2025年10月30日

2025年 花岡現地闘争B ソロフィールドワーク → 信正寺慰霊祭(noteに転載済)

 この記事はnoteに転載済。先にブログに書いておいたほうが便利かなって思って。いろいろ試してみる。
 7月1日は午後から、石飛仁さん主催の信正寺慰霊祭。石飛さんは花岡蜂起7月1日説を支持するので、毎年信正寺で2日続けて慰霊祭が行われている。
 午前中、皆さん資料整理など忙しく、暇な俺はちょっと大館郷土博物館まで車で運んでもらった。ちなみに何度も花岡に行ってるのにレンタカーの運転を要請されたことはない。いつもツイッターやブログで、車庫入れ何回もやり直して結局バンパー凹ますほど運転下手なクセに飛ばすし、また捕まった、今度は事故った、など書き散らしてるせいかな?バイクの運転も相変わらず下手っピだね。未だにコンビニの駐車場で1速のまま出るときなどガックンガックンしちゃうし、それどころか取り回ししてて倒しそうだし。この日の午前中はソロツーリングならぬソロフィールドワークに決起したぞ!


 (以前も訪れたことがあるが)大館郷土博物館は入場料330円、見ごたえあり。
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 花岡鉱山では「黒鉱」という、金、銀、銅、鉛などの塊が採れたんだって。そりゃ増産したくなるよな。花岡事件についての展示もある。隣に秋田三鶏記念館。ゲージの中に比内鶏など美味しそうな鶏さんたち。この博物館の裏手の森が、蜂起した中国人が逃げ込んだ獅子ケ森。

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 いま何かと話題の小林多喜二の文学碑。出身は下川沿村出身、現在の大館市。スパイ防止法は絶対に阻止、高市政権いや壺政権打倒!

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 博物館を出て右手に歩いた。獅子ケ森の登山口はどこだろう。隣に老人ホーム

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 老人ホームの前を左に歩いていったら、獅子ヶ森登山口みつけた。もちろんクマさんが怖いから入らないよ。

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 奥に見える原チャリは山菜取りとか?

 ちなみに前日訪れた花岡平和記念館の展示によると、獅子ヶ森は地元の子どもたちの遠足コースらしい。今はどうか分かんないよ、クマさんが出るかもしれないし。展示されていた1954年の獅子ヶ森の写真は、軽装で登る人々の姿。お手軽なハイキングコースなんだろう。しかしその写真は草原のような光景だ。1945年の花岡蜂起のころの獅子ヶ森は岩がむき出しの禿山であり、戦後もしばらくはそういう姿だったそうな。なんでだろ、鉱山の精錬所の煤煙のせい?
 戦前の花岡鉱山も隣町の小坂鉱山も、煤煙で地元の人々を苦しめ、花岡の農民の闘いによって花岡の精錬所は閉鎖されたが、花岡の鉱石は小坂の精錬所に送られたため、小坂町の煙害はますます深刻になったという(別記予定)。

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 そして、大館市中心部に向かって歩いた。クマさんが出そうな、鬱蒼とした森が続く。それにしても圧倒的な緑!なんだか、癒されるというか、自然と一体化してる気分?

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 T字路に出た。「市制記念 獅子ヶ森公園 昭和廿六年」って書いてあるな。どっからどこまでが公園だったのか?

 ここを右に曲がり、国道7号に出た。力尽きたら車で迎えに来てもらう約束だったが、ここまで来たんだから、信正寺まで行っちゃえ。国道をちょっと進んで「らーめん錦 大館本店」で生ビール飲んでラーメン食って戻って、県道192号「釈迦内花岡白沢線」を北上。この先に信正寺、さらに進めば慰霊式が行われる十瀬野公園墓地。飯食える店はなし、コンビニは、国道から曲がったところにローソンあっただけ。ラーメン食っといて正解だったな。都会の常識は通用しないよ。もっとも関東地方だって、山奥じゃなくても郊外に行けば、民家は点在しててもコンビニも何も無いもんね。それが普通だよ。

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 周りは田畑、真っ直ぐな道が続く。橋の上から川を覗き込めば、何やら古い鉄橋。「フィールドワーク花岡事件」(花岡の地 日中不再戦友好碑を守る会/編 2011年6月27日 第1版第1刷)によると、この県道はかつての花岡線と並行して走っているそうだから、これは花岡線の鉄橋だろう。いつも車で通るから気づかなかった。花岡蜂起の夜、中国人たちがこの道を連なって獅子ヶ森の方向に進んでいき、村人たちを驚かせたという(同上)。

