さて、映画製作を妨害するくらいの国だから、政府批判は弾圧するのは当然かもしれない。これも非常に遅くなったが、2007年11月29日朝日新聞の特集記事「監禁41日 声も変わった」から引用。
北京市内にすむ胡佳さん(34)は、学生時代にエイズ感染者の支援活動に参加したことをきっかけに、人権擁護や民主化運動に取り組む活動家になり、政府の弾圧行為をネットで世界に発信している。
06年2月16日、エイズ問題の会議に出席するため自宅を出たところで、公安当局者に呼び止められた。当時胡さんは広東省の活動家が逮捕されたことに抗議するハンストを呼びかけていたという。
「どこに行くのか」と質問され、正直に行き先を告げると、「わかった。でも、我々の車に乗っていけ」と命令された。後部座席に乗り込むと、両脇の男に両腕を締め上げられ、頭を押さえつけられ黒い布をかぶせられた。頭は後ろから押さえつけられたままで呼吸すら困難だったという。
しばらく走り、「どこかの保養施設らしき場所」に着くと、窓が閉め切られた部屋に連行され、昼夜の区別もつかない中で連日の暴行が続いた。胡さんが抗議の絶食を行うと、手足を縛られ鼻にチューブを突っ込まれ水や栄養分を流し込まれた。
妻の曽金燕さん(24)は国連や海外の人権団体に支援を求め、自身のブログにも夫が拘束されたことを記し、国際社会の注目を集めた。その甲斐もあったのか、胡さんは41日後に解放された。また頭に黒い袋をかぶせられて車に乗せられ、「場所を特定されたくなかったらしく、同じところをぐるぐる回っているようだった」。胡さんを降ろすと車は猛スピードで走り去ったという。
真っ先に妻の曽金燕さんに電話したが、「長時間の監禁で声が変わっていて、彼女もすぐに私だとわからなかった。『俺だよ。胡佳だ』と言うと、彼女は声を上げて泣いた」。
しかし公安当局はその後も胡さんへの監視の手を緩めていない。06年7月から07年2月まで、そして07年5月から、胡さんは自宅に軟禁されている。自宅の団地の入り口では、公安が24時間体制で監視を続けている。弁当を食べたりトランプをしながら時間を潰し、来訪者には身分証明書の提示を求める。イギリス大使館の人権担当官が訪れたときも公安によって制止された。
胡さん夫婦が自由に外出できるのは買い物と通院だけである。曽金燕さんは07年11月13日に長女を出産したが、胡さんが病院に面会に行こうとすると監視役に止められ、顔を殴られて血だらけになった。
この記事によると中国では他にも拘束されたり行方不明になっている活動家が多く、その一部が紹介されている。
●弁護士の高智晟さん(43)は住民の強制立ち退き事件で住民を弁護していたが、05年に弁護士免許を剥奪され、06年に「国家政権転覆扇動罪」で執行猶予付きの有罪判決を受け、07年9月に当局に連行され行方不明。
●元工場労働者の揚春林さん(52)は黒龍江省で政府に土地を奪われた農民を支援、「五輪より人権を」と訴え署名活動を行ったが、07年8月に「国家政権転覆扇動罪」で逮捕された。
●盲目の活動家の陳光誠さん(36)は強制中絶の被害者を支援していたが、06年に交通秩序撹乱罪などで4年3ヶ月の実刑判決を受けた。
●07年7月、陳光誠さんの妻の袁偉静さん(31)が胡さんの自宅に滞在中に、上述のイギリス大使館の人権担当官が面会に訪れた。しかし公安当局者十数人が胡さんの自宅を包囲し、そのため袁偉静さんはイギリス大使館の公用車の中で担当官と面談した。
袁偉静さんは8月、夫の陳光誠さんのマグサイサイ賞授賞式に代理で出席するためにマニラを訪問しようとしたが北京空港で拘束された。現在は山東省の自宅に軟禁され、10月と11月に服役中の夫に面会に行こうとしたが暴行を受け阻まれた。
ちなみに陳光誠さんは06年、アメリカのタイム誌に「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。曽金燕さんも07年に国家主席の胡錦濤らとともに選ばれている。
・・・アムネスティは07年8月に中国の人権状況の報告書をまとめ、このような数多い弾圧事件を実例を挙げて批判し、「五輪開催に向けた『浄化』の旗印のもと、締め付けが強まっている」と指摘した。つまり中共政府はオリンピック開催を控えて国内での人権抑圧を知られまいと言論統制を強化し、弾圧を行っているのである。しかしいかに政府が弾圧を重ねようとも、事実を覆い隠すことなど出来ない。
胡さんは、
「五輪は平和の祭典といわれているが、いまの中国に五輪を開催する資格があるのだろうか。『五輪より人権を』。それが私たちの願いです」
と語る。
『五輪より人権を』。これが中共支配下の諸民族を含めた全世界の願いである。
2008年01月15日
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