この記事はnoteに転載済。先にブログに書いておいたほうが便利かなって思って。いろいろ試してみる。
7月1日は午後から、石飛仁さん主催の信正寺慰霊祭。石飛さんは花岡蜂起7月1日説を支持するので、毎年信正寺で2日続けて慰霊祭が行われている。
午前中、皆さん資料整理など忙しく、暇な俺はちょっと大館郷土博物館まで車で運んでもらった。ちなみに何度も花岡に行ってるのにレンタカーの運転を要請されたことはない。いつもツイッターやブログで、車庫入れ何回もやり直して結局バンパー凹ますほど運転下手なクセに飛ばすし、また捕まった、今度は事故った、など書き散らしてるせいかな?バイクの運転も相変わらず下手っピだね。未だにコンビニの駐車場で1速のまま出るときなどガックンガックンしちゃうし、それどころか取り回ししてて倒しそうだし。この日の午前中はソロツーリングならぬソロフィールドワークに決起したぞ!
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2025年10月30日
2025年10月20日
2025年 花岡現地闘争A 6月30日慰霊式と講演会(noteより転載)
非常に遅くなったが花岡を訪れた話の続き。noteより転載。ちょっといろんな用事(旅行とか、山奥のとある一軒家で草刈りとか。ブログに書くのめんどくさい)のせいで疲れちゃって、noteもブログも更新できなかった。暑すぎるからバイクはあんまり乗らなかった。房総半島の南端を一回りしたのが唯一のツーリングかな。
6月29日はビジホにチェックインしてから一同集合(もちろん花岡和解に批判的な皆さんだけ)、居酒屋で打ち上げ。一人ずつ自己紹介、東アジア反日武装戦線の支援連の人たちの集会にたまに行きますって言ったら、初めてお会いした方に共通の知り合いがいることが判明。世間は狭いね?
中核派の人たちとの付き合いが一番多いことは言わなかった。引かれるから。サヨクの世界じゃ中核派はエンガチョだからな。それにしても中核派はどうなっちゃっうんだろうね?旅行中にツイッター見てたら、何だかわけわかんない話とわけわかんない憶測ばかりで、わけがわかんないよ!
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6月29日はビジホにチェックインしてから一同集合(もちろん花岡和解に批判的な皆さんだけ)、居酒屋で打ち上げ。一人ずつ自己紹介、東アジア反日武装戦線の支援連の人たちの集会にたまに行きますって言ったら、初めてお会いした方に共通の知り合いがいることが判明。世間は狭いね?
中核派の人たちとの付き合いが一番多いことは言わなかった。引かれるから。サヨクの世界じゃ中核派はエンガチョだからな。それにしても中核派はどうなっちゃっうんだろうね?旅行中にツイッター見てたら、何だかわけわかんない話とわけわかんない憶測ばかりで、わけがわかんないよ!
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2025年08月02日
2025年 花岡現地闘争 @「七ツ館事件とその背景」(noteより転載)
この記事はnote より転載。
今後は政治・社会問題、歴史認識問題、デモや集会などについての記事は、まずnoteに投稿し、こちらにも転載することにする。気が変わるかもしれないが。こちらに転載する際には、デモの打ち上げで飲みすぎた、などという個人的な思い出も載せるかもしれない。同時に、毎度の下品なネットスラングを用いた文体に戻すかもしれない。一人称については「俺」「私」を混在させてしまっているが、まあこれは気分次第で。
2025年6月29日から3日間、秋田県大館市に滞在し、花岡事件の慰霊式、集会、フィールドワークなどに参加した。noteに3つに分けて投稿するつもりだが、まだ1つ目を投稿しただけ。その1つ目をこちらに転載した。
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今後は政治・社会問題、歴史認識問題、デモや集会などについての記事は、まずnoteに投稿し、こちらにも転載することにする。気が変わるかもしれないが。こちらに転載する際には、デモの打ち上げで飲みすぎた、などという個人的な思い出も載せるかもしれない。同時に、毎度の下品なネットスラングを用いた文体に戻すかもしれない。一人称については「俺」「私」を混在させてしまっているが、まあこれは気分次第で。
2025年6月29日から3日間、秋田県大館市に滞在し、花岡事件の慰霊式、集会、フィールドワークなどに参加した。noteに3つに分けて投稿するつもりだが、まだ1つ目を投稿しただけ。その1つ目をこちらに転載した。
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2015年12月20日
2015年 花岡事件70周年現地闘争! (2)
遅くなったが、7月1日のこと。そもそも今年の花岡現地闘争については7月中には書き終えたいと思っていたのだが・・・。
帰国後の耿諄さんと初めて面会した日本人であるジャーナリストの石飛仁さんは、70年代から花岡事件の調査を行っている。
(以前にもこのブログに書いたが)石飛さんは、耿諄さんら花岡蜂起指導者の裁判記録などを元に蜂起が起こったのは7月1日の夜であると指摘している(この件については不勉強な俺には判断できないが)。そのため石飛さんらの研究グループは毎年7月1日に信正寺で慰霊式を行っている。まずは長年花岡事件を研究し鹿島建設と粘り強い交渉を行っていた石飛さんの活動歴を知っておきたい。
