や台風で堤防が決壊したら下流にぶちまけることになるかも?
 ところでウィキペディアを見て知ったが、花岡や隣町の小坂鉱山跡地(この鉱山も藤田組が経営していた)は、関東各地のごみ焼却場から出た焼却灰が、DOWAホールディングスの関連企業によって薬剤処理された後、埋立てられていた。しかし2011年7月、大館駅に到着した焼却灰から基準値越えの放射線が計測されたため、送り返された。同年3月11日から7月まで、既に数百トンの焼却灰が花岡や小坂の処分地に埋立てられた後だった。小坂の処分場の排水汚泥からは数年後も微量な放射性セシウムが検出されたという。詳しくはウィキペディアの「花岡鉱山」の項目と、リンク先の秋田県庁の広報を参照のこと。

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 友好碑が立つ丘から、鉱滓ダムの堤防の土砂で埋まった上流部分が見える。木立の間を覗き込めば、白っぽい土砂が混じった水がゆっくり流れているのが見える。鉱山の「ズリ」、つまり採掘の際に出る土砂らしい。かつて中国人強制連行被害者が収容されていた中山寮も鉱泥の下。


 夕方から大館市立花岡公民館にて、「日中不再戦友好碑を守る会」主催の集会。
 上海交通大学研究員の石田隆至さんの講演のタイトルは「『守る会・信正寺』が守り抜いてきたもの  戦後80年・花岡事件80年に進行する歴史歪曲」。
 まず守る会の活動と信正寺について、花岡の山野に放置された遺骨の掘り起こし、納骨堂への保管、母国への送還など、被害者の存在を何より中心においた追悼活動を挙げる。
 続いて、三菱マテリアルに対する強制連行被害者の訴訟の、2016年和解決着について批判。この訴訟は花岡訴訟の弁護人だった内田雅敏弁護士も加わっていた。
 内田氏は、この和解が下請先も含めた全ての労働者を対象にし、かつての和解より和解金が多く(もっとも中国の物価が上昇しているが)、企業の謝罪を引き出せたことを自画自賛する。
 しかし三菱側は「法的責任」とは言わず「歴史的責任」という用語を用い、また原告を「中国人労働者」と呼んでいる。農民や捕虜を身分上「労働者」に偽装して日本に強制連行したことは弁護団も承知しているはずだ。被告は、働きたくて渡航した労働者ではなく、強制連行の被害者だった。「中国人労働者」と呼ばれることに抵抗感が無いはずがない。それに強制連行が行われたことを認めるなら、「法的責任」も否定できないはずだ。
 内田弁護士は「和解の成立のためには、被害者の寛容と加害者の慎み、節度が不可欠である」と述べたという。被害者が譲歩すれば和解を引き出せる、ということなのか?こうした和解内容が原告を失望させ、3千人以上の原告のうち百数十人が和解から離脱しているという。
◇ 三菱マテリアルと中国人元強制労働者の和解暗礁に --人民網日本語版--人民日報

 また石田さんは、林伯耀氏の様々な活動歴を追った(製作中の)ドキュメント映画「老華僑は黙らない」のダイジェスト版についても批判。
在日華僑のライフストーリーと日中の歴史・現状・未来を描く映画『老華僑は黙らない(仮)』製作・劇場公開応援プロジェクト! - クラウドファンディングのMotionGallery

 この映画(のダイジェスト版)については公開質問状が出ている。
『老華僑は黙らない(仮)』に関する武田倫和監督への公開質問状 - 花岡「和解」と私たち

 この質問状の指摘に同意しているが、私からも一言ふたこと。
1.映画の中で林伯耀氏は、耿諄さんが和解を否定した理由は、「和解を拒否した抗日民族英雄として絶賛される心地よさに抗えなかったからではないか」と発言しているそうな。それは単なる憶測だ。よくも勝手にそんなことが言えるな。

2.林伯耀氏が耿諄さんの自宅を訪れて、新美隆氏の著書と一緒に写真撮影を依頼したが断られたことを回想し、「がっかりした」「花岡和解は何かが足りない、未完だ」と語ったそうな。何かが足りないのではなくて根本的にアウトだ。この和解を成立させた弁護士の著書とツーショットなど、冗談ではない。

3.かつて林伯耀氏が花岡事件の資料を調べていたら、耿諄さんも仲間に暴力をふるっていたことを知り、動揺した。・・・ということを思い出したら、辛淑玉氏が林氏に「美しい被害者なんていない」ということを語りかけたという。
 しかし耿諄さんは軍人だ。国民党軍の将校だった。軍人の指導が厳しいのはどこの国も共通しているだろう。しかも「労工大隊長」という、仲間を統率しなければならない立場を押し付けられたのだ。殴って蹴って従わせなければならない、そうせざるを得ない状況もあったのではないか?もし林伯耀氏が言うことが事実だったとしても、それを命じた鹿島組の責任ではないか?

