1937年の盧溝橋事件以降、日本は中国への全面的な侵略戦争を始めた。
海南島へは1939年2月から陸海軍共同で侵攻を始め数日で要所を占領したが、抗日ゲリラの反抗は根強いため、激しい三光作戦が展開された。また地下資源を奪うため多くの企業が進出し、住民を強制連行し、あるいは朝鮮や中国本土から強制連行された人々を移入し、過酷な労働を強いた。
また海軍の指導の下に慰安所が設置され、多くの女性を拉致監禁することで運営されていた。
農村に住んでいた陳亜扁さんという女性は、1941年、14歳の時に水田に出ていたところを日本兵に拉致され、村内の日本軍の営舎の近くの狭い部屋に監禁された。昼間は米に混ざった小石を取り除く作業をさせられていたが、二日目に日本兵に強姦された。それ以来継続的に強姦され、3ヶ月後には「藤橋」という街に連行されて慰安所に入れられた。そこで2年間ほど日本兵に強姦され続けたが、金を貰ったことは一度もなく、なにかにつけて殴られた。その後最初に監禁された営舎に戻され、同じように毎日強姦され続けた。終戦後も連れ戻されることを恐れて山中に潜み、母が運んでくれる食事で飢えを凌いでいた。
その後結婚し、9回妊娠したが8回も流産し、9回目に病院に入院して出産することができた。夫が亡くなってからは戦時中の悪夢に脅かされることが多くなり、「PTSD」の症状が出ている。
陳さんら被害者8名は2001年7月、日本政府を相手取って裁判を起した。13回もの口頭弁論を経て今年3月に結審し、判決を待つことになった。
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