ところで朝日新聞にこの事件に関連するコラムが掲載されていたので引用する。
9月4日朝日新聞夕刊日本政府は直ちに毒ガス被害者への救済を始めるべきだろう。
「窓 − 論説委員室から 長距離選手が夢だった」
「長距離選手になりたかった」。かけっこが速い少女のそんな夢は、4年前の夏、突然しぼんでしまった。
中国東北部の黒龍江省チチハルで起きた毒ガス事件で住民44人が死傷したが、当時10歳の馮佳縁ちゃんもその中にいた。
被害者たちは、工事現場から掘り出されたドラム缶から漏れた液体やガスに触れたのだった。缶は旧日本軍の化学兵器と、日本政府が認めた。
佳縁ちゃんは友達と中学校の校庭で遊んでいた。黒っぽい土の山があった。湿り気があり、粘土のようにいろいろなものをつくりやすかった。その土は工事現場から運び込まれてきたものだった。
その夜、手足が腫れ、激しい痛みに襲われた。皮膚を切除し、3ヶ月入院した。呼吸器などが弱くなったという。
大好きな体育はずっと見学している。もう走れない。だが、つらいのはそれだけではない。「病気が伝染する」と、友達や近所の人たちが避けるようになった。
被害者を支援する「化学兵器CAREみらい基金」のスタッフで、看護師の堤順子さんは現地にも行き、佳縁ちゃんたちの健康を見守っている。子供の被害者は他にもいる。そんな隣国の子供の苦しみを、日本の同世代にも知ってほしいと、「みらい基金」は今年、「ぼくは毒ガスの村で生まれた」という本もだした。
「(伝染しないと)どう説明してもわかってくれない」。佳縁ちゃんの言葉が堤さんの頭から離れない。 (五十川倫義)
ところで関連するニュースを紹介。
◆千葉市内で砲弾4発、旧日本軍毒ガス弾か(8月10日のニュース)
◆700発の旧日本軍毒ガス弾か 福岡・苅田港
このように敗戦当時の日本軍は毒ガス弾を適当に棄てていたのである。「中国側に引き渡した」などという反論は寝言に過ぎないことがよく分かる。
ちなみに毒ガス兵器処理代は日本が出していますが何か?
すでに、遠い過去に日本の物でなくなっていますので責任を持つ必要はなかったと思います。
原爆の後処理と同じで良いのでは?