2005年09月17日

「嫌韓流」批判・・・続編 植民地支配の諸相

つーかこういうのは今まで散々ネットで議論し尽くされ、クソウヨどもは撃沈していったんだけどねえ。
あのマンガの作者は、自分にとってあま〜い(笑)サイトしか見ていないようだね。

「たしかに欧米列強は植民地に対し過酷な収奪と搾取を行っていました
しかし・・・
日本統治下の朝鮮は状況が全く違ってよ!
日本は朝鮮に道路・鉄道・電力など数々のインフラを整備
さらに近代医療の導入と農業生産力の向上により
人口を倍に増加させ奴隷制度を廃止し教育制度を充実してハングルを普及させた
これらのどこが「世界一過酷な植民地」なのかしら?」

要するに日本がやったことが朝鮮人の生活を向上させたと主張したいのだろうが、そんな単純に言えることではない。
植民地の「インフラを整備」をしたのは日本だけではない。そもそも「インフラを整備」を行わなければ植民地からの「収奪」が円滑に行えないだろう。植民地の天然資源や農産物をどうやって本土に、あるいは港まで運ぶのか?作者はこんなことすら分からないようである。
それに、言うまでもなく土木作業に直接携わったのは朝鮮人であり、併合の初期には「夫役」という奴隷労働が強制されていた。
無報酬の土木工事を強制されただけでなく、道路建設予定地に農地を所有している者は何の補償もなく没収され、建設地から離れた場所に住む者は貧しさの為野宿を余儀なくされたのである。

また、朝鮮人労働者の賃金は概して「内地人」より低額だった。
1936年当時の朝鮮半島に於ける、
「左官」の平均日給は、
「内地人」が       3.37円、   朝鮮人2.1円、
「石工」は「内地人」が  3.47円、   朝鮮人2.09円、
「木挽」は「内地人」が 2.96円、   朝鮮人1.82円、
「平人足」は「内地人」が 1.43円、   朝鮮人0.77円、
「土方」は「内地人」が  1.83円、   朝鮮人0.93円、
「下男」の平均「賄付月給」は、
「内地人」が 23.0円、 朝鮮人11.22円、
「下女」の同上は、
「内地人」 15.0円、   朝鮮人7.66円だった。
(「昭和十一年朝鮮総督府統計年報」P-242〜245より)
植民地では低廉な労働力の供給が可能なので、「インフラを整備」も「本土」より比較的容易であろう。これは朝鮮という植民地も例外ではない。

(よそのブログにコメントしたことだが)「近代医療の導入」が行われたのは事実。日本支配下の朝鮮では当時世界的に流行していたコレラが強く警戒され、また種痘も実施されていった。
もっとも、半島内の病院・医院に於ける来院患者数は、朝鮮人よりも日本人の方が多く、人口比率から見ると30倍以上になるというデータがある(岩波ブックレット552「日本の植民地支配」P-24 より)。朝鮮人に対する医療は充実していたとは言えない。

「農業生産力」が「向上」したからといって、一般の朝鮮人はその恩恵に浴したわけではないようだ。一例として朝鮮の米生産高に関する統計を示す。

このように併合直後の1912年には1157万8千石だった米の生産高が、(二つの表の中では)一番多い1937年には2679万7千石に達している。
しかし日本への移送量も増加傾向にあり、朝鮮人一人当たりの米消費量は増減があるものの、1912年の0.7724石を越えるデータはない。

つーか朝鮮総督府はどのようにして人口を倍加させる政策を実行したのか、ご教示願いたいものである。だいたい「食うに困るような状況でも人口は増加しうる」ことぐらい常識ではあるまいか?
「朝鮮人の一般生活程度はわが国の奈良朝時代のそれに相当すると唱へた学者すらあるやうに、彼等の生活は一般的標準から見て頗る低く、殊に下層階級の生活は悲惨を極めている。いふまでもなく現時の経済的不況は朝鮮に於いても深刻なる影響を及ぼし、朝鮮下層民の生活は極度に逼迫してその行き暮れた生活の姿は随所に見出される」
(大阪市社会部労働課 社会部報告177号「朝鮮人労働者の近況」1933年――朴慶植/編「在日朝鮮人関係資料集成第五巻」(三一書房)P-780〜784)

「四月乃至五月、貧農は米も麦も勿論売り尽くし、蓄への粟も勿論食い尽くし、畑作が収穫期に入るまでは、草の根を噛み、木の皮を囓って飢えを凌ぐ。
朝鮮農家の窮民の固有の此の悲惨は恐慌期に入りて倍加され、三倍化された。殊に六年(1931年)の凶作恐慌の後には、もう二月三月から『春窮』が始まり、農民は鋭い飢餓に虐まれ、餓死の恐怖に駆られている。困難は、殊に凶作であった威鏡北道、慶尚南北道等に於て深刻だ。威鏡北道の如き、実に63%の減収なのである。死か、闘争か、貧農は恐慌の深化と共に起上る。六年度の小作争議は、その規模といひ、その性質といひ、当局を脅威するに十分だった」
「慶北栄州に郡浮石、丹山の両面は数年続けて凶作にあり、面民は殆ど生活困窮のドン底に陥り殊に端境期が近付くに従って彼等細農の生活状態は一段悲惨の度を加へ、食ふに糧なく一日一食の粥にもありつけず、草根木皮を漁って歩くといふ餓死線を彷徨う七十戸、三百三十二人に達している」(東洋経済新聞社「日本経済年報第七号」)

「村落に入ると丁度正午ごろである、道ばたのとある一軒に立ち寄って見ると、家族五人が力なげに寝そべったまま、ムシャムシャと頬張っている。『何か』ときいてみると、稗糠に少量の大豆と、つぶし胡麻を混ぜたものだという。家人は何れも目の周りが紫色にふくれ上がり、全身に水腫が浮いている。話す言葉も全く力がなくて、丸で蚊がないているでもいるような弱さだ。亭主らしい四十がらみぼ男が、物憂げにいずまいを直してポツリポツリと語るところによるとこうだ――――草根木皮のあるうちはこんなに衰えはしなかった。それもいつか食いつくしたので、詮方なく今は、稗糠に大豆と胡麻を混ぜた粥や栗糠の粥、米糠などを常食にしているが、それでもまだ上等で、時には大根のひげ根の部分や、葛根のたたき粕を細かく砕いたもの、玉蜀委の芯の部分を包丁でそいだ粉などを、一所に煮て食って飢えを凌いでいるというのだ。そのうちに子供が腹痛を訴えて、大声に泣き出した。すると男はチェーッと舌打ちをしながら、危なっかしい足どりで泣く子を抱えたまま戸外に出て行って佇んだ。怪訝に思って彼の仕草を見ていると、尺あまりの棒の先で、子供の尻を突いているのではないか、やがて子供はその男につれられて戻って来た。
男はまた話しをつづけ――――粟糠を食うと大人はそうでもないが、子供は通じが悪くなり、腹を痛めていつもあの通りに泣くし、米糠も子供は胃腸を痛めて困ると訴えるのであった」(「大阪毎日新聞」1933年6月17日付)

「わずかばかりの畑に植えた麦でさえ、成熟するまで待ち切れずに、未だ実もかたまらない乳熟期に刈取って精白し、さらにこれを粉にして粥を作ってすすっている有様だ。それでもまだ麦が出来るようになれば多少とも潤うけれども、4・5月のいわゆる春窮期には、草の芽を摘み、木の根を掘り、木の皮を剥ぎ、アカシアの花を取って、ヤッと生命をつないでいる。だから4・5月ごろは、だれもかれもが弾力なく膨れ上がって、栄養不良となり、むさ苦しいオンドルに水ばかり飲んで寝ころんでいたものである。ある農業指導員から『農民の最も多忙な田植のいまでさえ、粟飯でも三度戴いているものはほんの僅かでし
ょう』と聞かされて驚いた。各部落をぐるぐる廻って歩いている郡農家の枝手さんの話によると、『郡内のどの部落も、一年中粟さえおがめぬ者が、約一割は確実にありましょう、地主から出来秋には一倍半にして返すと言う、話にならない高利で籾を借り、市日に粟にでも代えて、粥でもすすり乍ら、かすかす春さきを過ごしている者は、三割以上もあります。それでもこんな不況になっては、地主も貸したところで、秋になって返済するかどうか疑問だから、一斗の籾だってなかなか貸してくれなくなり、どん底の農民達は増加する一方です。地主がこんな心配するのもまた無理からぬ点があるんです。昨年の秋なんか、出来秋になって、籾を安値でこっそり売って、一夜のうちにどこにも知らさず、一家をまとめて逃げてしまったのがぼつぼつありました。この秋なんかもっとふえるでしょう。こんな全く形容もできないような、みじめなどん底生活をしているのですから、金と云うものは鐚(ビタ)一文)だって手にしたことのない農家だって、決して少なくありませんよ。粗末な壁が到るところ落ちて、サバリが四つ五つころがっているほか、何にもないと云う農家はざらにあります』との話に、記者は聞きしにまさるその貧窮状態に戦慄させられた」(同上1933年6月21日付)
(以上、朴慶植/著「日本帝国主義の朝鮮支配・上巻」より)

このような朝鮮農民の生活実態は、第六代朝鮮総督の宇垣一成の談話が立証している。
「就中、最も窮乏を訴へつつある現下の農村に付て之を見ますならば、其の約八割は小作階級に属する細農を以て占めて居ります。此等は過去多年の秕政の結果、搾取誅求に苦しめられて来たのでありまして、既に其の心境は著しく荒み、所謂酔生夢死、奮発心も、感激性も銷磨し、希望も理想も意気もなく、其の日暮しの悪習に堕し、自ら意識して、其の生活に改善工夫すると謂ふやうなこともなく、全く時代遅れの環境に甘んじ、年々歳々食糧の不足を訴へ、高利の負債は逐年増加するのみならず、収穫時期には債鬼殺到して、彼等全年の努力も、或いは借入食糧の返済となり、或いは負債利子の償還に充て、餘す所なく春窮即ち端境期に於ては、食糧不足し、山野に草根木皮を漁り、辛うじて一家の糊口を凌ぐが如き、惨目なる状態であって、此等は年の豊凶に依り、素より一様ではありませんが、其の概数は農家総戸数の四割八分約百二十万戸に及ぶ年も在つたのであります。換言すれば、朝鮮の農民中には、過去に追われ、現在に苦みて、将来を楽むなどは、思ひも及ばざるものが多いと申さねばならぬ。 此の多数の恵まれざる農民の存在は、正しく朝鮮統治の一大憂患であつて、其の生活と向上とを放任しては、朝鮮の開発は、断じて望み得ないのでありまして、之が対策は統治上、最先最急の要諦であり、且其の根幹を為すものと信ずるのであります。」(久間健一「朝鮮農政の課題」昭和18年刊 P-45〜46)

「宇垣一成日記 2」 みすず書房 (「関釜連絡船」1988年 金賛汀 朝日選書より)
(朝鮮総督の日記から)
咸鏡南北、江原道(朝鮮北部)以外にも飢餓に瀕する者少なからずして僅かに草根木皮によりて露命を繋ぎあるものを聞き、痛心に堪へずして当路者に糺せば、彼氏曰く、『朝鮮にては左様の事は珍しくもなく今頃になれば毎年各地に現はるる事象である。今ひと月もすれば木の葉も出て草も生ずるから夫れによりて収穫期まで何とかしていく』とて深く配慮するの様子もなかりし。(昭和7年3月31日付)
(これは「大日本史番外編朝鮮の巻  植民地統治の検証1 飢餓輸出」よりコピペ)

ところで「大日本史〜」では「宇垣総督の農村振興運動」が功を奏したように述べているサイトをリンクしているが、「日本帝国主義の朝鮮支配・上巻」では、この政策の顛末について説明している。
農民の生活に心を痛めていたであろう彼は、「自作農創定」という計画を立案した。
「小作人に土地所有せしめ、之を中核とし、思想経済共安定を欠く農村の更正を図り、兼ねて離村浮浪の弊を防がんとす」
この計画は、小作農一戸あたり農地購入資金660円を融資し、5反(約0.5ヘクタール)の農地を購入させ、長期間かけて小作農全てを自作農に昇格させるという計画で、1932年から実行される予定だったが、資金難であっさり頓挫し、「単なる農政的自慰」と酷評された絵空事に終わったという。そして宇垣は1936年、総督の職から退いている。
その後の朝鮮農民の生活については記すまでもない。ある現地レポート(1944年)も、朝鮮人農民の困窮ぶりを綴っている。
「二、都市及び農村に於ける食糧事情」
「朝鮮に於ける都市及び農村の食糧事情は深刻のものあり、其の実例として朝鮮に旅行しる時汽車の窓より望むるも沿線の林野に於ける松木の皮を剥ぎたるもの相当見受くることがあるが沿線にあらざる深山には尚多く近き将来に於て朝鮮の松木は或は枯死するのではないかと憂慮する人達も相当多い様である、併合以来故寺内総督を始め歴代総督は朝鮮の山林行政に相当力瘤を入れたる結果最近に至りては朝鮮の林相もようやく良好にになつて来たが昨今の食糧事情に依る此の現象は実に憂慮に堪えざるものあり」

「奴隷制度を廃止」させたというのは近代国家として当然のことだろう。(といっても「本土」同様、人身売買や借金のカタに身元を縛ることを根絶出来ていたわけではない)
ところで併合後も民衆の生活は向上せず、小作農が増加していった(こちらを参照のこと)。
また併合後は小作料が概ね50%程度に上昇し、さらに各種の税が設けられて貧しい農民を苦しめていた。
小作料過大にして、細民の生活愈困難なり、政府は地主の横暴を制限せられたし(間島移住民の如きも之に基くもの多し)
税金の種類夥多にして増税に次ぐに新税を以てし、糊口に窮するの貧民亦富豪と同じく課税せられ、
其の額は異れりと雖も貧民に於て却て苦痛を感ず、斯の如き公平なるが如くして決して公平にあらず。
(「大正八年 朝鮮騒擾事件状況」より、慶尚北道の農民の不満)

また、村落が共同で利用していた水源地からは「水税」が徴収されることになった。元々朝鮮の農民は、村落共同の掘り井戸や溜池を利用して汲み上げ灌漑を行ってきたが、大地主が中心となった「水利組合」が作られると、一反(約1000u)当たり6円10銭の「水税」を要求され、払えなければ田畑を明け渡すことになり、大地主の土地専有が促進された。

・・・たとえばアメリカでは奴隷が解放された後も、多くの貧しい黒人は生活のため、土地を離れることは出来なかった。奴隷ではなくなったが小作農として雇われる以外になかったのである。
小作農とは決して奴隷ではないが、耕作地の所有権は持たず、貧しい生活に甘んじていた。土地を捨てて「火田民」(山中で焼畑農業を行う者)や「土幕民」(路上生活)になることが出来る点だけ、「農奴」よりは自由があると言えるが。
それに上述したが併合の初期には「夫役」という奴隷制度があり、また日中全面戦争以来、朝鮮人は半島内の工場や鉱山に動員され、あるいは本土やサハリン、南洋に強制連行された。植民地朝鮮にて「奴隷制度」が「廃止」されたとは言えないのである。

「教育制度を充実」させたといっても、朝鮮人の子供の小学校への進学率は、大戦末期に至ってやっと6割に達した程度である。また植民地朝鮮での教育は日本語に重点が行なわれていた。
「普通学校教科課程及毎週教授時間表」(「朝鮮教育要覧」1919年1月、朝鮮総督府内務部学務局)によると、
国語(日本語)の授業は1年生から4年生まで週10時間だったのに対し朝鮮語は、
1年生が週6時間、
2年生が週6時間、
3年生が週5時間、
4年生が週5時間だった。
さらに1938年には朝鮮語は必須学科から外されている。(あのマンガには朝鮮語を選択しなかった学校の校長は朝鮮人が多かったという部分もあるが、それが朝鮮総督府の教育政策を免罪できるわけではない。強制連行についての鎌田沢一郎の述懐に対する解釈と同様)
それに言うまでもなく朝鮮の学校でも「教育勅語」が斉唱させられ、神社参拝、天皇崇拝が強制された。このような「教育制度」が「充実」したことに、朝鮮人にとっては何か意味があるのだろうか?

「それらに使われた資金は全て日本からの持ち出しなのよ!」

植民地のインフラ整備の資金を支配国が負担するのは当たり前だ。どうかしたのか?

「何が持ち出しだ!
当時の朝鮮は土地を奪われ農作物を奪われ地下資源を奪われ
日帝に滅亡寸前にまで追い込まれたんだ!」
「ではなぜ朝鮮半島が日本から独立するときに莫大な資産が残っていたのでしょうね?
(日本が朝鮮に残してきた資産 約47億ドル 軍事資産と個人資産を除く 在外財産調査会調べ)
(北鮮約30億ドル 南鮮約23億ドル 計53億ドル 軍事用資産を除く 総司令部民間財産管理局調べ)」
「そ そ それは朝鮮半島に元からあった資産だ・・・」
「滅亡寸前だった朝鮮に?」

朝鮮に於ける日本の資産については、上記のように植民地支配体制下に於いて民衆からの搾取、及び天然資源の利用によって構築されたものである。またその一部については「朝鮮半島に元からあった資産」無しには成り立たないものだった。空中に建物を作ることはできないからねえ(笑)過去ログを参照のこと。
posted by 鷹嘴 at 01:48| Comment(158) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本(人)と比べて平等ではなかったと言いますが、そもそも併合以前はメチャクチャな状態だったわけですよね。
それを、日本から人・物・金を投入することで、比較可能なレベルに引き上げたわけです。
結果、「朝鮮よりの利益」から「日本よりの持ち出し分」を引いたら、大赤字となりました。
Posted by 街の常識人 at 2005年10月07日 01:24
当時日本は富国強兵真只中で、勤勉を美徳とし、事実必死で働いてた。
韓国はお昼まで働いて、午後は世間話で時間を潰す生活。
両班は体を動かさないのが美徳だしね。

勤勉で品質に拘る職人と、適当にやってケンチャナヨな怠け者。
どっちにお金がたくさん入るか、今の日韓を比べても明らかですよね。
Posted by 笑韓流 at 2005年10月07日 10:28
朝鮮・韓国人民族の才能:特徴

 真の姿、詰まり現状(実力・事実・実態)を表面的に操作し、見た目だけは良い様に繕って加工する民族性、一種の才能。

捏造・整形手術・不正行為・パクリ・カンニング・架空のドラマ・嘘・歪曲・偽装等・裏工作等々。
Posted by 偽りの韓流ブームの逆説=強烈や嫌韓流 at 2005年12月30日 22:55
冒頭の青囲いに反論するには、
他国の植民地と比較した上で、
「世界一過酷な植民地」であることを証明せねばなりません。
・インフラ整備・賃金差・近代医療受療率
等について欧米諸国の植民地データを提示し、それが世界最底辺レベルであるかどうか示すべきです。

なお、農業問題・人口についてはせめて餓死者数を他国植民地と比較した上で提示されないと説得力がありません。また、米ばかりが食べ物でないことも常識ですよねw

また、教育・徴用(あなたの言う「強制連行」)についても、当時の朝鮮人は日本国民であり、等しく日本人も徴用を受けていたことから、これまた説得力がありません…
Posted by at 2006年03月15日 03:58
嫌韓流を批判するサイトを探してここに行き着きましたが、たいした内容じゃないですね。ブログ作者の方はみなさんのコメントに反応しては如何ですか?
Posted by トオリスガリ at 2006年03月15日 14:33
そもそも過酷な植民地という扱いさえ間違い。インフラ整備さえままならないアフリカや東南アジアの植民地だってあった。欧米諸国は東南アジアやアフリカを植民地支配し、当地の人民のことを考えずに支配していた。日本が東南アジアを解放・統治した時、欧米諸国が植民地支配していた時よりも歓迎されている。
Posted by 名無し at 2006年04月27日 00:02
 日本が東南アジアを解放・統治した時、欧米諸国が植民地支配していた時よりも歓迎されている。

よくウヨが日本の侵略行為を正当化する時に使う常套句の連発だね。同じ事やっても欧米諸国は植民地支配で日本の場合は解放・統治か(笑)。やだやだ。

 前に読売新聞に載っていたけど、インドネシアの首相が「日本が東南アジアを解放してやった」という主張に対して「それならオランダがインドネシアから撤退した時に我がインドネシアを自由になっていたはずだ。だが、待っていたのはオランダよりも遥かにひどい日本の圧政だった。日本が東南アジア諸国を解放したという主張があるそうだが、とてもそんな意見には同意できない」と言ったそうだ。

 東南アジアの人達だって馬鹿じゃない。解放したんじゃなくて、日本が変わりに支配者になりたかっただけだと見抜いてるよ。

 大体、強盗が前の強盗追い出したからといって誰が後から来た強盗の略奪行為に感謝すると思ってんだろうか?
Posted by ノン・フライ at 2006年05月25日 19:11
>東南アジアの人達だって馬鹿じゃない。解放したんじゃなくて、日本が変わりに支配者になりたかっただけだと見抜いてるよ。


で、東南アジアの人は今も狂ったように反日運動をしているのですか?
国旗に火をつけたり、小学生にまで反日教育を叩き込んだりしていますか?

>大体、強盗が前の強盗追い出したからといって誰が後から来た強盗の略奪行為に感謝すると思ってんだろうか?

強盗を追い出したのが果たして強盗かどうか、ロクな検証もせぬまま強盗だと決め付け、前の強盗の分まで謝罪を求めているのですから困ったものです。

レベルの低いコメントですね
Posted by at 2006年07月04日 11:32
『ダ・カーポ』という雑誌に「アジアの教科書に日本はどう書かれているか」という特集があったけど、中国・韓国以外のアジアの国の全ての歴史教科書に侵略してきた日本軍が犯した略奪や蛮行が掲載されているそうだよ。勿論小学校のにも。

また学校で教えられる以外にも その時代を経験した人達の口から直接日本の蛮行は子から孫へと語り継がれていますしね。

大体反日運動がどうの言っておりますがね、バブル時代世界中でジャパン・バッシングが吹き荒れていた時なんか米国をはじめとした欧米各国やアジア全土で日の丸を焼いたり、日本製品を破壊するといったデモが珍しくなかったんですけどね?

要は その時に日本と険悪かそうでないか。ひとたび険悪になればどこの国でも過激な運動が起こるもの。

それに仮に今、日本に文句を言ってないからといって別に日本の過去の蛮行が正当化されるわけではないし強盗行為が正当化されるわけじゃないでしょ?

今の日本政府がアメリカの原爆投下や市街地への爆撃、沖縄戦での住民殺害に対して文句を言ってないからといって原爆投下が正当化されますか?

強盗かどうかと世界一過酷かどうか云々についてだが、他人の家に武器を持って侵入し金品を奪うのは強盗行為。苦しまないように殺したからといって殺人が正当化されないのと同様に強盗行為はどこまでいっても強盗行為。

世界一であろうが、なかろうが餓死者をだすほど過酷だったことは間違いないし第一、仮に他国と比べて軽かったとしても、それで罪が軽くなるわけでもないし、ちっとも正当化される論理ではない。犯罪を犯しておいて「他の奴のほうがよっぽどヒドイ事しているじゃないか」なんていうのクソガキの言い訳でしかない。それでよく人に「レベルの低い」 なんて言えますね?

Posted by FC闘協 at 2006年07月16日 15:31
植民地支配は犯罪でもなんでもないわけだが?
Posted by なな at 2006年07月20日 17:08
日本の植民地支配が問題になるのは、植民地にする過程とその支配が当時の論理や観点からみても犯罪だからですよ。

軍の圧力を背景にした不平等条約による強制開国、朝鮮の主権を奪う日韓協約を脅迫によって無理矢理締結。 当たり前ですが、これは当時においても重大な国際法違反です。

それに対して「当時世界が承認した」と言う人間もいますが、当時日本は日英同盟というものをイギリスと結んでいましたが、当時イギリスは日本が朝鮮を併合することに対しても批判的であり、国際的な承認とやらも本当は得ていなかったのです。

Posted by ジャム上石神井 at 2006年07月22日 09:37
ちょっと見ないとメチャクチャ言われますなホント。で、上記のHNも書かずに色々デタラメな主張と論理を書き込む奴にたいして言わせてもらう。

>強盗を追い出したのが、ロクな検証もせぬまま強盗だと決め付け、前の強盗の分まで謝罪を求めているのですからこまったものです。

 ロクな検証もしていない、と勝手に決め付けるだからホント困ったものだ。それに、
いつ俺が「前の強盗の分まで謝れ」と言ったんだよ?人の主張を捏造すんなよな。ホント困るというか迷惑極まりない。

よその家に上がりこみ、勝手にその家を自分の物にして、その家の物を奪い、それに対して家人が当然の抗議をすればその家人を殺す。これが強盗でなくてなんだというのだ?

この名前を書いてない奴の論理と主張のメチャクチャはこれだけに留まらない。

3月15日の書き込み
>米ばかりが食べ物でないことも常識ですよねw

まるで「パンがなければケーキを食べればいいのに」だねぇ。いかにも飽食の時代でヌクヌクと育った甘ったれの上に当時の人間の食生活も想像することもできない馬鹿たれの言うことだね。
お前、昔日本の百姓が深刻な不作や飢饉の時に多くの餓死者を出した話にも同じことが言えるのか?wマークつけて「米ばかりが食べ物でないことも常識ですよね」て言えるのかい?

大体収奪されるのが米だけじゃないことの方が、よっぽど常識だと思うんですけどねぇ?米以外の農作物や海産物や資源も収奪された上、残った少量の食料だって、それを作った農民の口に入らなかった事も常識なのだが、そういう常識は一切ないようだね?
そういう当たり前の常識もない人間に「レベルが低い」などと言われる筋合いはない。

Posted by ノン・フライ at 2006年07月22日 12:14
「植民地の『インフラを整備』をしたのは日本だけではない。」
 ↑ふむ、では何処の国がやったんですが?本当なら少なくとも、植民地支配された国(インド・インドネシアなど)は韓国の個人所得『1万3980米ドル(2004)』の様にになっている筈ですが?
(インド、インドネシアの個人所得
 インド『620米ドル(2004)』
 インドネシア『1140米ドル』)
この差は一体なんですか?
ttp://homepage1.nifty.com/ptolemy/nations/nations.htm


「植民地のインフラ整備の資金を支配国が負担するのは当たり前だ。」
 ↑ええ。だから、本来は財産返還を要求が出来るのですが?
<財産返還要求>居住区追われたドイツ人ら提訴へ
(ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040810-00000002-mai-int)
 【ベルリン斎藤義彦】第二次世界大戦をきっかけに、それまで住んでいたポーランドやリトアニアの居住区を追われたドイツ人やポーランド人が、『ポーランドやリトアニア政府を相手取り、残してきた財産の返還を求める訴訟を準備している。』独・ポーランド両国は、「追放」を受けた国民への金銭的補償を既に行っているが、一部の強硬派はあくまで財産返還を求める構えだ。こうした動きは、中東欧10カ国を加えた新生EU(欧州連合)内部に、戦争に関する感情的なしこりがいまだに残っていることを示すと言えそうだ。地元の報道などによると、ナチスドイツの敗戦にともない、ポーランド西部の旧独領から現在の独領に追われた約1000人のドイツ人で組織する「プロイセン信託基金」がこのほど、今秋にもポーランド政府を相手取り、ポーランド国内の裁判所と、欧州人権裁判所(仏ストラスブール)に、残してきた財産の返還を求める訴訟を起こすことを明らかにした。 また、ナチス占領中のリトアニア南部から現在のポーランド領に強制退去させられた1500人のポーランド人のうち、一部の住民グループも、リトアニア国内の裁判所に同様の訴訟を起こす意向を明らかにした。 シュレーダー独首相は1日、訪問中のワルシャワで、訴訟の動きに「反対する」と明言し、独政府も「基金」を「怪しげな組織」と非難した。しかし、チモシェビッチ・ポーランド外相は、戦後60年近くを経て、EU統合が進んでもなお、補償請求の動きがあることに「(独国内で)問題が十分解決されていない」と不満を表明。両国間でなお対立の火種がくすぶっていることを示した。 ただ「基金」は一部強硬派の組織で、約200万人が参加するドイツの最大組織「追放民連合」は訴訟を否定。法律を制定したうえで、ポーランドやチェコと協定を結び、財産への補償を行うことを提案している。また、『独政府は、東欧や旧ソ連から追われたドイツ人の財産への補償や年金をこれまで総計746億ユーロ(約9兆7000億円)支払っており「問題は解決済み」との立場を変えていない。』ポーランドも旧ソ連領から追われた国民への補償を行ってきたが、社会主義国家時代に国家財産を補償に使うことを約束したため、現在、補償が滞っており、今年6月、欧州人権裁判所は、住民側の訴えを認め、ポーランド政府に補償を再検討するよう命じている。 第二次世界大戦を契機に、現在のポーランド西部、チェコ北西部などのドイツ人居住区に住んでいた約1650万人が追われ、現在の独領に逃げた。また現在のリトアニア、ベラルーシ、ウクライナから約200万人のポーランド人が追われ、ドイツ人が追われたポーランド西部の旧ドイツ領に移り住んだという。(毎日新聞2004/08/10)

因みに韓国は日本もドイツの様に個人補償しろ言いますが、それを蹴ったのは韓国です。
何故なら、個人補償にした場合は韓国と北朝鮮は日本がインフラ整備に使った資金(18兆円)を返さなければいけないのですが。何か?
Posted by 悪魔 at 2006年08月19日 10:58
暇なら、これでも見てください。
『世界史コンテンツ』
ttp://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/sekaisi.html
Posted by 悪魔 at 2006年08月19日 11:00
この悪魔って奴は言ってる事がデタラメでメチャクチャだね、ホント。そのドイツ人の場合はあくまでドイツから居住区へ持っていって残してしまった個人の財産であって別に国のインフラ整備の資金ではないだろう?