 林伯耀氏は以前から同様なことを口にしていた。「世界」2008年2月号 「虜囚の記憶を贈る (6) 受難者を絶望させた和解 野田正彰」によると、林伯耀氏は野田氏と面談した際、
 「耿諄はすっかり英雄になったつもりでいる」
 「耿諄は中山寮で人を殺しており、苦しんでいるはずだ」
 と語っていたという。
 要するに林伯耀氏の本音は・・・英雄気取りしているが、自分も仲間を殺しているのに。和解を批判できるような立場ではないだろう・・・というものかな。

 ここで石田隆至さんは、「花岡事件横浜法廷記録: BC級戦犯裁判の代表的事例 花岡研究会編 総和社」から引用して解説。戦後GHQにて、花岡での中国人虐殺に関わった者らが裁かれた記録である。
 法廷で、鹿島組花岡出張所の中国人「労工」中隊長だった張金亭さんが、鹿島の補導員による中国人虐殺の目撃を証言している(P-486〜)。林伯耀氏が言う、耿諄さんによる仲間への暴力とはこの件を指していると思われる。
 趙発貴さんという中国人が脱走したが捕らえられ、補導員の伊勢、小畑、福田など主だった連中が、中国人を集め、趙さんに制裁を加えることを宣言した。
 そして補導員らはまず耿諄さんに、床に横たわった趙さんを棒で殴るように命じ、耿諄さんは彼を棒で10回殴った。続いて中隊長である張金亭さんが7回か8回、別の中国人が10回以上殴った。しかし中国人たちが殴った道具はツルハシの柄の部分で、しかも中国人たちは床に横たわる趙さんの身体より先にツルハシの柄が床に落ちるように振り下ろしていた。
 このやり方に補導員の福田が手ぬるいと怒り出し、福田は別のツルハシの柄で、趙さんが気絶するまで殴った。顔に水をかけられた彼が意識を取り戻すと、さらに彼を動けないようにして、濡れた太い縄で50回以上殴った。再び彼が気絶すると、福田は「趙発貴を死なせろ」と言い、3日後に趙さんは亡くなった。
 このように、耿諄さんら中国人による打撃は軽いもので、殺害の主犯は補導員だった。林伯耀氏の発言は耿諄さんへの侮辱であり、まさに「花岡事件80年に進行する歴史歪曲」ではないか?

 石田さんは他にも、和解直前の耿諄さんの揮毫のうち「維護人類尊厳」という部分を田中宏氏が「人間の尊厳は守られた」と翻訳してしまったことや、和解後の彼らの「勝利集会」で、和解に際する裁判長の「所感」がコピーして配布されたが、その一部が不自然に消されていたことなどを指摘。(参考)

 なお講演後、地元の方々が、地元だからこそご存じの情報を提示。花岡川河川改修工事に中国人が動員された部分より下流の部分は、朝鮮人が動員され完成させたという。前日七ツ館事件について講演した齋藤光雄さんの叔父さんは、この事件の被害者の一人だった。非常に有意義な集会だった。



 ところで、以前から政府やマスコミが強制連行被害者を「徴用工」と呼んでいることに違和感があったが、2018年に韓国の大法院が、強制連行被害者による新日鉄住金への訴訟で賠償命令を下した後、安倍政権は「徴用工」という語句にも不満を募らせたようで、「労働者」という呼称に統一した。「徴用」という語句が強制的な施策を連想させると思ったんだろうな。実際に強制なのだが。
◇ 「労働者」に呼び方統一 元徴用工判決で政府 - 日本経済新聞
 なお、花岡和解成立と同時に発表された鹿島建設のコメントも、「多くの中国人労働者が労働に従事されました」と記している。

 これらは、強制連行の事実を隠しつつ、労働者ならば就職・退職も自由ではないか?イヤなら辞めればよかったのでは?いまさら訴えるなんて!というノリの、いわゆる自己責任論というかそういう感覚の蔑視を扇動しようとする手段ではないか?
 安倍は(側近に入れ知恵されたのかもしれないが)、「原告は徴用ではなく応募だった」と臆面もなく述べた。中国からの動員や朝鮮半島からの「徴用」は言うまでもなく、朝鮮半島での「自由募集」「官斡旋」の段階でも暴力的な手段で連行が行われていたた(参考)ことは知らなかっただろう。

 もちろん高収入の宣伝に乗せられて自発的に応募した人々も多かったが、事前の説明とは異なる重労働を強いられ、帰国も許されなかった。
 新日鉄住金を訴えた受難者も、技術を身に着ければ韓国国内の製鉄所に就職できるという広告に惹かれて応募したが、実際は技術習得には程遠い過酷な労働で、帰国は許されなかった。(参考)

  だから、前から言っていることだが、
 ・拉致されて働かされていた
 ・自主的に応募したが事前と説明と実際の仕事が全然違い、退職の自由もない
 この二つを分けて論じる意味はないと思うが。どちらも強制連行と言って差支えないだろ?違うか?たしかに後者は就労する際に強制連行されたわけではないな。だったら奴隷制度でいいだろ。

 現在の外国人技能実習制度も奴隷制度と言える。しかし外国人実習生は、「実習生」とは名ばかりの、事実上の労働者だ。(都合に合わせて労働者を実習生と呼んでみたり、強制連行被害者を労働者と呼んでみたり、これが日本帝国主義の汚さだ)
 同時に、強制連行の受難者の方々は「労働者」と呼ばれることを侮辱と感じることを重々承知の上で、あえて言いたい。日本帝国主義による強制連行被害者も、奴隷労働の被害者であるが、かつ労働者としての権利を奪われた労働者だ。強制された労働であっても、労働を始めた時点で労働者だ。

 今も世界中で労働者の権利が侵害され、奴隷労働が横行している。近年は高収入を求めて海外で就労する若者が増えており、トラブルも多いらしい。外国人労働者の境遇が他人事でなくなる。
◇ 「海外出稼ぎで給料2倍」成功談の裏で“未払い”過酷労働も 「若者の日本離れ」現実は

 資本家は労働者を搾取し、用済みになれば捨てられる。私たち労働者にとって、奴隷労働に苦しめられる人々の苦難は決して他人事ではない。労働者であるから共に闘わなくてはならない。
posted by 鷹嘴 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 花岡事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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