2005年10月17日

「内鮮一体」という欺瞞――解消されることは無かった朝鮮人への差別

自分のHPでメアドを公開することも出来ないヘタレが、アングラ出版社から出してもらったあの漫画の中にも、同意出来る部分はある。
「朝鮮人は日本人に差別されていたんですよ!虐げられていたんですよ!」
「そういう側面がなかったとは言い切れません。しかしそれをなくそうとしたことも事実です!」

このように回りくどい表現ながら、朝鮮人は差別されていたことは認めている。また、一見「なくそうとした」ように思える施策が行われたことも事実である。
しかし以下のように「差別され」、「虐げられていた」ことを理解しているだろうか?「特高月報」より引用する。(コピーが不鮮明なため判読不能な箇所が多々あり、スマソ!)

内務省警保課 特高月報 昭和十六年九月
朝鮮人運動の状況 
五、内地在住朝鮮人学生の帰鮮中に於る特異言動
★早大文 豊川 相(一文字判読不能!) 當二十六年
「日米国交緊迫し東京地方の警備は実に物々しいが、今尚朝鮮人学生を白眼視するのは遺憾である」(P-76)

★明大専法三年 林秀成 當二十五年
「我國八紘一宇の御(二文字判読不能)たる東亜共栄権の確立と言ふことは即ち黄色人種の共存共栄を物語るものであるにも不拘、今尚内鮮人の差別待遇が行はれ、留学中の我々に宿を断る或は家を貸さぬとか、朝鮮在勤官吏に六割加俸を与へる等は其一例であるが、斯様な些細な事に拘泥せず、此際内地人朝鮮人と言ふ観念を一掃して大局的に見るべき要がある」(P-78)

★日大専 武田陽洙 當二十四年
「内地人は時局の影響にて人的資源が不足して居る関係上就職は容易であるが、朝鮮人は資格条件を具備し乍ら就職が困難である」(P-79)

★中大法一年 印村光元 當二十五年
「内地在住半島民衆に対して民族意識を挑発するのは内地人だ。幾ら南総督が内鮮一体を強調しても、これは朝鮮内だけの話であつて、内地に於ては内地人が優越感を以て吾々に接し半島人を侮辱することがひどい。内鮮一体を望むなら先ず内地人の朝鮮人観を是正するに在る」
内地では餘り差別が酷いので、半島人学生は相當思想的に悪化して民族的意識が濃厚である」

★明大法 秋本(二文字判読不能) 當二十六年
「東京に於けるスパイの警戒は厳重だが、朝鮮人も外国人同様白眼視するのは不可解だ」(P-80)

内務省警保課 特高月報 昭和十六年十月
朝鮮人運動の状況 
四、鹿児島実科総合中学朝鮮人学生民族主義グループ検挙取調状況
(中略)而して叙上会合に於る論議せるものを一覧せば、
(1)内鮮一体と言ふても内鮮間の差別は著しく全く欺瞞である。
(2)朝鮮が貧困なる理由は、朝鮮が日本に政治勢力の全てを奪はれたことに帰着する(以下略)(P-98)

五、在京朝鮮人学生の相談会に於ける特異言辞
(中略)其の言辞中には民族的に相當先鋭なるもの続出したり。主要なるもの摘記すれば次の如し。
★「・・・最近では卒業を前にして、内地に於て就職すべく或国策会社の就職試験を受けた内地人は全部就職口が決定して居るのに吾々朝鮮人は、一人も決つていない、大体受付けさへも呉れないのである」(以下略)(中大法科三年府川某)(P-100)

★「・・・それから警察官に一言云つて置き度いと思ふ、今少し寛大にして貰ひ度い、朝鮮人と見たら泥棒と思ふ事は如何かと思ふ」(日大専門部清原某)(P-102)

あの漫画では「差別をなくそうとした」事例として「皇民化政策」を挙げている。たしかに完全に朝鮮人を日本人と全く等しく天皇の奴隷として扱うのならば、「差別」は解消することになるだろうが、それは朝鮮人にとっては有難迷惑というものだろう。
某国がその人民だけでなく、拉致してきた外国人をも“将軍様のしもべ”としてと扱うことは「差別」ではない、と言えるだろうが、このケースも同様に迷惑千万である(笑)
また、
しかし日本は朝鮮人も平等に扱う「日鮮一体」を目指していたのよ!!

というのは、「内鮮一体」のことを言いたいのだろうと思う。しかし「内鮮一体」と、その為の「皇民化政策」は、残念ながら差別を解消するようなものではなかった。以下は「朝鮮の近代史と日本」(旗田魏/編、大和書房)に収録の、「『内鮮一体』・同化と差別の構造・・・宮田節子」より引用。

1936年に就任した第7代朝鮮総督・南次郎の政策は、「半島人をして、忠良なる皇国臣民たらしめる」(P-143)ための「内鮮一体」に重点を置いていた。
これは朝鮮人に日本語教育を重点的に行ない、創氏改名によって日本人風の名前を押し付けるだけでなく、神社参拝や天皇崇拝の強制などによって「皇民化」しようとするものであった。単に朝鮮人を日本国民らしくするだけでなく、「大日本帝国」にとって都合の良い存在に仕立てようとしたのである。
当時、官憲の激しい弾圧によって挫折してしまった朝鮮人の民族運動家も少なくなかったが、彼らはこの「内鮮一体」に、日本人と朝鮮人が完全に平等になるもの、という期待をかけたようである。