残していった財産ならそりゃ返還請求はできるだろう。しかし、だからと言って、なんで「使用した金」が返還請求できるんだよ?いや、どんな場合でも「使った金銭」は返すとか返さないとかいう性質のものではないだろう。

それに日本のインフラ整備はあくまで日本の利益の為に行われたもので朝鮮の為ではない。
手前らの利益の為に金をつぎ込んでおいて、使った金を返せなんてデタラメな話がどこの世界で通用するんだ?


Posted by ノン・フライ at 2006年08月23日 20:02
でもって、「韓国の方が個人補償を蹴った」という嫌韓馬鹿特有の大嘘をついて「個人補償にした場合インフラ整備に使った資金を返さなければいけない」と言ってるがデタラメな上に意味不明。

「個人補償」は言ってみれば「慰謝料」みたいなものだろう?どうして被害者が「慰謝料」を請求したら「加害者が自分の利益の為に使った金」を返さなければならないんですかね?

繰り返しますが、日本のインフラ整備は収奪を円滑に行う為、日本の利益の為であって朝鮮の為ではない。そうでなくても、「使った金銭」というものは「返す」とか「返さない」とかいう性質のものではない。なのに「返さなければいけないのですが。何か?」などと言うこの悪魔とかいう奴は本当に痛いというか非常にお寒い。
Posted by ノン・フライ at 2006年08月23日 20:48
>当時の朝鮮人は日本国民であり等しく日本人も徴用を受けていたことから、これまた説得力がありません・・・。

日本人の場合「徴用」は曲がりなりにも日本国民の選挙によって選ばれた議員によって決められた「政策」なのだから日本人が「徴用」されるのは当たり前の話だろう。
しかし、被支配民である朝鮮人は何の権限も与えられず政策決定の場には関与することが出来なかったんだよ?
それなのに「徴用」という政策に従わせられるのは「強制」以外何物でないだろう?
「強制連行」の「強制」とはこの様な意味も含まれるんですけどねぇ?
そんな事もわからないんですかね?

Posted by ノン・フライ at 2006年08月30日 21:10
要するに「権利は無いのに過酷な義務だけはあった」ていう酷い話なんですけどねぇ?

日本支配下の当時の朝鮮では朝鮮人の基本的人権など全く保障されず、間違っても日本人と同じ扱いにはされないのに納税の義務だけはあって納税を拒否したりすれば裁判に掛けられて刑に処せられていたんだけど、これが「等しい」のか?

「徴用」も同じで権利が全く保障されていなのに納税、徴用されていたというのは日本が「都合の良いときだけ朝鮮人を日本人として扱い、都合の悪いときは朝鮮戸籍として差別した」という証明でしかない。

こんな不平等で悲惨な話を「等しく」という例えに使う奴の頭の悪さには本当に呆れる。
Posted by ノン・フライ at 2006年08月30日 21:28
 一番上の「街の常識人」とかいう(どちらといえば非常識人だが)奴をはじめとして「日本からの持ち出し分を引いたら大赤字となった」と言ってまるで日本の方が被害者だとでも言わんばかりの主張をする奴(掲示板の方でも見られる)がいるけど、まったくの戯言でしかない。

 日本の方が大赤字になったと言うが、とっとと朝鮮を手放せば財政負担も無かったはずですが?
 それができなかったのは労働力や生産力において、朝鮮からの収穫に大きく頼っていたからなんですよ?
 
 いや、そもそも朝鮮を支配しなければ赤字もクソも無い訳ですが?
 日本のインフラ整備と財政負担は上記でノン・フライさんも再三言ってるように「自分達が儲ける為」でしかないし、植民地支配は結局そこから金を巻き上げてるものでしかない。
 それなのに「大赤字になった」などと文句を言ったり被害者面するというのは、例えて言うと、拳銃を持って他人の家に押し入った強盗が思ったより金がとれなかったからといって「俺は強盗をするのに拳銃まで購入して押し入ったのに、これじゃ大赤字だ、どうしてくれるんだ」と言って被害者面するようなもんじゃないですか?
Posted by 雷神丸 at 2006年08月31日 20:12
日本がインフラ整備してやったとか、ほかの国ではインフラ整備すらままならない国もあったとか「過酷な植民地という扱いさえ間違い」とか言って日本の支配を正当化したり過酷じゃなかったかのように言う奴等がいるけど、ちっとも正当化できる論理ではない。

このHPで色んな人が言ってるようにインフラ整備は日本の利益の為にやってる事だから恩に着せる事自体が大間違い。

また、日本がその為にいくら金を掛けようが過酷じゃなかった事にはならないんですけど?
当たり前の話ですが、いくら金を何兆円かけようがそこで働く(ていうか働かせられる)人間がいなければ家の一軒だって建ちゃしないんだよ?そして働かせられる人間が酷使させられたとしたら過酷だとしか言いようが無いだろう。日本がいくら金を出そうが朝鮮人民が酷使されていたことへの反論にはなりはしないのである。

わかりやすく言えばエジプトのピラミッドがそうだろう。ピラミッドは当時の奴隷を酷使してできたものだが、いかに当時の国王がピラミッド建築に資金をつぎこんだとしても奴隷が酷使されなかった事にはなりはしないでしょ?それと同じ。
Posted by セクシー東京 at 2006年09月03日 17:27
セクシー東京さんの意見にはおおむね同意いたします。
しかし、エジプトのピラミッドの件に関しましては、近年では農閑期の公共事業説が定説となりつつあるようで(Wikipediaを参照しました)たとえとして適切でない可能性が高いと思います。
Posted by アッツィー at 2006年09月04日 08:31
初めてコメントします。悪魔って人のコメントの最初の個人所得のくだり、つっこむのも痛々しいのですが、書かないほうがよかったんじゃないでしょうか?後半の意見を読む気も失せますよ。
半世紀以上前の植民地時代の投下資本だけで現在の国民所得が決定されるというのはすごい発想ですよね。
Posted by もなか at 2006年09月09日 15:09
戻ってきました。(「戻ってくるな」とかは、なし。)

何か、色々と突っ込んでますね♪
ところでこんなものを知ってますか?
『大爆笑!韓国皇帝は売国奴だった!日韓併合の責任は100%韓国皇帝です!(皇帝が国賊)wwwwwwwwwwwwwwwwww』
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=3&nid=2494112

根拠なしとか言っておられるので、張っておきます。
(まあ、私見だったしね。)
Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 18:19
あと、一つ言っていい?
植民地支配については、バリバリ反論してんのに、何で他の所は反論しないの???
(論破する価値も無いからか???)
Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 18:30
因みにハングル弾圧ってこれの事?
『ハングルを奪った日帝』
ttp://photo.jijisama.org/hg.html

んでもって、併合前の朝鮮がこれ。
『親日派のための弁明』
ttp://photo.jijisama.org/OldKorea.html
『朝鮮人を飢餓と内乱から救った、大日本帝国』
ttp://photo.jijisama.org/BeforeAfter.html

虐殺は、これ。(中国)
『FS:写真掲示の注意(韓国側へ)』
ttp://photo.jijisama.org/slaughter.html
『恥ずかしい国!有名な「捏造写真」を「大発見!」と言って自慢する国!これが韓国のレベル!』
ttp://photo.jijisama.org/731.html

日本による、併合の評価はこれだけど。
『韓国歴史教育、驚愕の捏造!(日韓併合の真実)』
ttp://photo.jijisama.org/TextBook01.html

これを見てると、併合は少なくとも良かったじゃないの?
『捏造!捏造!また捏造!偉大!独立記念館!』
ttp://photo.jijisama.org/IHall.html

ラストにノン・フライさん。
日本によるインドネシア統治って、これですか?
『インドネシア独立史』
ttp://photo.jijisama.org/indonesia.html
インドネシアの首相が「日本が東南アジアを解放してやった」
 インドネシアの首相が言ったんですよね?
で、誰が反論したんですか?人物が記述されていませんが?
(少なくとも、インドネシア人みたいだが。)
(ソース先は同サイトです。)


Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 18:51
そう言えば、貴方達はこれ見たんですよね?
『世界史コンテンツ』
ttp://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/sekaisi.html
(見てないとかは、言わないで下さいよ?)
Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 18:53
思ったけど、右翼はともかく嫌韓は「日本は悪いことをした!」
と言ってるのに、復讐と言う『同じやり方』をする矛盾さ。
新潟中越地震を『天罰』とかで、喜ぶ非情さが嫌韓に結び付けてると思うのだが?
ttp://iroiro.alualu.jp/kennitiryu/kennitiryu_vol5.html
(画像です。)

(しかも、日本沈没でも喜んでなかったっけ?)
朝鮮日報
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/10/20060910000007.html


まあ、右翼や嫌韓を批判するのは勝手ですが日韓友好は、永遠に無理でしょう。
(貴方達には関係ありませんでしたかな???)

つか、管理人(?)。
メール送ったんですけど、返信まだですか???
宛先これでしょ???
factories_of_death@yahoo.co.jp
Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 19:35
思ったけど、右翼はともかく嫌韓は「日本は悪いことをした!」
と言ってるのに、復讐と言う『同じやり方』をする矛盾さ。
新潟中越地震を『天罰』とかで、喜ぶ非情さが嫌韓に結び付けてると思うのだが?
ttp://iroiro.alualu.jp/kennitiryu/kennitiryu_vol5.html
(画像です。)

(しかも、日本沈没でも喜んでなかったっけ?)
朝鮮日報
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/10/20060910000007.html


まあ、右翼や嫌韓を批判するのは勝手ですが日韓友好は、永遠に無理でしょう。
(貴方達には関係ありませんでしたかな???)

つか、管理人(?)。
メール送ったんですけど、返信まだですか???
Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 19:35
悪い。
訂正しようと思ったら、2回送ってしまいました。
同レスの上のほうの削除をお願いします。
(因みに同レスの上の方を消したら、このレスも消して構いません。)
(・・・他のは消さないように・・・。)
Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 19:39
(遅くながら)
あと、これらもあるんだけどな。
『NONFIX The Winds of God 〜フィリピン人が愛した神風〜』
ttp://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2004/442.html

『反日マスコミが伝えない親日の話』
ttp://mikomo.hp.infoseek.co.jp/index.html
(これ、韓国側(親日)のお話もあります。
  そう言えば、パリ平和会議で、『人種差別撤廃』を提案したの、日本だったな。)

『ほんとはこの国のこと、よく知らなかった』
(インドネシア、マレーシア、ミャンマー、インド、タイは日本軍の行動を評価してるけど。)

・・・ってか、管理人。
貴方も貴方で、自分にとって都合の良いサイトしか見てないのではないのですか???
(所詮、人間ってそんなもんか。)
Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 21:17
アドレス書き忘れ。
『ほんとはこの国のこと、よく知らなかった』
ttp://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03.html
(インドネシア、マレーシア、ミャンマー、インド、タイは日本軍の行動を評価してるけど。)
Posted by 悪魔 at 2006年09月12日 21:18
まあ、ぶっちゃけ
『大爆笑!韓国皇帝は売国奴だった!日韓併合の責任は100%韓国皇帝です!(皇帝が国賊)wwwwwwwwwwwwwwwwww』
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=3&nid=2494112
 を見てると、日本が赤字覚悟て併合した事にも納得いくが。
(反論はお早めに。管理人、メール返信まだ???)
Posted by at 2006年09月13日 13:17
今頃、思ったが
よく考えれば、『強制動員』とかで日本を非難するくせに、自国(韓国)の『徴兵制度』については何も言わないんだな???
Posted by 悪魔 at 2006年09月13日 13:37
アレだけ反論したんだから、ちゃんと反論してくださいよ?
腐れサ・ヨ・クさん?
Posted by 悪魔 at 2006年09月13日 13:50
植民地支配については、バリバリ反論してんのに、何で他の所は反論しないの???
(論破する価値も無いからか???)

論破する価値も無いのはその通りだが(だって論破する以前に論理が破綻してるもの)、
少なくとも8月19日のあなたの書き込み全てに対して色んな方が指摘・反論してるじゃありませんか?
人に対して反論しろとか言うなら、もなかさんの指摘「半世紀前の投下資本だけでどうして現在の国民所得が決定されるのか?」
ノン・フライさんの指摘「置いて行った金ならともかく使った金銭は返す、返さないとかいう性質の物ではない。」に対してしっかりと反論すべきでしょう?そもそもこのページは植民地支配に関してのこと扱うページでしょ?

>アレだけ反論したんだから、ちゃんと反論してくださいよ?腐れサ・ヨ・クさん?

いい加減にしろよ、手前の事棚に上げてばかりの、この腐れウ・ヨ・ク!

>貴方も貴方で、自分にとって都合の良いサイト見てないのではないですか???(所詮、人間ってそんなもんか。)

ホント自分の事を棚に上げまくる奴だね。手前の今までの書き込みを読み返してみろ。自分にとって都合の良いサイトしか上げないお前にそんな事を言う資格はない!

Posted by at 2006年09月15日 19:08
植民地支配については、バリバリ反論してんのに、何で他の所は反論しないの???
(論破する価値も無いからか???)

論破する価値も無いのはその通りだが(だって論破する以前に論理が破綻してるもの)、
少なくとも8月19日のあなたの書き込み全てに対して色んな方が指摘・反論してるじゃありませんか?
人に対して反論しろとか言うなら、もなかさんの指摘「半世紀前の投下資本だけでどうして現在の国民所得が決定されるのか?」
ノン・フライさんの指摘「置いて行った金ならともかく使った金銭は返す、返さないとかいう性質の物ではない。」に対してしっかりと反論すべきでしょう?そもそもこのページは植民地支配に関してのこと扱うページでしょ?

>アレだけ反論したんだから、ちゃんと反論してくださいよ?腐れサ・ヨ・クさん?

いい加減にしろよ、手前の事棚に上げてばかりの、この腐れウ・ヨ・ク!

>貴方も貴方で、自分にとって都合の良いサイト見てないのではないですか???(所詮、人間ってそんなもんか。)

ホント自分の事を棚に上げまくる奴だね。手前の今までの書き込みを読み返してみろ。自分にとって都合の良いサイトしか上げないお前にそんな事を言う資格はない!

Posted by 雷神丸 at 2006年09月15日 19:09
雷神丸へ
・・・一つ聞くが、ソース先は見たのか?
せめて、これは見ろ。
『大爆笑!韓国皇帝は売国奴だった!日韓併合の責任は100%韓国皇帝です!(皇帝が国賊)wwwwwwwwwwwwwwwwww』
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=3&nid=2494112
 ↑元々、日韓問題の原因はこれだろう?


「自分にとって都合の良いサイトしか上げないお前にそんな事を言う資格はない!」
 ↑それだったら、誰もそれを言う資格はないね♪
だって、そうだろう?誰がわざわざ自分にとって都合の悪いサイトを載せるんだい?
Posted by 悪魔 at 2006年09月15日 22:16
因みに。
「人に対して反論しろとか言うなら、もなかさんの指摘『半世紀前の投下資本だけでどうして現在の国民所得が決定されるのか?』」
 ↑其処はあきらめました。かなり私見がありましたからね。
Posted by at 2006年09月15日 22:20
悪い。名前、書き忘れ。
Posted by 悪魔 at 2006年09月15日 22:21
「そもそもこのページは植民地支配に関してのこと扱うページでしょ?」
 ↑併合と植民地は、別ですか???
Posted by at 2006年09月15日 22:26
> せめて、これは見ろ。

つーか日本は、
「『韓国の独立扶翼、独立維持を幾たびか声明』してきたたてまえ、『我が方より進んで併合を決定することは聊か面白からざる関係』だった」
ことを知らんのかねw

もっともそれより先か後か分からんが、同じ8月の16日、朝鮮統監・寺内正毅は李完用を官邸に呼びつけて併合条約を受諾するよう求めている。以上は「韓国併合」(海野福寿/著)より。

つーかこの時点で朝鮮はほとんど日本の植民地になったような状態だったからねえ。その前の年には伊藤博文が併合にゴーサインを出してるし。

それと、お前が貼った南京大虐殺についてのページだけど、3年ぐらい前あれを書いた渡辺龍二さんという人を徹底的に論破してますんで。
それを元に作ったのがこれ。
http://www10.ocn.ne.jp/~war/yousukou.htm

反論したいのならどうぞ。まともな反論なんかできっこないと思うが。
お前に「悪魔」なんてHNはもったいないぜw
Posted by 鷹嘴 at 2006年09月15日 23:50
ふ〜ん、そうなんだ。
まあ、どっちにしても併合を求めたのは、あちら(朝鮮)さんだけど。

「もっともそれより先か後か分からんが、同じ8月の16日、朝鮮統監・寺内正毅は李完用を官邸に呼びつけて併合条約を受諾するよう求めている。」
 ↑後ではなく先です。併合に調印した日は『1910年8月22日』です。(ソース先、ちゃんと見たのか?)
つか、韓国皇帝も認めちゃってるのに?


「それと、お前が貼った南京大虐殺についてのページだけど、3年ぐらい前あれを書いた渡辺龍二さんという人を徹底的に論破してますんで。」
 ↑どうやって論破したのか、聞きたいな。

ソース先には、死体の処理法として「全部川に流す」があったので納得。
現時点では、南京大虐殺は有ったとして、今更思ったが『民衆・捕虜兵への虐殺』は日本以外もあるけどね。
逆に中国人だって、日本人やチベット人を虐殺している。
アメリカだって、投降した日本兵を処分してる。
それなのに、日本だけこうも言われるのは敗戦国になったからで、日本だけが残虐な行為をしたわけではないんだけど。
(しかし、日本軍って随分と暇だったんだな・・・。)
Posted by 悪魔 at 2006年09月16日 10:28
ついでに今更ながら。

「植民地支配国が植民地をインフラ整備するのは当たり前。」
 ↑インフラ整備してもこんなオチ。
http://kanokuni2004.tripod.com/seikatsu012.jpg
http://kanokuni2004.tripod.com/seikatsu011.jpg
http://kanokuni2004.tripod.com/seikatsu033.jpg
http://kanokuni2004.tripod.com/machikado044.jpg
http://kanokuni2004.tripod.com/machikado010.jpg

『Kの国の方式』
http://kanokuni2004.tripod.com/index.htm
Posted by 悪魔 at 2006年09月16日 10:48
>まあ、どっちにしても併合を求めたのは、あちら(朝鮮)さんだけど。

どうしてこういう大嘘を平気でつくかね?このHPでも書いているけど、「併合」を求めていたのは日本の右翼と密接な関係(というか傀儡)にあった「一進会」という組織であって、朝鮮ではない。
朝鮮の民衆からも大いに反感をかって(ていうか嫌われていた)前述したように日本の傀儡だった組織が「併合」を望んでいたからと言って朝鮮の方が望んでいたというのは悪質な大嘘(ていうか歪曲)以外なにものでもありません。
Posted by FC闘協 at 2006年09月16日 17:31
>んでもって、併合前の朝鮮がこれ。

『マンガ嫌韓流』でも併合前の写真と併合後の写真を比較して併合後の写真に立派な建物が立ち並んでいるのをあげて「日本のおかげで朝鮮は豊かになった」かのように植民地支配を正当化したりしておりますが、この様な比較は全くの無意味なんですね。

この様な資産や建物によって国の豊かさが計れるのならば、例えばフィリピンは首都マニラに高層建築が一杯並んでいるから豊かな国だということになるし(実際は農村部では半数以上、南部イスラム地域は75%以上が最貧因層の国) ブラジルは首都が美しく立派だから豊かな国だという事になってしまう(実際は国民の60%が貧因層で32.1%の人間が最貧因層)。資産や建物ではその国の豊かさは計れないんですよ?(建物にしたって結局は当時の朝鮮人を低賃金で酷使させてできたものだが)

国の豊かさを計る上で重要なのは「国民を飢えさせていないか?」ということです。しかし、日本支配下において朝鮮は米をはじめとした食料や資源を日本に搾取され(自ら食料を生産しながら、自身はこれを食べることが出来ず、端境期になると、もっぱら草根木皮で生命をながらえることが多い)悲惨な有様(日本が米不足のおりには殆ど持っていかれて多くの餓死者を出した)で、都市労働者は低賃金・劣悪な労働環境に甘んじていたわけですから、いくら立派な建物があろうと豊かだったわけではないし、てとも「良かった」とは言えないと思うんですが(少なくとも日本に植民地にされていなければそうした悲劇はなかった)。

Posted by FC闘協 at 2006年09月16日 18:39
>因みにハングル弾圧ってこれの事?

と言って「日本統治下当でもハングルを教えていた証拠」として当時の教科書の画像が上げているサイト出していますけど、これも全く意味がありません。

当時(ていうか当初)確かにハングルは必修科目とされていて、一応は教えていました。
しかし、その履修時間は学年が上がる毎にどんどん少なくなっていったのです。小学校1〜2年では週5時間でしたが、5〜6年になると週たった2時間!つまりハングルに関しては日常用語に不自由しない程度しか教えていなかったのです。
これに対し日本語は一貫して週9〜12時間教え、しかも(ここが肝心)他の教科の履修も全て日本語だったのです!

さらに、この様なごく僅かなハングル教育ですら1938年に皇民化政策の一環として必修から外され、さらに行政指導によって出来るだけ教えないよう圧力をかけられてしまい、その為この時代に教育を受けていた子供は終戦後、本来外国語である日本語より母国語である朝鮮語がうまく使えなくなってしまいました。

あなたは、これでもまだ「日本はハングル弾圧なんかしていない、ちゃんと教えていたんだ」などと妄言を言う気ですか?
Posted by FC闘協  at 2006年09月16日 19:33
まあ、そんな一部分だけ出して全然違う意味にしたり、情報を捻じ曲げるサイト見るより

『アジアの教科書に書かれた日本』(越田稜著 梨の木社発行)という本を読んでみたらいいんじゃないですか?
ちなみに、この本によればフィリピン・インドネシア・ベトナム・ミャンマー・シンガポール・マレーシア・タイ等の歴史教科書に日本軍の侵略と蛮行がしっかりと書かれているそうですよ。
Posted by FC闘協  at 2006年09月16日 20:17
「『併合』を求めていたのは日本の右翼と密接な関係(というか傀儡)にあった『一進会』という組織であって、朝鮮ではない。」
 ↑本当にソース先、見たの?
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&page=3&nid=2494112
  韓国皇帝が認めちゃってるのに、朝鮮ではないって、おかしくない?
  そこら辺の反論がないんだけど?

画像については、まあ、色々と解釈可能だから別に言いませんけど。
Posted by 悪魔 at 2006年09月16日 23:27
『アジアの教科書に書かれた日本』(越田稜著)
 ↑内容を語って下さい。
  『amazon.co.jp』のレビューがないので評価が分かりませんし。
  

「ちなみに、この本によればフィリピン・インドネシア・ベトナム・ミャンマー・シンガポール・マレーシア・タイ等の歴史教科書に日本軍の侵略と蛮行がしっかりと書かれているそうですよ。」
 ↑「書かれているそうですよ。」って、まさか貴方はその本を読んでないのですか?
Posted by 悪魔 at 2006年09月16日 23:37
>あくちゃんへ

あなたがとやかく力説しても無駄、あきらめな、あきらめな。
Posted by どりる at 2006年09月18日 12:36
>韓国皇帝が認めちゃってるのに、朝鮮でないって、おかしくない?

7月22日に私も書き込みましたけど、基本的に韓国併合というのは、第一次から第三次にわたる日韓協約を前提としてしだいに韓国の主権を奪っていき、最終的に軍事的圧力によって併合条約に調印させたもの(当時においても国際法違反)ですからね。拳銃突きつけて「向こうが良いと言ったんだ」もないでしょう。

あと僭越ながらインドネシアの独立に関して指摘させていただきます(と言ってもインドネシアの独立は第2次大戦後ですから戦中の日本統治とは本来別なのですが・・・。統治に関しては述べると長くなるので多くは語りません。ただ、オランダの支配下よりはるかに厳しく抑圧は半端なものではなく、いまだに「憲兵隊」の恐怖が語り継がれるほど)。

終戦後、日本兵の1部が独立闘争を支援した例がありました。しかし、それはあくまで1部であって、大半の日本軍(日本国)は、連合軍とのあいだで1945年9月に結ばれた「ラングーン協定」にもとづいて、旧宗主国について独立運動を弾圧したのです。(宗主国側は、当面の治安維持を日本軍に依頼した)
日本側はそれを受け入れて、独立運動を武力弾圧しました。先に述べたように1部日本兵が独立運動に支援しましたが、それはあくまで日本(軍)を裏切って個人として、日本軍の組織が半ば崩壊したがためできたことで、日本軍(日本国)としてはむしろ独立闘争を抑える側に回ったというのが事実です。
Posted by ジャム上石神井 at 2006年09月18日 12:39
ジャム上石神井へ
『ラングーン協定』って、これの事ですか。
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page031.html#320

それと、貴方の言う事にも納得いたしました。
色々勉強になりました。有難うございます。
Posted by 悪魔 at 2006年09月18日 19:12
>画像については、まあ、色々と解釈可能だから別に言いませんけど。

・・・・・・ナニソレ?そもそも散々いろんな画像を出して「反論しろ」と言ったのはお前だろ?色々と解釈可能だから別に言いませんって、じゃあ何でお前は、そんな画像を出して「反論しろ」だの勝手なこと言ったんだ?

手前は色んな人間に指摘されても何一つまともに反論しない(逃げるか論理をすり替える)癖に散々デタラメな主張と画像を色々と長々と出して人を「腐れサヨク」呼ばわりして「反論しろ」と勝手な事をほざいて、ちゃんと反論すれば「色々と解釈可能だから別に言いません」だと?・・・・・ナニソレ?

汚いというか、最低というか、こんな卑怯な奴見たことないよ。




Posted by 雷神丸 at 2006年11月26日 15:42
>↑「書かれてるそうですよ」って、まさか貴方はその本を読んでないのですか?

あのですね、私が「書かれてるそうですよ」と言ってるのはその本には書かれてるそうだという意味じゃなくて、「その本によれば」アジア各国の教科書には日本の蛮行が「書かれてるそうだ」という意味で言ったんですよ?ちゃんと「その本によれば」と書いているでしょ?どうしてこう歪んだ解釈するんでしょうか?
Posted by FC闘協 at 2006年12月02日 11:55
ここで勝手ながら参戦。
この嫌韓流に反対派の人の情報のソースはいったい何ですか?
それから、「日本は信頼できる国となったか」のアンケート結果は無視ですか?
書かれているのと人の考えは別。現に日本の歴史の教科書を開けば一目瞭然です。
徹底的に日本の悪事が書かれているのに「日本がやった事は悪でない」という人がでてくるのですか?

また、揚子江岸の大虐殺についてですが、
「川に流せ」という命令書はあったのですか?
独断で行動したとでも言うのですか?

他にも言いたいことがあるのですが、長くなるのでこの辺で。
Posted by 翠迅 at 2006年12月03日 19:55
長いこと書き込みできない状態が続いてたけど、ようやく書き込みできるようになったようですな。で、上の奴なんだけど結局何が言いたいんでしょうか?所々意味不明なんだけど・・・?まぁ、一応言っときましょうか。

>この嫌韓流に反対派の人の情報ソースはいったい何ですか?

何ですかと言われてもねぇ・・・。他の人のは知らんけど、私の場合はネットだけでなく、様々な書籍や記事、図書館などで調べた資料等をソースにしてますとしか言いようがないですけど。

>それから、「日本は信頼できる国となったか」のアンケート結果は無視ですか?

