満州事変が起こった当時、「東洋経済新報」の主幹である湛山は社説で次のように中国東北部侵略を批判していた。
「いかに善政を布かれても、日本国民は、日本国民以外の者の支配を受くるを快とせざるが如く、支那国民にもまた同様の感情の存ずることを許さねばならぬ」「朝鮮は日本のおかげで近代化した」とか、「満州は中国ではない」とか言ってるバカウヨはこの湛山の言葉を噛みしめてみるべきだな。
「(満蒙は)無償では我が国の欲する如くにはならぬ。少なくとも感情的に支那全国民を敵に廻し、なお我が国はこの取引に利益があろうか。それは記者断じて逆なるを考える」(「満蒙問題解決の根本方針如何」)
しかし湛山の真っ当な主張も国民に受け入れられることはなかった。朝日新聞などが中国東北部侵略を全面的に支持する御用新聞と化していたことも大きく影響しただろう。
・・・また、九州帝大法文学部教授の今中次麿という人も、中国侵略を激しく非難していた。
「軍部の非常識、無鉄砲そのものが、常に我対支政策を裏から破壊しつつあると云ふことに対して、国民はもっと憤慨しなければならない」(九州大学新聞31年10月5日号)
「(満州経営には)非常に多額の資金を要するが、日本の受ける利益は現在でも非常に寡ない。このような発言のために今中は軍部からマークされ、何度も発禁処分を受けた。
・・・満州を経営することは結局無駄なことではないだらうか」
「満州事変はファッショ独裁を導く為に企画されたと思はれる」(九州日報)
41年には「政治の悪魔性について説いた著書『政治学』(朝日新聞社刊)」が発禁処分を受けた。その時の今中次麿のメモによると、朝日新聞社側に示された発禁の理由は「時局柄困る」「学術書ならよいが一般向けなるがゆえに」というものだったという。これは長男の比呂志氏(広島大学名誉教授)が保存している。
この発禁処分を受けた著書を南原繁らに送ったことが「出版法違反」とされ、42年に九州大学から去った。
「『次麿は信念の人でした』」と今中比呂志は語る。朝日に欠けていたのは、一言でいえば、言論にかける『信念』ではなかったか」「欠けていた」ではなく「欠けている」ではなかろうか。この連載で自戒を込めるつもりのようだが、朝日がかつての過ちを犯すことはないだろうという信頼は、もう失っているのではないだろうか。つーか最初から無いかも・・・