当時の「玄永燮」という知識人は、「朝鮮人の進むべき道」という本で、「朝鮮人が完全な日本民族となった」時に差別がなくなるであろう、その為に児童は朝鮮語を学ぶ労力を割いて日本語学習だけに集中するべきだと主張していた。
朝鮮人が「日本人以上の日本人」になった時こそ、朝鮮の未来は明るい展望が開かれる。玄は夢想する。「完全に日本人と化した朝鮮人より、宰相が出たその輝かしい日を!」と。(P-148)
南次郎もこういう機微をとらえ、次のように発言していたという。
朝鮮人の皇民化の度合が充分でないことに焦燥していた南は、ついに朝鮮総督の名において、公式に「内鮮一体の究極の姿は、内鮮の無差別・平等に到達すべきである」(「国民精神総動員朝鮮連盟役員総会席上」)と言明するに至ったのである。(P-144)
しかしこれは朝鮮人を勘違いさせるための方便に過ぎなかった。日本人は朝鮮人への蔑視を決して捨てようとしなかったのである。
1942年、朝鮮総督府・企画部計画課長の山名酒喜男という者は、「内閣総力研究所」にて講演を行い、次のように述べたそうである。
自分は同化としての「内鮮の結婚」は、「悪しき日本人」をふやすばかりだから、ここ当分の間は希望いたしませんと述べ、しかもこの当分とは、朝鮮人が「大衆的短所を克服し、大和民族の美点である忠君愛国に徹し、誠実であり、潔白であり、礼節作法のたしなみある点に於て、内地人の尊敬を受け得る人物の輩出に於て、朝鮮が見直される時までは―――此の時は百年かかりますか、二百年或は五百年或は千年かかりますか、兎に角内地人から敬愛される時が来る迄は希望いたしません」(㊙「朝鮮人を中心として」)と述べている。「皇民化の度合」の内実は、実にこのように無限の距離をも含んでいたのである。(P-151)
朝鮮総督府の官吏さえもこういう認識であるのに、一般の日本人が「内鮮の無差別、平等」という理念を受け入れるわけがなかった。当時の日本人一般が朝鮮人を激しく蔑視していたことは言うまでもない。
しかしこのような同化と差別の構造は、当然にも公然とは語り得ない性質のものであった。「内鮮一体」の究極の姿が、「内鮮の無差別、平等」にあることを、朝鮮総督の名において公言している以上、それは支配者間の、あるいは日本人同士の暗黙の了解とされねばならなかった。
建て前は建て前として押し通さない限り、「内鮮一体」論そのものが崩壊する、少なくともいちじるしくその有効性が損なわれる。ここに日本人側の建て前と本音の乖離はいっそう広まり、民族矛盾が陰湿化し、より心情的なものとなって噴出する理由があった。
この時期、多くの朝鮮の知識人が一様に、「今日はすでに内鮮一体の可能性や必然性について語る議論の時代」は過ぎ去っている、「内鮮一体」を実現する上で、「デリケートな感情の問題が、どれ程根強い生活的なものであるかを知らなければならない」(金龍済「民族的感情の内的清算へ」)と指摘している。そして「内鮮一体」の亀裂が、日常生活の中のささいないざこざ、ちょっとした言動の中で深化し、拡大して行っている事実を次のように述べている。「人間は利益ばかりを追ふものではありません。僅かのことで敵になることもあります。侮辱されたといふことは、人の感情を刺激するもので、郵便局の窓口とか、駅の改札口で毎日の様に、朝鮮人なるが故に侮られるといふ事が行われています」(徐椿「朝鮮に於ける愛国運動」)と。
「内鮮一体」の矛盾は、いよいよ心理的葛藤の様相をあらわにして来たのである。(P-152)
当時の日本人の増長傲慢なる態度については、総督府の官僚さえ、極秘の文書の中で、日本人は「驕慢なる態度を以て彼等を蔑視し、浅薄低級なる優越感を振廻す、又出稼根性を以て高利貸行為をなし搾取する等思慮の足らざる言動」をなし、その結果「朝鮮人は概して内地人に対して白眼をむき、偏見狭量に傾き、帝国全般の施政に共鳴せざる心境に陥」(㊙「朝鮮人を中心として」)らしめている事実に、深い憂慮を示している。(P-154)