無視も何もそのアンケートの結果で何をどうしろと?「信頼できる国になった」が高いパーセンテージになっても反対に「なってない」が高いパーセンテージでも過去の悪行とは何も関係ありませんが?それとも今信頼されてれば過去の悪行も正当化されるとでも?

>徹底的に日本の悪事が書かれているのに「日本がやった事は悪でない」という人がでてくるのですか?

ええ、日本の右翼をはじめとして今に至る訳ですが?ちなみにアジアでは戦時中日本に媚をうって取り入り色々美味しい思いをした奴(人それを売国奴と呼ぶ)とか、今現在日本の企業と取引していて立場上日本を悪く言えない奴とか日本の右翼と付き合いのある奴とかですな。

>「川に流せ」という命令書はあったのですか?
独断で行動したとでも言うのですか?

じゃ現場の軍隊というものは上からの命令書がなければ何もできないんですか?死体の処理すんのにイチイチ上にお伺いたてて上からの命令書を待って命令書がきてからやっと処理するとでも?
そんな悠長な事してたら死体はとっくに腐乱してさらにその腐乱死体から様々な疫病や伝染病が蔓延して軍や部隊は全滅ですな(笑)。えらい呑気な軍隊ですなぁ(笑)。
大体、「命令書があったのですか?」って命令書が残ってなければ、信憑性がないとでも?じゃ有史上世界中のありとあらゆる軍による住民虐殺は信憑性がないことになりますなぁ。沖縄戦では10万人を超す米軍の住民殺害があった訳だがそれが全て命令書として残ってるわけじゃないですしねぇ?特に日本軍の場合は終戦後、戦犯逃れの為に様々な命令書や文書を焼却して証拠隠滅したわけですから。


Posted by ノン・フライ at 2006年12月04日 19:12
で、長いこと書き込みができなかった為、悪魔の奴に言い足りないことがあったのですが、ようやく書き込めます。

>FC闘協さんへ
こいつの歪んだ解釈はそれだけじゃないですよ。下記参照・・・。

>インドネシアの首相が「日本が東南アジアを解放してやった」インドネシアの首相が言ったんですよね?で、誰が反論したんですか?人物が記述されてませんが?

お前一体どういう解釈してんだよ!?
日本の右翼が言う「日本が東南アジアを解放してやった」という主張に対してインドネシアの首相が「そんなことには納得できない」として反論したんだよ!反論したのはインドネシアの首相!

>よく考えれば、『強制動員』とかで日本を非難するくせに自国(韓国)の『徴兵制度』にはについては何も言わないんだな???

ハァ〜?一体何を言えっての?お前まさか『強制動員』と自国の『徴兵制度』が同じものだと思ってんのか?8月30日の俺の無記名の奴にたいしての書き込みを読み返してみろ!
『強制動員』が非難されるのは当時の朝鮮人は政策決定をする参政権もなく、基本的人権がまるで保障されてないのに徴兵・動員という「政策」に従わせられる文字通りのヒドイ強制だったから非難されてんだよ!
それに対して現在の自国(韓国)の『徴兵制度』は韓国人が選挙で選んだ政治家によって決められて現在も継続されている合意の上の「政策」だろうが!まったく違うものなのに、なんで同じように非難しなくちゃならないんだよ!?一体お前はどこまで頭が悪いんだ!?
Posted by ノン・フライ at 2006年12月04日 19:46
ノン・フライさん、今までご迷惑をお掛けしました。現在設定はデフォルトに戻しました。
Posted by 鷹嘴 at 2006年12月05日 01:18
あと、死体の処理についてなんですが、軍がやる死体の処理なんてごく一部で、大体は戦場となった地域と周辺の住民が処理していますよ。

例えば米軍による本土爆撃、広島・長崎の原爆投下、沖縄戦における膨大な死体の処理は誰がやったかというと、結局ほとんど住民がやったわけですしね。軍がやる場合もありますが、それは一部でしかない。

勿論、住民だって好き好んで死体の処理なんかしたくもないけど、ノン・フライさんがご指摘の通り、放っておいたら腐臭を撒き散らし、どんな疫病や伝染病を発生するかもわかりません。だから命令されるまでもなく処理するしかない、というわけです(軍の命令でやらされる場合もあるのでしょうが)。
Posted by つけ麺マン at 2006年12月29日 15:32
な〜んか、色々と書いてあんので戻ってきたよ。
卑怯者か・・・、言ってくれるね♪
(まあ、いいけど。)

FC闘協さんへ
「あのですね、私が「書かれてるそうですよ」と言ってるのはその本には書かれてるそうだという意味じゃなくて、(以下略)」
 ↑どっちにしろ、貴方は見てないじゃないんですか?

ノン・フライさんへ
「インドネシアの首相が「そんなことには納得できない」として反論したんだよ!反論したのはインドネシアの首相!」
 ↑だから、どのインドネシア首相なんだ
  ・・・ついでにソースくれ。

「ハァ〜?一体何を言えっての?お前まさか『強制動員』と自国の『徴兵制度』が同じものだと(以下略)」
 ↑あげとくわ。(反論になってない気がするが。)
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_02.html

Posted by 悪魔 at 2007年02月04日 16:22
しかし、まあ・・・・・・。
他の『日清戦争に関して』とかは全然進行してないけど・・・。
まっ、いいか。
Posted by 悪魔 at 2007年02月04日 16:28
>どっちにしろ貴方は見てないんじゃないんですか?

いや、だから!私が「書かれているそうですよ」と言ってるのは、「その本に書かれているそうだ」と言う意味じゃなくて、その本によれば「アジアの教科書に日本の蛮行が書かれているそうですよ」という意味なんですけど?
私はその本を読んでその本の内容を説明したつもりなんですけど、どう説明すればわかるんですか?
Posted by FC闘協 at 2007年02月04日 20:37
FC闘協さんへ

「いや、だから!私が『書かれているそうですよ』と言ってるのは、(以下略)」
 ↑いや、『アジアの教科書に日本の蛮行が書かれている』は分かってるよ?
  俺は、そこまで頭悪くないし。
 (まあ、これと似たような左翼ブログでは、『頭の悪い人』でログインしていたが。)

「私はその本を読んでその本の内容を説明したつもりなんですけど、(以下略)」
 ↑えっ、その本の『内容』を説明したっけ?
  まあ、いいや。答えは簡単、ソースくれ。
Posted by 悪魔 at 2007年02月05日 21:32
>卑怯者か・・・、言ってくれるね♪

でも実際卑怯ですしねぇ?
だって貴方、散々議論を吹っかけておいて論破されると自分は何の反論もしないで話をそらして(これだけでも充分卑怯だけど)、色んな画像を出して(自分は何も反論しなかった癖に)「反論しろ」などと言って人を「腐れサヨク」呼ばわりまでして、反論されると(自分が「反論しろ」と言って出した画像なのに)「画像については色々と解釈可能だから別に言いません」なんですから卑怯と言う以外ないでしょう?で結局反論しないまんまだし。

あと9月15日の貴方の「其処はあきらめました。かなり私見がありましたからね」て意味が全然わからないし答えになっていないんですけど?
貴方「私見」という言葉の意味がわかっているんですか?「私見」というのは「個人もしくは自分の意見・見識」であってネットで個人が書き込む意見というのは すべからく「私見」なのですが?つまり「私見が多すぎた」と言うのは「自分の意見が多すぎ」たと言っているのと同じなんですよ?貴方の今までの書き込みは皆貴方自身の「意見」じゃないんですか?いや、そもそも皆、貴方のその「私見」があまりにもおかしいと言っているのに「私見が多すぎた」もないでしょう?

まぁ、どっちにしろ「私見(自分の意見)が多すぎました」なんて言うのは雷神丸さんの「人に反論しろと言うならまず自分が反論してからにしろ」という非常に筋の通った指摘に対しての何の答えにもなっていませんけど?だって結局自分はなにも反論してない訳ですし繰り返しますが「私見が多かった」と言うのは全く理由になりません。

で何の反論しないまま、また色々言っていますけど貴方に対して反論しても話を逸らすか支離滅裂な答えしか返ってこないじゃないですか!?
またどっかのサイトなんかあげてますけど自分で「反論しろ」と画像を出しておいて「画像については色々と解釈可能だから別に言いません」て言う人があげたサイトに対して何をどう言えというんですか?

人にコメントやソースくれだの言うんだったら、まず今までの貴方に対しての様々な指摘全てに対して反論してからにすべきじゃないでしょうかね?私何か間違った事言ってます?
Posted by つけ麺マン at 2007年02月11日 17:30
つけ麺マンさんへ

「私何か間違った事言ってます?」
 ↑いいえ、特に。
Posted by 悪魔 at 2007年02月12日 22:03
「↑いいえ、特に。」
で、結局反論しないとw。まあ、いいや。
この悪魔って人に私から質問。あなたは9月16日に「虐殺は日本以外もやっている」とか「日本だけが残額行為をしたわけではない」とか言ってますけどね・・・、
まぁ、そうでしょうけど、だから何だと言うんですか?他の奴もやってるからどうだと言うんですか?他がやってようとやっていまいと犯した罪が軽くなる訳でも無くなる訳でもないし意味無いと思うんですが?一体何が言いたいんですか?
時々「植民地支配は当時西欧諸国もやっていたんだから日本だけが悪いんじゃない」とかいう主張があちこちで聞かれますけど本当に意味が無い。他がやってれば自分もやっていい事にはならないし、他も悪かったからといって当人は悪くない事にはなりませんよ?

警察に捕まって「俺だけが悪いんじゃない、他の奴だってやっている」と言って通用しますか?「だからどうした!」と怒鳴られるのがオチですねw
警察に捕まって「他の奴等だってやっているじゃないか」と言って通用しますか?「馬鹿野郎!そういう問題じゃねぇ!」とぶん殴られるのがオチですねw
Posted by SEXYトーキョー at 2007年02月15日 20:31
SEXYトーキョーさんへ

まあ、確かに。
警官の様な『正当性のある立場』の人間になら、文句は言いませんよ。
但し、自分がやった事を認めず相手だけを非難する様な『ダブルスタンダード』な奴には言われたくない。特に。
Posted by 悪魔 at 2007年02月16日 18:10
>卑怯者か・・・、言ってくれるね♪

言ったがどうした?この卑怯者め。手前のこれまでしてきた事が卑怯でなくて何だ?
一方的に議論を吹っかけて論破されるとデタラメな論理で逃げて話を逸らして、人を中傷までしてまた別の議論を吹っかけておいてそれも論破されると再度デタラメな論理でまた逃げる!これが卑怯でなくてなんだ?で、手前は反論しないまま性懲りも無くまたどこぞのサイトあげてソースくれだと?いい加減にしろよ、この卑怯者!

>自分がやった事を認めず相手だけを非難する様な『ダブルスタンダード』な奴には言われたくない。

そりゃ手前をはじめとした腐れウヨクの姿そのものじゃねぇか馬鹿。日本がアジア各国で行った虐殺や蛮行を認めず(もしくは正当化して)、米国・西欧諸国・韓国・中国といった相手だけを非難する。まさしく腐れウヨクそのもの。

つけ麺マンさんへ
>またどっかのサイトなんかあげてますけど(略)何をどう言えというんですか?

まー、この卑怯者のことですからねー、言ったところでまた「色々と解釈可能だからべつに言いません」といって逃げるか「別に自分の作ったサイトじゃないから別に言いません」といって逃げるかのどっちかでしょうな(笑)。ま、それ以前に手前の言った言論になにも責任とらない卑怯者ですからねー、他人のサイトに対しての反論なんかするわけないですよ。また答えにならないデタラメ論理で逃げて別のサイトを出すのがオチ!
Posted by 雷神丸 at 2007年02月16日 20:46
「また答えにならないデタラメ論理で逃げて別のサイトを出すのがオチ!」
 ↑う〜ん、別にそうしていいがあんまり見かけないんだよね。こ〜いう左翼のサイト。
Posted by 悪魔 at 2007年02月17日 16:57
現在の日本のように恵まれた国でも、少子化傾向にあるのに
併合時代の朝鮮で人口増加があるというのは、収奪ばかりでは
なかったことの証左に他ならないと思いませんか?

李氏朝鮮時代には人口1000万の大台には及ばなかったのが
日本が関与してからはあれよあれよの2500万人突破(1944)。
明日食べるものに事欠く状況で、これだけの人口爆発が
あるわけがないです。

http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/D/Kaihosha5.htm

管理人殿は、朝鮮人一人当たりの米消費量を例に出されて
おりますが、今までのコメントの書き込みにあります通り
朝鮮人は米のみを主食としてきた民族ではありません。

満州日日新聞 1915.9.9(大正4)より 引用
「元来粟は朝鮮人の常食にして従来南方地方は米食による者無く
時に米粟混合して食するを普通とせるも北方地方に至りては
全然粟のみを常食とする風習なり」

「大正一、二両年の比較及び前表に依って見る如く満洲粟の
朝鮮輸出は二年に於て最高を示し、其の後漸次減少せり
該原因は全く米価の関係に拠るものにして大正元年に於て
米価は突飛の値段を示し一石二十円三十銭台にまで騰貴せり
茲に於て米の代用品として粟の需要著しく増加し之が為め
仁川其他の雑穀商は争って粟の買付策に腐心し翌年即ち
大正二年には米価依然高値を維持す可きを見越し雑穀商等は
旺んに満洲粟の輸入を試みし結果異状の搬立を見るに至れるなり、
然るに米価は予想に反し十七円に下落し爾来暴落に暴落を累ねし
為め二三の雑穀商は満洲粟に手を焼きて非常なる損失を□せるは
世人の尚記憶に新なる所なり満洲粟の外国輸出は主として
朝鮮仕向なる」
 (http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00492935&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00492935)

それと、「朝鮮人一人当たりの米消費量は増減があるものの、
1912年の0.7724石を越えるデータはない。」はおかしくないですか?
例として示している統計(「朝鮮経済年報」(朴慶植「日本帝国主義の
朝鮮支配・下シタ」P-95より))の表で

       生産高  対日輸出  朝鮮人一人
                     当たり消費量
1940年   21526    429    0.720

この数値で考えたら、一人当たりの消費量は0.91ぐらいには
なるはず。

また、人口の急激な増加に伴い少食の幼年人口の割合が
大幅に増加していくわけですから、朝鮮人一人当りの米消費量が
減少するように見えても仕方ないと思います。
Posted by Prado at 2007年02月22日 22:46
> 朝鮮人は米のみを主食としてきた民族ではありません。

それは江戸時代以前の日本の貧しい農民、庶民も同じではないでしょうか。白米のご飯を食べられることなど滅多になく、麦、稗、粟などを食べていたらしいですね。


> また、人口の急激な増加に伴い少食の幼年人口の割合が
> 大幅に増加していくわけですから、朝鮮人一人当りの米消費量が
> 減少するように見えても仕方ないと思います。

子供が増えただけでなく全体の人口が増えていたのですから、中学生や高校生ぐらいの食べ盛りの年代も増えていたことになります。
Posted by 鷹嘴 at 2007年02月27日 11:34
>↑いや『アジアの教科書に日本の蛮行が書かれている』は分かっているよ?

分かっているって貴方散々「貴方はその本を読んでいないのか?」とか「どっちにしろその本読んでいないんじゃないか」と、まるで私が本を読んでないかのように言ってるじゃないですか?

>↑えっ、その本の『内容』を説明したっけ?

だから!「アジアの教科書には日本の蛮行が書かれている」という「本の内容」を説明したでしょ!どう言えば分かるんですか貴方は?

とにかく、これ以上まるで本を読まずに言ってるかのように言われるのは心外ですから一部出しときましょう。

フィリピン 高等学校用「フィリピン国の歴史」
「日本軍の残酷さ、とくに地方での女性に対する邪悪な扱いは多くの市民がゲリラになる要因の一つであった。多くのフィリピン人は、有罪無罪を問わず捕らえられ、サンディアゴ砦や、日本軍が接収し刑務所とした他の施設に送られた。家に戻ることができた者にしても、不自由な身体となっていた。」

インドネシア 中学校用「社会科学・歴史科 第五分冊」
「日本時代にインドネシアの民衆は、肉体的にも精神的にも、並外れた苦痛を体験した。日本は結局独立を与えるどころか、インドネシアの民衆を圧迫し、搾取したのだ。その行いは、強制栽培と強制労働時代のオランダの行為を超える、非人道的なものだった。資源とインドネシア民族の労働力は、日本の戦争のために搾り取られた。」

シンガポール 中学校初級用 「現代シンガポール社会経済史」
「一二三年間、シンガポールの人々は平和に暮らしていた。日本軍がシンガポールを攻撃したとき、人々は戦争の恐怖を体験しなければならなkった。日本軍が島を占領した3年半の間は、さらに大きな被害と困難な状況が待ち受けていた。この時期は、日本軍占領時代として知られている(中略)シンガポールの人々は日本の支配下で彼らの生涯のうち、もっとも暗い時代をすごした」

マレーシア 中学校2年生用「歴史のなかのマレーシア」
「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりひどかった。」

ミャンマー「ビルマ史」
「「独立」したとはいえ、ビルマ政府には本来あるべき権限はなかった。ファシスト日本が許容した権限があっただけである。日本時代もっとも強大な権力を見せつけたのは、日本軍の憲兵隊である。憲兵隊が管轄し、処理する事柄については、階級の上下を問わず、いかなる日本軍将校も口出しできなかった。一般の国民は、憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問され、さらには虐殺されたのである。こうしたファシストの弾圧の結果、無法者から学歴があまりない者までが、反乱への怒りの炎をたぎらせた。真の独立を望む声は全土に広がった。民族、男女を問わず、僧侶も一般国民も、ファシスト日本に反乱を起こそうという強い決意を抱くようになった。」

結局ね、アジアの国々はどこも「日本が解放した」なんて思っていないし、勿論日本を「歓迎」なんかしていないし、日本に恨みこそすれ感謝なんかしていないんですよ!よくネットウヨは「朝鮮・中国以外の国は日本に感謝している」と言ってるが、一体これのどこが「感謝している」ことになるんだろうか?
Posted by FC闘協 at 2007年02月28日 20:56
管理人殿、返信ありがとうございます。

>それは江戸時代以前の日本の貧しい農民、庶民も同じではないでしょうか。
>白米のご飯を食べられることなど滅多になく、麦、稗、粟などを食べていたらしいですね。

そうですね。米は年貢で納めて自分たちは粗食に甘んじる場合が
おうおうにしてあったらしいです。
が、これは単なる話題そらしでしょう。過去の日本を問うている
わけではございません。日本併合時の朝鮮のお話をさせて
いただいております。


>子供が増えただけでなく全体の人口が増えていたのですから、
>中学生や高校生ぐらいの食べ盛りの年代も増えていたことになります。

であるならば、食べ盛りの年代云々より
資料として掲示してある統計の数字をおかしいと思いませんか?
明らかに幼年人口が大幅に増加しているにも関わらず、
米の生産量/総人口 で、一人当たりの米消費量を求めるのは
数値のロジックで数を弄んでいるに過ぎません。

日本の一人当たり消費量と比較するのであれば、年齢ピラミッドが
違うわけですから、各年代別の人口を算出し、それを各年代の
平均的な米の消費量に掛け合わせて行うべきでしょう。

また、前にも書き込みましたが、朝鮮人はおもに粟を食べる民族です。
それが稲作をしたのは、日本に輸出し現金を得るためです。
それを、『米を日本人並みに消費できなかったのは収奪されたからだ』
と今更言われても・・・
また、米を売って得た現金で粟、稗等の雑穀を手に入れて腹を
満たしていても、それは当時の感覚では受け入れるしかない現実
だったのではないかと思います。
(当時の日本の東北地方の貧農でも同じような状況があったみたい
ですしね)
朝鮮人の場合、元来が粟を食べる民族ですから、そういったことには
あんまり抵抗がないように考えられますけれども。

あと、新たにコメントさせていただきます。

>朝鮮人労働者の賃金は概して「内地人」より低額だった。
これはごく当たり前のことです。
現在の日本でも、地域による賃金格差はあります。
また、日本企業が外地で現地人を雇用して賃金を払う場合も
同じことですよね。日本と同じ賃金を払ったら、とんでもない
ことになります。現地人はあっという間にお金持ちになって
しまい働かなくなるでしょうし、日本企業は外地で工場などを
運営するメリットがなくなります。
経済力の差ですから仕方がありませんね。


最後に管理人殿

参考資料の統計 1940年度の数値の件は確認していただけましたか?
ご返答お待ちしております。
Posted by Prado at 2007年02月28日 23:24
>現在の日本のように恵まれた国でも少子化傾向にあるのに
併合時代の朝鮮で人口増加があるというのは、収奪ばかりでは
なかったことの証左に他ならないと思いませんか?

じゃ、現在の日本が少子化傾向にあるのは恵まれていても収奪ばかりだからかいw?

>明日食べるものに事欠く状況で、これだけの人口爆発が
あるわけがないです。

「食べるものに事欠く」どころか今日明日の命も知れない戦火の状況の難民(アフガン等)ほど出生率が高いって知ってる?管理人さんもちゃんとこのページで「喰うに困る状況でも人口は増加しうるとうことは常識」と言ってるでしょ?「あるわけがないです」か・・・。貴方に言わせるとインドやアフリカ諸国で人口増加が問題になるわけがないですね。

あと当時の朝鮮人の主食が米だろうが粟だろうが、ありとあらゆる食料が収奪されてひどい時には餓死者を出す有様なんだから主食がなんであれ劣悪な環境だったことの証左に他ならないと思いませんかw?

>朝鮮人労働者の賃金は概して「内地人」より低額だった。
これはごく当たり前のことです。
現在の日本でも、地域による賃金格差はあります。

「地域による賃金格差」なんてレベルじゃないだろ。内政一体であるはずなのに半分かそれ以下の賃金でどこが当たり前だ。

>また、日本企業が外地で現地人を雇用して賃金を払う場合も同じことですよね。

ちっとも同じじゃねぇよ馬鹿。現在の日本企業が現地人が現地で食っていける賃金で現地人を雇うのと、食料を収奪し喰うに困る状況にして安い賃金で働かせるのと一緒にすんなよアホ。その上当時の朝鮮人は何の権利も保障されないのに税金だけはしっかりと徴収されていたんだけど?
つーか、現在の日本企業に雇われる外国の現地人と当時の植民地下の被支配民を一緒にしてどうすんだボケ。
Posted by 覇拳社員 at 2007年03月02日 22:19
覇拳社員 さまへ

>じゃ、現在の日本が少子化傾向にあるのは恵まれていても収奪ばかりだからかいw?

現在の日本の少子化傾向は、要因がいくつかありますが本題から外れるので
ここでは申し上げません。ただ、はっきりしていることとして、
将来への不安感(所得、子育て環境など)がある場合、先進国なら
人口増加にブレーキがかかると言うことです。


>「食べるものに事欠く」どころか今日明日の命も知れない戦火の状況の
>難民(アフガン等)ほど出生率が高いって知ってる?

出生率の高さ=人口増加 に直結するわけではありません。
例え出生率が高くても、食べるものが無いのであれば栄養不足等による
死亡率も高くなるのですよ? ユニセフの1999年の調査によれば、
乳幼児死亡率(5歳未満の死亡率)の高い国は、アフリカのシエラレオネで
出生1000人につき316人となっています。その他、多くのアフリカ諸国で
10人中3人から1人の割合で死亡しています。

  http://www.careintjp.org/support/mg-backnumber/mg018.html

それでもアジア・アフリカ地域で人口増加問題が発生しているのは
女性が一生の間に生む子供の数が先進国に比して圧倒的に多いからです。
(労働力がほしいわけです)

そこで、日本併合時の朝鮮ですが、
>ありとあらゆる食料が収奪されてひどい時には餓死者を出す有様
なんですから、当時の朝鮮の乳幼児死亡率はとんでもない数字に
なっているはずです。是非それを示してくださいませんか?
それを提示すれば、「日本の圧政のせいで当時の朝鮮はこんな
ひどい状態だったんだ」と糾弾することも可能ですよ。
そのとき、当時の複数の国のそれと比較できるとなおよいでしょうね。

>ありとあらゆる食料が収奪されてひどい時には餓死者を出す有様
すみませんが、それは 何年のどの地方での話ですか?
勉強不足なので是非教えていただきたいと思います。

あと、たびたび「収奪」と言う言葉をお使いのようですが、それは
誰が、誰に対して、どのような行為を行ったものでしょうか?
これも是非ご教示ください。お願いいたします。
(日本が、朝鮮農民に対し、米を収奪したなんてのは無しです。
具体例を提示してください。
 1932年、朝鮮総督府が、朝鮮住民に対し、一戸当たり2石の米の
 供出を命じた 等)

>「地域による賃金格差」なんてレベルじゃないだろ。
>内政一体であるはずなのに半分かそれ以下の賃金でどこが当たり前だ。
物価の違いを考えないでどうしますか? もともと違う国だったものを
併合したから、たった今から給与も何もかも同じにするなんて
できると思いますか? それこそガタガタになってしまいますよ?

>現在の日本企業に雇われる外国の現地人と当時の植民地下の被支配民を
>一緒にしてどうすんだボケ
>その上当時の朝鮮人は何の権利も保障されないのに税金だけはしっかりと
>徴収されていたんだけど?
植民地下の被支配民ですか・・・orz
併合ですから、彼らも日本人のわけで国民の義務として税金を払ってもらった
だけですね。
ちなみに、「日本国民」となった朝鮮人は日本の政治に参加し、衆議院議員にも
東京で当選し、貴族院議員にも任命されるなど、国会議員としてきちんと活躍して
いた方もいらっしゃいます。なお、朝鮮では日本人も朝鮮人も選挙権がなく、
内地では日本人も朝鮮人も選挙権があったのです。



最後に 覇拳社員さまへ
人へ意見するする際に、罵倒語を使用するのはいかがかと思います。
他の方から見たら人間性を疑われます。
Posted by Prado at 2007年03月03日 04:04
>内地では日本人も朝鮮人も選挙権があったのです。

で、結局朝鮮にいる朝鮮人には選挙権がないわけですから、「税金だけ取られて何の権利もない」という酷い話の一例だと思うんですけど?

「彼らも日本人のわけで国民の義務として税金を払ってもらっただけですね」って当時の朝鮮において朝鮮人の基本的人権はなにも保障されず間違っても日本人と同じ扱いはされなかったのに「彼らも日本人のわけで」と義務を果たすのは当たり前とは、まぁ虫がいいと言うか都合がいいと言うか、なんとも酷い話ですね。義務というものを果たさなければならないのは国家が権利を保障してくれるからだと思うのですが・・・?

「併合」だとか「同じ日本人」と言うのなら内地の日本人と等しい扱いにしなければならない筈です。しかし、基本的人権も無く、日本人より下の扱いをされ税金だけはしっかり取られるのは「併合」というのは口ばっかりで実質「植民地支配」だったという証左だと思うのですが・・・?

どうも貴方を見てると『手前の都合の良い時だけ朝鮮人を「同じ日本人」扱いして手前の都合の悪い時は「下等な別の国の人間」として差別した』当時の日本人を見る思いがします。
Posted by ケルベロス商会 at 2007年03月03日 21:28
ケルベロス商会 さま

税金の話題に対して選挙権の話を出してしまったので、わかりづらくしてしまいましたね。
申し訳ありません。
私が言いたかったのは、朝鮮半島内にいた日本人にも選挙権が無いわけですから、
逆に日本人を特別扱いしてもいなかったのですよ、ということなのです。

管理人殿が批判しておられます「嫌韓流」の中にも叙述されておりますが、
「税金」を支払って得られるのは、国が整備した様々なインフラを利用する為の対価
であって、選挙権などではありません。

この原理から言えば、覇拳社員 さまがおっしゃっていた
>その上当時の朝鮮人は何の権利も保障されないのに税金だけはしっかりと
>徴収されていたんだけど?
と言うのは誤りです。 併合時に整備された道路・橋・学校等、利用できたわけですから。
この点を単純に指摘すればよかったですね。失礼いたしました。

 ※ちなみに李氏朝鮮時代の半島の交通事情は下記の本に詳しく載っております。
  「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年 (時岡敬子訳 1998年 講談社学術文庫)


>朝鮮人の基本的人権はなにも保障されず間違っても日本人と同じ扱いはされなかった
何をして、このようなことをおっしゃるのでしょうか? 朝鮮半島内部で施行されている
法律に関しては、上記の選挙権のように日本人も朝鮮人も同様に適用されたはずです。
具体的な事例を挙げていただけませんか?


