中国残留孤児:厚労省、認定20年うやむや 高知の女性、調査放置
残留孤児だった夫と83年に中国から永住帰国し、日本国籍も取得していた女性が、厚生労働省から中国残留孤児として新たに認定されたことが分かった。国内在住者の認定は初めて。厚労省は30日、肉親を捜すため女性の身元を公開した。女性は帰国直後に身元調査を依頼していたが、同省の対応がまずく、認定から漏れていた。【玉木達也、内田幸一】
この女性は高知市の張淑芝(ちょう・しゅくし)=現在の日本名・三谷都美恵=さん。張さんは83年10月、残留孤児だった夫の妻として中国から永住帰国。84年2月、高知県を通じ、文書で旧厚生省に残留孤児の身元調査を依頼したが、同省は身元を明らかにする資料がないとして「調査困難」と事実上、門前払いにしていた。
86年9月、張さんの日本の戸籍を作る「就籍」に関し同県から旧厚生省に問い合わせがあった。同省はその際、新たに身元を特定する資料が入れば、再度、身元調査依頼を行うように県を通じて伝えたが、本人から連絡はなかったという。
結局、張さんは87年4月、家裁で就籍が認められた。
このとき、残留孤児としても認められたと考えていたが、02年、認定されていないことがわかり、夫が県庁に出向いて直談判し、同年7月に身元調査の申請が行われた。
夫は「なぜ、(就籍した時)日本人になったが、孤児には認定されていないと教えてくれなかったのか。帰国時、妻は40代。実母も生きているかもしれないのに、20年もうやむやにした責任は誰が取るのか」と憤る。
張さんは「今ごろになって肉親を捜すのは難しく、認められてもあまりうれしくないが、何とか捜してみたい」と伏し目がちに話した。
厚労省中国孤児等対策室は「結果的に長期間、調査しなかったのは事実で、もう少し早く認定できるよう配慮すべきだった」と釈明している。
今回の5人以前に認定された残留孤児は2795人。うち2493人が永住帰国した。残留孤児同士が結婚し帰国したのは3組6人。
◇5人の名簿を発表
厚生労働省は30日、日中両政府が今年度に認定した中国残留日本人孤児5人(男性3人、女性2人)の名簿を発表した。孤児の肉親捜しは集団訪日調査が始まった81年以降36回目で、認定孤児数は過去最低となった。5人の平均年齢は推定62歳。中国在住の希望者は11月下旬に訪日予定。肉親や親族と思われる人が名乗り出れば対面調査を実施する。
◇王桂珍(おう・けいちん) 女 寧安県 3カ月くらい
1945年8月、避難途中、牡丹江省寧安県二道河子鎮老家站村で、朝鮮族の「金景風(きん・けいふう)」に預けられ、その後、養父「王占武(おう・せんぶ)」に引き取られた。額中央の髪の生え際に傷跡がある。A型。黒竜江省海林市。
◇李福貴(り・ふくき) 男 阿城県 1歳くらい
45年、浜江省阿城県東大営の日本軍駐屯地で、粉屋の「李九娥(り・きゅうが)」が3人の子供を預かり、その後、養父「李保振(り・ほしん)」に引き取られた。「李九娥」に一緒に預けられたのは5歳くらいと3歳くらいの男の子だった。聴覚障害者。O型。河北省衝水市。
◇姜恩慶(きょう・おんけい) 男 延吉市 2〜3カ月
45年11月、間島省延吉市の日本人収容所となっていた天主教会から、日本人助産婦の依頼で、医者「金蘭成(きん・らんせい)」、助産婦「郎品潔(ろう・ひんけつ)」を介し、養母「汪淑貞(おう・しゅくてい)」に引き取られた。B型。吉林省延吉市。
◇張淑芝(ちょう・しゅくし) 女 敦化県 6歳くらい
父、母がいた。45年秋、避難途中、吉林省敦化県黒石屯開拓団で養父「張昇(ちょう・しょう)」、養母「王桂芳(おう・けいほう)」に引き取られた。当時父は足が不自由で母は重病だったらしい。A型。83年10月、高知市に定着済み(判明孤児の夫に同伴して帰国)。
◇王善林(おう・ぜんりん) 男 奉天市 3歳くらい
姉がいた。45年9月ころ、奉天南駅付近の難民収容所となっていた日本人学校で、養父「王子瑞(おう・しずい)」に引き取られた。同時に養父に同行した2人の中国人のうちの1人も別の男の子を引き取った。A型。遼寧省瀋陽市。
■名簿の見方と連絡先
中国名(敬称略)に続いて性別、肉親と別れた場所、終戦時の推定年齢。本文は日本名や家族構成、肉親と別れた状況、血液型、現在地など。写真は1枚のみの場合は現在、2枚の場合は右が現在、左が幼少から青年期のもの。
孤児に関する連絡先は以下の厚労省中国孤児等対策室へ。▽厚労省代表電話=03・5253・1111(内線3493〜3494)▽直通電話=03・3595・2456▽ファクス=03・3503・0116(午前9時〜午後6時、土日祝日は休み)▽臨時直通電話=03・3593・7890(12月8日まで。午前9時〜午後7時、土日祝日は休み)
毎日新聞 2005年10月1日 東京朝刊
残留孤児 高知市の三谷さん認定 国内在住者で初
厚生労働省は30日、平成17年度に新たに認定した中国残留孤児5人の名簿や写真、手掛かりとなる情報を公表した。5人の中には昭和58年に残留孤児の妻として帰国し、高知市新田町で暮らしている三谷都美恵さん(推定年齢64歳)が含まれている。日本在住者が孤児と認定されたのは初めて。
厚労省によると、都美恵さんの中国名は張淑芝(チョウ・シュクシ)。昭和20年当時、6歳くらいだったとみられる。昭和20年秋に避難途中、吉林省敦化(とんか)県黒石屯(こくせきとん)開拓団で養父の張昇さん、養母の王桂芳さんに引き取られた。当時、父親は足が不自由で母親は重病だったらしい。血液はA型。
21、2歳の時に同じ残留孤児の三谷義博さん(68)=中国名・徐景鳳さん=と中国で結婚。夫の身元が判明したため、昭和58年に残留孤児の妻として帰国。夫の父の出身地の長岡郡大豊町を経て、現在は高知市で暮らしている。
夫の義博さんは帰国当初から「妻も残留孤児」と話し、同59年2月に高知県庁を通じ当時の厚生省(現厚生労働省)に身元調査を依頼。しかし同省は電話で「調査は困難」と回答した。
その後、義博さんが独自調査を基に新たに戸籍を作る「就籍」を家裁に申し立て、昭和62年4月、日本生まれと認定された。平成14年に再び厚労省に調査を依頼して、中国在住の都美恵さんの義理のいとこらへの聞き取りを通じて日本人孤児と認定された。
都美恵さんに対する調査・認定は20年以上にわたり放置されていたことになるが、同省中国孤児等対策室は「就籍は知らなかった。(昭和59年)当時は中国の調査対象者が多くて手が回らなかった上、(都美恵さんが)国内に住んでいるということで情報も乏しかった。落ち度があったとは考えていない」と説明。
ただ、「今から思えば20年前にもう少しいろんな証言や資料があり、調査で身元が判明していれば、(当時の年齢から考えて)父母に会える可能性が高かったと思う」としている。
今回認定された残る4人は中国在住の男性3人と女性1人で、11月24日―12月8日まで一時帰国。都美恵さんも4人と合流して記者会見などに出席し、親族の特定に結び付く情報の提供を呼び掛ける。
中国残留孤児は今回の5人を含め、これまでに2800人が認定され、1278人の身元が判明している。
【写真説明】中国残留孤児に認定された三谷都美恵さん=右=と夫の義博さん(高知市新田町の自宅)
三谷さんの夫「何も変わらない」 社会の軽視に寂しさ
中国残留孤児に認定された高知市新田町の三谷都美恵さんは軽い知的障害があり、自身の出生や終戦当時の記憶は一切ないという。今は市営アパートで夫と2人暮らし。同じ孤児だった夫の義博さん(68)は妻の認定について、「うれしいですが…。本当の日本人が日本人と認められただけですし」と複雑な表情で妻の思いを代弁した。
義博さんは長岡郡大豊町岩原の出身。5歳の時、旧満州北安省慶安県下欧根開拓団員の父親と中国大陸に渡った。父親は昭和20年5月、現地召集を受けて兵役につき、22年に復員。残された8歳の義博さんは母親らと逃避行を続けたが、「6歳だった弟は、どうせ殺されるのだからと日本人団員に首を絞めて殺された」という。母親は、たどり着いた奉天市(現・瀋陽)で衰弱死。義博さんはコーリャンの敷物で母親を包み、大地に転がすように置いたという。
中国人の養父母に引き取られて吉林省敦化県で農業に従事していた昭和30年代に同じ集落の人に「日本人がいる」と都美恵さんを紹介された。「『日本鬼』といじめられ、つらい暮らしだったので日本人となら」と結婚。その後、二男一女をもうけた。
55年、中国と日本を行き来していた知人を介し、大豊町に帰還していた父親を捜し当て、当時の厚生省に身元調査を依頼。孤児と認定され、都美恵さんと子供3人を伴って帰国した。大豊町を経て高知市に転居し、清掃関係の仕事をして働いた。
都美恵さんは「料理や掃除などはきちんとできる女性」(義博さん)だが、自身の出生など、身元に関する記憶はないという。
帰国当初、県を通じて妻の身元調査を求めたが、「調査は困難」と放置された。その後、62年の家裁への申し立てで日本人国籍を認められて以降は、「これで認定されたものとばかり思っていた」という。
一昨年、夫婦で原告に名を連ねようとした国家賠償訴訟(帰還政策や帰国後の支援が不十分として孤児約2000人が起こした集団訴訟)の手続きの途中、妻が孤児と認定されていないことに気付いて、「なんで、という気持ちでいっぱい」になった。
度重なる調査依頼の末にようやく得た孤児認定だが、「『中国残留孤児』という名前をもらっても何も変わらない」「(集団訴訟で最初の判決が下った大阪地裁の)裁判も負けましたし、やはり、私たちは軽く見られているなあ」とぽつり、ぽつり。
「昭和59年に身元調査が行われていれば?」の問いには、「妻は情報を全く持っていないので、(肉親の判明は)難しかったかもしれません。今回も多分、難しい」と力なく話した。
肉親情報の連絡先
厚生労働省中国孤児等対策室は30日公表の中国残留孤児について、関係者からの情報を募るため臨時直通電話を設置する。12月8日までの平日の午前9時―午後7時。それ以外の電話とファクスは平日の午前9時―午後6時。
▽臨時直通電話03・3593・7890
▽直通電話03・3595・2456
▽直通ファクス03・3503・0116
▽厚労省代表電話03・5253・1111、内線3493、3494
(参考)
厚生労働省:平成17年度中国残留日本人孤児の肉親捜しに係る中国残留日本人孤児名簿について
帰国の20年後にやっと孤児に認定とはあきれる。公害病もそうだが、国というものは責任を負わなければならないことにはシラを切り通す習性?があるようだ。
ところで2chやウヨ系ブログでは、中国残留孤児をまるで不法入国者扱いするが如き悪罵が連なっている。(どちらも国家という物の被害者であるのに)拉致被害者に対する反応とは正反対であるが・・・
要するに拉致被害者については日本国に責任が無いから同情し、中国残留孤児については日本国に責任があるからバッシングしたくなるようである。連中の、拉致被害者やその家族に同情を寄せているように見える発言など全く無価値と言える。