 歩いていくと、以前から気になっていたが右手に小さな山と何らかの工場が目に入る。車だとすぐ通り過ぎちゃうからなんだか分らないよな。
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 ここは戦後に鉱床が発見され、花岡鉱業所のうち最後まで操業していた松峰鉱山の選鉱場だった。水田地帯の浅い地下で採掘していたため地盤沈下が進み、この道路の東側にあった集落は西側へ集団移転を余儀なくされた(移転先でも地盤が安定していないため、再補償を求める運動が続いている。同上)。
 ここは現在、DOWAホールディングスの関連企業であるエコシステム花岡の松峰工場となっている。(花岡鉱山を経営していた藤田組は、同和鉱業→DOWAホールディングスと社名変更している)

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 平坦な田園地帯を抜け、ちょっと休憩。川を覗き込めば、清流かと思ったのに何だか錆みたいな色してるんだけど。鉱山の成分を含んだ水が流れているのかな?

 やっと、蜂起のあと捕らえられた中国人が縛り上げられて晒し者になっていた共楽館の跡地についた。郵便局のはす向かい。
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 共楽館は1941年に藤田組花岡鉱業所の娯楽施設として建設され、映写設備もあった(なお藤田組は1945年12月、同和鉱業に社名変更)。1978年に取り壊され、翌年体育館が建設された。市民からここに共楽館があったことを示すべきだという声が高まり、80年に「共楽館址」が建てられた(同上)。
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 しかしその体育館も2024年3月に閉鎖。

 この県道沿いには、シャッターが閉まったままの廃屋が点在している。鉱山の従業員向けの映画館が造られるくらいだから、飲食店もあっただろう。

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 ついに花岡川まで来た。川沿いにある市立花矢図書館は小さいけど、花岡事件についての資料が充実している。ちなみに花岡町は1955年に矢立村と合併して花矢町となり、1967年には大館市に編入された。

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 そして信正寺に到着。80年前の蜂起の夜、中山寮を脱出し獅子ヶ森まで逃げた中国人たちの足跡を、逆ルートで、ほぼ辿ったわけだな。これぞField WorkならぬField Walkだ!疲れたけど面白かったから、若い人はやってみてね。花岡に限らず。

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 まだ時間早いから慰霊祭始まんないから、付近を散策。以前、花岡温泉ってあったよ。バス停だけ残っている。

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 そして慰霊祭、住職の読経、石飛さんと先代の住職のお話。
 初めて参加した人も多く、1995年の提訴の直後、信正寺で石飛仁さんが講演していた際、訴訟グループが乗り込み、石飛さんのネクタイを引きちぎり、ムチウチ症を負わせた・・という事件を石飛さん本人から聞くのはインパクトがあったと思われる。
 2000年の和解決着の際も連中は、和解を非難する人々に詰め寄り罵声を浴びせ、拳を振り上げて威嚇したという。これでもリベラルだよ。サヨクだよ。インテリだよ。 まあ連中に期待するものは何もないが、和解を正当化するため耿諄さんを侮辱するような策動は厳しく批判しなければ。

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 前日も訪れたが、信正寺の裏手の慰霊塔
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 七ツ館弔魂碑

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 花岡鉱山で働いていた労働者の「共同石碑」。「親分」と「子分」の名が残る。かつての鉱山や炭鉱には、「友子」という、労働者を束ねる組織があり、技術の指導、職場の統制、また共済機関としても機能していたという。(別記予定)

 お寺に戻って、きりたんぽ鍋をご馳走になってしまった。美味かった。残ったから二人分食ったぞ。昔だったら三人分食えたかも。そして本堂の壁に殉難者の名前が記された紙を飾った。

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 花岡川の中州の灯明供養には、鹿島の補導員の名が記されたカップもあった。彼らも加害者にして被害者だからな。補導員には「檜森」という者もいて、この苗字は秋田県がもっとも多いという。檜森孝雄さんは秋田県鷹巣町生まれ。

 7月2日は石飛さんが案内するフィールドワークだったが、俺は仕事があるから1日の夜行バスで帰った。有意義な花岡現地闘争でした!
posted by 鷹嘴 at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 花岡事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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