それと、植民地という言い方ではなく、併合して「日本」というのであれば
内地の日本人とまったく同等の待遇していなければおかしいではないか との
論理については、下記のような考え方を提示させていただきます。

『政治的平等については、朝鮮人に対しても内地では選挙権が与えられ、かつ、
選挙権と徴兵の有無が多くの国で併せて考えられていたのと趣旨を同じくし、
朝鮮半島に対しては徴兵が実施されなかったように、徴兵義務などの負担と
選挙権などの政治的な権利の付与は、朝鮮半島の地理的な隔絶による選挙の
困難性と併せて、ある程度の合理性のある区別が行われていたと見ることが
可能であり、これらの事態をさして単純な差別と見ることはできない』
(なお、太平洋戦争中には朝鮮に徴兵制がひかれるのが決まったのと平行して
朝鮮の住民にも投票権が認められました)


>どうも貴方を見てると『手前の都合の良い時だけ朝鮮人を「同じ日本人」
>扱いして手前の都合の悪い時は「下等な別の国の人間」として差別した』
>当時の日本人を見る思いがします。
これも、具体例の提示をお願いしたく存じます。ケルベロス商会様の
言い回しでは、当時の日本人は全員そういう意識で朝鮮人に接していた
と取ることができます。日本人全員がそのような考え方であったという
証拠を挙げていただけなければ、その言葉は当時の日本人を侮辱する
言葉となりましょう。  それができないのであれば、発言の撤回と
謝罪をしていただきたく存じます。
Posted by Prado at 2007年03月04日 02:45
>私が言いたかったのは、朝鮮半島にいた日本人にも選挙権が無いわけですから、
逆に日本人を特別扱いしてもいなかったのですよ、ということなのです。

だから、結局日本には参政権があって朝鮮には無いということでしょ?

>「税金」を支払って得られるのは、国が整備した様々なインフラを利用する為の対価
であって、選挙権などではありません。

しかし、「義務」を果たせば「権利」は得られるはずですが?

>何をして、このようなことをおっしゃるのでしょうか?朝鮮半島内部で施行されている
法律に関しては、上記の選挙権のように日本人も朝鮮人も同様に適用されたはずです。
具体的な事例を挙げていただけませんか?

では一部ですが挙げましょう。
例えば併合前まで沢山あった新聞・雑誌などは併合と同時に全て廃刊され、日本語版・朝鮮語版・英語版の三つの御用新聞だけにしましたし、また集会・結社の自由も許されていませんでした(もちろんその頃日本では色々な新聞・雑誌があったし、また集会・結社の自由も治安維持法が出来るまでは一定のの範囲で保証されていた)このような言論・出版・結社・集会の自由は1919年の三・一運動後一定の留保の内に認められますが、1940年に再び剥奪されました。また移住の自由も全く認められませんでしたし、1937年から教育の場で「皇国臣民の誓い」というものを唱えるようにされ、神社参拝を強制され、200余りの教会が閉鎖、2000人余りが検挙、50名余りが獄死しました。(しかし皇国臣民の誓いなどは内地の日本人は唱えなくてもよかったし、神社参拝の強制は日本ではあまりなかった)

それとしきりに「半島にいた日本人にも適用された」とか言ってますけど、私が言いたいのは 「併合」であるはずなのに内地と朝鮮半島とで法律や政策が違うのはおかしいということなんですけど?

>選挙権などの政治的な権利の付与は、朝鮮半島の地理的な隔絶による選挙の困難性と併せて、ある程度の合理性のある区別が行われていたと見ることが可能であり、これらの事態をさして単純な差別と見ることはできない

詭弁ですね。じゃ同じように「地理的な隔絶のある」北海道はどうなるんですか?
大体ごくたまにしかやらない選挙が「地理的な隔絶で困難」なら収奪も税金の徴収も行政の施行など不可能じゃないですか?それらの事が出来てどうして選挙だけはできないんですか?

>(なお、太平洋戦争中には朝鮮に徴兵制がひかれるのが決まったのと平行して朝鮮の住民にも投票権が認められました)

確かに認められたが、それは1945年3月で終戦の5ヶ月前!すなわち35年にも及ぶ支配下においてほとんど認められなかったんですけど?ていうか「合理性のある区別」によって35年も選挙権が与えられなかったのだったら最後まで無ければおかしいと思いますが?(それまでの35年はなんだったの?)

>(略)ケルベロス商会様の言い回しでは、当時の日本人は全員そういう意識で朝鮮人に接していたと取ることができます。日本人全員がそのような考え方であったという証拠を挙げていただけなければ、その言葉は当時の日本人を侮辱する言葉となりましょう。それができないのであれば、発言の撤回と謝罪をしていただきたく存じます。

断る!ふざけるのもいい加減にしてください!
私はあくまで「差別した日本人」の事を言ったのであって、「当時の日本人」が全てそうだと言った覚えは無い!「取ることができる」と一方的に勝手な受け止め方をして撤回しろだのと謝罪しろとは本当に無礼極まりない人ですね。
Posted by ケルベロス商会 at 2007年03月06日 19:47
>「税金」を支払って得られるのは、国が整備した様々なインフラを利用する為の対価であって、選挙権などではありません。

社会学者が聞いたら卒倒しそうなコメントですね。
国民が「税金」を支払っているのは国に自分達にかわって行政を行ってもらう為です。そして国は「税金」をもらう対価として行政を行う(そして「行政」の中には民の権利を保障することも含まれています)。
それが近代国家の契約であり、決して「国が整備した様々なインフラを利用する為」に「税金」を支払っているのではありません。(ていうか、そもそも「インフラ整備」するには「税金」がなければ出来ないんですけどね・・・)
Posted by つけ麺マン at 2007年03月06日 20:06
少し参戦。このPrado って人はやたらと「日本が整備したインフラを利用できた」とか「日本が整備してやったインフラを利用したんだから税金を取られるのは当たり前」みたいな事言ってるけど、この版で繰り返し言われていることだけど、日本の「インフラ整備」はあくまで収奪と支配を円滑に行う為。すなわち日本の為にやった事であって朝鮮半島の人民の為にやった事ではない。
100万歩譲って本当に朝鮮人の為にやったとしても、別に朝鮮人が頼んだわけではない。

頼みもしないのに一方的に(しかも本当は手前等の都合で)サービスを押し付けて「このサービスを利用したんだから金払うのは当然」とは、まるで「俺らが守ってやるから毎月金払え」とミカジメ料を請求する暴力団だね(笑)。いや、どちらかと言うと頼みもしないのに勝手に人の家を作り直して高額な修繕費を請求する悪徳リフォーム業者かな?(笑)。
Posted by 雷神丸 at 2007年03月06日 20:53
雷神丸 さま

>100万歩譲って本当に朝鮮人の為にやったとしても、
>別に朝鮮人が頼んだわけではない。
よく、朝鮮人が言う言葉ですな。
なら、他の西欧諸国が施したような愚民化政策のほうがよかった
ということですか?
識字率は低く、鉄道や道路も整備されないので工業化はされず・・
そうなったらなったで、
「日帝の愚民化政策の為に近代化が30年遅れた」などと、いちゃもん
つけるんでしょうなぁ。

>勝手に人の家を作り直して高額な修繕費を請求する
>悪徳リフォーム業者かな?(笑)。
金は後払いで払うと約束して、完成したらこんな風に
頼んだ覚えは無いから払えないとかゴネる、まんま朝鮮人の理論ですね。

大体貴方は李朝末期のままの生活と、併合時代の生活のどちらかを
選択しなさいと問われたらどちらを選ぶのでしょうね?
Posted by Prado at 2007年03月07日 00:53
>しかし、「義務」を果たせば「権利」は得られるはずですが?
ですから、日帝が整備した各種インフラストラクチャーを
利用することができるようになったではないですか?
前述したように、税金を支払うことによって学校、病院、道路、橋梁、
鉄道路線、上水道、下水道、電気、ガス、電話などが整備され
使用できるようになるわけです。
朝鮮人は、これらの使用を禁じられていたのですか?
何度も言うように、税金を払う=選挙権を得る ではありません。

ちなみに
「朝鮮新話」 鎌田沢一郎 昭和25年 創元社より抜粋

歳入の基礎となるべき税金は、日本人に重く、朝鮮人に軽かつた。
昭和十二年度において内地における国民一人あたりの課税額
平均六円三十五銭八厘であつたとき、朝鮮人のそれは、只の
八十八銭五厘であつた。又先進国が植民地における唯一の大衆課税
であつた人頭税と塩税はとらず、朝鮮人は本土の日本人よりも
一俵一円五銭安い塩を嘗めることが出来てゐた。

あれ? これって1937年度での話ですが、この前年(1936)の
資料で、管理人殿が提示してくださっている平均日給は、

「左官」の「内地人」が  3.37円、   朝鮮人2.1円、
「石工」は「内地人」が  3.47円、   朝鮮人2.09円、
「木挽」は「内地人」が  2.96円、   朝鮮人1.82円、
「平人足」は「内地人」が 1.43円、   朝鮮人0.77円、
「土方」は「内地人」が  1.83円、   朝鮮人0.93円、

で、朝鮮人の日給は内地人の大体半額前後ですが、支払っている
税金は1/6以下なんですね。これはどう説明してくれるのでしょう?
Posted by Prado at 2007年03月07日 00:56
ケルベロス商会さま

>だから、結局日本には参政権があって朝鮮には無いということでしょ?

>それとしきりに「半島にいた日本人にも適用された」とか言ってますけど、
>私が言いたいのは 「併合」であるはずなのに内地と朝鮮半島とで法律や
>政策が違うのはおかしいということなんですけど?

このブログ管理人殿や、あなたのような方が「日本と比較して
同じ待遇をされていないから、差別だ!圧政だ!」とおっしゃいますが
そもそもの併合時の国力レベル(経済力やら民度やら)が違うのですから
いきなりすべての物事を同じにすることは不可能だと言うことが
わからないのですか?

たとえば選挙権にしてもそうでしょう。今まで学校に行ったことが
無い人たちに、いきなり選挙権を与えてまっとうな選挙を行うことが
できますか? 
日本の場合、1874年に板垣退助が民撰議院設立の建白書を出し、自由
民権運動が広まり、政党が結成され、立憲国家となったという背景が
あります。
朝鮮は1910年の時点で立憲国家でしたか? 政党政治でしたか?
選挙を行っていたのですか? 学校への就学率は?
(日本で小学校への就学率は1907年当時で97%に達していました)
その辺の違いを考えて発言していますか? 
そのような国家・国民に対し、いきなり日本国と同じ権利を与えられますか?

こんなことを書くと「ほら見たことか、やはりこいつは差別主義者だ」
と思われるかもしれませんが、選挙の何たるかがわかってない人間に
選挙権を与えるなど、なんとかに刃物ですよ。
当時の日本人は「差別」と「区別」をきちんと使い分けていたんです。

それでも、そのままではいけないから、重病の人間に重湯を与えるように
少しずつ朝鮮をよくしていこうと当時の日本人は努力してきたんでしょう。

当時の新聞もこんなことを書いています。
満州日日新聞 1919.10.10 (大正8)より抜粋

我欽定憲法を直に植民地に実行せんとするが如き論者に向っては、遺憾ながら
未だ賛成を表する能わず。勿論歴史を異にする新附の民と雖も同じくこれ帝国の
臣民なり、一視同仁の我施政に於て日本国民たるに何等の差別あらざるが、
此間法律制度は自ら同一なるを得ず、畢竟特殊の土地には特殊の施政を要する
次第なりされば朝鮮には制令あり台湾には律令あり、日比谷原頭之を憲法上の
問題として、撤廃を叫ぶの士あれども、一度植民地の実際を知るに於ては、
其直に撤廃し難きのみならず、寧ろ必要にして有効の具たるを解すべし。
即ち内地と植民地とは之を同じく我領土として取扱うと雖も、自ら政治状態の
相異を免かれずして、法律制度決して同一ならず、要は実際に適切なる施政を
行わんこと、尚内地の教育が直に取って植民地に行い難きと同然なり。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00472359&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00472359



>詭弁ですね。じゃ同じように「地理的な隔絶のある」北海道はどうなるんですか?
えーっとですね。「地理的な」というのを字面どおりに捕らえちゃ駄目ですよ?
「地理」と言う言葉には、人間の生活に影響を与える地域的、社会的な構造 と
いった意味合いもあるのですから、この場合は「地図上の隔絶(距離がある)」を
意味するのではなく、日本と朝鮮の今までの政治・社会体制の違いや、言語の違い
による障害等とご理解していただかないと。

>例えば併合前まで沢山あった新聞・雑誌などは併合と同時に全て廃刊
ちなみに、どんな新聞・雑誌があったのでしょうか? また、廃刊させられた
と言うことは、朝鮮総督府の制令で指定されたのでしょうか? 教えてください。

>集会・結社の自由も許されていませんでした
これについては、悪名高き「治安維持法」の前身ともいえる「治安警察法」という
ものが1900年に施行されておりますので、日本国内でも同じことが言えるかと
思われます。この法律によって、1901(明治34)年に社会民主党、
1921(大正10)年 日本社会主義同盟が結社禁止の処分を受けています。

とここまで書いて思ったことが一つ、ケルベロス商会様のおっしゃっていることは
韓国国定歴史教科書にそっくりですね。ひょっとして彼の国の方なのかしら?

>断る!ふざけるのもいい加減にしてください!
>私はあくまで「差別した日本人」の事を言ったのであって、「当時の日本人」が
>全てそうだと言った覚えは無い!「取ることができる」と一方的に勝手な受け止め
>方をして撤回しろだのと謝罪しろとは本当に無礼極まりない人ですね。
であるならば、「当時の『一部の』日本人を見る思いがします。」とすべきでは
ないでしょうか? 私以外にも、私と同様の受け止め方をする方は多いと思われます。
(ここのブログを読んでいる人がいればの話ですが)
日本人全員が聖人君子では無い以上、当時の日本人の中に朝鮮人を差別したり、
酷使したりした人たちも当然いるかと思います。でも、そうでない人もいるわけです。
その、そうでない人たちに対して失礼な言い方をしたのは貴方です。
日本語を正確に操っていただけませんか?


最後になりますが、「日本による統治は史上最悪だ」という論理を展開する場合には
李朝末期、もしくは当時の他国の植民地と比較して行ってください。
何度も言うようですが、内地の日本人と比較して、給料が安い云々など元々の
国家レベルが違うのですから当たり前のことであって、史上最悪の統治の根拠には
なりません。
Posted by Prado at 2007年03月07日 00:58
ちょっと参戦させていただきます。

仮に朝鮮の人が本来粟を主食にしていたにしても、当時の朝鮮人の米穀消費量のデータがある以上は1900年代は米を主食にしていたと考えるほうが自然じゃないですか?日本に輸出して現金を得るために稲作をしていたのなら、別に朝鮮内で米穀を消費する必要はないはずですが?

1932年〜1936年には0.4017石(ちなみに戦前日本本国では米の消費量は「一人一石」と言われていた)となった一人あたりの米の消費量の平均ですが、これだけの量すら食べられるのは全農家戸数の3.3%が全農地の半分以上を所有し、そして37.6%が全く土地を持たない小作農、次に土地を少し土地を持ってる自作兼小作農が39.3%、この二つを合わせて77%が五割〜七割の小作料を取られていたのです(Prado 氏は全然触れていませんが)。
しかも当時全ての農民の作地面積(つまり、農民が実際に耕している)の平均は1.61ヘクタールでしたが、その内1ヘクタール未満の作地面積の零細農家が全農家の66.9%を占めているのです。つまり、大部分の農家が1ヘクタール未満の作地面積で、しかも五割〜七割の小作料を取られる、そんな状況だったのです。ですから、この様な人は0.4017石でさえとても手が届く様な量でなく1930年には春窮農民、つまり春(二月〜四月)には食べるお米さえ無くなってしまう農民が全農民の48.3%を占める様になりました。ついでに言うと生産力向上のための経費は借金に頼らなくてはならず、この借金を返済する為に、相場をはるかに下回る価格で米を販売しなければなりませんでした。

彼らの窮状を当時の総督府系新聞社 京城日報社は1940年度版の朝鮮年鑑にこう書いています。
『農家、特に小作農の中には、秋の収穫期に小作料と借用食料および債務利子を支払えば、あとは稲を脱穀した台と籾を入れていたバガシ(一種のひょうたん)しか残らないという、散散たる状態にあるものも少なくない。それゆえ、こうした農民は、地主から来年の収穫を担保として食料を借りるのが常となっている。これを農糧と呼ぶ。農糧にも高率の利子が付き、かくして農糧と債務に悩まされ、自ら食料を生産しながら、自身はこれを食べることが出来ず、端境期になると、もっぱら草根木皮で生命をながらえることが多い』

そして更にそのような農民の中からは農業で食べることが出来なくなり、夜逃げ同然で山(国有林)に入って焼畑農業をする火田民という人が出てきたり(当然捕まれば罪となる)、都市に出てきてスラムを形成する土幕民という人が出てきたりする。こうした食ってさえいけない貧困層は日本が朝鮮を植民地支配しなければ生まれなかったのですから、いくらインフラ整備したとしても国民を飢えさせていたら到底「善政」を敷いていたとは言えません。

それでもあくまで「いや、米を売った金で粟を食べて豊かにくらしていた」と言うのでしたら、「思います」とか「考えられますけど」
とかあいまいなこと言ってないで小作料と借金を払っていても当時の朝鮮農民が飢えることなく豊かに暮らしていたというデータを出してください。
Posted by FC闘協 at 2007年03月07日 21:49
FC闘協 さま

次々とここの常連さんらしき方々が参戦されますね。

ここの皆さんはあくまで日本に米を収奪されたから、朝鮮の
人々が飢餓に陥ったという考えの持ち主なんですね。

>全農家戸数の3.3%が全農地の半分以上を所有し 
つまり地主です。

>五割〜七割の小作料を取られていたのです
この小作料の料率を決めていたのは誰でしょうか? もちろん
日帝ではありません。土地を持っている地主さんたちです。

では、この地主さんたちは日本人だったか?

1910-1918年にかけての土地調査事業の結果、朝鮮半島の耕地面積の
総計は、約4400万町歩となっております。
(併合期間中、全耕地面積はほぼこのまま推移)
1922年時点で日本人が所有していた土地はこのうちの約22万町歩。
割合で考えると、わずか0.5%。残りの99.5%は朝鮮人地主です。
(時代が進んで、土地を手放す朝鮮人地主も出てきて、日本人
地主が所有する耕地面積は増えますが、それでも45万町歩、
全耕地面積の1%ほど)

ちなみに耕地面積比で言うと畑:田=2:1となり、米以外の
多くの植産物が作られてました。

参考データ
日帝下朝鮮経済の発展と朝鮮人経済  許 粹 烈
http://www.jkcf.or.jp/history/3/06-0k_hsy_j.pdf
(他ならぬ朝鮮人自身が書いた論文です)


となると、あれあれ? 五割〜七割の小作料を取っていたのは
ほとんどは他ならぬ朝鮮人自身じゃないんですか?

>こうした食ってさえいけない貧困層は日本が朝鮮を
>植民地支配しなければ生まれなかった

FC闘協さま、朝鮮人自身が行っていたことを朝鮮総督府のせいに
しないでください。大体、このようなことは併合前まで
日常茶飯事だったのですよ? 日本が併合したからこうなったの
ではないのです。そこを勘違いしないでいただきたい。


こちらも参考にどうぞ
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=5&nid=1752212
Posted by Prado at 2007年03月08日 02:01
ついでに追加

京城日報 1928.7.3(昭和3) 有賀光豊談:朝鮮殖産銀行頭取

朝鮮における地主対小作人関係を見るにこれは内地と余程おもむきをことにしているようだそれは従来の慣例にもよるであろうが、舎音即ち土地管理人に一切を委任して地主はただその収穫の多きを望んでいる昔風の殿様生活をしている結果、小作人の耕作権を徹底的に左右しうる権能を有し、その間種々悪辣なる行為に出でていることは、一たび地方に行けば耳も□する許りに聞かされるのである。その実例の一つとして、地主の当然負担すべき公課を小作人から徴収し、或は地主の負担すべき運搬費を小作人に課し、甚だしきは封建時代の悪風たる無償の労力提供強制が、しかも一年の農繁期に三回も行われているということである。一ヶ年の収入僅に百円乃至二百円内外の小作人に対するこの強制は、実に時代を無視した暴圧行為といわざるを得ない。

わが輩の眼から見れば、朝鮮の地主はあまり暴虐である、小作人に対する同情よりも寧ろ義憤を発せざるを得ない。しかも地主舎音は、小作人にしてこの命令を肯かない場合は遠慮なく田畑を取上げてしまう。前年肥料を入れておいた水田を何等の顧慮もなく取上げてしまう。だから小作人の耕作人の耕作期間は僅かに二年乃至三年、□々として同一地主の小作人は変ってゆく。そして取上げられた小作人は、明日から生活のアテがないから更に暴虐なる地主にも叩頭して耕作せざるを得なくなる、かくして小作人は常に虐げられてゆく、これは実に由々しき社会問題であるのみならず、産業開発を阻止する大問題であらねばならぬ。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00487333&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00487333

うわ、ひどいですね。朝鮮人地主 w
Posted by Prado at 2007年03月08日 08:14
Pradoさまへ

ですが、全農家戸数の3.3%が全農地の半分以上であり、77%が五割〜七割の小作料を取られ1ヘクタール未満の作地面積の零細農家が全農家の66.9%を占める様な、そんないびつな構造が出来上がったのは、そもそも日本が行った土地調査事業に大きく責任があるのですよ?

人口のほとんどが農民であった当時の朝鮮においては人口の把握に直結し、租税収入を確定する為土地の所有権を明確にする必要がある為土地の調査をしたわけですが、問題はそのやり方です。
日本は土地を調査するに際して申告主義を原則にしました。その結果どうなったか?
当時朝鮮では大部分の農民が文盲だった為、申告のやり方がよく分からないし、そもそもニュースを知ることが出来ないからそういう申告を行わなければならないということすら知らなかった農民が大半でした。その結果、ごく一部の文字を理解できる富裕層の人間が大部分の土地を自分の物だとして申告し、前述したような いびつな構造が出来てしまったのです。

こう言うと「じゃあ、悪いのはその一部の富裕層の朝鮮人じゃないか」と言うかもしれませんが、そもそも日本が申告主義で土地調査をしなければ、そのような事態にはならなかった訳ですから、結局日本に大きく責任があるわけです(これが朝鮮人民による近代化だったならば、既存の政府体系を利用することが出来ますから申告制度みたいなやり方を使わずとも土地調査は可能ですから)。

「他ならぬ朝鮮人自身」「朝鮮人自身が行っていた」ですが、そういった朝鮮人を生み出したのは日本の支配によるものです。
まあ、植民地内に現地人の特権階級を作り、そしてその特権階級を操って植民地から効果的に搾取するというのは日本・欧米問わず植民地支配国の常套手段ですからね・・・。
Posted by FC闘協 at 2007年03月08日 21:00
Pradoさんへ

あとですね、あなた出したサイトなんですけど、『醜い韓国人』という本に書かれている事をから論点にして争論してるんですけど、『醜い韓国人』は実は日本人評論家の加瀬英明が韓国人ジャーナリストを詐称して書いた本だって知っていました?そんな本を参考文献に争論するようなサイトはあまり参考にはならないと思うのですが・・・。
Posted by FC闘協 at 2007年03月08日 21:17
FC闘協 さま

>そんないびつな構造が出来上がったのは、そもそも日本が
>行った土地調査事業に大きく責任があるのですよ?

なるほど。このFC闘協 さまの理論って韓国の国定歴史教科書にある一文とほぼ同じですね。
ちょっとちょっと教科書から抜粋させてもらいます。

これによって、わが農民は土地所有に必要な書類を具備して定められた期間内に申告する場合のみ所有権を認められた。しかし、当時、土地申告制が農民に広く知られておらず、申告期間が短いのに比べ手続きが複雑なので、申告の機会をのがした人が多かった。日帝が申告手続きを複雑にしたのは、いうまでもなく韓国人の土地を奪い取るための手段であった。また、農民のなかには日帝の施策に協助したくないという民族感情のために申告を故意に忌避し、申告されない土地が多かった。
 日帝はこのような未申告地はもちろん、公共機関に属していた土地、村や門中の土地と森林、草原、荒蕪地なども全部朝鮮総督府所有にしてしまった。こうした土地調査事業によって不法に奪取された土地は全国土の約40%にもなった。
(抜粋ここまで ※ ここの奪取された土地40%についても異論はありますが、ここでは省略します)

確かに土地調査事業は申告制で、文字が読めなかった農民の中には土地を手放さざる得ない状況になって
しまった人もいるかもしれません。ですが、その分富裕な朝鮮人が土地を手に入れることができたかと言うとそうではありません。FC闘協 さまのコメントには記述されてはおりませんが、土地を持つには「土地所有に必要な書類を具備」している必要がありますから、それらを捏造とか、農民を騙すとかしない限り、自分の土地として手に入れることはできないわけです。

ということは、以下のように考えることはできませんか?
1.併合前から、朝鮮の社会構造はもともとこのような形であった。
2.でなければ、地主たちが農民たちの無知蒙昧をいいことにその土地を略取した。

私はおそらく1ではないかと考えておりますが、生憎と提示できるデータがございません。が、ここはFC闘協 さまが是非ご提示してくださいませんか。このいびつな構造が出現したのは日本の土地調査事業の所為である、併合前はこんな比率だったんだ、と。 是非よろしくお願いいたします。
(もっとも、日本人が富裕朝鮮人層と結託してこのような構造にした、と言われそうな気がしないでもないですけど)

>特権階級を操って植民地から効果的に搾取する
うーん、搾取ときましたね。以前の覇拳社員さまは「収奪」と言う言葉を使っていましたが、実際にそれらの言葉に値するどんなことを日帝はしたのか教えていただけませんか? 覇拳社員さまはあれから音沙汰無いですし、よろしくご教示ください。

>『醜い韓国人』は実は日本人評論家の加瀬英明が韓国人ジャーナリストを詐称して書いた本
これは初耳だったので調べましたが、ちょっと真相はわかりません。
ですが、下記のようなことがあったようですね。
 ttp://toron.pepper.jp/jp/syndrome/nation/kase.html

>そんな本を参考文献に争論するようなサイトはあまり参考にはならないと思うのですが・・・
インターネットは便利な反面、偽情報もたくさんあります。FC闘協 さまも普段そうしていらっしゃると思いますが、疑わしいものは自分で内容をよく吟味し、騙されないようにするしか方法は無いと思われます。また、疑わしいものを情報源としているから、そのサイト全体を否定するのは性急に過ぎるのではないでしょうか?
Posted by Prado at 2007年03月09日 01:01
なんか最近 安部政権の迷走ぶりの方が面白いんでココ見ていなかったんだけど、滅茶苦茶な事になってますねー。で憚りながら私も参戦いたします。

Prado氏へ
貴方が最初に言っていた

「李氏朝鮮時代には1000万の大台に及ばなかったのが
日本が関与してからはあれよあれよの2500万人突破(1944)。
明日食べるもの事欠く状況で、これだけの人口爆発が
あるわけないです。」これなんですけど

そもそも「併合前には1000万もいなかった」というのがデタラメなんですけど?黄文雄(「嫌韓流」が参考文献にしている本の著者)とかが併合前の1906年に警務顧問が行った調査で出した人口統計値をもとに「1000万人にも満たなかった」とか主張しているけど、その時の警務顧問が出した人口数は調査漏れが多く不正確なものだったのです。

『「併合」前の1906年に日本人の警務顧問が調査した数字は978万人だったが、多くの人が調査漏れとなったため、正確な人口数ではなかった。(略)多くの女性が調査から漏れたためである。』
(水野直樹著『日本の植民地支配』より抜粋)

つまり「併合」前の人口数がデタラメだったのですから、それと比較して「日本が統治してから人口が倍増した」なんて言うのはウソっぱちもいいとこです。
Posted by ノン・フライ at 2007年03月10日 16:13
信頼性の高い国勢調査の数字と、そこから割り出した人口学者による推計値によれば、1910年〜1940年までの30年間の朝鮮人の人口増加率は44%となっており(年平均にすると1.3%)、同じ時期の日本人増加率49%と比較しても、とても「倍増しているとも「急増している」とも言えず、ましてや「人口爆発」しているなんて到底言えません。
Posted by ノン・フライ at 2007年03月10日 16:18
つまり、Prado 氏の最初に言った「人口爆発」そのものが大間違いなのですから、はっきり言って何の証左にもなりません。
その後に続く「人口の急激な増加に伴い(略)朝鮮人一人当たりの米消費量が減少しているように見えても仕方ないと思います」にしても「急激に増加」なんかしていないんですから、ちっとも「仕方ない」とは言えません。貴方の言ってる事は最初の段階で根本的に大間違いなんですよ。
Posted by ノン・フライ at 2007年03月10日 16:24
で、Prado 氏はやたらと「日本がインフラ整備した」と言って併合前と比較して、さも「日本が豊かにしてやった」みたいに言ってるけど、いくら立派な道路や建物や鉄道があろうとも、それで国民が豊かに暮らしていたことはならないんですけど?何故ならそこには貧富の格差の拡大という視点が無いんですから(マルクスでも学んだら?)。

さらに「日本が近代化してやった」だの「日本の支配でなければ近代化できなかった」と近代化したのを恩着せがましく言ってるけど、ここの利用者で色んな人が何遍も言ってるように日本が朝鮮を近代化したのはあくまで「朝鮮から日本に資源を運び、軍隊の展開をスムーズにするため」であって朝鮮の為に行ったのではない。

それでも「近代化できたんだからイイじゃないか」とか「近代化によって豊かになった」思っているんだったら、それは浅はかというか短絡的というか大きな間違い。
自らの手によって為された近代化と他国の支配者の手によって為された近代化では、その本質は全く違います。自らの手によって為された近代化は国を豊かにしますが、他国の侵略者によって行われた近代化は、むしろその侵略者が植民地を効果的に搾取する構造を作るという意味において、国を貧しくするだけです。この様な近代化は近代化される国家にとっては悪夢以外の何物でもありません。
Posted by ノン・フライ at 2007年03月10日 16:33
あ、そうだ「悪魔」の奴に言うのを忘れるとこだった。

>↑だからどのインドネシアの首相なんだ。

あいかわらず笑かしてくれるねー(笑)。お前さんは日本の首相について「どの日本の首相なんだ」と聞かれたらどう返事するんだい?地球の日本の首相としか答えようがないと思うけど?

まあ、これについてはこっちもミスがあったけど。調べなおしたらインドネシア首相じゃなくて、(当時)大統領の顧問だったよ。ちなみに「エスラン・アブドゥルガニ」という人でインドネシア独立時に外相だった人だよ。1995年7月28日広島市の国際会議場での発言だから自分で調べてみるんだね。それとも『amazon.co.jp』のレビューに無けりゃ分からんかい?(笑)
Posted by ノン・フライ at 2007年03月10日 16:40
ノン・フライ さま

また、常連様の参戦ですね。 うれしく思います。

>つまり「併合」前の人口数がデタラメだったのですから、それと比較して
>「日本が統治してから人口が倍増した」なんて言うのはウソっぱちもいいとこです。

私もうっかりしていましたが、確かに併合時には1312万人と言う統計が
出ておりました。「李朝時代には1000万の大台に及ばなかった」
との言葉につきましては、私の認識不足ですので撤回させていただきます。

ですが、「人口が倍増した」の件については嘘っぱちでしょうか。
併合開始時の人数から検証してみましょうか?

朝鮮側データ
 ttp://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_14969/slides/12/index_20.html
日本側データ
 ttp://www.stat.go.jp/data/kokusei/2000/kako/danjo/zuhyou/da01.xls
 ttp://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0506_9.pdf
  
上記サイトからの数字ですと
下記のように人口の推移があるのが見て取れます。
(日本の1910年の資料が見つからなかったので、1900年ので代用) 
            
     朝鮮半島  日本 (単位:万人)
 1900        4385
 1910   1312   
 1920   1691   5596
 1930   1968   6445
 1940   2295   7311
 1945   2512   7199
−−−−−−−−−−−−−−−
増加率   191%   164%
       ↑
で、1945年次の人口÷1910年次の人口 で計算した結果です。

うーむ、ノン・フライさまの出してきた人口学者さんの数値と違って
朝鮮半島の人口のほうが増加してますね。
で、おそらくこの朝鮮側の人口は、満州や日本に出稼ぎに行っていた
方々は入っていないと思われます。それらの人口を加味すると
1910-1945(併合時代)の人口はほぼ倍増と言っていいでしょう。
このような短期間(たった35年間)で人口が倍に膨れ上がるような
事象を人口爆発といわずして、なんと言うのでしょうか?

私は根拠となる数値のソースを出しましたので、ノン・フライさまも
>信頼性の高い国勢調査の数字と、そこから割り出した人口学者による『推計値』
ではなくて、きちんとした数値(ソース付き)を示していただけませんでしょうか?


>ここの利用者で色んな人が何遍も言ってるように日本が朝鮮を近代化した
>のはあくまで「朝鮮から日本に資源を運び、軍隊の展開をスムーズにするため」
>であって朝鮮の為に行ったのではない。
>侵略者が植民地を効果的に搾取する構造を作る

覇拳社員さまにも、FC闘協さまにも懇願しているのですが、
日本が朝鮮から「搾取」・「収奪」した事例を教えてくださらないのです。
日帝は「搾取するために」いろいろインフラ整備したんですよね?
それが提示されないと、ここの常連さんたちがおっしゃっている論理が
破綻してしまうんですけど?
Posted by Prado at 2007年03月10日 20:38
ノン・フライさんへ

援護射撃しますね。

『日本統治下で人口が倍に増えたという嘘』
          ↓ 
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20060423

それと若干のフォロー。ノン・フライさんご指摘のとおり「併合」の年=1940年から1940年までの30年間の人口増加率は日本より低い44%でした。そして独立後の1960年の韓国の人口は2499万人、30年後の1990年の韓国の人口は4339万人で、30年間に74%の増加率です。

Pradoさんは「識字率は低く、鉄道や道路も整備されないので工業化させず・・・」「近代化は30年遅れた」とまるで日本の支配でなければ近代化されなかったか30年は遅れたかのように述べ(決め付け)てますけど、前述した「独立後の人口増加率」と独立後の韓国が達成した近代化の成果を考えるなら、「近代化できなかった」「30年は遅れた」と決めつけることはできないと思います。
Posted by 風人物語 at 2007年03月10日 22:08
風人物語 さま

次々と新手が押し寄せてきますね。

>『日本統治下で人口が倍に増えたという嘘』
読ませていただきました。これが、ノン・フライさまが根拠にした推計値なわけですね。

「『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ」 からの抜粋かと思われますが、これはあくまで推計ですよね?

私が論拠にあげた数値は警察調査の数値だったのですが、当時の警察の調査は、巡査が一軒一軒の家を回っての「聞き取り調査」だったわけですので、世帯数はほぼ実数だったはずです。
で、この人口学者が男女比率がおかしいと言うので推計を計算しているのですが、例えば1910年の1313万人の男女比率113:100がおかしいのであれば、1313万人を113:113にして計算してしまえばいいと思うのは素人考えですか? その場合1393万人となり、約1400万人として 1944年までの増加率は85%ですね。
(で、これを書いてて思ったのは、巡査が家にまで来て調査してるのに嘘つくんじゃねーよ!! こういうとこでも民度の差が出ますな・・)

それと、水野直樹氏が引用していると思われる「人口学者」金 哲氏の推計もあんまり当てにならないと私は考えております。根拠は、1920年以降の警察の調査と国勢調査の差異が妥当だと思われるからです(国勢調査には半島外に移動した朝鮮人も反映されるので、どうしても警察の調査人数が少なくなる)。そう考えると、警察調査で5年ごとに100万人ずつ増えているのであれば、逆算して1910年には1500万人弱の朝鮮人がいたことになります。となると、金氏の1910年に1631万人というのはどうみても水増ししすぎではないでしょうか? (仮に1910年に1500万人だと仮定して、1910-1945での増加率は67%)

それと、ここのロジックにも注意していただきたいんですが、ノン・フライさんの元ネタと思われる本では日帝の統治は敗戦までの1945年まで続いたはずなのに、なぜか1940年までの増加率を提示しています。それはなぜか?
1945年までを計算すると、日本より増加率が高く(1910-1631万人、1945-2512万人で計算して54%)なってしまうからです。 ちょっと狡猾さを感じてしまうんですけどねぇ。

>独立後の韓国が達成した近代化の成果を考えるなら、「近代化できなかった」
>「30年は遅れた」と決めつけることはできないと思います。
前後の経緯をよくお読みになっていただけませんか。日帝統治の35年を愚民化政策で費やしたら、その期間、近代化しないわけですので、それを言ったつもりなんですけれど? それに私は決め付けているのではなくて、「そういうことを言いそうだ」と言っているだけです。
また、風人物語さまがおっしゃる「韓国が達成した近代化」とは「漢江の奇跡」 かと思われますが、それらを達成するためには莫大な資金や技術が必要だったわけで、その出所などご存知なのでしょうかね?
Posted by Prado at 2007年03月11日 00:13
>よく朝鮮人が言う言葉ですな。
なら、ほかの西欧諸国が施したような愚民化政策の方がよかったということですか?

・・・ナニソレ?なに話をすり替えてんの?俺は「インフラ整備は(当時の)朝鮮人が頼んだ訳じゃない」と言っているのに「じゃ他の奴のやり方の方がよかったのか」ってナニソレ?

>金は後で払うと約束して、完成したらこんな風に
頼んだ覚えは無いから払えないとかゴネる、まんま朝鮮人の理論ですね。

へーーー!じゃ日本のインフラ整備は朝鮮人に「金は後で払うからインフラ整備してくれ」て頼まれたからインフラ整備したの?初めて聞いたよ!資料出してよ。で、いつ朝鮮人が「金は後で払うからインフラ整備してくれ」って言ったの?資料出してよ。で、いつ朝鮮人がインフラ整備した後で「こんな風に頼んだ覚えは無いから払えない」とゴネたの?初めて聞いたよ。資料出してよ。

とにかく俺は「あっちの方が良かった」とか言ってんじゃなくて、あくまで「インフラ整備は朝鮮人の方から頼んだことじゃない」だからね?インフラ整備そのものが(当時の)朝鮮人が頼んだことじゃないと言ってるのですから、それを否定したいんだったら、

「併合前の朝鮮の民衆は日本の支配を望んでいた」という資料と「当時の朝鮮人は日本にインフラ整備を頼んだ」という資料と「日本は当時の朝鮮人に頼まれてインフラ整備した」という資料を出してくださいよ。

「じゃ、他の奴のやり方の方がよかったのか」などと話を逸らさないでね(笑)。
Posted by 雷神丸 at 2007年03月11日 19:56
雷神丸さま

>・・ナニソレ?なに話をすり替えてんの?俺は「インフラ整備は
>(当時の)朝鮮人が頼んだ訳じゃない」と言っているのに
>「じゃ他の奴のやり方の方がよかったのか」ってナニソレ?

確かに、当時の朝鮮人が直接依頼したわけではありませんが、声には出さずとも要望として持つものですよね? 李朝末期の生活の悲惨さは色々な文献で実証されております。雷神丸さまも当時の朝鮮人の立場になって考えてみてください。

道路や鉄道が整備されていないため、遠方に品物を売りに行けず買うもできず、極めて狭い範囲での経済活動しかなされていなかった。またそのために貨幣経済も発展しなかった。そういう状況をわかっていて発言しているのでしょうか?

私は日本の統治を100%正しかったとするつもりもありませんが、このインフラ整備を「収奪のために」とか「頼んだわけじゃない」とかいって否定する考え方には賛同できかねるので、あえてここで論戦させていただいております。
重ね重ね申し上げますが、これらのインフラ整備は「日本のためだけ」に行ったのではありません。前々から収奪した事例の提示をお願いしておりますけれども、未だどの方からも返答いたただいておりません。日本が収奪していないのであれば、なぜ日本はインフラ整備を行ったのか?   「朝鮮に住む人々のために」じゃないのですか? それを「頼んだわけじゃない」とはね・・


「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年 (時岡敬子訳 1998年 講談社学術文庫) より抜粋
『宗主国中国の影響のもとに、朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきた。この点について日本は新しい理論を導入し、庶民にも権利はあり、各階級はそれを尊ばなければならないということを一般大衆に理解させた。朝鮮の農民には、日本と西洋の指導手段を通して、食いものにされるばかりが自分たちの運命ではない、自分たちも市民としての権利を持ち、法的見地から見た平等に値し、収入を守られるべき存在なのだということが徐々にわかりはじめてきたのである。
Posted by Prado at 2007年03月13日 00:18
俺は別に関係ないけど、ちょっと気になることが・・・

>であるならば、「当時の『一部の』日本人を見る思いがします。」とすべきではないでしょうか?

これ、おかしくね?「日本人全員がそういう意識で接していたと言うなら、全員がそういう意識だったという証拠を示さなければならない」のなら『一部の』と言うなら「差別意識を持っていたのは一部の日本人だけで大半の日本人は差別意識は無かった」というデータを示さなければ『一部の』とは言えない筈だが・・・?

Posted by 傍観者 at 2007年03月14日 19:24
傍観者 さま

>「差別意識を持っていたのは一部の日本人だけで
>大半の日本人は差別意識は無かった」というデータを
>示さなければ『一部の』とは言えない筈だが・・・?


十人十色と申しますように人間の考え方は多種多様です。
ある事象に対し、考え方が全員一致するということは、その母集団が大きければ大きいほど可能性は低くなるのはご理解いただけると思います。そのことを踏まえて考えるなら、当時の日本人には朝鮮人に差別意識を持っていた人もいれば、そうでない人もいた、とするのが妥当なところでしょう。

であるならば、「全員が差別意識を持っていた」というのはこの一般則から外れた考え方となり、データの提示が必要なのはこちらになるはずですがいかがですか?
Posted by Prado at 2007年03月15日 08:31
Pradoへ

お前ふざけるなよ?
現実に当時の朝鮮人が頼んでない以上、「頼んでない」ものは「頼んでない」としか言いようがないだろうが!当時の朝鮮人の生活がどうだろうと立場がどうだろうと「頼んでない」という事実は変わりはしない!仮に本当に相手の為にやったとしても「頼んでない」ものが「頼んだ」ことにはならないんだよ?

俺は「頼んでない」から「頼んでない」と言ってるのに、「じゃ、他の奴のやり方の方が良かったのか」と話を逸らして、今度は「当時の朝鮮人の生活は悪かった」「相手の為にやってやった」と話を逸らす!何考えてんだよ?

「頼んでない」という事実を否定したいのなら、「頼んだ」というデータを資料として出すしかないんだよ?繰り返すが当時の朝鮮人の生活が苦しかろうと、(仮に)相手の為にやったとしても「頼んでない」ものが「頼んだ」ことにはなりはしないんだぞ?

>確かに、当時の朝鮮人が直接依頼したわけではありませんが、声には出さずとも要望として持つものですよね?李朝末期の生活の悲惨さは色々な文献で実証されております。雷神丸さまも当時の朝鮮人の立場になって考えてみてください。

・・・・ナニソレ?「声に出さずとも要望として持つものですよね?」ナニソレ?声に出してないのに、どうしてそういう「要望」を持っていたと断言できるんだよ?「声には出していないけど、こういう要望を持っていた」だと?そういうの何て言うか知ってるか?『勝手な想像』と言うんだよ!「悲惨な生活だったからこうしてほしかったんだ」「当時の朝鮮人の立場ならこうしてほしかっただろう」そういうの何て言うか知ってるか?『勝手な思い込み』と言うんだよ!

あくまで「当時の朝鮮人がそういう要望を持っていた」という主張をするなら当時の朝鮮人の一般大衆の大多数がそういう要望を持っていたというアンケートの結果なり意識調査の結果なりのいわば「声」を資料として出すべきだな。
でないと、当時の朝鮮の一般大衆の意見を「勝手に」代弁するお前の意見は、「朝鮮の一般大衆はこう思っていたに違いない」という身勝手な思い込みの域を抜け得ない。

あるいは、お前の勝手な妄想というべきか。
Posted by 雷神丸 at 2007年03月18日 19:25
雷神丸「朝鮮人の方から頼んだわけじゃない」
Prado「なら、他の西欧諸国が施したような愚民化政策の方が良かったということですか?」

ワロタw まるでコントか漫才だなw 見ていてこんなコントを思いついちゃったよw

ある日、とある中古住宅に建築業者がやってきて勝手に家を改装して・・・

住人「オイお前ら何してんだよ?」業者「何って改装ですよ。あ、お金は後でちゃんと払ってもらいますから」
住人「イヤ、払ってもらうって・・・、改装なんて頼んでないよ!」業者「こんなに豪華にしてあげたのに「頼んでない」とはなんですか!」
住人「イヤ、豪華とかそういうんじゃなくて!頼んでないものは頼んでないんだよ!(怒)」
業者「なら、姉歯建築事務所の設計の方がよかったということですか?」
住人「そういうこと言ってんじゃねえ!(爆)」

てな感じでw 『タカアンドトシ』あたりにやってほしいなw

で、客観的に見るとPrado君の言ってることはキモいストーカーの論理みたいですねw

女性が何も頼んでないのに「○○ちゃんは、こんな生活だから、こうしてほしいだろう」と勝手に決め付けて家の中を作り変えて、当の女性が「こんなこと頼んだ覚えはない」と正しい抗議をしたら「君の為にやってあげたのに「頼んだわけじゃない」とはね・・」てな感じでw

まんま「妄想癖が強く思い込みの激しい超キモいストーカー」の姿そのものですなw
Posted by 偏将軍K5 at 2007年03月18日 19:41
>声に出してないのに、どうしてそういう「要望」を持っていたと断言できるんだよ?

当時の朝鮮人が反対しなかったから(笑)

反対しなければ事は勝手に進んでしまいます。現在でも。
Posted by 一言いえば at 2007年03月19日 18:34
>あくまで「当時の朝鮮人がそういう要望を持っていた」という主張をするなら当時の朝鮮人の一般大衆の大多数がそういう要望を持っていたというアンケートの結果なり意識調査の結果なりのいわば「声」を資料として出すべきだな。

当時の朝鮮人が日本が朝鮮半島にて行ったインフラ整備された施設を利用していたから。

もし日本が日本人の為だけに行ったなら朝鮮人への使用は禁止していたはずだから。

朝鮮人もいやだったら日本のインフラ整備を使用しないから。

「朝鮮人がインフラ整備を反対しない」
       ↓
「朝鮮人がインフラ整備した後の施設を利用した」
       ↓
「朝鮮人の利用は許されていた」
       ↓
「当時の朝鮮人がそういう要望を持っていた」
       ↓
「日本の朝鮮でのインフラ整備は朝鮮人のために行った」
       ↓
「日本は朝鮮人の為に力を注ぎ、朝鮮のためになった」

おわかり?
Posted by 一言いえば at 2007年03月20日 14:53
この「一言言えば」はPrado か?まぁ、どちらにしても言ってる事が無茶苦茶でデタラメだが。

>当時の朝鮮人が反対しなかったから(笑)

何言ってんだ、お前?併合前に当時の朝鮮の一般民衆が『抗日義兵抗争』を行ったのを知らんのか?朝鮮全土・全階層に広がる『抗争』という『大反対』をしたのに、(笑)をつけて「反対しなかった」だと?ふざけるのもいい加減にしろ!

>反対しなければ事は勝手に進んでしまいます。現在でも

原子力発電所建設、空港建設、産業廃棄物処理場建設、在日米軍基地建設等々、現在の日本で地域住民の反対を無視して勝手に行われた行政執行がどれだけあると思ってんだ?「反対しなかったから事が進んだ」って?笑わせんな!

>当時の朝鮮人が日本が朝鮮半島で行ったインフラ整備を利用していたから

>朝鮮人もいやだったら日本のインフラ整備を使用しないから

繰り返すが、「頼んでいない」という主張を否定したいのなら「頼んだ」とうデータを資料としてだすしかないし、「望んでいた」という主張するには「望んでいた」という「声」を資料として提出するしかない。いくら後で使ったからといって「頼んだ」ことにも「望んでいた」ことにはなりはしない!

大体「インフラ整備を利用していた」と、ほざいているが、どんなに嫌でも、その後もそこで生きていく以上は使わないわけにはいかないだろうがよ!いくら頼んでないのに勝手に作り変えられた道路でも生きていく以上は道を歩かないわけにはいかないだろうが!家だって頼んでないのに作り変えられて嫌だったとしても自分の家である以上出て行くわけにもいかないし、トイレだって頼んでないのに勝手に作り変えられて、もの凄く嫌だったとしてもトイレを使わないわけにはいかないだろうが!そんなこともわかんないのかよ?

>もし日本が日本人の為だけに行ったなら朝鮮人への使用は禁止していたはずだから。

じゃあ、企業が作る工場の設備は100%その企業の利益の為だから下請け業者や外部の搬入業者は工場の設備は一切使用禁止にされ廊下や敷地内の道すら歩けないはずだが?
あのな、朝鮮人への使用を禁止するのは、言ってみれば工場の設備や機械を工員に使わせないようなもので、そうなったら「日本人の為」にもなんにもならないだろうが!そういうこともわかんないのか?いい加減にしろよ!
Posted by 雷神丸 at 2007年03月21日 18:20
>当時の朝鮮人が反対しなかったから(笑)

と、なると・・・日本の民衆はGHQの支配を戦前から望んでいたことになりますなぁw
だって戦後GHQが日本に来て占領しても当時の日本人は反対しなかったからw
まっ、この「一言言えば」君の論理に従えばの話だけどねw
Posted by 偏将軍K5美周朗 at 2007年03月21日 19:00
雷神丸 さま

>「頼んでない」という事実を否定したいのなら、「頼んだ」というデータを
>資料として出すしかないんだよ?繰り返すが当時の朝鮮人の生活が苦しかろうと、
>(仮に)相手の為にやったとしても「頼んでない」ものが「頼んだ」ことには
>なりはしないんだぞ?

私は、「朝鮮人に頼まれたから当時の日本人がインフラ整備した」とは一言も言ってなかったんですよね。話題をすり替えているのは雷神丸様のほうではないでしょうか。

当時の日本人がそのようなインフラ整備を行ったのは、前回の書き込みにもあるように「朝鮮に住む人々」のためにです。それは朝鮮半島が日本領土であったために、日帝が責任を持って行ったわけです。それは国として当たり前のことをしただけなんです。私は日帝がインフラ整備をしたことを感謝しろとは言わないまでも、それを「収奪」やら「搾取」のために行ったと言われるのが嫌なんです。

>・・・・ナニソレ?「声に出さずとも要望として持つものですよね?」
>ナニソレ?声に出してないのに、どうしてそういう「要望」を持っていたと
>断言できるんだよ?「声には出していないけど、こういう要望を持っていた」だと?
>そういうの何て言うか知ってるか?『勝手な想像』と言うんだよ!
>「悲惨な生活だったからこうしてほしかったんだ」「当時の朝鮮人の立場なら
>こうしてほしかっただろう」そういうの何て言うか知ってるか?
>『勝手な思い込み』と言うんだよ!

私はごく一般的な話をしているだけだと思うのですがね。雷神丸さまは「推測」と「勝手な思い込み」の違いがわかりませんか。

推測
類似の事実を当てはめてみて、見当をつける。推測する。推量する。例:「当事者の心中を―・る」

思い込み
深く信じこむこと。また、固く心に決めること。例:「―の強いやつ」

輸送が困難なため、輸送費に経費がかかって実質の利益が減ってしまう状況と、道路が整備されて輸送費が低下し手に入る現金が増えるのを考えたら、通常は後者を選ぶと思いますが、どうやら雷神丸さまはそうお考えにならないようです。


朝鮮の冶道計画   京城日報 1917.10.7(大正6) より抜粋

旧時の朝鮮は殆ど車輛の通行し得べき道路が無かった為め物資の輸送は総て人肩馬背に依り加うるに峻坂峻路随所に相続くの状況で交通運輸の困難名状すべからざるものがあった、十里の行程に二日以上を費したり米一石の搬出に数円の運賃を要する為め原産地に於ける米の売価一石僅かに三、四円に過ぎなかった様な実例は珍らしくなかった。
七年前如斯状態であったものが今日に於ては主要なる道路は概ね荷牛馬車の通行せざるなく交通頻繁の区間には自動車の運転を見るに至ったのは誠に隔世の感がある試に明治四十三年と最近との車輛の戦を比較するに人力車は九百から四千に荷車は千三百から一万一千に荷牛車は三万六千から六万八千に荷馬車は四百から二千二百に増加して居る自動車の如きは全く無かったのが今日は九十余台の自動車が数十箇所四百里の運転を営業して居る此の非常なる車輛の増加は即ち運賃の低下輸送の迅速を証明するもので従て物価も各地方を通じて自然に平均し需要供給の関係も円滑になり一般取引の敏活、産業の発展に資する所甚大なるは言う迄もない所である。

ttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00095077&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00095077


ちなみに、雷神丸さまの展開している論理は「悪魔の証明」の一つですね。日帝としては国として行わなければならないことをしただけで、雷神丸さまのおっしゃる「当時の朝鮮人の一般大衆の大多数がそういう要望を持っていたというアンケートの結果なり意識調査の結果」などは少なくとも私は知りません。おそらくそのような調査も実施されていないのではないかと思われます。逆に、このようなインフラ整備が必要なかったならば、それについての反対運動があったことを提示するべきではないかと思いますがいかがですか?
1919年に独立運動を起こしているぐらいですから、日帝が「朝鮮人のためではなく」、「収奪」のためにインフラ整備をしているんだったら、それらのインフラ整備反対運動(あくまでここではインフラに限定)ぐらい起きているのではないですか?
是非それらをご提示ください。(『抗日義兵抗争』だけでは、どんなことをやっていたのかわからないですから)

あと、他の方々にもお願いしている「収奪」の例も出来れば提示をお願いいたします。



>「一言いえば」さん
お味方を得たようで心強いです。冷静に論理的に話し合おうと思っているんですが、なかなか通じませんね・・
Posted by Prado at 2007年03月21日 22:37
偏将軍K5
>と、なると・・・日本の民衆はGHQの支配を戦前から望んでいたことになりますなぁw

一言で言えば

「併合前から朝鮮人は日本人によるインフラを望んでいた」て一言も言っていないけど。

>だって戦後GHQが日本に来て占領しても当時の日本人は反対しなかったからw

戦後GHQに都合の悪い内容や事件、戦争犯罪、虐殺は過去に遡って国民には事前検問によって歩道や伝聞などで伝える事を日本とアメリカとの国家間で結んだ条約に違反しているにもかかわらずGHQは弾圧していました。個人の手紙から電報にいたるまで。

>まっ、この「一言言えば」君の論理に従えばの話だけどねw

GHQと日韓併合が同じであるという証拠がない限り偏将軍K5の主張は支離滅裂
Posted by 一言いえば at 2007年03月22日 13:02
>何言ってんだ、お前?併合前に当時の朝鮮の一般民衆が『抗日義兵抗争』を行ったのを知らんのか?朝鮮全土・全階層に広がる『抗争』という『大反対』をしたのに、(笑)をつけて「反対しなかった」だと?ふざけるのもいい加減にしろ!

併合した後のインフラ整備のことであって併合前の『抗争』、『大反対』は無関係(爆笑)

>原子力発電所建設、空港建設、産業廃棄物処理場建設、在日米軍基地建設等々、現在の日本で地域住民の反対を無視して勝手に行われた行政執行がどれだけあると思ってんだ?「反対しなかったから事が進んだ」って?笑わせんな!

当時の朝鮮人がインフラ設備に反対したという証拠は?

>大体「インフラ整備を利用していた」と、ほざいているが、どんなに嫌でも、その後もそこで生きていく以上は使わないわけにはいかないだろうがよ!いくら頼んでないのに勝手に作り変えられた道路でも生きていく以上は道を歩かないわけにはいかないだろうが!家だって頼んでないのに作り変えられて嫌だったとしても自分の家である以上出て行くわけにもいかないし、トイレだって頼んでないのに勝手に作り変えられて、もの凄く嫌だったとしてもトイレを使わないわけにはいかないだろうが!そんなこともわかんないのかよ?

嫌だったら遣わなければいいだけの話。作った後にそれが嫌なら改善、建て直しの要求がなければ「反対」したことにならない。今も昔も。

>家だって頼んでないのに作り変えられて嫌だったとしても自分の家である以上出て行くわけにもいかないし、

自分の家は自分の所有物。立て直すには本人が立て直そうとしなければ無理。当時の朝鮮人がインフラ設備に反対した証拠は?

>トイレだって頼んでないのに勝手に作り変えられて、もの凄く嫌だったとしてもトイレを使わないわけにはいかないだろうが!

嫌なら望みどおりのものを作るように要求しなければ無理。今も昔も。当時の朝鮮人が日本のインフラ設備に反対した証拠は?

>じゃあ、じゃあ、企業が作る工場の設備は100%その企業の利益の為だから下請け業者や外部の搬入業者は工場の設備は一切使用禁止にされ廊下や敷地内の道すら歩けないはずだが?
あのな、朝鮮人への使用を禁止するのは、言ってみれば工場の設備や機械を工員に使わせないようなもので、そうなったら「日本人の為」にもなんにもならないだろうが!そういうこともわかんないのか?いい加減にしろよ!

朝鮮人を追い出せばいいだけ。インフラ設備された地域は日本人だけで独占すればいいし、もし、朝鮮人を除外して日本人のためだけに行ったとすれば日本人が住む地域のみ、インフラ整備を行い、朝鮮人への使用を禁じていればそこの施設や地域からは朝鮮人は追い出せばいいだけのこと。でもしなかった。

よって

「朝鮮人がインフラ整備を反対しない」
       ↓
「朝鮮人がインフラ整備した後の施設を利用した」
       ↓
「朝鮮人の利用は許されていた」
       ↓
「当時の朝鮮人がそういう要望を持っていた」
       ↓
「日本の朝鮮でのインフラ整備は朝鮮人のために行った」
       ↓
「日本は朝鮮人の為に力を注ぎ、朝鮮のためになった」

の反論になっていない。証拠を持ってこなければ。わかったかな?
Posted by 一言いえば at 2007年03月22日 13:38
ごめん 

「歩道」は「報道」の間違い。訂正します
Posted by 一言いえば at 2007年03月22日 13:41
結局、収奪の事例は誰も出せずじまいですか?
Posted by Prado at 2007年03月28日 18:37
>結局、収奪の事例は誰も出せずじまいですか?

そのようで

現在は

収奪の事例は誰も出せずじまい
      ↓
日本による「収奪」否定論者のチェックメイト

といったところ
Posted by 一言いえば at 2007年03月29日 11:35
レスが遅くなってすいません。


> それと、「朝鮮人一人当たりの米消費量は増減があるものの、
> 1912年の0.7724石を越えるデータはない。」はおかしくないですか?

この記事で紹介したデータの中だけの話です。

>> それは江戸時代以前の日本の貧しい農民、庶民も同じではないでしょうか。
>> 白米のご飯を食べられることなど滅多になく、麦、稗、粟などを食べていたらしいですね。

> そうですね。米は年貢で納めて自分たちは粗食に甘んじる場合が
> おうおうにしてあったらしいです。
> が、これは単なる話題そらしでしょう。過去の日本を問うている
> わけではございません。日本併合時の朝鮮のお話をさせて
> いただいております。

かつては日本人も朝鮮人も庶民は白米など滅多に口にできなかったことは同じです。
それでも日本では明治維新以降、食生活が徐々に豊かになる傾向にあったと思います。
しかし、データを示したように併合後の一人当たり消費量は、日本が多い。
つまり朝鮮半島では、日本本土ほどには食生活が豊かになっていなかったようですね。

> 日本の一人当たり消費量と比較するのであれば、年齢ピラミッドが
> 違うわけですから、

日本でも人口は増えていましたが?
それに、思い出してみると私は中学高校どころか小学校高学年のころだってかなり食べてましたよ。
どちらかというと虚弱児だったのですが。
少なくとも同居していた祖父よりは大食いでした。

> また、前にも書き込みましたが、朝鮮人はおもに粟を食べる民族です。

貧しいので米を食べられなかっただけではないですか?
外国人がそれを観察すれば、「米は食わないんだな」と思うこともあるでしょう。

> それが稲作をしたのは、日本に輸出し現金を得るためです。

ではなぜ併合の2年後の1912年に1157万8千石、その翌年には1413万石の収穫があったのでしょうか?

> また、米を売って得た現金で粟、稗等の雑穀を手に入れて腹を
> 満たしていても、それは当時の感覚では受け入れるしかない現実
> だったのではないかと思います。

本当なら自分たちで食べたいでしょうね。そういう貧しい生活という現実があったのでしょう。

> また、日本企業が外地で現地人を雇用して賃金を払う場合も
> 同じことですよね。日本と同じ賃金を払ったら、とんでもない
> ことになります。

同じ職業でかなり差がありますよね。
たとえば私がツルハシ一本担いでアジアのどこかの国に出稼ぎに行ったとしても、
現地人と倍近く稼げるということは絶対にないでしょう。
現地人の水準すらも無理でしょう(笑)

Posted by 鷹嘴 at 2007年04月02日 23:10
>かつては日本人も朝鮮人も庶民は白米など滅多に口にできなかったことは同じです。

白米そのものが国の食文化として普及していないのでは?

白米が普及した国では共通して存在する米を使った発酵食品、がないのはなぜ?

そのかわりに米ではなく、粟(あわ)を使ったシッケ(シッヘ)が存在している。

発酵食品にいたるまで米を使用しないの。

どんなに庶民への収奪をしても食文化として米が普及していればどんな国だって米を使った熟れずしくらい存在している。

>日本でも人口は増えていましたが?

人口増加の比率が違う。

朝鮮半島の方が高い比率で人口増加している。

人口増加率が違えば年来ピラミッドも違う。

幼年人口が日本より高くなってしまう。

>>人口の急激な増加に伴い少食の幼年人口の割合が
>>大幅に増加していくわけですから、朝鮮人一人当りの米消費量が
>>減少するように見えても仕方ないと思います。

というのは正論になる。

>それに、思い出してみると私は中学高校どころか小学校高学年のころだって

それ幼年じゃない。

>貧しいので米を食べられなかっただけではないですか?


国の食文化として米が普及していないだけ。

米を使ったなれずしの存在の有無でも明確。

>ではなぜ併合の2年後の1912年に1157万8千石、その翌年には1413万石の収穫があったのでしょうか?

日本に米を輸出して儲けられるという新たな商法が生まれたから。

>>また、米を売って得た現金で粟、稗等の雑穀を手に入れて腹を
>>満たしていても、それは当時の感覚では受け入れるしかない現実
>>だったのではないかと思います。
>>(当時の日本の東北地方の貧農でも同じような状況があったみたい
ですしね)
>>朝鮮人の場合、元来が粟を食べる民族ですから、そういったことには
>>あんまり抵抗がないように考えられますけれども。

人は儲ける確率が高い商売が見つかればその商売は繁盛する。いつの時代でも。

>本当なら自分たちで食べたいでしょうね。そういう貧しい生活という現実があったのでしょう。

それ、反論になっていない。そういう事実が阿多としてもそれは朝鮮人地主のせい。

>>ついでに追加

京城日報 1928.7.3(昭和3) 有賀光豊談:朝鮮殖産銀行頭取

朝鮮における地主対小作人関係を見るにこれは内地と余程おもむきをことにしているようだそれは従来の慣例にもよるであろうが、舎音即ち土地管理人に一切を委任して地主はただその収穫の多きを望んでいる昔風の殿様生活をしている結果、小作人の耕作権を徹底的に左右しうる権能を有し、その間種々悪辣なる行為に出でていることは、一たび地方に行けば耳も□する許りに聞かされるのである。その実例の一つとして、地主の当然負担すべき公課を小作人から徴収し、或は地主の負担すべき運搬費を小作人に課し、甚だしきは封建時代の悪風たる無償の労力提供強制が、しかも一年の農繁期に三回も行われているということである。一ヶ年の収入僅に百円乃至二百円内外の小作人に対するこの強制は、実に時代を無視した暴圧行為といわざるを得ない。

わが輩の眼から見れば、朝鮮の地主はあまり暴虐である、小作人に対する同情よりも寧ろ義憤を発せざるを得ない。しかも地主舎音は、小作人にしてこの命令を肯かない場合は遠慮なく田畑を取上げてしまう。前年肥料を入れておいた水田を何等の顧慮もなく取上げてしまう。だから小作人の耕作人の耕作期間は僅かに二年乃至三年、□々として同一地主の小作人は変ってゆく。そして取上げられた小作人は、明日から生活のアテがないから更に暴虐なる地主にも叩頭して耕作せざるを得なくなる、かくして小作人は常に虐げられてゆく、これは実に由々しき社会問題であるのみならず、産業開発を阻止する大問題であらねばならぬ。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00487333&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00487333

>>うわ、ひどいですね。朝鮮人地主 w


>同じ職業でかなり差がありますよね。

その分、朝鮮人の税金は日本人の1/6以下だった。

>>で、朝鮮人の日給は内地人の大体半額前後ですが、支払っている
税金は1/6以下なんですね。これはどう説明してくれるのでしょう?
Posted by 一言言えば at 2007年04月03日 11:25
ごめん

阿多 は あった と入力しようとして違えたもの。

こちらの確認ミス。本当にごめん。
Posted by 一言言えば at 2007年04月03日 11:28
管理人様、レスありがとうございます。

一言言えば さんがフォローしてくれているみたいなので、私は以下の点を・・


管理人様は、朝鮮人の米の消費量が日本人を下回ること、および、このページの資料にある1920年代後半〜1930年代前半の朝鮮農村のひどい有様を指して、日帝の統治はひどいものだったとしたいようですが、以前の私の書き込みの中で、苛烈な小作料の取立てを行ったのはほとんど朝鮮人地主だったことを指摘させていただいております。
 
であるならば、まずその朝鮮地主の存在を述べた上で、それらの小作料率の是正がうまく出来なかった朝鮮総督府を批判するのが筋ではないでしょうか?

現在の資料の提示では、『日本が直接、朝鮮人農民から小作料をふんだくってる』としか思えません。ですが実態は違います。同胞を犠牲にしてまで、一部の朝鮮人が私服を肥やすためにおこなったことがあのような悲劇を引き起こしているわけです。

また、この飢餓については人口問題も切り離せません。蒸し返すようですが、耕作地面積が併合期間中に大して増えていないにもかかわらず人口は倍増しています。ということは併合当初の収穫量のままでいたなら一人当たりの食物の消費量は半分になる計算です。それを灌漑設備の充実や、近代的な農業技術の導入でなんとか増やしていっているわけです。
それだけのことを日帝はやっていたのに、それを上回るスピードで産んで増やしてしまったのは朝鮮人自身です。後先考えず子供を増やして、十分に食べさせてあげられないのは日帝のせい! と言われても・・・  と思うんですが?


>同じ職業でかなり差がありますよね。
>たとえば私がツルハシ一本担いでアジアのどこかの国に出稼ぎに行ったとしても、
>現地人と倍近く稼げるということは絶対にないでしょう。
>現地人の水準すらも無理でしょう(笑)

そうでしょうね。これは管理人殿に限らず私でもそうでしょう。
通常、人を雇う場合、仕事の依頼主と同じ言葉で話すことが出来、意思疎通に不自由なく、仕事をこなす能力を持ち、それを完璧に実行してくれる人間のほうが雇用関係を結ぶ上で都合がいいのは自明の理です。当然そういう人間のほうが給料が高くなるのも当たり前です。
であるならば、依頼主が日本人の場合は当然日本人に支払う給料は高くするでしょうし、当然雇用される側もそれなりの金額を要求することにもなるでしょう。
内地人と朝鮮人の差が倍になるのは妥当かどうかはわかりませんけどね。


以前、私が提示しておりますように(上で一言言えばさんも引用してくださってます)、税金面では朝鮮人がかなり優遇されております。この点については管理人様はいかがお考えでしょうか? 普通、植民地からの収奪・搾取などという場合、重税を課すことによって搾り取るものなんですが、なぜか日帝はそうしていないみたいです。
Posted by Prado at 2007年04月03日 19:21

> 一言言えば さんがフォローしてくれているみたいなので、私は以下の点を・・

残念ながらフォローになってませんね。

> 白米そのものが国の食文化として普及していないのでは?

推測で語られても困ります。

> 白米が普及した国では共通して存在する米を使った発酵食品、がないのはなぜ?

さあ?分かりません。それがどうかしましたか?

>>> それが稲作をしたのは、日本に輸出し現金を得るためです。

>> ではなぜ併合の2年後の1912年に1157万8千石、その翌年には1413万石の収穫があったのでしょうか?

> 日本に米を輸出して儲けられるという新たな商法が生まれたから。

ということは、朝鮮半島では併合前には稲作は行われていなかったのでしょうか?
だとしたら、李朝は農民に何を納めさせていたのでしょうか?「科田法」の「田」とは何を意味するのでしょうか?
朝鮮半島で稲作が行われていなかったとしたら、日本列島でも稲作が行われることは無かったでしょう(笑) もちろん朝鮮半島以外から伝来したという説もありますがね。

> 人口増加率が違えば年来ピラミッドも違う。

> 幼年人口が日本より高くなってしまう。

人口が増加していたのですから「幼年人口」だけでなく、食べ盛りの年代も増えていたはずです。それに20代、30代の人口も、40代、50代より多かったはずです。普通に考えれば若い世代の方が食欲旺盛でしょう。もっとも不惑を過ぎても大食いが直らない私のような例外も存在しますが(笑)

> その分、朝鮮人の税金は日本人の1/6以下だった。

収入は半分ですから(笑)

> 管理人様は、朝鮮人の米の消費量が日本人を下回ること、および、このページの資料にある1920年代後半〜1930年代前半の朝鮮農村のひどい有様を指して、日帝の統治はひどいものだったとしたいようですが、以前の私の書き込みの中で、苛烈な小作料の取立てを行ったのはほとんど朝鮮人地主だったことを指摘させていただいております。
 
> であるならば、まずその朝鮮地主の存在を述べた上で、それらの小作料率の是正がうまく出来なかった朝鮮総督府を批判するのが筋ではないでしょうか?

そうですね。
小作農から搾取する地主が増えたのは朝鮮総督府の無為無策であり、朝鮮総督府とは大日本帝国の朝鮮に於ける出先機関ですから、
朝鮮の農民が貧困から脱することができなかったのは、日本が原因と言えるでしょうね。

> 現在の資料の提示では、『日本が直接、朝鮮人農民から小作料をふんだくってる』としか思えません。ですが実態は違います。同胞を犠牲にしてまで、一部の朝鮮人が私服を肥やすためにおこなったことがあのような悲劇を引き起こしているわけです。

それは朝鮮総督府が・・・つまり日本が原因です。

> それだけのことを日帝はやっていたのに、それを上回るスピードで産んで増やしてしまったのは朝鮮人自身です。後先考えず子供を増やして、十分に食べさせてあげられないのは日帝のせい! と言われても・・・  と思うんですが?

ならば、適正に食糧が分配されるために、小作農の増加+地主の肥大化に手を打てばよかったではありませんか?これも朝鮮総督府の失政であり、すなわち日本が原因です。

> 以前、私が提示しておりますように(上で一言言えばさんも引用してくださってます)、税金面では朝鮮人がかなり優遇されております。この点については管理人様はいかがお考えでしょうか? 普通、植民地からの収奪・搾取などという場合、重税を課すことによって搾り取るものなんですが、なぜか日帝はそうしていないみたいです。

当時の税率を提示していただかなくては何とも言えません。税額は所得額によって決まるのではないでしょうか?ちなみに私の連れ合いはパートをすぐ辞めてしまうため、昨年度の所得はゼロ。当然非課税です(笑)
だいたいこの記事で示したように、税金を支払うどころか小作料や借金で首が回らず、自分が食べる分も確保しきれない貧しい庶民が多かったのです。
Posted by 鷹嘴 at 2007年04月04日 16:38
管理人様

>人口が増加していたのですから「幼年人口」だけでなく、食べ盛りの年代も増えていたはずです。
>それに20代、30代の人口も、40代、50代より多かったはずです。普通に考えれば若い世代の方が
>食欲旺盛でしょう。もっとも不惑を過ぎても大食いが直らない私のような例外も存在しますが(笑)


人口ピラミッドを図示しないとわかりませんかね? 人口増加傾向にある地域では、通常下記のように若年人口が多い割合になるのはご理解いただけると思います。
このうち、管理人様がおっしゃる食欲旺盛な時期の10代の足りない食料を小食の幼年世代から、20代の足りない食料を50代以上から融通すると考え平均的にならしたとすると、幼年人口が多い分、その部分は幼年者人口として計算できることになりますよね。

70代 ■
60代 ■■
50代 ■■■■
40代 ■■■■■■
30代 ■■■■■■■■
20代 ■■■■■■■■■■
10代 ■■■■■■■■■■■■
幼年 ■■■■■■■■■■■■■■■
               ↑↑↑
      この部分は、小食の幼年人口として計算できることになる。


>収入は半分ですから(笑)

なぜ、収入が半分になるか、前回の書き込みで説明したつもりでしたが、わかっていただけませんでしたか?
以前の書き込みでも書いてきましたし、私以前のここに訪れた方もたびたび指摘していますけど、技術的なレベルというものを無視してどうするんです? 1時間に10の仕事をこなせる人間と、5の仕事しかこなせない人間に同じ給料を支払ったならば、それは「逆」差別でしょうね。


>そうですね。
>小作農から搾取する地主が増えたのは朝鮮総督府の無為無策であり、朝鮮総督府とは
>大日本帝国の朝鮮に於ける出先機関ですから、朝鮮の農民が貧困から脱することが
>できなかったのは、日本が原因と言えるでしょうね。

あのぅ、朝鮮の農民が困窮しているのは日帝が併合するずっと前からですよ?
ということは、朝鮮の農民が困窮から脱することが出来なかったのは「李朝」もしくは「大韓帝国」が原因 と置き換えることも可能ですね。
李朝・大韓帝国の治世下、朝鮮の農村が疲弊していたため、その後を引き継いだ日帝は重税を課することも出来ず四苦八苦していたわけですし。(こんなことを書くと、「頼んでもいないことをするからだ」とおっしゃる方が出てきそうですが)

それと、管理人様は朝鮮人自身の過ちには一切目をつむるわけですか? 普通に考えたならば、出来た作物の5-7割を小作料として取り上げてしまう地主が、自分の意に沿わないから小作人を勝手にやめさせる地主が、圧倒的に悪者ではないのですか?
それが普通の日本人の感覚だと思いますし、実際に似たような境遇にあった日本の小作農たちは各地で地主と「小作争議」を起こしていますよ。

>それは朝鮮総督府が・・・つまり日本が原因です。

この言葉で管理人様の本質が見えたような気がします。『一部の朝鮮人が私服を肥やすためにおこなったことがあのような悲劇を引き起こしている』ことが、どうして朝鮮総督府のせいに転嫁できるのか理由をお聞かせください。

そもそも、各種文献や土地調査事業の結果、併合当初から一部の地主が耕地の半分以上を独占する状態にあったのはわかっている事であり、それは李朝の頃からの社会構造だったと推測できます(李朝の頃は大地主が両班だっただけの違い)。農業以外の近代産業が発達していなかった朝鮮では、地主に搾取されても土地にしがみついて生きていくしか方法がありませんでした。そんな中、人口が増加すればますます困窮するのは目に見えています。

それが、管理人さんに言わせれば「日帝のせい」らしいですが、私にはそんな社会体制を李朝時代から改革しようとしなかった朝鮮人自分自身の所為としか思えません。


>ならば、適正に食糧が分配されるために、小作農の増加+地主の肥大化に手を
>打てばよかったではありませんか?これも朝鮮総督府の失政であり、すなわち日本が原因です。

小作農の増加について、人口が増加しているにもかかわらず、耕作地の増加が見込めない以上は農村にいても余剰人口となるだけです。その解決のためには明治期の日本がそうであったように、国のシステムを農業主体から工業主体にシフトしていく必要があります。例えば日本の八幡製鉄所は1901年に操業を開始しましたが、この年は明治34年に当たります。維新の世から34年も経過しているわけです。それぐらい時間がかかるものだということを理解しておかないといけないでしょう。で、実際にその工業化を朝鮮総督府は行おうとしていましたが、戦争に負けてしまったために途中で終わってしまったわけです。
地主の肥大化については、曲がりなりにも法治国家ですから、地主の土地を勝手に取り上げたり、土地の取得を制限したりすることは出来ませんよね? 管理人様は国家権力の不当な介入を嫌うお方のようですから、もちろんそんなことを希望したりもしないでしょうが。


>当時の税率を提示していただかなくては何とも言えません。税額は所得額によって決まるのではないでしょうか?

当時の植民地などに適用されていた人頭税とは、所得が無くてもそこに住んでいるだけで課税される税金です。所得額によって変動するものではありません。ですから、病人や貧民にはとても負担になるものですが、日本はこれを行わなかったのです。
これだけとっても税金による搾取というのは無いと考えることが出来ると思いますが?

>だいたいこの記事で示したように、税金を支払うどころか小作料や借金で首が回らず、自分が食べる分も
>確保しきれない貧しい庶民が多かったのです。

何度でも言いますが、小作料や借金で首が回らないのは日帝のせいではありませんよ。悪辣な朝鮮人地主のせいです。
Posted by Prado at 2007年04月05日 01:08
ちょっとうまく表現できてないかもしれない。

幼年 ■■■■■■■■■■■■■■■
                   ↑↑↑

 矢印は幼年人口の右端の3つの■をさしています。プロポーショナルフォントだとずれて表示されてしまうので、補足説明させてもらいます。
Posted by Prado at 2007年04月05日 01:16
>>白米が普及した国では共通して存在する米を使った発酵食品、がないのはなぜ?
そのかわりに米ではなく、粟(あわ)を使ったシッケ(シッヘ)が存在している。

>推測で語られても困ります。

>>なんで発酵食品にいたるまで米を使用しないの?

>さあ?分かりません。それがどうかしましたか?

説明が長くなる。

米が食文化として定着した国では必ず米を使った発酵食品が存在するから。

現在に至るも朝鮮半島ではこういった料理がなく、変わりに粟が使われている。

米よりも粟が食文化として定着していた証拠。

>李朝は農民に何を納めさせていたのでしょうか?

収めても金にならないし儲からない。

李朝時代はいくら耕しても収穫を上げても搾り取られるだけ取られて儲からない。

でも日本に輸出したら金になるし儲かった。

だから急に収穫が増えた。

それに「栽培していた」=「食文化として普及していた」にならない。

例1・韓国と日本での唐辛子とにんにくの使用量

>人口が増加していたのですから「幼年人口」だけでなく、食べ盛りの年代も増えていたはずです。それに20代、30代の人口も、40代、50代より多かったはずです。普通に考えれば若い世代の方が食欲旺盛でしょう。

幼年人口が一番多いことに変わりはなく20代、30代の人口、10代の人口よりも多いことに変わりはない。

>収入は半分ですから(笑)

仕事における能力は半分であり、その分納める税金も1/6以下であることに変わりはない。

>それは朝鮮総督府が・・・つまり日本が原因です。

併合前から朝鮮人地主が実行ていた上に挑戦地主が実行者であり、日本や朝鮮総督府が実行者でもなければそのようなことを実行してもいない、なのになぜ?

>だいたいこの記事で示したように、税金を支払うどころか小作料や借金で首が回らず、自分が食べる分も
>確保しきれない貧しい庶民が多かったのです。

ならば人口、特に幼年人口が急速に増えたのはなぜ?

普通ならば幼年人口は急速に増えない上に小作料や借金で首が回らず、自分が食べる分も確保しきれない貧しい庶民が多ければ人口も増えない。
Posted by 一言言えば at 2007年04月05日 13:16
何回も何回も間違いを起こして本当に申し訳ない。これからは本当に気をつける

挑戦 と 朝鮮 を書き間違えてしまった。

お詫びとして補足しておく。

>データを示したように併合後の一人当たり消費量は、日本が多い。

>つまり朝鮮半島では、日本本土ほどには食生活が豊かになっていなかったようですね。

>貧しいので米を食べられなかっただけではないですか?
外国人がそれを観察すれば、「米は食わないんだな」と思うこともあるでしょう。

朝鮮では食文化として米が普及していなかっただけという証拠

韓国料理 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%96%99%E7%90%86

米食を中心にしてきたように考えられることが多いが、朝鮮半島で伝統的に稲作が行われていた地域は南部〜南西部のごく一部にかぎられており、食文化的には小麦や蕎麦、高粱、又トウガラシ同様近世になって新大陸から導入されたトウモロコシといった畑作で得られる穀物を主食素材としてきた地域が多い。

これを見る限り当時でも米の消費量が日本より少ないのは当然といえば当然なのでは。

むしろ、米の消費量を日本が朝鮮で無理やり増やさせたら朝鮮の伝統食文化の破壊になるのでは。
Posted by 一言言えば at 2007年04月05日 13:35

> 米食を中心にしてきたように考えられることが多いが、朝鮮半島で伝統的に稲作が行われていた地域は南部〜南西部のごく一部にかぎられており、食文化的には小麦や蕎麦、高粱、又トウガラシ同様近世になって新大陸から導入されたトウモロコシといった畑作で得られる穀物を主食素材としてきた地域が多い。

朝鮮での稲作については今後調べてみることにします。
しかし、「ごく一部にかぎられて」いた時代は、少なくとも日韓併合より何十年も前でしょうね。
Posted by 鷹嘴 at 2007年04月06日 12:54
> 人口増加傾向にある地域では、

何度も言いますが、日本本土でも人口が増えていました。

岩波ブックレット552「日本の植民地支配 肯定・賛美論を検証する」のP-31によりますと、
1910年の朝鮮人の人口は1313万人、日本人の人口は4818万人。
1940年だと、朝鮮人2295万人、日本人7193万人。
朝鮮人の人口は1.74倍に増えましたが、日本人の人口も1.49倍に増えました。
しかし朝鮮人一人当たりの米消費量は、年代によっては日本の半分以下になっているんです。
それに、繰り返しますがこのブログに提示したデータの中では、
1912年の一人当たり0.7724石を超える数値はないのです。

> 技術的なレベルというものを無視してどうするんです? 
> 1時間に10の仕事をこなせる人間と、5の仕事しかこなせない人間に同じ給料を支払ったならば、それは「逆」差別でしょうね。

それでは、「左官」「石工」「木挽」などの技能職において、
朝鮮人の職人の技能が日本人の約3分の2程度であったことを、資料に基づいて示してください。

「平人足」「土方」「下男」「下女」などの職業において、
朝鮮人労働者の生産性が日本人の約半分であったことを、資料に基づいて示してください。

> ということは、朝鮮の農民が困窮から脱することが出来なかったのは「李朝」もしくは「大韓帝国」が原因 と置き換えることも可能ですね。

併合後の話をしているんですが?なぜ併合後の朝鮮人の生活に、滅亡した「李朝もしくは大韓帝国」が関係しているんですか?

そもそも、朝鮮総督府に原因があると先に言ったのはあなたですけど?

> それと、管理人様は朝鮮人自身の過ちには一切目をつむるわけですか? 

朝鮮人の過ちと仰いますけど、当時の朝鮮人は国際的には日本国民でしたが?

> 普通に考えたならば、出来た作物の5-7割を小作料として取り上げてしまう地主が、自分の意に沿わないから小作人を勝手にやめさせる地主が、圧倒的に悪者ではないのですか?

もちろんそのような地主を正当化できませんが、そもそも朝鮮半島の内政は支配していた日本の責任です。

> 『一部の朝鮮人が私服を肥やすためにおこなったことがあのような悲劇を引き起こしている』ことが、どうして朝鮮総督府のせいに転嫁できるのか理由をお聞かせください。

朝鮮総督府に原因があると先に言ったのはあなたですけど?

> 地主の肥大化については、曲がりなりにも法治国家ですから、地主の土地を勝手に取り上げたり、土地の取得を制限したりすることは出来ませんよね? 

では地主には責任が無いというのですか?地主が悪いと言い出したのはあなたですけど?

> 何度でも言いますが、小作料や借金で首が回らないのは日帝のせいではありませんよ。悪辣な朝鮮人地主のせいです。

「曲がりなりにも法治国家ですから、地主の土地を勝手に取り上げたり、土地の取得を制限したりすることは出来」ないんですよね?


何度でも言いますが、そういう社会現象をもたらしておいて有効な手段を打たなかった日本に責任があります。
まともに治めることができないのに、朝鮮から撤退しようとしなかった日本に責任があります。

あなたの理屈は、「満州国には満州民族の官吏もいた。皇帝は清帝国の遺児だった。だから満州国の民衆が苦しんだのは、満州民族の責任だ」と主張しているようなものです。
「アフリカでは奴隷狩りの手引きをした現地人もいた。だからアフリカ人も悪い」と言っているようなものです。

もちろん侵略者の手先となった現時人の罪も問われなくてはなりません。しかしそもそもの原因を作ったのは侵略者です。
侵略者が、自分に協力した現地人に責任転嫁するなど、もってのほかです。
金正日が「日本人拉致にはよど号の犯人グループも関与していた。だから日本人も悪い」と言うようなものです。

それと、

> それだけのことを日帝はやっていたのに、それを上回るスピードで産んで増やしてしまったのは朝鮮人自身です。後先考えず子供を増やして、十分に食べさせてあげられないのは日帝のせい! と言われても・・・  と思うんですが?

子供を作ることが何で悪いんでしょうか?「天皇陛下の赤子」を増やすことが何で悪いんですか?「産めよ増やせよ」の時代ではないですか?
人口が増えて生産性も向上したはずです。

Posted by 鷹嘴 at 2007年04月06日 12:55
>朝鮮での稲作については今後調べてみることにします。
>しかし、「ごく一部にかぎられて」いた時代は、少なくとも日韓併合より何十年も前でしょうね。

推測だけで語られても困る。

全国各地で米が生産されていれば米を使った発酵食品のなれずしが存在している。

しかし、米を使ったなれせず、変わりに粟を使ったなれずしが存在する。

この記事同様、粟や米以外のそのほかの穀物がいまだに食文化として定着していた証拠ではないか。

>>>当時の新聞もこんなことを書いています。

満州日日新聞 1919.10.10 (大正8)より抜粋

我欽定憲法を直に植民地に実行せんとするが如き論者に向っては、遺憾ながら
未だ賛成を表する能わず。勿論歴史を異にする新附の民と雖も同じくこれ帝国の
臣民なり、一視同仁の我施政に於て日本国民たるに何等の差別あらざるが、
此間法律制度は自ら同一なるを得ず、畢竟特殊の土地には特殊の施政を要する
次第なりされば朝鮮には制令あり台湾には律令あり、日比谷原頭之を憲法上の
問題として、撤廃を叫ぶの士あれども、一度植民地の実際を知るに於ては、
其直に撤廃し難きのみならず、寧ろ必要にして有効の具たるを解すべし。
即ち内地と植民地とは之を同じく我領土として取扱うと雖も、自ら政治状態の
相異を免かれずして、法律制度決して同一ならず、要は実際に適切なる施政を
行わんこと、尚内地の教育が直に取って植民地に行い難きと同然なり。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00472359&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00472359

シッヘ

「シッヘ」のつけこみには、米ではなく、粟(あわ)を多く使います。主な材料(ざいりょう)は麦芽(ばくが)の粉、魚、大根の千切りなどの野菜(やさい)です。麦芽を入れるのは発酵促進のためですが、これは韓国だけに見られる特徴(とくちょう)です。1700年代に唐辛子(とうがらし)が日本からつ伝わると、唐辛子も入れられるようになりました。

http://www.kodomo-silkroad.net/denpa/food/sushi.html

米をまったく使わないなれずしが存在するのは朝鮮だけであり、米は日本が統治していた時代でも一部の地域の主食であったことが容易にわかる。

>朝鮮人の人口は1.74倍に増えましたが、日本人の人口も1.49倍に増えました

日本より高い増加率ではないか。

これは年平均の出産率が日本より高く、幼年人口が日本より増えていた証拠。

いくら10代,20代が増えても増加率が低下しなければ幼年人口の増加は止まらない。

Posted by 一言言えば at 2007年04月06日 15:36
>朝鮮人の職人の技能が日本人の約3分の2程度であったことを、資料に基づいて示してください。

それ以下だと思う。

例1.「悲劇の朝鮮」アーソン・グレブスト 1912年

朝鮮の学者(両班)は、誰かうるさい人の目に労働と映りうることなら、できる限りそれから遠ざかろうとします。衣服を自分の手で着てはいけないし、タバコの火も自分で点けてはいけません。そばに手伝ってくれる者がいない場合は別にして馬の鞍に自力でのぼるべきでなく、また荒馬から落ちたとしても、誰かがやってきて抱き起こすまでは地面にそのまま倒れていなければならないのです。両班は個人的な商売はやらないのですが、その訳は商売というものがまさに労働であり礼に反するからです。

例2.「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年

両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥とはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。両班は自分ではなにも持たない。自分のキセルすらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。

例3.「朝鮮事情」 シャルル・ダレ 1874年

ほとんどの者は、他に生活の方法を知らない。彼らは、商業や農業、あるいはなんらかの手工業によって真面目に生活の糧を稼ぐには、あまりにも高慢であり、貧窮と奸計のなかで無為に世を送る。彼らはいつも借金で首がまわらず、何かちょっとした官職の一つも回ってこないかかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為を尽くし、それでもなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう。宣教師たちが知っていたある両班などは、3、4日に一度しか米にありつけず、厳冬に火の気もなく、ほとんど服も着ないで過ごしながらも、いかなる労働に従事することも最後まで拒絶し通したものであった。何かの労働に就けば、たしかに安楽な生活は保障されるであろうが、その代わり両班の身分を剥奪され官吏の地位につける資格を喪失するため、彼らは労働することを拒むのである。

http://mirror.jijisama.org/syokuminti1.htm より引用したものだけど。肉体労働を軽視した社会が長年続ければ自ずと職人の技能が低下するのは当然。

現在でもパラオの橋やソウルの各地における橋の崩落、デパート崩落、KTXの事故、欠落品、ペトロナスタワーでの安全性の欠如、2002年におけるすぐに炎上する地下鉄車両と上げたらきりがない。

>併合後の話をしているんですが?なぜ併合後の朝鮮人の生活に、滅亡した「李朝もしくは大韓帝国」が関係しているんですか?

その時の悪臭が根深く定着し、持続していたから。現在でもあるか。

>朝鮮人の過ちと仰いますけど、当時の朝鮮人は国際的には日本国民でしたが?

正確には日本国籍を持った朝鮮人。よって日本からきた日本人とは違う。習慣から使う言葉まで。

>もちろんそのような地主を正当化できませんが、そもそも朝鮮半島の内政は支配していた日本の責任です。

なぜ?やったのは日本政府や総督府ではなく、日本人なのに。

>>現在の資料の提示では、『日本が直接、朝鮮人農民から小作料をふんだくってる』としか思えません。ですが実態は違います。同胞を犠牲にしてまで、一部の朝鮮人が私服を肥やすためにおこなったことがあのような悲劇を引き起こしているわけです。

>>それだけのことを日帝はやっていたのに、それを上回るスピードで産んで増やしてしまったのは朝鮮人自身です。後先考えず子供を増やして、十分に食べさせてあげられないのは日帝のせい! と言われても・・・  と思うんですが?

>ならば、適正に食糧が分配されるために、小作農の増加+地主の肥大化に手を打てばよかったではありませんか?これも朝鮮総督府の失政であり、すなわち日本が原因です。
>それは朝鮮総督府が・・・つまり日本が原因です。
>朝鮮総督府に原因があると先に言ったのはあなたですけど?

どう考えてもいっているのは管理人本人。

>では地主には責任が無いというのですか?地主が悪いと言い出したのはあなたですけど?

責任がある=法を犯すような行為をしてよい ということではなし。法治国家であり、李朝は大韓帝国と違う。

だが、責任は朝鮮人自身にある。

>そういう社会現象をもたらしておいて有効な手段を打たなかった日本に責任があります。

違う、李朝と大韓帝国。李朝と大韓帝国がこのような悪習をもたらしておいて有効な手段を打たなかった。

>まともに治めることができないのに

生活するならば大韓帝国、李朝と日本統治時代、どっちがいい?

>子供を作ることが何で悪いんでしょうか?

将来の事情も考えずに無責任に生むのはいつの時代でも無責任。いまでも韓国ではそうやって大量の児童を海外へ養子として送り出している。

>あなたの理屈は、「満州国には満州民族の官吏もいた。皇帝は清帝国の遺児だった。だから満州国の民衆が苦しんだのは、満州民族の責任だ」と主張しているようなものです。

官吏、皇帝か、それに値する階級がが苦しめた日本による朝鮮統治時代という歴史事実はない

やったのは朝鮮人地主。国家機関に責任はない。

>「アフリカでは奴隷狩りの手引きをした現地人もいた。だからアフリカ人も悪い」と言っているようなものです。

日本政府や総督府が命令したという事実がない限り、上のは例えになっていない。

>もちろん侵略者の手先となった現時人の罪も問われなくてはなりません。しかしそもそもの原因を作ったのは侵略者です。

侵略者は朝鮮人地主のこと?

>侵略者が、自分に協力した現地人に責任転嫁するなど、もってのほかです。

総督府が地主の搾取に協力したという事実がない。

>金正日が「日本人拉致にはよど号の犯人グループも関与していた。だから日本人も悪い」と言うようなものです。

例えになっていない。犯人は日本人であれ朝鮮人であれ、実行者およびその協力者が悪いのはいつでも同じ。

日本統治時代の朝鮮人地主の搾取と日本総督府の働きの関係についての例えになっていない。
Posted by 一言言えば at 2007年04月06日 15:36
管理人さま

>何度も言いますが、日本本土でも人口が増えていました。

朝鮮人の米と雑穀の消費量
 ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=10&nid=1842570
 ※グラフ内の米と雑穀の値は入れ替わっているようです。

朝鮮人の雑穀消費量 
 ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=3&nid=1726692
 ↑これの元データ
 ttp://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/kyoukyu.html


一言いえばさんもおっしゃってますが、朝鮮人は米だけではなく他の穀物も食べていた民族です。
米の消費量だけで、朝鮮人はひどい生活を強いられていたと考えるのは短絡的です。
上記リンクには詳細な数字・グラフもありますから、確認してみてください。人口が急激に増えていたにもかかわらず、一人当たりの穀物消費量(米・雑穀含めて)がほぼ一定なのがわかります。
日帝が何の手も打っていなければ、急激に増える人口に対してそれをまかなえる食料が不足するわけですし、ましてや収奪なんてしていたらこういう数値は出てこないです。
これで米消費量による収奪論は潰えると思いますが?

>もちろんそのような地主を正当化できませんが、そもそも朝鮮半島の内政は支配していた日本の責任です。
>そもそも、朝鮮総督府に原因があると先に言ったのはあなたですけど?

私は『朝鮮総督府に原因がある』とは、一言もいっておりません。
『朝鮮地主の存在を述べた上で、それらの小作料率の是正がうまく出来なかった朝鮮総督府を批判するのが筋ではないでしょうか?』と書き込んでおります。
『そのような地主を正当化できません』とおっしゃるなら、まず苛烈な取立てを行ったのが朝鮮人地主によるものでこういう悲劇が起きた、と資料の提示を変えるべきではないのでしょうか。「農民困窮の一番の原因」は「同胞を省みない地主層」であるわけなのですから、その部分を一切触れずに朝鮮総督府にすべての罪をかぶせるのはおかしいでしょう、と申し上げているのです。

>朝鮮人の過ちと仰いますけど、当時の朝鮮人は国際的には日本国民でしたが?

都合の悪いときだけ日本人をもちだすとは・・・ まるで韓国人みたいですなぁ。
(「I'm Zapanese」もどきをこんなところで体験できるなんて思いませんでした)
ttp://www.youtube.com/watch?v=YD4yKYP7Tvs

その論理でいうなら、「当時の日本はひどい圧政だった、謝罪と賠償を・・」と朝鮮人がいうのは余計なお世話というもんですね。あくまで、日本の内政問題なんですから。管理人様が生来の日本人か帰化日本人で、朝鮮人がそんなことを言っているのを聞いたら「過去の日本のことに朝鮮人が口出すな」と叱り飛ばさないといけませんな。もっとも在日だというのなら話は別ですけど。


ここで、論点をはっきりさせたいと思いますが、

(1)朝鮮人農民の困窮は併合前の李朝や大韓帝国時代から続いているものである。
 ↓
(2)それは、両班が苛烈な取立てを行ったからである。
 ↓
(3)日帝の統治下においても、旧支配者層であった地主が苛烈な取立てを行っている。
 ↓
(4)農民の困窮は変わらず。
 ↓
 ↓ その結果の管理人様の意見
 ↓
>何度でも言いますが、そういう社会現象をもたらしておいて有効な手段を打たなかった日本に責任があります。
>まともに治めることができないのに、朝鮮から撤退しようとしなかった日本に責任があります。

日帝による併合期間は35年間です。それ以前の、朝鮮人自身が統治していた半万年(と称する)の歴史から比べればわずか0.7%の期間に過ぎないのです。他の列強各国でもそうですが、近世から近代には一足飛びに移行はできません。何度も申し上げておりますように、朝鮮併合時の半島の有様は日本の幕末期より酷い状態だったのは各種文献から判断できます。日帝の統治した期間が併合前までと同じような状況だったから「すべての責任は日本にある」とするのは余りにも理不尽な考えになりませんか?  
朝鮮人が半万年やっててできなかったことを、そのわずか0.7%の期間で完璧にしろということですから、無茶もいいとこでしょう。 敗戦のため途中で終わってしまった工業化計画とか、それまで300年ほどかかってる人口倍増(1666年 410万人 ⇒ 1906年 980万人)がたった35年でできちゃったこととか、評価しないのですか?
(食糧増産がなければ、人口倍増も望めませんから)

そういう長いスパンでの計画、また、日帝統治のトータル的な恩恵を考えずに、資料に提示してあるような一面的な負の部分だけで断じるのはいかがなものでしょう?

>一言いえば さん
ご助力ありがとうございます。
こういうやり取りには慣れてなくて・・
ホントに助かります。

Posted by Prado at 2007年04月06日 21:15
管理人へ

長文申し訳ない。

なんども繰り返し読み直しているのだが今回は重大な間違いを犯してしまった。

李朝は大韓帝国と違う。 → 李朝や大韓帝国と違う

その時の悪臭 → その時の悪習

しかし、米を使ったなれせず → しかし、米を使ったなれずしが存在せず

やったのは日本政府や総督府ではなく、日本人なのに。 → やったのは日本政府や総督府ではなく、朝鮮人なのに。

管理人や読者の皆様には何度も迷惑をかけて申し訳ない。
Posted by 一言言えば at 2007年04月07日 13:10
こんばんは。
・・・「一言言えば」さん・・・あなたの勉強不足を見かねて忠告させていただきます。
両班が怠けていたらどうだというんですか?いったい李朝の総人口の何%を占めていたとお思いですか・・・
だいたい技術系の学者は「中人」と呼ばれる者です。そもそも賎民出身の技師チャン=ヨンシルや医師ホ=ジュンが朝廷から高い官位を授けられていることをお忘れなく。(日本で、「えた」が幕府天文方や陰陽頭になれた例が何件ありますか?)
あと、両班の中にすらも「実学」という学問を身に着け活躍した人が続出し、その結果農業、工業で大きな進歩があったことは常識です。
あなたの投稿は人の努力をゼロとするレッテル張りが多すぎます。朝鮮人にはあなたが思っている以上に、懸命に努力して少しでも住みよい国を作ろうとしていた人が沢山いたし、外国が介入するなんて余計なお世話だったんですよ。自力でやり遂げられたんです。
明石書店から李朝に関する研究論文が数多く出ていますので、図書館でご覧になられてはいかがですか。それまではここにおいでになるのは延期なさることをお勧めいたします。
Posted by フナずし at 2007年04月09日 22:50
追伸

>一言いえばさんもおっしゃってますが、朝鮮人は米だけではなく他の穀物も食べていた民族です。

どこでも五十歩百歩でしょ!日本でも米に雑穀を混ぜて食べて飢えをしのぐ事例ぐらいいくらでもあるでしょう。
Posted by フナずし at 2007年04月09日 23:11
フナずし様

>どこでも五十歩百歩でしょ!日本でも米に雑穀を混ぜて
>食べて飢えをしのぐ事例ぐらいいくらでもあるでしょう。

今までの流れをよく読んでから発言してくださいませんか?
管理人様が提示している論理では「朝鮮人の米の消費量が減っている」のは食糧不足(日帝の収奪?)を表しており、日帝の統治は酷いものだったとしているわけです。それに対して、私が前回提示したのは、朝鮮人はもともと米が主食ではなく雑穀も食べており、日帝統治時代の一人当たりの穀物の消費量(米・雑穀合わせて)はほぼ一定であったというデータです。
つまり、単に日本と朝鮮の米の消費量だけを比較し、日本人のそれに比して朝鮮人の消費量が減っていったからと言って、朝鮮人が食糧危機に陥った=日帝の統治は酷かった の証拠にはなりませんよ? ということです。
Posted by Prado at 2007年04月10日 07:35
>両班が怠けていたらどうだというんですか?いったい李朝の総人口の何%を占めていたとお思いですか・・・

1900年代には総人口の65%

四方教授による大邱(テグ)の「戸口帳簿」を中心とした身分別人口分布の研究によるとこのこと

http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/kaikyu.html

>>>朝鮮人の職人の技能が日本人の約3分の2程度であったことを、資料に基づいて示してください。

>>それ以下だと思う。

例1.「悲劇の朝鮮」アーソン・グレブスト 1912年

朝鮮の学者(両班)は、誰かうるさい人の目に労働と映りうることなら、できる限りそれから遠ざかろうとします。衣服を自分の手で着てはいけないし、タバコの火も自分で点けてはいけません。そばに手伝ってくれる者がいない場合は別にして馬の鞍に自力でのぼるべきでなく、また荒馬から落ちたとしても、誰かがやってきて抱き起こすまでは地面にそのまま倒れていなければならないのです。両班は個人的な商売はやらないのですが、その訳は商売というものがまさに労働であり礼に反するからです。

例2.「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年

両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥とはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。両班は自分ではなにも持たない。自分のキセルすらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。

例3.「朝鮮事情」 シャルル・ダレ 1874年

ほとんどの者は、他に生活の方法を知らない。彼らは、商業や農業、あるいはなんらかの手工業によって真面目に生活の糧を稼ぐには、あまりにも高慢であり、貧窮と奸計のなかで無為に世を送る。彼らはいつも借金で首がまわらず、何かちょっとした官職の一つも回ってこないかかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為を尽くし、それでもなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう。宣教師たちが知っていたある両班などは、3、4日に一度しか米にありつけず、厳冬に火の気もなく、ほとんど服も着ないで過ごしながらも、いかなる労働に従事することも最後まで拒絶し通したものであった。何かの労働に就けば、たしかに安楽な生活は保障されるであろうが、その代わり両班の身分を剥奪され官吏の地位につける資格を喪失するため、彼らは労働することを拒むのである。

>>http://mirror.jijisama.org/syokuminti1.htm より引用したものだけど。肉体労働を軽視した社会が長年続ければ自ずと職人の技能が低下するのは当然。

>>現在でもパラオの橋やソウルの各地における橋の崩落、デパート崩落、KTXの事故、欠落品、ペトロナスタワーでの安全性の欠如、2002年におけるすぐに炎上する地下鉄車両と上げたらきりがない。

>だいたい技術系の学者は「中人」と呼ばれる者です。そもそも賎民出身の技師チャン=ヨンシルや医師ホ=ジュンが朝廷から高い官位を授けられていることをお忘れなく。
また

当時の朝鮮人全般における職人の技能について述べたことであって朝鮮の歴史の中での有名な技術者や医者の存在について述べていない。

投稿してくれた感謝をこめて追記しておく。

高い官位=優れた技術、医療法を開発した ということにならない。

朝鮮の医療事情はどうだったのだろう?

韓国は日本人がつくった―朝鮮総督府の隠された真実 黄文雄 2002年

 韓国の医療史や疫病史を見ると、たいていは巫女(シャーマン)をはじめさまざまな信じられない迷信によって治療を行っていた。グレブストの『悲劇の朝鮮』のなかに、いくつかの治療法が書かれている。たとえば、牛糞を塗る。ヒマワリの種を湯がいて食べる。患者がモモの種を二つに割り、一方に「日」の字、もう一方に「月」の字を書いてハチミツで再びくっつけて一気に飲み込む。小さな蛙を3匹生きたまま丸飲みする(腹痛に即効)。重症の場合は、煮たカササギを1羽、あるいは焼いた犬の足を4本食べるといい。あるいは、茄でた熱い海藻を腹のまわりに巻く。じっくり沸かしたお湯に40歳の女性の髪の毛を入れて飲む。ガマガエルを地面に仰向けにし、その腹を3度叩いて地中に埋め、また掘り出してから紐でしっかり縛ってから火で焼いて粉にして水で飲む、など。こういった民間療法は、数千年来ほとんど変わっていなかった。
 ところが、大韓帝国の最後の皇太子(純宗)の妃・純明皇后は、こういった民間療法の医者にかかって死んでしまった。皇太子妃ははじめ、腹が腫れた病気にかかり、女医たちに診てもらったところ、「ご懐妊」との診断であった。女医たちは高宗からご褒美をもらったが、間もなく大変なことになると察知して逃げてしまった。妊娠ではないとわかった高宗も、あわてて韓国一の名医に診てもらい、妃の腹に悪霊(鬼)がすみついたと信じ、城門の戸板をはがして煎じて妃に飲ませたものだった。その数日後、妃はあえなく逝去した。韓国最高の名医でさえ、この有り様である。韓国の医療衛生状況が、いかなるものだったかが窺い知れるだろう。

と参考にしたリンク先には書かれているが。

当時の日本は18世紀ごろに解剖学の研究をまとめた「解体新書」を発行しているので優れた医者が朝鮮では活躍できたのだろうか。

http://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/oisinbo/oisinbo_vol7.html

http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/contents/album_5.htm
Posted by 一言言えば at 2007年04月10日 16:17
ちなみに建築物から芸術品にいたるまでは第三者の目からは印象に残るものがなかったようであるようだ。

朝鮮紀行』イザベラ・バード 1897年
 ソウルを描写するのは勘弁してもらいところである。北京を見るまで私はソウルこそ、この世で一番不潔な町と思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどい匂いだと考えていたのであるから。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定二十五万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体及び液体の汚物を受ける穴か溝で狭められている。悪臭ぷんぷんのその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしている。
(中略)
 ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。

またしても、ここから引用させてもらった。

http://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/oisinbo/oisinbo_vol7.html

ほかにあたればいっぱいあるらしい。

>あと、両班の中にすらも「実学」という学問を身に着け活躍した人が続出し、その結果農業、工業で大きな進歩があったことは常識です。

この写真ではそれが見当たらない。

http://f17.aaa.livedoor.jp/~kasiwa/korea/photo/EdoSeoulColor.html

http://f17.aaa.livedoor.jp/~kasiwa/korea/photo/Osaka.html

http://f17.aaa.livedoor.jp/~kasiwa/korea/photo/other.html

どこに進歩が見られる?

農業が進歩した割には人口が増えていない

日本 江戸時代に人口は1000万人から3000万人へ 270年で3倍。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/html/g1110030.html

朝鮮 300年で二倍。併合時代には35年で人口が二倍。

「大きな進歩」はどこに?

>朝鮮人にはあなたが思っている以上に、懸命に努力して少しでも住みよい国を作ろうとしていた人が沢山いたし、

当時の外国人の文献を読む限り、介入したくなかっただけなのでは。あまりの不衛生さと社会の荒廃により。

>外国が介入するなんて余計なお世話だったんですよ。自力でやり遂げられたんです。

中国の属国だったので、すでに中国が介入し、自力でやっていなかった。

http://photo.jijisama.org/dependency.html

http://photo.jijisama.org/hata.html
Posted by 一言言えば at 2007年04月10日 16:47
鷹嘴さん、こんばんは、一言さんの投稿について反論を。

>>だいたい技術系の学者は「中人」と呼ばれる者です。そもそも賎民出身の技師チャン=ヨンシルや医師ホ=ジュンが朝廷から高い官位を授けられていることをお忘れなく。

>投稿してくれた感謝をこめて追記しておく。

>高い官位=優れた技術、医療法を開発した ということにならない。


当たり前じゃないですか!誰もイコールなんて言ってませんよ。「高い官位」→「優れた技術」ではなく「優れた技術」→「表彰されて高い官位」という例として挙げたんですよ。
それにしても上のお返事を見ると、チャン=ヨンシルやホ=ジュンがどんな業績を残したか、一言さんはまるでご存知ないようですね。(笑)
明石書店の『人物 朝鮮の歴史』にも出てくるし、wikiで「すら」、ホ=ジュンの「東医宝鑑」を「明医学では朝鮮半島固有の環境・病理に適さない部分があった」「朝鮮の実情にあった実用的な医学書」と評価しているというのに。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%BB%E5%AE%9D%E9%91%91
さては御自分の不勉強に対する言い訳ですね?(笑)
Posted by フナずし at 2007年04月10日 22:25
鷹嘴さま

こんばんは。
一つお願いがあるのですが、朝鮮近代史・現代史を議論する際に「まずこれらの資料を熟読した上で書き込むように」と、文献をまとめたコーナーを作って頂けないでしょうか?
どうも以前事実に反すると判明した議論を又も繰り返すパターンが多くなっているようなので、文献の指定は必要かと存じます。
Posted by フナずし at 2007年04月10日 23:39
>当たり前じゃないですか!誰もイコールなんて言ってませんよ。「高い官位」→「優れた技術」ではなく「優れた技術」→「表彰されて高い官位」という例として挙げたんですよ。

>明石書店の『人物 朝鮮の歴史』にも出てくるし、wikiで「すら」、ホ=ジュンの「東医宝鑑」を「明医学では朝鮮半島固有の環境・病理に適さない部分があった」「朝鮮の実情にあった実用的な医学書」と評価しているというのに。

高い業績を上げた=普及した ということにならないし普及しなければ知らないのは当たり前。

国で評価の高い医学書が作成された=国の医療事情が発展した ということにならない

技術でも同じ。

李氏朝鮮時代に於いては一般的に韓医学の恩恵に浴する事ができたのは王族・両班と中人階級だけであり、一般庶民はもちろん一部の両班(王族も含む)の間でも鬼神信仰にもとづく朝鮮独自の民俗医療が行われていた。

(中略)

李氏朝鮮後期から末期に入ると韓医学は衰退の一途をたどり、開国後は西洋医学の流入により完全に衰滅し、朝鮮半島に於いては韓医学(特に李氏朝鮮前期)の多くの古医書が逸失している。しかしながら、大韓民国の時代に至り、再び脚光を浴び、多くの韓方医院などが作られ復権しているが、その多くは中医学との区別が難しいのが実情である。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%8C%BB%E5%AD%A6" より引用

朝鮮の民間療法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%B0%91%E9%96%93%E7%99%82%E6%B3%95

前回書き忘れたこと

Prado氏へ支援を感謝する

管理人様へ 言論の自由を保障しているこの部ログの寛容さへ感謝する。
Posted by 一言言えば at 2007年04月11日 16:17
こんばんは。一言さんが又書いていますが・・・

>中国の属国だったので、すでに中国が介入し、自力でやっていなかった。

イヤですからね・・・リンク先のは「形式的」な服属で、内政干渉があったかどうかとは別ですよ?
大体、日本だって将軍様が勅使に下座から這いつくばって天皇の言葉を承ってるじゃないですか。実力では明らかに格下なのに。
Posted by フナずし at 2007年04月11日 21:50
>「形式的」な服属で、内政干渉があったかどうかとは別

国名は中国が任命

『朝鮮王朝実録』に拠れば、事実は以下の通りです

「李成桂は、中枢院使・趙琳を明に派遣して、新政権の樹立を知らせた。
その一方、国号を改定するという意思を伝えた。

これに対して、明の太祖・朱元璋は新政権の樹立を承認し、
国号の改定に対しても、迅速に報告をするように要請した。
李成桂は、元老達と百官を集めて、国号を論議するようにして、
その結果、『朝鮮』と『和寧』という二つの名称が決まった。

朝鮮は檀君朝鮮、箕子朝鮮など歴史的な脈を継ぐと言う意味から、
そして、和寧は李成桂の出身地という理由で採択された。(中略)

このように『朝鮮』と『和寧』という二つの国号が決まると、
李成桂は1392年11月 、芸文館学士・韓尚質を再び明に派遣し、
朝鮮と和寧の二つの中から一つを国号として採択する事を請うた。(中略)
翌、1393年2月に、彼は『朝鮮』という国号を決めてもらい、戻ってきた」

http://toron.pepper.jp/jp/text/textkr6/kokumei.html

「堕落の2000年史」 崔基鎬

仁祖王は「受陣壇」に於いて、清の大宗に向かって九回、
地面に頭をつけて叩頭する拝礼を行なったうえで、清からの一方的な和約を結ばされた。
1637年1月30日のことだった。

この和約の内容は次のようなものだった

一、朝鮮は、清に対し、臣としての礼を尽くすこと。
一、朝鮮は明の元号を廃し、明との交通を禁じ、明から送られた誥命(勅命と冊印)と、明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと。
一、王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
一、清が明を征伐する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。
一、内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
一、城郭の増築や、修繕については、清に事前に許諾を受けること。
一、清に対して黄金100両、白銀1000両と20余種の物品を歳幣(毎年納める金と品物)として上納すること。
一、皇帝の誕生日である聖節、正朔である正月1日、冬至と、慶弔の使臣は、明との旧例に従って送ること。
一、清が鴨緑江の河口にある島(かとう)を攻撃する時に、兵船50隻を送ること。
一、清からの逃亡者をかくしてはいけない。
一、日本との交流を許すこと。

http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/heisiho.html

貢物(朝貢)少なし(鮮なし)の意味の国名をつけられた

「鮮」が「少ない」という意味を表す一例「巧言令色鮮し仁」について
「巧言令色鮮し仁」

  (こうげんれいしょくすくなしじん。
   口前が上手で顔付をかざる人には、
   信実心がすくないものぞ。)

   出典:『新訳論語』、穂積重遠、講談社、P27〜28より
Posted by 一言言えば at 2007年04月12日 14:42
朝鮮国王の実父が中国に拉致されたときの挑戦国王の文

(「2.朝鮮事変弁理始末/2 兇徒伏法」p40の「朝鮮国王李熙陳情表」より抜粋。)
 「臣之心焦震剥、何異於嬰児之離懐膝、童心飲泣、如窮無帰」「皆臣之罪、臣本生父並無縁毫干渉」「伏惟皇帝陛下、孝治天下、聖極人倫」「将臣本生父、即許帰国、俾小邦父子君臣、感誦皇恩、永々無極、臣不勝瞻天望星、痛泣祈祝之至」

 「臣たる私の心は震え、あたかも嬰児が親の懐や膝から引き離されて拠るべきところを無くして憧心から泣いているようなものであります」、「罪は皆臣たる私にあり、実父は毫も関係ありません」「天下に善政をされ聖極人倫なる皇帝陛下に伏して願います」、「臣の実父の帰国を許して下されれば、小国の父子君臣は感激して皇恩を永久無限に唱え、私が天に望む星を仰ぎ見る以上の、感泣の極み祝賀の至りであります」

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/zkkrn.htm

これのどこが形式的なのだろうか?

