2005年02月03日

菅平

スキー靴を履くのはひとシーズン数回程度の身であるが、毎年のように決して近場とは言えない菅平を訪れている。その理由を問われれば、圧雪された急斜面が多いことだけでなく、いつ行っても空いていることも挙げざるを得ないだろう。もっとも最近はどこのスキー場もかつての様な大混雑は解消されつつある、と聞く。また現在は正月も土日も休めなくなった身分であるので、わざわざ平日にあそこまで足を伸ばすこともないのかも・・・しれない。
下の写真は、菅平の中で唯一いつでもリフト待ちがある奥ダボズのクワッドでたどり着く、この広大なスキー場の実質的な山頂部にて。ホントだったら(?)雄大な北アルプスを携帯のメモリーに保存することが出来たのになあ。

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天気さえよければ360度パノラマの絶景なのだが、この日(1/20)は終日軽い吹雪(笑)であった。(ちなみに俺の携帯はFOMAだが、全域で通話・メール送信が可能であった)

このスキー場は「太郎エリア」「ダボスエリア」「パインピークエリア」の三つに分かれている。(こちらはオフィシャルサイトのコース案内図
「太郎エリア」は一つの山頂から四方八方にコースが造られている、あまり標高差のないゲレンデである。

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この「シーハイルコース」は何回滑っても飽きないね。しかし、夏になればラグビー部員の皆さんが「山頂まで登ってこい」などと、陰湿なシゴキを受けているに違いない(笑)
さて、「太郎エリア」と「ダボスエリア」は道路を挟んで向き合っているが、「パインピークエリア」は数キロ離れた位置にある。
麓の「ホリデーコース」以外は全て急斜面だと覚悟した方がいだろう。初心者を連れて行く場合は要注意。スキーヤーもボーダーも気合の入った面々ばかりの、もろ体育会系スキー場である。

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このエリアで唯一のクワッドリフトの降り場から、ホントだったら(?)霊峰富士が眺められるハズだったのである。去年三度行って三度ともお目ノかかれたのになあ・・・。

「ツバクロ」ゲレンデはポールトレーニングする者以外はあまり滑るところがない。数年前、無謀にもここの「チャンピオンコース」で有料ポールレッスンを受けたことがある。ポールを滑る以前の基本の技術が全く身に付いていないヘタッピのクセに・・・。
しかし、リフトの右手のパノラマコースは、いつでもどこかのスキー部の貸切状態になっていたため指をくわえて眺めているだけだった。この日は平日の夕刻ということもあり、奇跡的に侵入が可能であった。気持ちイイったらありゃしない!ただ圧雪状態がいいだけじゃねえぜ!何かが根本的に違う!つーか快適に飛ばせる所だからこそ、レーサー用に確保されているのかもしれない。

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しかし、ここのリフトは長くて遅い上にご覧の通りの悪天候の為、寒さに耐えかね三回滑っただけで「大松山」ゲレンデへと戻った。長い連絡コースは途中から完全に平坦になる。運動不足の身にスケーティングは非常に辛いものがあった。


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帰り支度をしていたら、やっと天候が回復しやがった。この日は行きも帰りもチェーンを装着しない強行突破を試み、運良く生還した(笑)


次の日仕事なのでさっさと帰ればいいのに、つい「真田温泉健康ランド ふれあいさなだ館」に寄ってしまった(他にも立ち寄り湯があると思うが知らない)。400円という入浴料は微妙な設定であるが、サウナなし、シャンプーなし・・・という条件から考えれば妥当な線だろう。

・・・・以前から気になっていたのだが、「ふれあいさなだ館」の少し手前の国道沿いにこのような大きな看板が立っている。

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真田町というのは何かね、政治・軍事の重要な拠点でもあるのかね?


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やなこったい!

(もちろん観光客に対して言っているのではないと思うが・・・)

しかし、この看板の下の方に共産党の看板があるのはお茶目で笑える。(どうせなら埋め尽くすほどの厚かましさでキボンヌw)
posted by 鷹嘴 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | スキー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月15日

ザウス

・・・その昔、「スキーをやらずんば人にあらず」という風潮があった。俺も含めて世間一般が、「スキーも出来ない奴は彼女が出来ない」みたいな、一種の脅迫観念に囚われていたように思う。ただし当時の俺の場合、スキーを始めても一向に右手だけが唯一の恋人だったが(笑)
吹雪の中でチェーン取り付け説明書をにらみながら首をひねっている時、大渋滞にはまっている時、JAFが来るのを待っているとき、ふと我に返ったことがある。「いったい俺は何をやってるんだ?なんでスキーなんかに行かなくちゃならねえんだ?」と。
しかし何度も苦い思い出を積み重ねながらも、現在も年に数回出かけている。金と時間に余裕があれば何度でも行きたいのだが。俺にとって一番辛いのが長時間運転と高速+ガス代だが、「首都圏」在住の人間の為にこの悩みを一気に解決することを狙い、同時に一年中の滑走を可能としたのが「スキードームザウス」であった。
ただし、あのような大規模な設備を建設するには、企画→用地買収→仕様決定→設計→施工→完成→開業に至るまでに何年も要するのは致し方ないだろう。そして開業した1993年にはとっくにバブルは崩壊し、スキーブームも退潮の兆しを見せていたのである・・・・。

俺もあの巨大冷凍庫に一度だけ出かけたことがある。全長500mという短さだが、上部はそこそこの斜度があり、少なくとも俺のような自称上級者(笑)にとっては、練習場とはなり得ないとは言えない場所だった(???)
しかし、あの狭いコース幅を次々と本物の上級者が殺到する中で、全くの初心者だった連れ(珍しく♀)の面倒をみるのは困難を極めた。平日サボって出かけたのだが(当時勤めていた会社は土日休みだった)、土日の混雑時はどのような状況だったであろうか?それに入場料もレンタル代も安いとは言えない。そういうわけで結局一度しか行っていないうちに取り壊されてしまった。まあ、あの遊戯場がリピーターを獲得するのは難しかっただろう。閉鎖も当然の成り行きである。

ところで、こちらのサイトのザウス評は、まさにあのバブルのあだ花の本質を突いているので是非ご覧頂きたい。とくにこの部分↓が絶品である。

「モーグルのこぶこぶが写真左の打ちっ放しのコンクリの壁沿いに作ってあったのはスキーヤーに対するザウスの本心ではないかと思った。」

後年の歴史家が20世紀後半の日本の狂態を研究するとき、ザウスについて関心を寄せることもあろうかと思う。その際には是非ともあのサイトを参考にして頂きたいものである。つーか、あのサイトだけでザウスを語るのに充分だと思われ・・・
posted by 鷹嘴 at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | スキー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする