2008年05月22日

夏淑琴さん裁判、高裁でも勝訴!

南京への道・史実を守る会より、夏淑琴さん裁判控訴審の判決と当日の模様を報告します。

5月21日、東京高等裁判所824号法廷にて、平成19年(ネ)第6002号損害賠償等反訴請求控訴事件(夏淑琴さん名誉毀損裁判・控訴審)の判決が下されました。
双方の控訴は全て棄却されましたが、第一審被告(東中野教授及び展転社)は一審原告(夏淑琴さん)に対し合計400万円の賠償金支払いが命じられました。
(「南京虐殺の徹底検証」については300万円、同じ本の中国語版・英語版については50万円の慰謝料、加えて弁護士費用50万円)
残念ながら東中野氏に対する謝罪広告などの要求は退けられましたが、昨年11月の地裁判決の賠償金400万円は維持されたのです。南京大虐殺の渦中で家族を惨殺された夏淑琴さんを誹謗中傷した歴史歪曲主義者に正当な裁きが下ったことに喜んでいます。

この日も開廷前に裁判所前で1時間ほど、チラシ配布など宣伝活動を行いましたが、嫌がらせが目的の右翼グループは一人もやって来ませんでした。一昨年から始まったこの裁判は毎度の右翼の罵声が名物だったのですが、被告側の論理破綻が進むにつれて彼らの関心も薄れていったようです。
傍聴席は39人分のところ、45名の方々が抽選に並んで下さいました。やや寂しい人数でしたが、東中野支持派も裁判の行方をあきらめた結果、このような人数になったのかもしれません。

ところで、この控訴審に臨んで少なからぬ不安もありました。5月21日に判決は出ず弁論継続になる可能性もあった点と、被告側が控訴審の段階になってから始めた主張です。
ジョン・マギー牧師が南京事件の被害の模様を撮影したフィルムについて、
「あのフィルムは、実は南京事件を映したものではなく、事前に用意された全く無関係の映像だ。従って(夏淑琴さん一家の被害も記録されている)フィルム解説文など単なる創作だ!」
という主張を始めたのです。
この発想の元となったと思われるのは月刊誌「WiLL」08年1月号に掲載された「南京大虐殺とドイツ軍事顧問団」という記事です。この記事はマギーのフィルムについて、簡単に説明すると以下のように推測しています。

1. 陥落後の南京はフィルムを現像する設備が失われていたため、
2. ジョン・マギー牧師が撮影したフィルムは基督教青年会のジョージ・フィッチが1938年1月下旬に上海に運んで現像し、
3. 1938年2月12日に南京に持ち帰ったはずだが、
4. 「南京安全区国際委員会」のジョン・ラーベの日記の2月11日には、マギーのフィルムを見たという記述がある。
5. だから、マギーのフィルムは南京事件とは無関係であり、よってフィルム解説文など創作に過ぎない。


もっとも本当に上海で現像されたのか、南京には現像できる場所が無かったのかの確証はなく、フィッチ自身がフィルムを携えて上海から戻ってきたという記録も残っていません。単に積荷として南京に送られた可能性もあります。また日本語版のラーベの日記(講談社「南京の真実」)の該当部分には明らかな誤訳もあります。そもそも実際に南京事件の被害者・生存者が映っているフィルムを、全く別物だと主張する荒唐無稽さには呆れます。
しかし、あのフィルムが現像された場所・日時をはっきりと示す資料は見当たりませんのでこの主張を完全に崩すことは出来ませんでした。
(これについてピッポさんが的確な指摘を行いましたが、既に弁護団から反論の書面が提出されていました)
結局は3月17日の第一回のみで結審の形となり、杞憂だったと思い知らされたのです。

判決はこの主張に対し、
「東中野氏の『南京虐殺の徹底検証』は、マギーフィルムの解説文を元に夏淑琴さんは事件の被害者とは別人だという推論を行っており、しかも一審ではその主張を元に陳述を行っていた。従来の主張をひっくり返すような主張は採用できない」
という趣旨の指摘を行い、この主張を退けました。全く当然の指摘です。フィルム解説文が創作だとしたら、それを唯一の拠り所としていた東中野氏の推論も無意味になることが分からなかったのでしょうか?

判決言い渡しは「各控訴をいずれも棄却する。控訴審の裁判費用はそれぞれの負担とする」などと述べただけで、わずか十数秒で終わりました。「え?もう終わりなの?」とポカンとしていると、弁護団の方から「勝訴だからご心配なく!」と声をかけていただいて、我に返りました。
あっけない結末でしたが、南京事件否定派の重鎮?である東中野氏の主張が完全に否定された瞬間でもありました。

そして、弁護団の紅一点である菅野弁護士が、昨年の地裁判決に続いて裁判所正面玄関で「勝訴」の旗を掲げ、フラッシュの嵐が起こりました。被告側は最高裁に上告するのではないかと思いますが、この裁判では最高裁が弁論を再開するとはとても考えられず、百人斬り裁判と同様にそのまま棄却となることでしょう。この歓喜の瞬間を味わえないと思うといささか残念です(笑)

続いて弁護士会館で行われた報告集会には多くの方々が参加してくださいました。昨年の地裁判決文で被告を厳しく責めた文言は手が加えられたものの、要所は引き継がれたこと、判決内容が後退しなかったことなど、弁護団から解説が行われました。そして少ない時間の中で、参加された皆様から叱咤激励のお言葉を頂きました。
この裁判で圧倒的な勝利を得たのもご支援していただいた皆様のお陰です。本当にありがとうございました。
しかし、この裁判が終わっても歴史歪曲主義者との闘いは終わりません。加害の事実を歪め、戦争被害者を侮辱する勢力を許してはならないのです。今後とも厚いご支援をお願いします。


【 参考 】
◇ 15年戦争資料 @wiki - 夏淑琴さん名誉毀損訴訟 東京地裁判決
◇ 15年戦争資料 @wiki - 夏淑琴さん名誉毀損訴訟東京高裁判決(要旨)

posted by 鷹嘴 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏淑琴さん裁判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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