内政干渉はおろか主権すら侵害されている。
Posted by 一言言えば at 2007年04月12日 14:53
半封建的地主制度は権力者の後ろ盾がないと成立しない。
権力者は地主を保護してその存在を脅かそうとする者には力で押さえつけるものですが。
Posted by ばうわう at 2007年04月13日 14:39
こんにちは。

>国名は中国が任命

ですから形式的に中国の顔を立てたんですよと小一時間(笑)
要するに李さんと朱さんの単なる利害一致。「隣の国の話」より、以下のページをご覧ください。

>「和寧」は李成桂の出身地であるが、これは当て馬であり、「朝鮮」という国号は、李成桂としても予定通りであった。
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/sakuhou.htm

>貢物(朝貢)少なし(鮮なし)の意味の国名をつけられた

残念でした、「朝」には貢物の意味なんてありません。発言の撤回を要求します。
それに、これは僕も今年まで知らなかったのですが、中国語の発音の変遷の歴史から見て、朝鮮の鮮が「少ない」という解釈はおかしいそうです。こちらの「思考錯誤」スレッドの僕の投稿とそれへのレスを全て(特に熊猫さんのレス優先に)参照なさってください。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=4034;id=sikousakugo#4034
Posted by フナずし at 2007年04月13日 16:57
追伸

一言さん、光海君の存在はアウトオブ眼中ですか?内政干渉なら清と強調しようとしていた彼を復位させてこそナンボのもんですよ。
ホンタイジによる朝鮮占領で文字通りの「属国」になったなら、そもそも仁祖は隠居してもおかしくないでしょう?
それに仁祖は国内では親明政策を続け、軍備強化を続けて打倒清を目指していました(予算が足りず途中で断念しましたが)
よく無事でしたね、同じ頃の日本だと釣り天井一つで譜代の本多さんが潰されてるのに(しかも「疑惑」だけで)
Posted by フナずし at 2007年04月13日 17:18
フナずし さまへ

一言言えばさんとの話の中で気になったことをいくつか・・・

>両班の中にすらも「実学」という学問を身に着け活躍した人が続出し、
>その結果農業、工業で大きな進歩があったことは常識です。

はなはだ疑問です。勉強不足をあげつらうのではなく、具体的な事例をあげるべき、もしくはソースを提示するべきです。
『大きな進歩』というぐらいですから、35年間の日帝がおこなった農業改革などよりよっぽどすごいものなのでしょう。その際には以下の点にご留意を。


>朝鮮人にはあなたが思っている以上に、懸命に努力して少しでも
>住みよい国を作ろうとしていた人が沢山いたし、外国が介入する
>なんて余計なお世話だったんですよ。自力でやり遂げられたんです。

住みよい国を作ろうとするのは当然だと思いますし、そのような人がいたであろうことは否定はいたしません。ですが、近代化するには社会の安定が不可欠です。
併合前の半島では、「三政紊乱」と呼ばれる過酷な農民収奪の状態でした。三政とは
 (1)田税(田政)
  本来の収穫税の他の付加税
 (2)軍役(軍政)
  軍務につく代わりの税、乳幼児や死者に対してまで課税する人頭税もどき
 (3)還穀(還政)
  穀物貸与に形を借りた政府による高利貸し
がまかり通っており、これが李氏朝鮮・大韓帝国の時代に、「朝鮮人の手によって」是正されたとは寡聞にして聞きません。

また、当時近代化以前のアジア共通の社会背景として
 (1)内戦内乱
 (2)水旱・飢饉・疫病
 (3)匪賊社会
 (4)苛斂誅求
といったものが挙げられます。特に当時の中国・朝鮮は匪賊の跋扈する社会で、朝鮮ではソウル以外は盗賊や山賊が跳梁しておりました。そのような状態では、まともに働いても生産物は強奪され、「どうせ作っても・・」という状態になってしまいます。また、朝鮮には両班と呼ばれる匪賊より始末の悪い支配層が、前述の「三政紊乱」を行っていたのは周知の事実です。

 申し訳ありませんが、フナずしさんが提示しておりますのは個人の業績でしかありません。これをもって「自力でやり遂げられたんです」とする理由には薄弱すぎます。まずもって「社会背景を改善するような兆し」を、「日帝併合前」に「朝鮮人自身で行った」事例を提示するべきです。


>イヤですからね・・・リンク先のは「形式的」な服属で、内政干渉が
>あったかどうかとは別ですよ?
>大体、日本だって将軍様が勅使に下座から這いつくばって天皇の言葉を
>承ってるじゃないですか。実力では明らかに格下なのに。

確かに実力では幕府が上でしたが、では天皇を廃して幕府が日本を統一したかというとそうではなかったですよね? 天皇という「権威」をうまく利用していたわけです。

翻って、中国と朝鮮の関係はどうでしたか? 「実力が上」なのはどちらでしたか?
戦争して勝ったのは?(少なくとも朝鮮ではないですよね)
そのような実力関係が違う以上、天皇と幕府、中国と朝鮮の関係を同一視して比較など出来ません。実力上位のものが、下位のものに対して無理難題を吹きかけるのは世の道理ですので。

それとフナずし様は「形式的に」と強調しておられますが、国王の任命権を他国に握られているような国は属国以外の何者でもありません。それに、国王の任命自体、立派な内政干渉だと思われますが?


>仁祖は国内では親明政策を続け、軍備強化を続けて打倒清を目指していました
それって、清と戦う前の話ですよね? 属国になってから行っていたというなら文献の出典提示を願います。
Posted by Prado at 2007年04月14日 09:02
>要するに李さんと朱さんの単なる利害一致。

他国に国名を任命してもらった国など朝鮮のほかに存在しない。

>「朝」には貢物の意味なんてありません。発言の撤回を要求します。

朝鮮の「朝」は朝貢の「朝」

朝貢
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E8%B2%A2

[編集] 概要
王化思想を基調として周辺諸国の夷狄たちが、「中国の徳を慕って」朝貢を行い、これに対して回賜を与えるという形式である。四夷から朝貢を受けることは皇帝の徳を示すこととされ、内外に向けて政権の正統性を示すことになるため歴代中国政権はコストを払ってでも朝貢を歓迎した。

朝貢国から送ってきた貢物に対して回賜が数倍の価値となることが原則であり、朝貢国にとって利益となる事例が多かった。その場合、朝貢に来る使節の人員に対しても多額の褒賞金が与えられた。その費用がかさむために朝貢の回数を制限するということも行われた。

冊封により中国王朝の臣下となった冊封国は原則的に毎年の朝貢の義務があるが、冊封を受けていない国でも朝貢自体は行うことが出来た。

>それに、これは僕も今年まで知らなかったのですが、中国語の発音の変遷の歴史から見て、朝鮮の鮮が「少ない」という解釈はおかしいそうです

発音が違うからといって意味そのものが変わるという事ではないし推測だけで語られても困る。

よって前回述べた内容の反論になっていない。

>「鮮」が「少ない」という意味を表す一例「巧言令色鮮し仁」について
「巧言令色鮮し仁」

  (こうげんれいしょくすくなしじん。
   口前が上手で顔付をかざる人には、
   信実心がすくないものぞ。)

   出典:『新訳論語』、穂積重遠、講談社、P27〜28より

Prado氏へ、支援を度々感謝する。短い文章ですまない。
Posted by 一言言えば at 2007年04月14日 15:04
見ない間に滅茶苦茶な状態になってますな、ホント。おまけにデタラメな論理を振りかざす人まで増殖しているし、管理人さんも大変ですね。

Pradoへ告ぐ 収奪例を(ちょっと調べれば分かるのに)出せ出せとウザイんで貴方が目をそむける収奪例を出しましょう。

このブログでも出している『米』をはじめとして・・・
『麦』『大豆』『玉蜀』『人参』等野菜『塩』『煙草』『苛性ソーダ』『ソーダ灰』『油脂(植物)』『油脂(動物)』『硫安』『木材』『パルプ』『紘石』『普通鉄鋼材』『鉄』『鉄鉱石』『銅』『鉛』『亜鉛』『金』『セメント』『石灰』『石綿』等、様々なものを収奪しているんだけど?

これだけの多くの資源を収奪しているのに「収奪していない以上朝鮮の人々の為に行ったとしか」?正真正銘のアホだね。ていうか現実逃避者の見本だね(笑)。

細かいデータは『戦時期 植民地統治資料』(柏書房)『外交史料館 所蔵外務省記録 総目録ー戦前期』第二巻(原書房)『旧朝鮮総督府 関係者文書』学習院大学 東洋文化研究所 所蔵(閲覧可能)等様々な資料で分かるから人に「出せ出せ」言う前に少しは自分で調べてみれば?
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:12
何度でも繰り返すが、日本のインフラ整備はこれらの様々な資源の収奪を円滑に行う為に行ったもの。整備しなければろくに資源物資を運べないから。ろくに運ぶことができなければ一体何の為に朝鮮を支配下に置いたのか分からなくなるからだ。朝鮮の人々の為ではない。

「日本の為に行ったのだったら朝鮮人の使用は禁止にしたはず、でもしなかった」とかいうノータリンもいるが、朝鮮人に物を運ばす為に整備したのに朝鮮人の使用を禁止してどうする?そしたら何の為に整備したのか分からなくなるし、禁止したら遠方から資源・物質の運搬、下働きはみんな日本人がやらなければならないんだよ?意味わかってんの?
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:14
>収奪の事例は誰も出せずじまい
       ↓   
>日本による「収奪」否定論者のチェックメイト

>といったところ

じゃあ、私が収奪例を出した以上、完全にこちらのチェックメイトだねw

現実逃避のクソ虫くんw
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:14
道や鉄道以外のインフラ整備にしてもそう。当時の朝鮮の工場は原料の加工などの一次段階の工場ばかりで、肝心の製品加工は日本で行っていて、日本に輸出しない限りは使い物にならない物を生産していた。これは当時の朝鮮の工業が日本の為に存在していた事を示している。

また、それらの工場は日本の資本によって運営された日本のもので朝鮮の役には立たなかった。さらに工場の運営の管理などの中心的役割は日本人が独占し、朝鮮に対しての技術移転は行われなかった。そのうえ南には農業を北には重化学工業を、それも沿海部集中させる収奪の為の効率を優先させる極度の奇形型だった。

誰かさん達が言うような「朝鮮のため」だったら、こんな形にはならないはずですが?

これらを総合してみると日本のインフラ整備はあくまで植民地としてのインフラ整備であり、「朝鮮のため」ではないことが分かる。

どこかの現実逃避の馬鹿2人は(文字通り)「馬鹿の一つ覚え」のごとく「近代化してやった」と繰り返すが、日本の朝鮮の近代化を進めたのは植民地支配の実効性を上げようとした為であり朝鮮の為ではない。自分達の為にやっておいて「相手の為にやってやった」と恩に着せるなど悪質にも程がある。おまけに朝鮮の民衆にとっても役にたっていないのに「朝鮮のためになった」などとは、もはや救いようがない。
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:16
人口問題について

Prado へ

「推計だからあてにならない」かのように言ってまた正確なデータ出せとかいってますが、そもそも最初の警察の調査が記入漏れなど杜撰な調査だったのだから、正確度の高い国勢調査の数字から推計せざるを得なかったと思われますが?

それで何?雷神丸さんには「推測と勝手な思い込みのちがいがわかりませんか」と推測だから正しいかのように言う。ナメてますねー、ふざけてんの?

さらに「当時の警察の調査は、巡査が一軒一軒の家を回っての聞き取り調査だったわけです」だって?
まるで「講釈師、見てきたかのようなウソを言い」だねw その当時の朝鮮全土(田舎含む)をたしかに全部回ったというデータは?当時それをチェックする機関があったの?やたら人にデータだせとか言うけど、貴方はデータがあった上で言ってるの?

あと「1940年までの増加率しか示してない」の件ですが1940年から日米開戦に伴い多くの若者が戦地に送られ、本土も空襲や原爆投下、沖縄戦などで若い人中心に人口が大幅に減っているのだから人口増加率が逆転するのも当たり前。

それにまったく触れようともしないところに狡猾さを感じてしまいますねw
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:18
米について

米が当時の朝鮮人の主食だったどうかだけど、誰かさんの大好きなイザベラ・ハードの「朝鮮紀行」に「朝鮮人の主食は米である」と出ているんだけど?一方では自説に利用し、一方では反証として考慮しない。都合のいいことだ。
ま、それ以外の多くの資料にも示されているし、少なくとも併合時には朝鮮人の主食が米だったことは事実。それなのに「元々米が主食じゃなかったんだから大したことはなかった」とは随分身勝手ですなぁw
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:20
そもそも当時の朝鮮が同じ日本ではなく植民地だったことは当時の日本政府が認めているんですけどねぇ?表向きは「外地」と言ってはいましたが当時の日本政府の軍の内部文書、内部資料には度々「植民地」という言葉を使っています。

さらに日本は「婦女売買に関する条約」に批准したとき朝鮮・台湾を植民地として、その適用を除外するとしました(またデータ出せとか言うんだろうけど前述した様々な資料に載っているから自分で調べなさい)。
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:22
給料について

当時の朝鮮総督府はトップから局長クラスまでほとんど日本人で大半の役人は日本人でしたが、下級役人には朝鮮人も一部だけ入っていました。
けれども同じように役人をしていても(能力が大きく違うわけでもないのに)大きく給料が違う。日本人については給料の上乗せがある。給料の5割から7割の上乗せがある。この上乗せは朝鮮人の役人には適用しないと法令で決まっていた。役人だけでなく学校の先生もそう。日本人と朝鮮人の教員の給料には5割程度の格差があった。民間の会社も労働者も同じようなもので、給料の問題だけでも明らかに「支配者」「被支配者」という序列化が行われていて、最後まで改められることはなかった。

それなのに「同じように扱っていた」とか「日本人を特別扱いしなかった」とか、あんまり人を笑わせないでねw
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:23
近代化について

どこかで馬鹿が恩着せがましく「近代化してあげた」と繰り返す。どこかでアホが お題目のように「近代化、近代化」と繰り返す(例えて言うと「カルト教団 近代化教」かw)。

だいぶ前に述べたが近代化すればその国の民が豊かになったわけではない。日本が行った近代化は搾取する構造をつくる為のもので朝鮮の民衆に貧困を強いるだけのものだった。いくら立派な道や建物があろうとも粟や草根木皮を食って飢えをしのがなければならないようにしているのは悪政以外の何者でもない(今の北朝鮮と一緒)。

ちょっと調べれば日本の支配下において当時の朝鮮の民衆がいかに貧窮していたか分かるはずなのだが・・・。

『戦時期 植民地統治資料 W−2−1』(柏書房)に収録されている朝鮮民衆に関する「復命書」によれば(どうせ朝鮮側だとはなから信用しないだろうから日本側からにしとく)

農村において食料の供出を達成するために当局者が「農家や農家の周囲を探索し炊事時に不意打ち的に踏み込み炊事釜や食物を検査し果ては駐在所等に呼び出して侭問する等」のような強圧強権を加えていること、そのために農家は供出後は「殆ど食糧なき状態」になってしまうこと、「内地」への労務者の送出も「夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多いことなどが記述さている

さらに復命書には、働き手を「内地」に連れていかれた後の朝鮮人家庭の悲惨な姿の報告も記述されている。「収入が断たれた上に「内地」からの仕送りもなく(これは「逃亡防止策として貯金の半強制的実施及び払出の事実上禁止」などのためとしている)、さらには「音信不通、突然なる死因不明の死亡電報」などによって、残された家族が「悲惨目に余る」状態に置かれていると率直に記されている」

ねぇ、いくら近代化したからといって、こんな悲惨な状態にしておいて善政を施したことになると思う?
Posted by ノン・フライ at 2007年04月14日 19:26
>併合した後のインフラ整備のことであって併合前の『抗争』『大反対』は無関係(爆笑)

なにが(爆笑)だ!このクソバカ!うっかり「併合前に」と書いたこっちにもミスがあったが「併合後」も「抗日抗争」と「大反対」があったんだよ!ドアホ!
多数の死傷者を出した『三・一運動』は有名だし、それ以外にも反日義兵運動、愛国啓蒙運動、六・一〇万歳運動、光州学生運動、赤色労組運動 など等色々な反対運動があったんだよ!
こんなの日韓併合時代を語る上で常識なのにそんんな事も知らんのか?この無知が!

>このようなインフラ整備が必要なかったならばそれについての反対運動があったことを提示するべきではないかと思いますがいかがですか?

>それらのインフラ整備反対運動(あくまでここではインフラに限定)ぐらい起きているのではないですか?是非それらをご提示ください。

>当時の朝鮮人がインフラ整備を反対した証拠は?

抗日抗争というものは日帝の支配そのものに対して反対しているんだけど?常識的に考えて、その「支配」には当然「インフラ整備」も含まれるはずですが?

それとも何か?「抗日抗争というものは日帝の支配に反対しているのであってインフラ整備に反対したものではない」とかい言うんじゃないだろうね?
小泉純一郎の答弁じゃあるまいしw

まぁ、一応インフラ整備に反対した事例を証拠として出してやるよ、無知蒙昧のクソ共が!

インフラ反対例

当時の朝鮮の鉄道は、朝鮮と中国東北地方の安価な農作品と鉱山品を日本に積み出し、日本の高い工産品と軍需品を朝鮮と中国東北地方に運ぶ為のものだった。当時の朝鮮人も鉄道が日本の侵略と収奪を強める手段に利用されることを自覚し、鉄道施設を破壊したり、列車の運行を妨げるなどした。

>「朝鮮人がインフラ整備を反対しない」

併合前も併合後も大反対した
>「朝鮮人がインフラ整備した後の施設を利用した」

いくら嫌でも生きていく以上は道を歩かなければならない。使わざるを得ない。それとも何か?お前は誰かに家を作り変えられたら、その後ずっと宙に浮かんで暮らすのかw

>「朝鮮人の利用は許されていた」

税金を払っていればインフラを利用できるのは当たり前だ、どうかしたのか?大体ノン・フライさんが言ってるように許すも許さないも朝鮮人に働かせるためにインフラ整備をしたんだから当たり前の話だ、アホ。

>「当時の朝鮮人がそういう要望を持っていた」

だから、そういう要望を持っていたとするのならデータを出せっての!無いんだったら「持っていた」というのはお前の勝手な想像だ!

>「日本の朝鮮でのインフラ整備は朝鮮人のために行った」「日本は朝鮮人の為に力を注ぎ、朝鮮のためになった」

朝鮮人の為ではないし朝鮮の為にもなっていない。

まぁ、大反対したのに「反対しない」と言ってる時点でアウトだったんだけどね、このクソバカ!
Posted by 雷神丸 at 2007年04月14日 19:36
>私は「朝鮮人に頼まれたから当時の日本人がインフラ整備した」とは一言も言ってなかったんですよね。話題をすり替えているのは雷神丸様のほうではないでしょうか。

ふざけるな!「金は後で払うと約束して」だの「声には出さずとも要望として持つもの」とあたかも朝鮮人のほうが望んでいたかのように言ったのはどこのどいつだ!
そもそも人が頼んでいないから「頼んでいない」と言っているのを「じゃぁ、他の奴のやり方の方がよかったのか」と話をすり替えたのはどこのどいつだ!
あげくに「話をすり替えてるのはそっち」だと!この卑怯者が!

「それは朝鮮半島が日本の領土であったために、日帝が責任を持って行ったわけです。それは国として当たり前のことをしただけなんです」

だーかーらー!いつ朝鮮が日本に「同じ日本にしてくれ」って頼んだんですかね!?

前々から「朝鮮人が望んだ(頼んだ)」とかいうデータの提示をお願いしておりますけれども未だどの方からも返答いただいておりませんw

朝鮮の方から頼んでいないのであれば、なぜ日本は朝鮮半島を日本領土としたのか?日本の(為の)植民地にする為じゃないですか?
それを英雄気取りで「国として当たり前のことをしただけ」とはね・・w
Posted by 雷神丸 at 2007年04月14日 19:41
なんかPradoの無礼者がむかつくから長いこと見てなかったけど随分と悲惨な状態になってますなぁ。おい、Prado 。お前人には「データだせ資料出せ」で自分が言われりゃ、「悪魔の証明」かよ?卑劣というか、卑怯いうか・・・。

そんな卑怯なお前にまともに反論するのもアホらしくなってきたけど、日本に潰された当時の朝鮮の新聞・雑誌をここに提示しとく。「皇城新聞」「大韓毎日新報」「帝国新聞」「万歳報」雑誌では「少年」「大韓新地誌」などだよ。あと、俺他にも宗教弾圧の事例出したのにそっちは完全にスルーなんだな?都合の悪いことは無視か・・・。

あと、「声には出さずとも要望として持つもの」だと?それじゃなにか?当人が思って無くても第3者が「あいつ等はこういう暮らしだから俺達に支配してほしいだろう」と勝手に推測すればよその家を支配してもいいってわけだw 一方的に支配しても向こうが望んだことになるわけだw

初めて聞いたよ、そんな基地外みたいな理屈w

>お味方を得たようで心強いです。

良かったなw 多くの死傷者を出すほどの反対運動をされてるのに「反対しなかった」なんてホント頼もしいねぇw

収奪したのに「収奪しなかった」というお前と反対したのに「反対しなかった」という『一言いえば』お似合いというかこれ以上ないピッタリのコンビだよw この気違いコンビがw
Posted by 覇拳社員 at 2007年04月14日 20:08
そもそも・・・、Prado&一言言えば の「インフラ整備してやった」という論理は根底がおかしい。道路も鉄道も工場も実際に作っているのは誰か?朝鮮人の労働者である。作る為の金も朝鮮の民衆から徴収したもの。まさか現代のイラク派兵された自衛隊のように全部日本からの人員と資金で出来たと思っているのだろうか?「日本が近代化した」というのは実際には「日本が近代化するよう命じた」という方が正しい。近代化は朝鮮人の力によるもので、日本はただ命じたにすぎない。

>大体貴方は李王朝時代のままの生活と、併合時代の生活どちらかを選択しなさいと問われたらどちらを選ぶのでしょうね?

雷神丸さんがどちらを選ぶかは知らないが、当時の朝鮮人は多数の死傷者を出す程の反対運動を起こしていることからも併合時代の生活よりも李王朝時代を選んだ事は間違いないだろう。大体そんなに貴方が言うほど併合時代がよかったのなら多数の死傷者を出す程の反対運動など起こるわけわないはずだが?

1944年、朝鮮詩人が投獄され、半年後獄死した。その名はユン・ドンジュ。投獄された名目は「治安維持法違反」具体的に何をしたかと言うと、「ハングルを使って詩を書いた」それだけだった。その詩には政治的な言葉など何一つ含まれていないのにも関わらず投獄された。つまり自国の言葉を使ったというだけで投獄されてしまうのが併合時代だったのである。

併合時代、朝鮮人は他国の王様に忠誠を誓わせられ、それまで信じていた宗教を奪われ、替わりに信じていない宗教を強制させられ、本来の名前まで変えられ、他国の言葉を強制され、自国の言葉を奪われ、子供に教えることさえ許されない。思想信条の自由さえ無かった。人間としての最低限の自由がなかった。

いくらインフラ整備が整っていようと、人間としての尊厳が保障されない政治は悪政でしかない。
例え、貧しかろうが、政治的に混沌としていようが魂の自由が許される政治をもとめて人類は民主主義というものを生み出したのだが。

まぁ、それ以前にインフラ整備で豊かに暮らしていたわけではないのだが。

李王朝時代は確かにろくに道路も整備されていなかったかもしれない。民衆も貧しかったのかもしれない。
しかし、粟や木の皮を食って飢えをしのがなければならないほどの貧しさではなかったし、まだ自給自足で生きていけた。そしてなにより、自らが信奉する宗教を信じることができた。自国の言葉を自由に使え、子供に教えることもできて、自由に詩も書けて歌も歌えた。

例えるなら李王朝時代は 現在のタイやメキシコの田舎のようなもの。現代でもタイやメキシコの田舎や農村は道路もろくに整備されていない所も多く、インフラ設備も整っていない地域も多い。しかし、そこは自由に自国語を使えるし子供に自国語を教えられ、自由に詩を謳歌できる。

翻って併合時代。いくらインフラ整備が整っていても貧困を強いられ、ろくに飯も食えず、何より思想信条の自由も信仰の自由もなく、子供に自国語を教えることもできず、詩を書くことすら許されない。最低限の自由を主張すれば投獄される。例えるなら現代の北朝鮮か旧東ドイツのようなもの。

Prado に告ぐ。貴方は「現代のメキシコの貧しい農村での生活」と「現代の北朝鮮での生活」どちらを選ぶのでしょうね?

私だったら迷うことなくインフラ設備が整っていなくても魂の自由が許される「メキシコの貧しい農村」での生活を選ぶ。

まぁ、『近代化病』の貴方はインフラ整備は整っているけど精神の自由がない平壌の生活を選ぶんでしょうなぁ(笑)。
Posted by UNDER THE BRIDGE at 2007年04月14日 20:12
2年前に投稿したこの記事も、コメントが150件を超えました。
シーサーブログでは、「最近のコメント」の新着コメント通知をクリックしても、その新着コメントは表示されず、その記事の1番目についたコメントが表示されてしまいます。
しかも、otdの掲示板などと違い特定のコメントの位置をURLで指定する方法がありません。頭から読んでいくしかないのです。このような理由から、シーサーブログのコメント欄は長い議論に適しているとは言えません。
また、ある記事を固定リンクで読み込むと、記事本文だけでなくコメントも表示されてしまいます。記事本文だけを表示させる方法はありません。多くコメントがつけばつくほど、その記事が重くなってしまうのです。
また、この記事のコメントを携帯で読もうとしても、多くなりすぎたので最後まで表示できません。私の仕事は夜勤が多く、しかも勤務中にネットを私用で閲覧することは禁じられているので(まあどこの会社もそうだと思いますがw)、休憩中や仮眠時間に携帯でいろいろな掲示板をチェックしていますが、読み込めなければ議論についていけなくなります。
このような理由で、当ブログでは一つの記事のコメント数を100件前後で打ち切りとさせていただきます。この記事における議論も、かなりループしていましたが決着がついたようなので、ただいまを持ちましてコメント欄を閉鎖させていただきます。
このような弱小ブログに多くの方々からコメントを頂いて感謝しております。ありがとうございました。

なお、歴史認識に関する議論の場として、これらの掲示板を推奨します。

問答有用
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_index

思考錯誤
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?id=sikousakugo
Posted by 鷹嘴@管理人 at 2007年04月14日 20:57

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韓流
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Weblog: 【韓流】について
Tracked: 2005-09-23 19:16