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帰国後の耿諄さんと初めて面会した日本人であるジャーナリストの石飛仁さんは、70年代から花岡事件の調査を行っている。
(以前にもこのブログに書いたが)石飛さんは、耿諄さんら花岡蜂起指導者の裁判記録などを元に蜂起が起こったのは7月1日の夜であると指摘している(この件については不勉強な俺には判断できないが)。そのため石飛さんらの研究グループは毎年7月1日に信正寺で慰霊式を行っている。まずは長年花岡事件を研究し鹿島建設と粘り強い交渉を行っていた石飛さんの活動歴を知っておきたい。
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2015年11月27日
2015年6月、2年ぶりに花岡に行ってきた(1)
もう半年前のことだが花岡を訪れたことを書く。2015年6月30日に秋田県大館市で行われた殉難者慰霊式、フィールドワーク、夜の講演会、そして7月1日のフィールドワークと「慰霊供養の集い」に参加した。もう4度目なので、まずは花岡現地闘争の基礎知識を記しておきたい・・・
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2013年07月01日
2012年07月01日
2年ぶりに花岡に行ってきた
そういうわけで6月29日から7月1日まで2年ぶりに秋田県大館市を訪れ、花岡事件慰霊式や集会に参加した。
かつて花岡町(現大館市)で鉱石を採掘していた花岡鉱山では、戦時中軍部の要求に応えるため無計画な採掘が行われ、落盤で22名が犠牲になる事故も発生した。そのため鹿島組(現鹿島建設)が土木改修工事を請負い、戦時中の労働力不足のため中国から強制連行された人々がこの工事に従事させられた。
しかし鹿島は中国人たちを連日長時間酷使するだけで満足な食事も報酬も与えず、「補導員」たちは何かにつけて中国人たちに暴力を振るうため多数の犠牲者が出ていた。中国人たちは座して死を待つより活路を見出すため1945年6月30日の夜に一斉蜂起し、補導員らを殺害し逃亡。しかしあえなく鎮圧・捕縛され、さらに多くが虐殺された。花岡に送られるために連行された中国人986人のうち419人が、生きて故郷に還ることはなかったという。
戦後、乱雑に埋められたままの犠牲者たちの遺骨埋葬そして送還が行われ、花岡事件の調査が行われ、蜂起を指揮した耿諄さんら生存者も再来日し、大館市では毎年慰霊式が行われるようになった。続きを読む
かつて花岡町(現大館市)で鉱石を採掘していた花岡鉱山では、戦時中軍部の要求に応えるため無計画な採掘が行われ、落盤で22名が犠牲になる事故も発生した。そのため鹿島組(現鹿島建設)が土木改修工事を請負い、戦時中の労働力不足のため中国から強制連行された人々がこの工事に従事させられた。
しかし鹿島は中国人たちを連日長時間酷使するだけで満足な食事も報酬も与えず、「補導員」たちは何かにつけて中国人たちに暴力を振るうため多数の犠牲者が出ていた。中国人たちは座して死を待つより活路を見出すため1945年6月30日の夜に一斉蜂起し、補導員らを殺害し逃亡。しかしあえなく鎮圧・捕縛され、さらに多くが虐殺された。花岡に送られるために連行された中国人986人のうち419人が、生きて故郷に還ることはなかったという。
戦後、乱雑に埋められたままの犠牲者たちの遺骨埋葬そして送還が行われ、花岡事件の調査が行われ、蜂起を指揮した耿諄さんら生存者も再来日し、大館市では毎年慰霊式が行われるようになった。続きを読む
2011年06月30日
2010年09月13日
花岡事件と その「和解」(11) 「和解」に群がる人々
2010年07月16日
花岡事件と その「和解」(10) 「和解そのものが新しい加害」
2010年07月14日
花岡事件と その「和解」(9) 欺瞞の渦
(8)の続き。
野田氏の2008年1月・2月号の月刊「世界」の論考は、花岡訴訟の弁護団や支援者にとって見過ごせないものだったようで、一橋大学名誉教授・田中宏氏が同誌の08年5月号にて、野田氏への反論を寄稿した。「中国人強制連行を考える会」代表でもある彼は、新美隆弁護士(故人)や内田雅敏弁護士と共に花岡訴訟に関わり、和解に導いた人物である。自分たちの長年の活動によって成立した「和解」の価値を守りたかったのだろう。そのタイトルは「花岡和解の事実と経過を贈る」である。野田氏の連載のタイトル「虜囚の記憶を贈る」をパクったものである。このタイトルだけで只ならぬ憎しみを感じるが・・・残念ながら「反論」の域に達していない。
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野田氏の2008年1月・2月号の月刊「世界」の論考は、花岡訴訟の弁護団や支援者にとって見過ごせないものだったようで、一橋大学名誉教授・田中宏氏が同誌の08年5月号にて、野田氏への反論を寄稿した。「中国人強制連行を考える会」代表でもある彼は、新美隆弁護士(故人)や内田雅敏弁護士と共に花岡訴訟に関わり、和解に導いた人物である。自分たちの長年の活動によって成立した「和解」の価値を守りたかったのだろう。そのタイトルは「花岡和解の事実と経過を贈る」である。野田氏の連載のタイトル「虜囚の記憶を贈る」をパクったものである。このタイトルだけで只ならぬ憎しみを感じるが・・・残念ながら「反論」の域に達していない。
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