前掲の南次郎の発言も決して彼の本心ではなく、その場しのぎの建前にしか過ぎなかった。朝鮮総督の辞任後、次のように述べていた。
朝鮮人は「内鮮一体」論を、逆手にもちかえて「内鮮一体」の中に「差別からの脱出」を求めたが、それは日本人には受け入れられなかった。
朝鮮人を「内鮮一体」の旋風の中にまきこみ、朝鮮の地では、日本人と朝鮮人とは「形も心も血も肉も、悉くが一体でなければならん」(国民精神動員朝鮮連盟役員総会席上総督挨拶)と絶叫し、「朝鮮は植民地ではない。朝鮮を植民地視する者がいたら、なぐりつけろ」といい切って、「さすがは我等の総督」と喝采を浴びた南次郎は、1942年に朝鮮総督を辞任し、日本に帰り枢密顧問官になった。その年の10月28日、天皇臨席の下で開かれた枢密院会議の席上で南次郎は、朝鮮は「最近迄数千年に亙り一国を形成し居りたる為、其の思想、人情、風俗、習慣、言語等を異にする異民族たるは、厳然たる事実」だと明言し、「政府及国民並に現地為政者は此の厳然たる事実を率直坦懐に且正しく認識して」(「枢密院会議筆記」三八番南次郎発言)政策をたてねばならないことを力説している。(P-149〜150)
そして「支配者」は、「内鮮一体」というのは決して朝鮮人と日本人を平等に扱おう、というものではないことを宣言した。
このように同化と差別の矛盾は、もはや「内鮮一体の究極の姿は、内鮮の無差別、平等」などという建て前ではおおいきれないほど深化し、拡大していった。そして、ついに太平洋緒戦の予想以上の大戦果の獲得という日本の国威が絶頂に達した時期になると、もはや朝鮮人に「内鮮の無差別、平等」などという「飴玉をしゃぶらせる」必要はないと判断したのか、支配者は公式に「従来兎角一部人士に『内鮮一体』の理念が、『内鮮平等』の観念と混同、誤解せられていた幣」(『朝鮮統理と皇民化の進展』)を一掃しなければならないと言明するに至ったのである。支配者は今や公然と「内鮮一体」の本質をむき出しにして来たのである。それは支配者にとってはもともと抱いていた本音をもらしただけにすぎなかろうが、朝鮮人「内鮮一体」論者にとっては、二階に引きずり上げられたまま梯子をはずされてしまったことを意味するのである。(P-155)

結局「内鮮一体」とは、朝鮮人を志願兵として、あるいは徴兵して戦場に動員し、あるいは後方の労働力として利用し侵略戦争を続行するための、まやかしに過ぎなかったのである。
その「人的資源」を労働力として、または直接戦力として投入することなしに、日本は戦争を遂行出来得ない状態にまで追い詰められていたのである。しかもそれは単なる「人的資源」ではなく、皇民化された「人的資源」でなければならなかった。すなわち朝鮮人に対する「人的資源」としての要求が強まれば強まるほど、朝鮮人に対する皇民化はいっそう促進されなければならないという相関関係にあったのである。(P-154)
日本の朝鮮侵略に「日韓合邦」という幻想を抱いた一部の朝鮮人が「一進会」として活動したことと同様に、
「内鮮一体」に「内鮮平等」という夢を抱いた一部の朝鮮人も「国民総力朝鮮連盟」や「朝鮮文人協会」などの親日団体を設立し、そして「内鮮一体の本質」を悟り、絶望していった。
「日鮮一体」??は差別を解消しようとするものだったと勘違いしているアホ漫画家は知らんことだろうが・・・


(11/12追記)1940年に、「内鮮一体」のための同化政策の一環といえる「創氏改名」が行なわれたが、朝鮮人の中にはこれを歓迎する声もあったようである(ただしこのような発言の中にも表向きの同化政策に対する不満が垣間見える)。
特高月報 昭和15年4月 朝鮮人運動の状況
朝鮮民事令改正に対する在住朝鮮人の動向―――賛成意見(P-185〜186)
愛知 鉄工 某
民事令の改正により内地と同様な氏名となる事が出来感激に堪へない。然し假令内地名に更へても就職の際履歴書を出せば直ちに朝鮮人だと暴露して終ふから困る、結局形式上の問題でなく内鮮一体の為には内地人の理解がなくてはならない。
本籍地を内地に移籍が出来る様に為さなければ眞に期待することは出来ない。

福井 牧師 某
今回の氏制度は南総督の施政方針内鮮一体の具現で半島人は感激してゐる。然し本制度により上流者はよいが下級者は改姓改名しても内地の言葉も通せず服装等も異なり居り、朝鮮人としての区別は判然としているのである。此の点に当局者は注目して何等かよい方法を考へられ度し。
しかし大方の朝鮮人には、「内鮮一体」という絵空事への期待などなかったようである。「創氏改名」などの同化政策など、陰で「チョパーリ必死だな」と笑っていたことだろうw
特高月報 昭和16年9月 朝鮮人運動の状況
内地在住朝鮮人学生の帰鮮中に於る特異言動(P-80)
不詳 
現在日本は朝鮮人同化政策を行つて居るが之は成功するものではない。英国が「アイルランド」に対して同化政策を行つたが意の如くならず、今に悩み続けてゐる。獨英の開戦となるや彼等は一致団結して英国撃つべしと叫んでゐるではないか。日本とても同化政策を行へば失敗するのが當然である。民族的に見ても溶けきれないものがある。
特高月報 昭和15年4月 朝鮮人運動の状況
朝鮮民事令改正に対する在住朝鮮人の動向―――反対意見(P-186〜187)
群馬 古物商 某
我々は如何に内地人と同様に氏名を変へ服装、言語に気をつけても必ず内地人から朝鮮人だと見破られるから駄目である。氏が内地式になってもそれは表面の事で、朝鮮人は何処までも朝鮮人で、幾年しても内鮮融和は無いから我々は飽く迄獨自の民族たるの存在に居つた方が良い。

特高月報 昭和15年4月 朝鮮人運動の状況
朝鮮民事令改正に対する在住朝鮮人の動向―――反対意見
福井 文具商 某
朝鮮人が内地人式に改姓したとして果たして眞に皇国臣民化するやは疑問である。内地で言ふ水平社問題も何百年も経過しても未だ完全に解決して居ない。然るに日韓併合後僅かに三十年足らずで半島人を大和民族に同化せしむると言ふことは全く可笑しくてならない。鳥の尻尾に孔雀の羽式の改姓によつて眞に皇民化したと考へ改名したからと言つて一朝一夕に皇民化するならんと半島人に期待するのは大いな誤りである。

当たり前のことだが、朝鮮人は日本人などになりたくはなかったのである。なりたいわけがなかったのである。もしも日本が朝鮮民主主義人民共和国に占領され併合されても、恐らくほとんどの日本人は朝鮮人になりたいと希望することはないのと同様に。朝鮮人が日本人になれるわけがない、なりたくもないことなどとっくに承知しているはずの日本政府が同化政策を押し付けることに対して、以下のように「危惧の念を抱く」のは全く当然だろう。
山口 在京城全南 特要  某 
民事法の改正では内鮮一体強化の精神よりとの事であるが、之は大失敗である。之が全半島人の期待し居るものなれば創氏改名の届が続出しなければならない筈なのに、其の届出の数は極めて少いのは何を物語るものであらうか。即ち半島人が期待して居らないことを立証するものである。何が故に半島人が祖先より伝はりたる氏を改正せねばならないのか理由はない。之等も単に半島人に対し其の途を開いた程度のものであるなら云々する必要はないが、之を奨励、宣伝するに於ては一種の強制であり強制するに於ては半島人は只不安危惧の念を抱くに過ぎない。
(ちなみに創氏改名の届出は1940年2月から開始された。この年の4月までの累計届出数は15万7074世帯、総戸数400万8925世帯との比は3.92%だった)
また、同化政策の目的は民族意識を押さえつけ弾圧するためにもあることを、当時の朝鮮人は理解していたようである。
岡山 薬草業 某
今度氏制度が出来本年四月一日より六月末迄に戸籍の編成替をすることになつて居るが、此の制度の出来たことは政府が朝鮮民族の団結と発展に因つて起る種々の運動や出来事を無くし、民族意識を抑制する為に制定した物であると言つて、半島人は皆嫌な気持ちを抱いている。私の金と言ふ姓は千五百年位前新羅の王様から貰つた姓で私で三十一代になる。朝鮮では名前の頭に「行烈字」を必ず使用し之により其の一族の発展を知ることが出来「族譜」と言ふ書物(宗家にある)と「行烈字」を引合せれば祖先を一にして居ることが解り親族としての交際をし一族の発展を計るのであるが、今度の改正により吾吾々の誇りである習慣が無くなるので困つたことである。


もしも太平洋戦争がなければ1945年8月に日本の朝鮮支配が終焉することはなかったかもしれないが、朝鮮人を差別し抑圧しつつ、一方で同化政策を推し進めるという矛盾が生む軋みは次第に増大し、
遅かれ早かれ日本は、他民族を武力で支配していたことの愚かさを悟らされつつ、朝鮮半島から追い出されることになっただろう。
しかし自殺的な対米開戦の結末によって突然朝鮮半島は「解放」されることになった。そして戦後、この植民地支配がどれほど矛盾に満ちていたか、支配者がどれほど憎まれていたか理解していない愚か者を生むことになってしまった。その末端が下手な絵と稚拙なストーリー展開のマンガでそこそこ稼いでいるあの漫画家である・・・。
posted by 鷹嘴 at 01:05| Comment(20) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あの時代に朝鮮人と日本人が同じのわけないだろ。国の実力も民度も経済力も違う。
レベルが違うんだから取り扱いも違う。
朝鮮人と日本人を同じにしたらそれは逆差別だな。
あめりかのaffirmative actionみたいなものだ。
Posted by 総督 at 2005年10月17日 12:57
↑ほ〜、レベルが違うから扱いが違うと。

ほたら内戦一体とか、平等とかいうのは建て前であったということだね。

まったく今も昔も結局は自民族優越主義からまったく抜けきれていないのかね。一部の日本人は。

自分より、下の存在を無理やりにでも作りたかった、それを国家ぐるみでやった、そういうことか。

ま、ネット上では嫌韓厨がそれをやっているんだね。
哀れな奴らだ。
Posted by ちょろぎ at 2005年10月17日 16:45
お言葉ですが、あの時代とは何年ごろでしょうか?
朝鮮では日本より早く中央集権でしたし、外国の侵略にも長州藩のように敏感でしたし(シャーマン号事件)、
役人の横暴に全国各地で甲午農民戦争など反乱が起きてました。
これは規模の面でも反乱軍側の政策についても秩父困民党の蜂起といい勝負でしょうし、こちらは自国政府も要求を一部とはいえ認めざるを得なかったくらいですから。
民度が低いと決め付けるべきではないのでは?
Posted by フナずし at 2005年10月17日 21:51
そうですよ。
あの時代、朝鮮は精神医療の分野では世界の最先進国でしたから。(笑)
Posted by 白石苗穂 at 2005年10月18日 13:52
>内戦一体とか、平等とかいうのは建て前

何当たり前のこと言ってんの?w
今、お前は定住外国人と日本人を同じ扱いにできるか?
当時の朝鮮人は今の在日とは違う異人種の異民族だ。

>民度が低いと決め付けるべきではない

今現在でも韓国と日本が同じだといったら嘘だろ。
当時、日本人が朝鮮でやったことが朝鮮人にもできたといったらそれは嘘だし、これ以上の偽善はないと思うね。

Posted by 総督 at 2005年10月21日 16:49
アジア・太平洋戦争の肯定、朝鮮半島への侵略否定など、昨今のネット社会はあきれるほどの右傾化で、今まで保守と言われていた人まで左翼的な本を出す時代。その中でこのHPは良心を感じます。また歴史に対して真摯に向き合う姿勢に敬意を表します。
過去の反省的なことを書くと一気にネトウヨによる総攻撃がなされ、もう便所の落書き状態になるサイトを見てきましたが、ここはさすがに資料がしっかりしているのでネトウヨも手が出せないようですね。そりゃそうだ。あいつらのソースは自慰史観研究会の本の受け売りですからね。私も嫌韓サイトにこれにないことを書いたら全く反応はありませんでした。
日本人の名誉のためにも!不条理日記の健闘を祈念します。
【嫌・嫌韓流】タカ派/FROM東京
Posted by タカ派 at 2006年03月11日 03:53
歴史を反省することは大事だと言う。
もちろんそうだ。
だからと言って、法よりも感情を優先したり、世界が提示した物を鵜呑みにして反省したり、糾弾する国の矛盾には目を瞑るということは愚かだろう。
だから、吟味するのだ。従軍慰安婦問題で、抗議デモを行っていた「被害者」と称する女性の言う事が毎回異なっていたように。
このブログの管理人も、他国の国歌の好戦性、尊王性を知らずに日本の国歌を批判していた。

ちなみに、いわゆるネット右翼の人間は、極左の人間が中国の言動を鵜呑みにするように、日本に都合の悪い事を消そうとする。これは悪い事だ。

だがとりあえず、
・法の不遡及に反する糾弾(植民地経営は悪である等。フランスなどは今でも所有しているし、当時は世界中が行っていたことだ)
・あからさまに捏造された糾弾(吉田清治氏のチェジュ島での強制連行の話は、当時の島民は「全く知らない」と言っていました。正義の糾弾にこんなものを混ぜられてはたまらない。)
・矛盾のある糾弾(朝鮮のキーセンのような日本向けの売春婦を黙認したこと、韓国のベトナム混血児問題)
・決定事項(友好条約など)を無視した糾弾(日韓基本条約を破棄していないのに賠償を要求するなど)
これらは、右翼左翼両方とも止めるべきである。
Posted by qwert at 2006年03月11日 21:04
「歴史を反省することは大事だ」本当ですか?
今まで歴史を知っていたから救われた経験ありますか?個人的にも、社会的にも。だれも地球が丸いって実際に証明してみせることができなくても「地球は丸い」と言わないとバカだと思われるからそう言うわけでしょ?問われて、いったい人口の何パーセントの人が証明できます?それと同じで「歴史を反省することは大事」この命題証明できます?信じるに足るだけの充分な実例を挙げることできますか?10個ぐらいじゃ話になりませんよ。それに歴史ってよく書き換えられますよね。180度ひっくり返ったりしますよね。そもそも「歴史」っていうものが本当にあるんですか?歴史小説とか物語はあるし面白いですけど。
Posted by とりあえず疑います at 2006年03月14日 13:16
歴史を反省するということは、「これからは他国を植民地にすることはやめよう」ということであり、「これからは不当な干渉をはねのけよう」ということであり、「これからは核を爆弾(ミサイル)として使うことはやめよう」ということであります。

歴史を知っていたから救われたって、一般大衆が歴史で救われるわけがないじゃない。
歴史を知っているということは、民族、人類の思考や軌跡を受け継いだ(納得する事ではない)ということ。これは自分のアイデンティティに関わる物だと思うけどね。

あと。歴史はひっくり返る。確かにね。
でも、その時その時で一番確実だと思える物を探し出して信じるしかないんだよ。
Posted by qwert at 2006年03月15日 00:29
qwertさん 返事ありがとう。『歴史を反省するということは、「これからは他国を植民地にすることはやめよう」ということであり、「これからは不当な干渉をはねのけよう」ということであり、「これからは核を爆弾(ミサイル)として使うことはやめよう」ということであります。』ということですが、まさにここに私の関心があるんです。大体こんなこと多大の犠牲を払って歴史的経験をしなきゃ分からないことじゃないでしょ?
多分10歳程度の弁識能力で解ける問題だと思いますよ。ここなんです、よく歴史の教訓とか聞きますけど、この程度の話なんですよ。この程度の判断を歴史に頼ると言うことは、今まともに考えないということを是認しているのと一緒だと思いますよ。だから私は歴史に学ぼうという態度は思考の放棄、知的堕落であると、場合によっては、結論が分かっているのに今は分からないことにして先に進んでしまおう、後はどうにかなるだろうという意識に繋がると思うのです。だって「(将来)歴史が判定してくれる」とは革命を目指す人たちの常套文句でしたよ。今判断はできない、だから歴史に学ぶという態度は今は分からないから是非の判断は歴史に委ねるという考えに繋がりますよね?どんな判断でも、目の前の現実を観察し、正しく推論すればおのずと妥当な答えが出るはずです。例えば国境を巡る政治的判断をするのに高度な計算なんているもんですか。だから私は歴史に学ぶという態度は間違いであると考えます。
Posted by とりあえず疑います at 2006年03月15日 10:36
10歳程度の弁識能力で解るだって?
そりゃ、地球は丸いということが常識だということと同じだろう。過去の最高の知識人でも植民地を肯定していたのに。
あまり思い上がらない方がいいね。
では、どうして国民はここまでマスコミに支配されているのに国民は気付かない?どうして平和・民主主義は大事と言いながら選挙に行かない国民がいる?
失敗しないとわからない事がある。
例えば、共産・全体主義が一番良かったとされた時代もあったんだよ。
Posted by qwert at 2006年03月15日 20:37
qwertさん、誤解だよ。もし、自分には分かるって言ったらそれは思い上がりだ。そうじゃなく、誰でも普通の判断力があれば、落着いて考えれば分かることだと言ってるんですよ。その「過去最高の知識人でも」という意識が問題だと思うんです。あなたは知識人の間違いを指摘しているからそうじゃないはずだけど、知識人を過大評価するむきもありますよね。テキストを決めて、そこに真実があるみたいな硬直した意識は、まず事実認識を誤らせると思う。私の趣旨は自分で考るべきだと言うことなんです。共産主義も全体主義もまっぴらだれど、それを主張する人たちは歴史的必然性ということを言う。つまり唯物史観。仮説としては面白いし、そういうものとして慎重に扱う限り社会のある面を照らし出してくれたりもする。しかし天才マルクスの仮説を教条にしてしまうような人たちが人類史を語ったりするわけだ。こういう人たちこそ思い上がっているんだ。そして社会主義という惨憺たる結果をまねいたのは、人類最高の知識人の一人であるマルクスの歴史観だったんだ。「正しい歴史」なんて言っちゃいけないと思うし、そもそも「歴史」というあるいは「歴史学習」という知の制度から疑うべきだと思っています。歴史って時の権力者の正当化の手段だという言い方も、あながち否定できないと思いませんか?なぜ選挙に行かない人がいるのか。一つは考えないから。あるいは腹くくって他の選挙民の判断に白紙委任したから。理由はいろいろあると思うけど、それは否定しない。いや、むしろみんなが行ったら異常です。選挙なんて、民主主義なんてそんなもんでしょ。だいたい投票率って50%前後でしたっけ?この微妙な政治に対する距離感が私は好きです。例えばもし80%もの人が投票に行ったとしたら、そんな社会からは逃げ出したくなるでしょう。もともと民主主義という制度は、権力からなるべく距離をとって個人が生きるための大発明だと思っています。私自身は20才になってから投票を欠かしたことがありませんが、本当は民主主義なんていう西欧趣味のものは嫌いなんです。

Posted by なんでも一応疑います at 2006年03月15日 22:17
リベラルな立場からの提言、とてもうれしく思います。CLAWさんのサイトからこちらに来ましたが、とても充実した内容で、これからも頑張っていただきたい。
ネット上にはびこる嫌韓連中の声。侵略の反省どころかそれを賛美する姿勢に、右側からすら怒りの声が起きている状況です。CLAWさんや管理人さんのようなリベラル派からに頑張っていただくべく、私も力不足ながら応援していきたいと思います。
【嫌・嫌韓流】タカ派/FROM東京
Posted by タカ派 at 2006年04月08日 06:24
タカ派さん、お読みいただきありがとうございました。
当所が九郎さんの▼CLick for Anti Warで紹介されているのは非常に光栄です。

歴史認識問題について書きたいことが他にもいろいろありますので、これからもよろしくお願いします。
Posted by ノンポリ at 2006年04月08日 20:53
「朝鮮人は差別されていた。」
 ↑そうか?むしろ日本人に対して『チョッパリ(豚足)』や『倭奴』とか言ってる朝鮮人の方が差別的と思うが?

それに今の在日は『在日特権』と言うもので優遇されているんじゃなかったっけ?

それに、『差別された経験のあるはずの韓国』はどう?
合理的な外国人差別は正当である
(ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuukyuudai)
在韓外国人の処遇との比較
それでも内外人平等は絶対でなければならない、国家の論理そのものが間違いだ、と主張する人もいるだろう。ならば、在日の本国である韓国における外国人の処遇がどういうものであるかを見てからにしてほしい。
韓国では現在約1万8千人の中国人が在住している。彼らは植民地時代から居住している人が多く、当然韓国生まれの二・三世が大多数を占める。『この国における外国人差別は、公務員就任権や参政権がないのは勿論であるが、他に法律で定められたものでは、土地所有の制限、営業店舗面積の制限、株式保有の制限、農地所有の禁止、貿易商登録の禁止、定期刊行物発行の禁止、金融機関設立の禁止などがある。』(以上は鄭大均著『日韓のパラレリズム』三交社51頁等による)
また指紋押捺では、『韓国の全国民は一本指の指紋押捺が義務付けられているが、在韓外国人の場合は十本指すべての押捺義務がある。』(西岡力「戦後日韓不愉快史」『マルコ・ポーロ』92年11月号所収による)
こういった制度的差別により、在韓中国人はその数が70年に3万2千人、80年2万7千人、そして91年1万8千人と大きく減少しており、その多くは国外脱出し、台湾やアメリカなどに移住している。(鄭大均著上掲書72頁による)
まことに韓国というところは、外国人には住みづらい国である。

と言う様に、日本が差別的な国であった事は否定出来ませんが、少なくとも朝鮮人を『差別の被害者』という視点で匿うのは辞めて頂きたい。

あと、在日の方は差別が嫌なら帰国するか帰化して下さい。それが良いですよ。
帰化申請の7つの条件
@引き続き5年以上、日本に住所を有すること
A二十歳以上であること
B素行が善良であること
   〇 犯罪暦
   〇 交通事故・交通違反暦
   〇 税金の滞納状況
C自己や配偶者等によって生計を営むことができること
D喪失要件(帰化によって元の国籍を失うことができること。)
E思想要件(日本を破壊するような思想を持っている場合、帰化許可は下りません。)
F日本語の読み書きができること(小学生低学年レベル)
Posted by 悪魔 at 2006年08月19日 11:41
だいたい、そういう風に朝鮮人を『差別被害者』として扱うから、
『自転車で二人乗りをしていたことを怒られたのも差別だ』と言う、お馬鹿な被害妄想者も出て来るんですよ。
ttp://f25.aaa.livedoor.jp/~zflag/mirrors/zai/
(警官の言い方が悪いのもあるが、原因はあんたらでしょ。)
Posted by 悪魔 at 2006年08月19日 11:49
内鮮一体でググって来ました。

「大衆的短所を克服し、大和民族の美点である忠君愛国に徹し、誠実であり、潔白であり、礼節作法のたしなみある点に於て、内地人の尊敬を受け得る人物の輩出に於て、朝鮮が見直される時までは―――此の時は百年かかりますか、二百年或は五百年或は千年かかりますか、兎に角内地人から敬愛される時が来る迄は希望いたしません」

…忠義や愛国心がなく、不誠実で、不正を働き、礼儀作法がない。
植民地的に支配され、もとより差別はあったとしても、ここまで酷評されるほどの民族性ってよほどですよね。

歴史の上で差別はあったと思いますが、現代では韓国と在日の方の行いが、嫌韓的な意識を作り出しているんじゃないでしょうか。
対等であるなら、過去に日本人が差別していたとしても、現代で韓国・在日の方が日本に対して差別的な発言をするのは許されないということです。
現代の常識に照らして、人を侮蔑しながら過去に自分のことを差別したと非難するのは到底常識のある人間とは思えません。

とはいえ、ここでは差別があったというお話のエントリなのでちょっとズレてしまいましたね。
すみません。
私も差別はあったと思います。
別の国、言語、常識などが違えば摩擦が起きる可能性は大いにありますし、それにより立場や格差による差別が起きて当然でしょう。
Posted by 115 at 2009年01月15日 01:20
朝鮮は千年にもわたりシナの属国として甘んじてきた。その間毎年数十人の処女の美女を宗主国に献上してきた。その朝鮮を独立させたのは日本だった。その結果朝鮮は大韓帝国を名のることができた。しかし朝鮮人には事大主義の精神が染みついていて、せっかく独立させても「今度はどこの大国についたらよいか」と模索し、日清戦争後の三国干渉で日本が遼東半島を返還したのを見て閔妃はロシアが強いと思いロシアの庇護を受けることとした。半島がロシア領となれば日本は危ない。これが日露戦争の発端だった。日本が大国ロシアを破った結果、朝鮮は日本の保護領とされた。しかし日本は半島を併合する考えはなかった。なぜならば、それ以前に併合した台湾のインフラ整備に莫大なカネがかかったからだ。伊藤博文は大韓帝国が独立国として自立することを望んだが朝鮮人に殺され、その結果日本はやむなく半島を併合した。これは韓国側からの要望でもあった。その結果日本は莫大なカネをかけて半・原始的状態(イザベラ・バード『朝鮮紀行』参照)にあった半島を近代化し、学制を敷き、発電所を設け電線を引き、鉄道を敷設し、内地の最高学府と同等の京城帝国大学を設立し、朝鮮人も内地の大学に学べるよう門戸を開いた。内鮮一体のスローガンのもと、日本女性と朝鮮男の結婚が奨励された。フランスがベトナム男とフランス女性の結婚を奨励しただろうか。オランダがインドネシアにライデン大学のような大学を建てたただろうか。英国はインド人兵として使ったが、インド人将校の下に英国兵が配属されただろうか。日本軍は朝鮮人が軍人となることを認めたが、朝鮮人将校の下に日本兵を配属させた。このようなシステムは欧米型植民地政策においては皆無である。朝鮮時代奴隷階級の白丁は半島での厳しい差別を逃れ日本に渡り、戦後は密航し、在日となった。これは彼らにとって途方もない利益である。そうでないというのならさっさと帰国していたはずである。在日朝鮮人は終戦時には戦勝国民を名のり日本女性を強姦しまくり、日本人男性を殺し駅前の一等地を強奪し、パチンコで大儲けし、等々。創氏改名(これは強制ではなかった)を非難しながら犯罪をするときは日本名を使うという卑劣さだった。戦時中徴用されて来た朝鮮人は245人だけで、それらの人は皆帰国している。つまり在日は自分の意思で残ったのだ。不満があるなら帰国すべきだ。兵役逃れの帰化申請が激増しているが帰化条件を厳しくして事実上帰化を防ぐのがよい。日本に朝鮮人は要らない。彼らは犯罪の種子だ。国内での強姦事件の多くは在日あるいはわざわざ犯罪目的で来た韓国人によるものだ。いまや日本は在日の帰化人に乗っ取られようとしている。マスコミ界・政界・宗教も在日帰化人に支配されつつある。統一協会は日本人女性を洗脳しすでに6500人が韓国農村の嫁として売った。マスコミの韓流押しに煽られ韓国へ行って強姦される日本女性は年間百人を超えている。昨年は寒流おばさんが、先般も日本人女子大生が韓国男に会いに行って行方不明となったが、このような行方不明者は報道されないものを入れると更に多いという。韓国では日本女強姦ショーがあり、強姦ビデオが出回っているという。
彼らが執拗にくり返す慰安婦問題だが、そんな問題は後から作られもので、日韓条約当時は韓国側からも出なかった。いわゆる慰安婦は募集に応じた売春婦である。在日に洗脳された青柳敦子の再三の呼び掛けに応じて日本政府を訴えるべく名乗り出た金学順は、17歳のとき義父に売られてキーセンとなり、その後別の朝鮮人に「もっと儲かる仕事がある」と言われて満州に行き売春をしていた。その客の中には日本兵もいた、と語っていた。そもそも、何万人もの娘が「強制連行」されたとしたら、大勢の朝鮮人がそれを見ていて、黙っているはずがない。三一デモで日本人警察官2名を虐殺したほどの激しい気質の朝鮮人が。それとも、何万人もの娘たちがいなくなるのに誰も気づかなかったのだろうか。
 2011年12月8日付NYタイムズによれば、米軍相手の『慰安婦』だった金愛蘭さんは、「韓国政府は米軍相手の大手売春斡旋業者だった」と語り、これら元売春婦は「韓国自体の歴史を厳しい目で検証することをせずに日本から賠償を求めるのは偽善だ」と韓国政府を非難こしているという。日本大使館前の慰安婦像とは笑わせる。敗戦で半島から引き上げる途中の日本女性多数を朝鮮人が強姦し、このため自殺した日本女性もいること、国内でも朝鮮人が多くの日本女性を強姦しまくったことを記す記念碑を、日本の韓国大使館前に建てたらどうだろう。
朝鮮人が、毎年数十人の処女の美女を献上させられてきたシナには一言も文句を言わず、日本にはありもしない慰安婦強制連行をネタに執拗に謝罪・賠償を要求するのはなぜか。朝鮮人は優しさと強さの区別がつかない。朝鮮人は相手が強いと屈従するが、相手が下手に出ればどこまでもつけ込む卑劣な人種だ。
日本が毅然とした態度で臨めば日韓問題は解決する。私は韓国に長く住んだが、過去の問題について文句を言って来た韓国人に謝罪などしたことがないばかりか、植民地支配だろうが慰安婦問題だろうがすべて論破してやった。要は、彼らと同じレベルに立って正論を述べればよいのである。日本人は、「謝れば済む」などと考えるが、これが間違いだ。
 「内鮮一体」に不満があるのなら、自力で清国から独立を勝ち取り、ロシアの南下を自力で防ぐなど独立国としての行動をすれば、日本としても莫大なカネをかけることもなく怨まれることもなく、在日もいなくて大助かりだったのだ。
 差別がいけないとの趣旨のようだが、韓国人も日本人を差別している。すなわち、韓国では日本人だとボッタクるし、日本女性を強姦しようと韓国男がミョンドンあたりでてぐすね引いて待っている。韓国では日本女性の強姦は手柄とされ、犯罪にならない。韓国男は性獣だね。
 外国人参政権付与などしたら日本は乗っ取られる。在日朝鮮・韓国人国外退去法の立法こそが必要だ。
Posted by 金太郎 at 2011年12月22日 20:18
差別はどこにでもある。朝鮮人・韓国人は日本人を差別している。
韓国では「チョッパリ価格」があり、日本人とみればぼったくる。これ、差別じゃないの?
韓国で強姦される日本女性は毎年百人を超えるといわれている。韓国警察に届け出ても『倭女か』と取り合わない。韓国警察も『日本女は強姦してよい』と思っているようだ。韓流おばさんが、今年10月には女子大生が韓国で行方不明になった。マスコミが報じない日本女性行方不明事件はもっと多いという。
韓国では日本女強姦ショーがあり、日本女強姦ビデオが出回っているという。
Posted by 三太郎 at 2011年12月22日 21:03
12/22日付小生の文の中で、「2011年12月8日付NYタイムズ」となっていたのを「2009年12月8日」と訂正します。この記事は下記サイトで検索できます。
【週刊新潮】韓国は在韓米軍に「慰安婦(売春婦)」を提供していた…ニューヨーク・タイムズが1面で報じるも朝日新聞は黙殺★2[1/15]

それから、自称元・従軍慰安婦の金学順さんは、14歳のときキーセンとなり、17歳で義父にもっと儲かる仕事があると言われ満州に行って売春こしていた、とも言われています。
Posted by 金太郎 at 2011年12月23日 14:06
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